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75年以降NHKFMで放送された

リサイタル番組

Private CD 「午後のリサイタル・セレクション」へ

佐々木 千賀子 テノール バリトン・バス


三宅民規伴奏集

三宅先生は、私が大学に入って男声合唱を始めた当時、ピアノを弾いて下さっていました。混声合唱部では、塚田先生(当時大学出たて位?)に弾いていただいており、お互いうちの先生は将来日本一になる人だ!、と言い合ったものでした。その後オペラと日本歌曲の分野で其々日本一と言って良い活躍をされているのを陰ながら嬉しく思っておりました。
その三宅先生が、平成8年に50歳位で亡くなったと聞きました。
大学一年の時、まだ何もわからずシューベルトの楽譜にしがみついていた19歳の自分の、思い出の中の三宅先生にこのページを捧げたいと思います。


T、饗場 知昭 Br、大島 幾雄 オペラ二重唱曲集 (1978.10.24)
ボエーム第四幕、真珠取り、運命の力第三幕、ドン・カルロ、オテロ第二幕

ドン・カルロ「我らの胸に友情を」、オテロ「神かけて誓う」をはじめとするテノールと
バリトンの二重唱の名曲を初めて聴いた演奏で、特に思い出深いものです。


T、饗場 知昭 歌曲とアリア (1982.2.2)
歌曲:「かわいい口もと」「苦しみ」「禁じられた音楽」「海の幻影」「妖精のひとみ」
アリア:「妙なる調和」「ありふれた話」「戻れ幸せの日よ」


Br、大島 幾雄 歌曲集 (1983.7.5)
ヴェルディ:「誘惑」「哀れな男」「墓に近寄らないで欲しい」
ドナウディ:「そこでフィッリは私に言った」「いつまた君に会えるだろうか」
レスピーギ:「雪」「雨」「霧」


Br、山村 民也 ヴェルディ・アリア集 (1982.6.22)
「哀れみも誉れも愛も」「プロヴァンスの海と陸」「あいつは刀で」
「悪魔め鬼め!」「おまえこそ心を汚すもの」「君の微笑み」


Br、大久保 真 (1948〜)

アリアと歌曲 (1982.10.24)
「あいつは刀で」「悪魔め鬼め」「君を求めて」

日本歌曲 (1988.10.24)
信時 潔「沙羅」全曲、「あの子この子「ふるさとの」「九十九里浜」

「沙羅」は、難しいということもあってか余り演奏、録音されないようですが、はっきり言って名曲です。歌唱、ピアノとも私のイメージとちょっと違う部分もありますが、この曲の貴重な全曲録音をしてくれたのはありがたいことです。
大久保が得意にしている(のでしょう、私の想像です)「九十九里浜」は、76年音コンの放送では途中でカットされていたので、この放送で最後まで聴けました。


Bs、高橋 啓三 アリア集 (1990.12.20)
「悲しい胸の思いは」「一人寂しく眠ろう」「誰でも一度は恋をして」「ボリスの死」


Br、水野 賢司 アリア集 (1990.10.11)
「この悪党め!」「ノーフォーク公の小姓であった時」「私は町の何でも屋」
「あいつは刀で」「悪魔め鬼め!」「ごめんくだされ皆様方」

三宅先生としてはかなり晩年の、この録音での「私は町の何でも屋」「悪魔め鬼め!」の伴奏は、正にオペラ伴奏の極致と言うべき凄まじいものです。
三宅先生に思いっきり弾かせて、その上で存分に渡り合っている水野さんは、同年代の勝部さん、大島さんに比べてイマイチ売れていませんが、勝るとも劣らぬ実力者である、と私は信じている方です。

 

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佐々木 千賀 (ソプラノ)

○歌曲とアリア(1985.4.9)、ピアノ:呉恵珠(以下同じ)
 チレア「目覚め」「短い命」、「麗しい光が」

○歌曲とアリア(1988.11.7)
 ヘンデル「ラルゴ(o Mio Sinor)」
 ベルリーニ「私の理想の人」「やさしい月」
 ロッシーニ「真夜中に」
 「私のお父さん」「私の名はミミ」「麗しい光りが」

○歌曲とアリア(1992.9.26)
 レスピーギ「舞踏への招待」、「ジロメッタ」
 トスティ「セレナータ」「魅惑」「そうなって欲しい」
 「母もなしに」「私のお父さん」、マスカーニ「ゆかしい月よ」
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佐々木 千賀子 (ささき ちかこ)                          Studio LUCE HPへ

