80年3月2日と9日にNHKFMで放送された
イ夕オペ・ハイライト曲目リスト
これは正に、私が「後追いイタオペファン」になった放送で、オテロの二重唱、アンドレア・シェニエの二重唱、クラウスの清らかな住い、優しい魂よ、タリアヴィーニの人知れぬ涙等々、オペラファン人生に決定的な影響を受けています。
56年
ヴェルディ「アイーダ」 ヴィットリオ・グイ指揮
凱旋の場の後〜第2幕フィナ−レ
アントニエッ夕・ステッラ、ジュリエッ夕・シミオナート、ウンベルト・ボルソ、
ジャンジャコモ・グエルフィ、カルロ・カーヴァ
モーツァルト「フィガロの結婚」 ヴィットリオ・グイ指揮
もう飛ぶまいぞこの蝶々、恋とはどんなものかしら
ジュゼッペ・夕ディ、ジュリエッタ・シミオナート
59年
ヴェルディ「オテロ」 アルベルト・エレーデ指揮
すでに夜も更けた、イヤーゴの信条、さらぱ栄光の〜夢の歌〜神かけて誓う
マリオ・デル・モナコ、ガブリエラ・トゥッチ、ティト・ゴッビ
ドニゼッティ「愛の妙薬」 アルベルト・エレーデ指揮
人知れぬ涙 フェルッチョ・タリアヴィーニ
ビゼー「カルメン」 アルベルト・エレーデ指揮
第2幕ホセ登場から花の歌(イ夕リア語)
マリオ・デル・モナコ、ジュリエッ夕・シミオナート
61年
ジョルダーノ「アンドレア・シェニエ」 フランコ・カプアーナ指揮
亡くなった母を、5月の晴れた日のように、フィナーレのニ重唱
レナー夕・テパルディ、マリオ・デル・モナコ
ヴェルディ「リゴレット」 アルトゥーロ・バジーレ指揮
悪魔め鬼め、祭りの日にはいつも〜第2幕フィナーレ
アルド・プロッティ、ガブリエラ・トゥッテ
プッチーニ「トスカ」 アルトゥーロ・バジーレ指揮
第2幕途中〜歌に生き恋に生き
レナー夕・テパルディ、ジャンジャコモ・グエルフィ
レオンカヴァッロ「パリアッチ」 ジッゼッペ・モレッリ指揮
衣装をつけろ マリオ・デル・モナコ
63年
ヴェルディ「イル・トロヴァトーレ」 オリビエロ・デ・ファブリティース指揮
君の微笑み、第4幕のニ重唱
エットレ・パスティアニーニ、アントニエッタ・ステッラ
ロッシーニ「セヴィリアの理髪師」 ニーノ・ヴェルキ指揮
私は町のなんでも屋、今の歌声は
アルド・プロッティ、ジュリエッタ・シミオナート
67年
ヴェルディ「仮面舞踏会」 オリビエロ・デ・ファブリティース指揮
第2幕のニ重唱、永久に君を失えぱ
アントニエッタ・ステッラ、カルロ・ベルゴンツィ
71年
ベルリーニ「ノルマ」 オリビエロ・デ・ファブリティース指揮
清らかな女神よ、ノルマよ見てごらん
エレナ・スリオティス、フィオレンツァ・コッソット
プッチーニ「トゥーランドット」 ロブロ・フォン・マタチッチ指揮
お聞きください〜泣くなリュー〜第1幕フィナーレ
リディア・マリンピエトリ、フラピアーノ・ラボー他
ヴェルディ「リゴレツト」 ロブロ・フォン・マタチッチ指揮
女心の歌〜四重唱
ルチアーノ・パヴァロッティ、ルイズ・ラッセル、ピー夕一・グロッソップ、アンナ・ディ・ス夕ジオ
ドニゼッティ「ラ・ファボリー夕」 オリビエロ・デ・ファブリティース指揮
いとしいフェルナンド、やさしい魂よ
フィオレンツァ・コッソット、アルフレ−ド・クラウス
73年
ヴェルディ「椿姫」 ニーノ・ヴェルキ指揮
乾杯の歌 レナータ・スコット、ホセ・カレラス
プッチーニ「トスカ」 オリビエロ・デ・ファブリティース指揮
第1幕のニ重唱、星は光りぬ
ライナ・カバイヴァンスカ、フラピアーノ・ラボー
グノー「ファウスト」 ポール・エチュアン指揮
金の子牛の歌、この清らかな住い、宝石の歌、メフィストフェレスのセレナーデ
ニコライ・ギャウロフ、アルフレード・クラウス、レナー夕・スコット
76年
マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」 オリビエロ・デ・ファブリティース指揮
ママも知る通り、お母さんあの酒は強いね〜
フィオレンツァ・コッソット、プラシド・ドミンゴ
チレア「アドリアーナ・ルクヴルール」 ジャン・フランコ・マジーニ指揮
優しい君の微笑みに〜ニ重唱、哀れな花
モンセラット・カパリエ、ホセ・カレラス
ヴェルディ「シモン・ボッカネグラ」 オリビエロ・デ・ファブリティース指揮
ニ重唱、 娘よその名を呼ぶだけで胸が躍る
カーティア・リッチャレッリ、ピエロ・カプッチッリ
さすらい人さんに教えていただいて、正確な放送日と、私が録音していない部分がある事が分りました。さすらい人さんが持っていて私が録音していない部分は67年の「ルチア」から「香炉はくゆり」「邪魔をするのは誰だ」(六重唱)、76年の「道化師」から「鳥の歌」および「シモン・ボッカネグラ」から「悲しい胸の思いは」です。
マリオ・デル・モナコ追悼番組