東京声専音楽学校(現昭和音楽芸術学院)卒、同オペラ研究科終了。
83年第19回日伊声楽コンコルソ第1位(史上最年少だったはず)。
フランチェスコ・パオロ・ネーリア(エンナ)国際コンクール優勝(確か牧野正人の前の年)。
90年マリア・カラスコンクール入選


福井敬君と共に、わが町出身の歌手なのですが、素質はあってもソプラノの世界は競争が厳しいのでしょうね。コンクール入賞歴などもそこそこなのですが、藤原の本公演の主役は歌っていないようです。
97年に水沢市であったコンサートの時には、子供が小さいこともあってか、馬力が落ちて
いるように聞こえましたが、まだまだこれから!、頑張って欲しいものです。

 

片岡 啓子 (ソプラノ、1951〜)

○オペラ全曲・他
 FM J.シュトラウス 「こうもり」 二期会公演 1979.11.19 日生劇場
    
ヴェルディ 「トロヴァトーレ」 二期会公演 1980.7.24 東京文化会館
    ヴェルディの夕べ 共演:小林、大島 Pf:川口、森島 1984.6.9 日生劇場
    リサイタル「片岡啓子ヴェルディを歌う」 共演:直野 1994.4.7
    ヴェルディ「ナブッコ」 東フィルオペラ・コンチェルタンテ 1996.4.23 オーチャードホール
 TV ヴェルディ「仮面舞踏会」(藤原) 1986年2月6日収録

○NHKニューイヤーオペラコンサートでの録音(録画)
 81年「亡くなった母を」、85年「神よ平和を与えたまえ」、
 89年「歌に生き、恋に生き」、96年「トロヴァトーレ」第四幕の二重唱 共演:直野

坂上二郎のフロッシュが話題になった日生劇場での二期会公演「こうもり」に行った私は、始めて聞く名前のソプラノ歌手の素晴らしく豊麗な声と衝撃的な出会いをし、片岡啓子ファンになった。衝撃度としては、学生時代に聴いた栗林のリゴレットに次いで2番目(3番目とは大差がある)だったと思う。その後も「トロヴァトーレ」「ドン・カルロ」など、女性歌手では(地元出身の佐々木千賀子を除くと)一番数多く聴いているし、オペラ全曲やリサイタルなど飛びぬけて数多くの録音を持っている。
90年代以降の片岡は、声の素晴らしさは相変わらずなのだが、どうも「凄い声」の持ち主にありがちな「声だけで充足してしまって芸術的に深まらない」タイプとして終わりそうになっているように思える。この点については、「この本が魅了する」という本の中で、著者の本間公氏もほぼ同じ意見を書いている。

 

瀬山 詠子 (ソプラノ、1930〜)

○橋本 国彦 「舞」、信時 潔 「沙羅」より 「丹沢」「あづまやに」「からす」「行々子」「沙羅」
  (1990年頃、日本歌曲を歴史的にたどったコンサートの放送より)

この時のコンサートにはベテランの女性歌手が多く出ており、数才年下の嶺 貞子などがはっきり衰えが感じられたのに対し、当時60才くらいだったはずの瀬山は、特に「舞」で絶唱とも言うべき素晴らしい歌を聴かせている。もともとビッグネームと言ってよい人で、私も市川都志春歌曲集のLPなど持っていたのだが、この演奏で私にとっての「心の巨匠」としての評価が固まったと言っても過言ではない。(ただし、「舞」が名曲であり、私はこの演奏で始めて聴いた、という点から甘く評価している面があることも否定出来ない)

 

林 康子 (ソプラノ、1943〜)

○1981年11月29日に行われたコンサート
 ロッシーニ「グリエルモ・テル」より「暗い森」
 ヴェルディ「トロヴァトーレ」より「静かな夜」、「恋はばら色の翼に乗って(ミゼレレ、カヴァレッタ付き)」
 ドニゼッティ「アンナ・ボレーナ」より「あなたは泣いているのですか」

当時の林が世界有数のドラマティコ・ダジリタであったことを証明する素晴らしい演奏。
たまたま同時期に行われたシャシュのコンサートと同じテープの表裏に 録音してあるのだが、林の方が明らかに上に聞こえる。