82年10月、シミオナートと共に初期のイタオペに不滅の足跡を残したマリオ・デル・モナコが亡くなりました。NHKFMでは追悼番組として59年の「オテロ」「カルメン」、61年の「アンドレア・シェニエ」「アイーダ」「パリアッチ」の5本、つまりデル・モナコがイタオペで歌ったすべての演目を放送しました。
3月6日放送、59年2月収録(収録日については「オテロの謎」参照)
ヴェルディ「オテロ」 アルベルト・エレーデ指揮
オテロ:マリオ・デル・モナコ デズデモナ:ガブリエラ・トゥッチ
イヤーゴ:ティト・ゴッビ 他
3月13日放送
59年 ピゼー「カルメン」(イタリア語) ニーノ・ヴェルキ指揮
カルメン:ジュリエッタ・シミオナート ドン・ホセ:マリオ・デル・モナコ
ミカエラ:ガブリエラ・トゥッチ エスカミリオ:シピオ・コロンボ 他
3月20日放送
61年 ジョルダーノ「アンドレア・シェニエ」 フランコ・カプアーナ指揮
シェニエ:マリオ・デル・モナコ マッダレーナ:レナータ・テパルディ
ジェラール:ジャンジャコモ・グエルフィ/アルド・プロッティ 他
(1〜3幕がグエルフィ、4幕がプロッティ)
3月27日放送、61年10月16日収録
ヴェルディ「アイーダ」 フランコ・カプアーナ指揮
アイーダ:ガブリエラ・トゥッチ アムネリス:ジュリエッ夕・シミオナート
ラダメス:マリオ・デル・モナコ アモナスロ:アルド・プロッティ
ランフィス:パオロ・ワシントン 他
4月3日放送、61年10月21日収録
レオンカバルロ「パリアッチ」 シュゼッペ・モレッリ指揮
カニオ:マリオ・デル・モナコ ネッダ:ガブリエラ・トゥッチ
トニオ:アルド・プロッティ シルヴィオ:アッティリオ・ドラーツィ 他
59年イ夕オペ「オテロ」の謎。
NHKFMのデル・モナコ追悼特集の際、後藤美代子アナのアナウンスでは2月4日(つまり初日〉収録と言っているのですが、その後テレビで放送されたものも2月4日収録と表示されています。ところがこの2つの演奏は明らかに違うのです。
最初のところでイヤーゴの言葉の落とし方がまず違いますし、合唱のソプラノに、もう1つの謎と言うべき違いがあるように聞こえます。第2幕フィナーレのニ重唱でも、明らかな違いがあります。
このことは長年にわたって私を悩ませていたのですが、98年12月、イ夕オペが98年から順次放送されている「20世紀の名演奏NHKのライブラリーから」で放送された際に、黒田恭一氏は2月7日とアナウンスしており、どうやら追悼特集の際のアナウンスが間違いだったらしい、と納得できました。
テレピで放送された2月4日収録の演奏での、合唱のソプラノにあるもう1つの謎というのは、オテロの登場の少し前のところで、ソプラノの何人かが楽譜にないオクターブ高いHをオブリガート的に歌っているように聞こえるのです。
これはそんなに悩んではいなくて、私が出した給論としては、数人の方が(緊張もしていたのでしよう)単に間違ってオクターブ上がってしまった、というものです。
どなたか、当時合唱を歌っていた方に聞いたこととかは……ないでしようねえ!。98年から「イタオペ」を体系的に放送している「20世紀の名演奏、NHKのライブラリーから」枠で、2000年春に放送された61年10月24日の特別演奏会で、当初プログラムになかったデル・モナコがアンコールにピアノ伴奏で歌ったのは、確かに「オオソレミオ」でした。
それに対して、83年3月の追悼番組の際に、後藤美代子アナの「61年10月24日に行われた特別演奏会におけるマリオ・デル・モナコの「オオソレミオ」をお聞きいただきましょう」というアナウンスについで流れた曲は、何故か「帰れソレントへ」だったのです。
10月24日に、「オオソレミオ」の他に「帰れソレントへ」も歌われたのか、どなたかご存知
ないでしょうか。
→ 「解決編」を「皆様からお送りいただいた情報のページ」に掲載しました。
63年第4次イタリア歌劇団公演のプログラムに挿入された、
主催者あいさつ文とデル・モナコからの手紙。
イタリア歌劇団公演に出演予定のマリオ・デル・モナコ氏は、スペイン公演中パルマにおいて発病し、診断の結果腎臓病で絶対安静を必要とすることになり、来日は不可能となりました。このため、ガストーネ・リマリッリ氏が「トロヴァトーレ」のマンリーコ、および「西部の娘」のジョンソンの役に出演いたします。
不測の事態とは申しながらマリオ・デル・モナコ氏が参加できなくなりましたことは誠に残念でございますが、NHKといたしましては、今回の公演が十分成果をあげ、みなさま方に
ご満足頂けますよう努力いたしますので、何卒ご了承下さいますようお願いいたします。
なお、デル・モナコ氏から急病のため日本公演に参加できなくなった旨の手紙が参りましたので、裏面に掲載いたします。 日本放送協会
スペインにて感冒にかかり、腎臓病の再発に苦痛甚だしく、長期の専門治療を受けざるを得ない。リーナも非常に驚き、即時外科的手術の必要を説く。この悲しむべき状態により
長期間出演することは絶対に不可能。従って東京での契約を断念。敬意。 マリオ