○堀内修のFMクラシックサロンより
 「愛の妙薬」フィナーレ(コヴェント・ガーデンでカレラスと共演した時の録音、確かCDにもなっている)
 ああそは彼の人か〜花から花へ、ある晴れた日に(多分藤原の公演での録音)

○2001年にNHKFMで放送された「これが最強のオペラアリアだ」より
 ドニゼッティ「アンナ・ボレーナ」よりフィナーレ 82年藤原公演の録音

○「82年以降NHKTVで放送された国内団体のオペラ」のページに載せているオペラ
 ヴェルディ「トロヴァトーレ」(87年藤原)、ベルリーニ「ノルマ」(92年藤原)

「ノルマ」はジャコミーニが共演していることもあり、貴重な録画ではあるのだが、残念ながら林についてはあと5年、出来れば10年早ければ!、という感が否めない。
82年の藤原公演「アンナ・ボレーナ」を(当時は知らないオペラだったこともあり)
録画しなかったのが悔やまれるところである。

 


テノール

佐野 成宏 (テノール)

○カンツォーネの夕べ ピアノ:
 マレキアーレ、、忘れな草、愛する君へ、彼女に告げて、
 帰れソレントへ、オオソレミオ、星は光りぬ、カタリ
 96年8月3日、聴衆を入れたスタジオより生中継、司会:渡辺 徹


この放送は、佐野ちゃんが一般的な人気を獲得するターニングポイントとなったように思われる。少なくとも、私に付き合う範囲でオペラやクラシックを聴いている家内はそうだった(「佐野ちゃん」というのも家内の言い方だが、米良ちゃんといい、二文字の名前はちゃんをつけやすいようだ)。

 

二神 二朗 (テノール、1949〜)

○アリア集 (1982.7.20) ピアノ:金井 紀子
 「時には大空に雲が広がり(モーツァルト、羊飼いの王様)」「夜明け前に(秘密の結婚)」
 「やさしく清らかな夢よ(ドン・パスクアーレ)」「ああ、何というしあわせ(連隊の娘)」
 「私のもくろみを(イタリアのトルコ人)」「きっと探し出してみせる(チェネレントラ)」

○歌曲とアリア (1989.3.24) ピアノ:宮原 峠子
 「4つのリスペット」(ヴォルフ=フェラーリ)、恋人を慰めて、アマランタの四つの歌(トスティ)

この人と続いて現れた五郎部俊朗とによって、日本でも本格的にロッシーニタイプのレッジェロテノールが認知されるようになったと言えるのではないだろうか。思えばその昔(と言ってもたったの30年前)、五十嵐喜芳がエルネストのアリアを本来の持ち味で歌うより、「星は光りぬ」を全然本来の持ち味と違う「熱唱」した時の方が受けが良いという時代から、日本の聴衆も進歩したと言えるのだろう。

 

山路 芳久テノール、1950.6.17〜1988.12.19)

○歌曲とアリア (1982.3.23) ピアノ:中村 洋子
 ベルリーニ「6つのアリエッテ」
 モーツァルト「彼女こそ私の宝」「恋人を慰めて」「恋の息吹は」

○アリア集 (1979.10.23) ピアノ:加納 悟郎
 「哀れなエルネストよ」「人知れぬ涙」「耳に残る君の歌声」
 「穏やかな夜には」「頬の涙が」「ありふれた話」

○松本美和子との二重唱集 ピアノ:加納 悟郎
 「パリを離れて」、エルネストのアリアとノリーナとの二重唱
 「そよ風に聞けば」「私の悩みを笑っているが」、我が友フリッツの二重唱

○NHKニューイヤーオペラコンサートでの録音(録画)
 81年「ありふれた話」、83年「歌手のアリア(ばらの騎士)」、
 84年「人知れぬ涙」、85年「人知れぬ涙」、87年「女心の歌」

○オペラ全曲・他
 FM ハイドン「天地創造」82年サヴァリッシュ指揮N響
    ロッシーニ「セヴィリアの理髪師(第一幕)」(二期会)87年10月25日収録
 TV マスカーニ「イリス」85年8月30日収録
    山田 耕筰「黒船」86年2月6日収録

    ドニゼッティ「愛の妙薬」(二期会)86年6月28日収録
    プッチーニ「妖精ヴィッリ」(藤原)86年11月13日収録

山路芳久をしのぶページ
作者は山路と高校の同級生だった方です

 

福井 敬 (ふくい けい)

国立音楽大学卒業(矢田部賞受賞)、同大学院終了。
文化庁オペラ研修所第7期終了。
89年第20回イタリア声楽コンコルソミラノ大賞(第1位)。
90年文化庁芸術家在外研修員として1年間ミラノへ留学。
92年第20回ジロー・オペラ賞新人賞受賞。
92年二期会創立40周年記念「ボエーム」のロドルフォで二期会オペラにデビュー。
93年第4回五島記念文化賞オペラ新人賞受賞。
97年第25回ジロー・オペラ賞受賞。

皆様ご存知のとおり、現在日本でもっとも多忙な歌手の一人でしょう。
私が福井君を始めて聴いたのは83年頃、まだ学生時代の福井君が、国立出身のピアノの先生の教室の発表会に賛助出演した時でした。学生にしてはなかなかよい、と思った覚えがあります。また、私はこの時の可愛いかった印象から、大歌手になった今でも、つい「福井君」と呼んでしまっています。
(私の趣味で)欲を言わせてもらえば、剛毅一本槍(良い意味でですが)という感じから、ジーリ、ベルゴンツィタイプの柔らかさ、甘さ、といったものも身につけてもらいたい、と思っています。

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バリトン・バス

大島 幾雄 (バリトン、1949〜)

○アリア集 (1981.2.3) ピアノ:星野明子
 「命をかけて」(清教徒)
 「レオノーラよ、私の愛を受けてくれ」(ファボリータ)
 「若き日よ」(エルナーニ)、「伴侶を選ぶのは神聖なこと」(ルイザ・ミラー)
 「哀れみも誉れも愛も」「プロヴァンスの海と陸」「あいつは刀で」

○歌曲集 (1983.7.5) ピアノ:三宅 民規
 ヴェルディ:「誘惑」「哀れな男」「墓に近寄らないで欲しい」
 ドナウディ:「そこでフィッリは私に言った」「いつまた君に会えるだろうか」
 レスピーギ:「雪」「雨」「霧」

○歌曲とアリア (1989.5.11) ピアノ:
木村 徹
 「たとえつれなくとも」「ガンジス川に太陽は昇り」「ああ私の優しい情熱よ」
 デンツァ「妖精のまなざし」、トスティ「魅惑」「最後の歌」
 ベッリーニ「喜ばせてあげてください」
 「レオノーラよ、私の愛を受けてくれ」(ファボリータ)

大島さんは、日本人歌手の中で一番「ブリリアントな美声」という言葉がぴったり来る人だと思うが、悪く言えば「美声垂れ流しタイプ」というイメージでもあったと思う。
ところが、97年に新国立劇場開場記念の「ローエングリン」で歌ったテルラムントでは、
そのイメージを払拭する厳しい表現を聴かせていたのが記憶に新しい。

門倉 光太郎 (バリトン、多分1960年代後半〜)
大島幾雄の弟子であるという門倉君は、自分の HP で「海外研修記」等を掲載しています。
その上私のHPをリンクしてくれているので、録音を送ってくれたら特別掲載したいと思います。

 

黒崎 錬太郎 (バリトン、1942〜)

○アリア集 (1980.7.8) ピアノ:戎 洋子
 「君のほほえみ」「お前こそ心を汚すもの」「終わりの日は来た」
 「夢かまことか」「国を裏切るもの」

○アリア集 (95年頃) ピアノ:
 「命をかけて」「私は町の何でも屋」「ユダヤの神よ」「お前こそ心を汚すもの」
 「無慈悲な神の命ずるままに」「60年もの間」(アンドレア・シェニエ、第一幕)
 「国を裏切るもの」「さあ、モノローグが始まった」「名誉とはいったいなんだ」

この人は、28才くらいでアマチュアからプロを目指して芸大に入り、音コン第一位の時点で34才くらいだったので、95年頃には当然50才を過ぎているはずだが、相変わらずブリリアントな高音を連発している(ただし若干一本調子気味)。
その中でミショネの「さあ、モノローグが始まった」では、しみじみした抒情を良く出しており、新境地を感じさせている。

 

小嶋 健二 (バリトン、1946〜93)

○歌曲とアリア (1982.3.9) ピアノ:森島 英子
 ガルップ「かわいい薔薇よ」、モンテベルディ「優しい日の光」
 「命をかけて」「おおリスボン、わが故郷よ」(ドニゼッティ、ドン・セバスチャン)
 「わしの勝ちだ!」(ジャンニ・スキッキ)、「終わりの日は来た」「夢かまことか」

○歌曲とアリア (1989.8.24) ピアノ:岩部能理子
 レオンカヴァッロ「朝の歌」、マスカーニ「愛してる愛してない」
 「ごめん下され皆様方」「国を裏切るもの」
 プッチーニ「太陽と愛」「大地と海」、「この愛は僕の恥じ」(エドガー)
 「ああ、愚か者!」(ジャンニ・スキッキ)、「ミニーよ、私が家を離れた時」(西部の娘)

若くして亡くなった小嶋さんですが、残された録音を聴いてみると、その損失の大きさを改めて感じさせられます。語り口の上手さでは日本人歌手の中でダントツではないでしょうか。独特の「軽味」がなんとも快い味わいです。
「太陽と愛」は、ボエーム第3幕で使われているメロディーによる歌曲で、知っている人は知っているのでしょうが、私はこの演奏で初めて聴きました。また、ジャンニ・スキッキの「ああ、愚か者!」は、早い話が「わしの勝ちだ!」と同じ曲でした。

 

小松 英典 (バリトン)

○ロマン派のニ重唱曲集、ソプラノ:常森 寿子、ピアノ:コルト・ガーベン
 シューマンニ重唱曲 5曲、シューベルト歌曲 3曲(常森)
 コルネリウスニ重唱曲 3曲、シューマンニ重唱曲 3曲
 シューベルト歌曲 3曲(小松)、メンデルスゾーンニ重唱曲 3曲
 ブラームスドイツ民謡集より5曲(交互及び重唱)
 アンコール:ブラームスドイツ民謡集より「シュベスタライン」
 メンデルスゾーン「歌の翼に」(小松)、シューマンニ重唱「子守り歌」

現在で言えば「ベストオブクラシック」の枠で放送されたコンサート実況録音。

○シューベルト歌曲集、ピアノ:小野 真理(1983.4.26)
 「限りないものに」「アリンデ」「リュートに」「墓堀人の郷愁」
 「たゆみなき愛」「さすらい人の夜の歌」「月に寄す」「ミューズの子」

○マーラー歌曲集(1994頃)
 「亡き子をしのぶ歌」全曲ピアノ:
 リュッケルトによる5つの歌より「ほのかな香りを」

○マーラー歌曲集、コート・ガーベン指揮北ドイツ放送ハノーバーフィルハーモニー管弦楽団
 「亡き子をしのぶ歌」全曲、「さすらう若人の歌」全曲
 リュッケルトによる5つの歌より「歌では言いつくせない」
 「やさしい香りがする」「我はこの世に捨てられて」「真夜中に」

99年9月にナクソスより発売されたCD(95年3、5月録音)。

小松先生は、私が大学で合唱を始めたとき、ヴォイストレーナーとして来て下さっていました。当時芸大を出たばかりで、4、5才年上なだけだったはずですが、ずいぶん大人のように感じていました。
先生は(当時多かったのでしょう)所謂「ディスカウ教徒」で、高音の柔らかいピアノの出し方など、はっきりそれとわかる歌い方をしています。


○2002年2月8日放送(12月20日収録)の名曲リサイタル ピアノ:
 シューベルト「夕映えに」「月にさまよう人」「船乗り」、
 ブラームス「調べのように」「湖で」「エオールのたて琴に」、
 シューマン「月夜」、メンデルスゾーン「歌の翼に」

名曲リサイタルでは、司会の落語家のノリと出演者の感性が合わないとシラけてしまうのだが、小松先生とはすごくスゥィングしてしまい、小松先生お得意の女性談義も飛び出す楽しい放送になった。

 

谷 友博バリトン、1970頃、未確認〜

○アリア集(2000年前半頃のFMリサイタル)、ピアノ:
長町順史
 「命をかけて」「天使のように美しい」(マラテスタ)「レオノーラよ、私の愛を受けてくれ」
 「私は町の何でも屋」「夢かまことか」「国を裏切るもの」

○2001年春頃の名曲リサイタル、ピアノ:長町順史
 「私は町の何でも屋」「もう飛ぶまいぞこの蝶々」
 「哀れみも誉れも愛も」
「夢かまことか」「国を裏切るもの」

バリトンのパートでは、若くしてスターになった大島、勝部、二人より後に売れてきた直野、続く存在の水野、大久保(そして亡くなった小嶋さん)といった昭和20年代前半生まれの存在が余りにも大きく、後に続く世代では多田羅、牧野、福島くらいしか思い浮かばないという感じだったが、少し前の堀内とこの谷が出て来て、やっと後継ぎが出来たという感じである。ただこの二人ともルックス的にはイマイチ(太目)なので、バスの三浦克次みたいなルックスの人が出てくればスターの枠はもう一つある、というべきであろう(無理に売り出そうとしてもダメなんだけどね、かつて二期会が売り出そうとした越智や小栗みたいに)。

 

洞谷 吉男 (バリトン、1934〜)

○ブラームスの歌曲 (1978.7.14) ビアノ:たつみ こう子
 秘密、森の寂しさ、二人はさまよい歩き、愛の歌、四つの厳粛な歌(全曲)

○日本歌曲と訳詞によるロシアの歌 (1982.6.11) ピアノ:
 六月の花嫁(湯山)、木兎、蚤の歌、ポーリュシュカ・ポーレ

○日本歌曲 (1984.9.14) ビアノ:マイヤー兼松るり子
 あの紫は(諸井誠)、秋の歌(團)、秋風の中で歌う(中田)、曼珠沙華、
 かもめ(弘田)、芭蕉、小諸なる古城のほとり、泊り船、浅間の馬子

洞谷吉男は、名古屋の重鎮として名古屋局担当の放送にはかなりの回数登場している。
木村俊光を代表とする「現代の(新しい)発声」を身につけた人と比べると、古さ、不安定さは否めないのだが、なにか人の心をホンワリと暖かくさせるような、不思議な魅力を感じてしまう。これを歌心と言うのだろうな、こういう歌を歌いたいな、そう思わせる人である。

 

直野 資 (バリトン、1945〜

○アリアと歌曲(93年頃)ピアノ:
 マイアベーア「ディノラ」より「復讐を受けるがいい」(イタリア語)
 「二人のフォスカリ」より「ああ、年老いた心よ」
 「アッティラ」より「永遠の美しい栄光の頂よ」
 「運命の力」より「この中に私の運命がある」
 セザリーニ「夢のフィレンツェ」、スタフェッリ「カプリは魅惑のブルー」

 

中山 悌一 (バリトン、1920〜)

○マーラー「亡き子をしのぶ歌」全曲
 ウィルヘルム・ シュヒター指揮NHK交響楽団、1959年6月20日旧NHKホールにて収録

○シューベルト「魔王」(訳詞)
  ピアノ:木村 潤二、1959年2月17日収録

○シューベルト「白鳥の歌」全曲
  ピアノ:小林 道夫、1965年9月23日放送(収録日不詳)

  「NHKFM20世紀の名演奏NHKのライブラリーから」で、1998年4月からのイタオペの順次放送
  が始まる前に放送されていたときの録音。

中山全盛期のこれらの録音では、所謂「フィッシャー = ディースカウ後」の現在から見ればやや古風かもしれないが、
・ ヒュッシュの流れをくむような格調の高さ
・ 19世紀ロマン主義的歌い崩しからは遠ざかった清潔感
・ やわらかな表現と激しい(強い)表現を併せ持っている
など当時の日本人歌手の中では傑出した存在であったことをうかがい知る事が出来る。
「イタオペ」のみならず、こういう録音が残っているのもNHKの大いなる存在価値と言える。

 

久岡 昇 (バリトン、1938頃〜) 

○日本歌曲 1994頃のコンサート ピアノ : 谷池 重紬子
 「宵待草」「荒城の月」「出船」「城が島の雨」「椰子の実」
 「だからその海を見ない(中田喜直)」「沙羅」
 「別れし子を憶う(坂本良隆)」「この道」「からたちの花」

私は(自分にないものを求める、という感じで)、木村俊光や黒崎錬太郎のようなビンとした響きの声に憧れていたため、この人の一流歌手としてはむしろ珍しい柔らかい声は、若い頃には物足りなく感じていたものだった。
しかし、40代になり自分の持っている声の範囲で楽しみ、表現し、出来れば聞く人に楽しんでもらえれば良い、と思えるようになってきてからこの人の良さを感じられるようになった(と思う)。これからもこういう声を目標に歌い続けて行きたいものである。

 

山田 健 (バリトン、1953〜

○アリアと歌曲 (1989.2.2) ピアノ:名川 太郎
 ヘンデル「あなたへの愛を諦めるなんて」
 ベッリーニ「優しい月よ」、「清教徒」より「命をかけて」
 ドニゼッティ「糸巻き」「裏切り」、「ドン・セバスチャン」より「おおリスボン、わが故郷よ」

このページの他の人たちに比べると、余り知られていない(少なくとも私は知らない)人ですが、この録音を聴く限り、いかにもベッリーニ、ドニゼッティに向いた感じの柔らかく優雅な美声でなかなか素晴らしいバリトンです。
「おおリスボン、わが故郷よ」は小嶋健二さんも歌っていますが、昔からアリアだけは歌われていたようで、Great Voices of the Opera の40枚組でもマッティア・バッティスティーニとアポロ・グランフォルテが歌っています。

 

山村 民也 (バリトン、1952〜)

○ヴェルディ・アリア集(1982.6.22) ピアノ:三宅民規
 「哀れみも誉れも愛も」「プロヴァンスの海と陸」「あいつは刀で」
 「悪魔め鬼め!」「おまえこそ心を汚すもの」「君の微笑み」

○歌曲とアリア (1984.7.31) ピアノ:水谷真理子
 スカルラッティ「私を傷つけないで」、ドゥランテ「清い乙女、愛の泉よ」
 ジョルダーニ「カロミオベン」、トスティ「セレナード」「最後の歌」
 「国を裏切るもの」「無慈悲な神の命ずるままに」

77年、25才くらいで芸大大学院在学中に音楽コンクール第二位になった山村さんは、その後短かった活躍期間の後、病気のため若くして声を失ってしまったと聞いています。

 

池田 直樹 (バス・バリトン、1950〜)

○ゲーテの詩によるシューベルトの歌曲 (1985.2.19) ビアノ:佐藤 峻
 魔王、羊飼いの嘆きの歌、ガニメード、さすらい人の夜の歌(その2)、ひめごと、
 竪琴弾きの翁の歌(全曲)

○「冬の旅」より7曲 (1986.11.13) ビアノ:神野 明
 おやすみ、菩提樹、春の夢、郵便馬車、からす、宿屋、辻音楽師

○ブラームスの歌曲とポピュラー歌曲 (1990.1.25) ビアノ:河原忠之
 日曜日、セレナーデ、便り
 もう飛ぶまいぞこの蝶々(訳詞)、ウィーン我が夢の町、ムーン・リバー

○ブラームスの歌曲 (1991.3.21) ビアノ:安田 耕一
 花輪、恋人を訪ねて、太鼓の歌、セレナード、四つの厳粛な歌(全曲)

○第九「合唱」(1994.12.11、いさわ第九演奏会ライブ、参加者限定盤)

この方は若い頃から王様とか老け役を歌っているので、生年を確認してみると意外と若いのにびっくりします。
ワーグナーなども歌っていますが、持ち味は「迫力よりも表現力」という感じで、ドイツ歌曲は語り口が大変上手く、日本人でこれだけ歌える人はそうはいないと思います。

 

三浦 克次 (バス、1957〜)

○アリアと歌曲 (89.4.6) ビアノ:八木 淳太
 モーツァルトのコンサートアリア「この美しい手のために(Kv.612)」、
 「陰口はそよ風のように」、チマーラ「雪が降る」

○チェネレントラ「私の娘たち」(1992年ロッシーニコンクール入賞者コンサートより)

○「カルメン」ハイライトより「闘牛士の歌」他(1997.8.10、水沢市文化会館ZホールライブCDより)

三浦さんには、97年に当地で行われた「名曲オペラコンサート」にご出演いただきました。
なにしろ長身で格好良いので、打ち上げパーティーではコーラスの女声軍の人気を独り占めでした(対する我らがテナー福井君は、ステージで歌っている時は良いのですが、素顔ではパッとしませんから)。

「この美しい手のために」は私も発声練習によく使う曲なのですが、ピアノ伴奏で歌われている録音は珍しいと思います。モーツァルトのコンサートアリアでは、他に戸山俊樹の「娘よ、お前と離れるに際して」の録音があります。

 

 

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