18日から3泊4日で一人旅に出ていました。旅行記などは後々。


太宰治の「走れメロス」を読み直してみたら、全裸オチだった。

 ひとりの少女が、緋(ひ)のマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった。
「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」
 勇者は、ひどく赤面した。

(古伝説と、シルレルの詩から。)

暑苦しい友情確認のシーンから一歩ズームアウトしたような引き方。
感動の再会から速攻で「おまえ全裸じゃん」とツッコめるメロスとセリヌンティウスの間柄というのも爽やかで、クサい話をシメるのにはとても良い。
勇者は、ひどく赤面した。』、も冒頭の『メロスは激怒した。』との対比として際立っている。名作だよなあ。
それはともかく、俺が気になったのはラストに突然出てくる少女である。
なんなんだ、お前は。
赤面すべきはメロスじゃなくてこいつじゃねえのか。
マントを持ってきたのは方便に過ぎなくて、本当は間近でチンコ見たかっただけと違うのかと。
抱き合うメロスとセリヌンティウスに興奮して思わず暴走した腐女子と違うのか。
少なくとも、絶対に心が清らかな女ではないですよ、こいつは。
好き好んで人の処刑を見物しに来てるんだから。
この女視点で走れメロスを見てみると、人が死ぬ所が見たくて、前座の磔鞭打ちSMショーを眺めて待っていたら、全裸の男が闖入。磔の男と殴り合いの後抱擁し、王様が赤面しながら「お前らの仲間に入れて欲しい」と3Pを申し込み。あまりにウホッでアッーな流れにいても立っていもいられず手近にあったマントを掴んで突入、って感じじゃないのかと。
まあ、俺の妄想ですけどね。
ラストが引いて滑稽味を帯びているのは、傍から見たらどう映るのか視線を誘導しているところにあるよね。
最後のセリヌンティウスのセリフはその意味で複雑な構造を持つわけで。
一義的にはメロスが全裸である事を指摘しているわけだが、それは少女が想像する群集の視線をセリヌンティウスが独善的に解釈するという形でなされていて。
実際の所少女がどう考えてるかは示されてないわけで。メロスが赤面したのもセリヌンティウスが指摘した少女からの視点を意識したからであって。
だから、想像の余地があるのだよね。
俺の解釈でいくと少女の視線は腐女子の邪眼で。
腐女子がどう見るか?と考えたり、こいつは腐女子じゃないか?と登場人物にアタリをつけながら本を読むようになった俺はかなりダメだと思った。


現在78キロ。

まあ、それはともかくTAS動画である。いまさら。説明はしない、ググれ。
エンコしてあるのを拾って見るのも悪くないんだが、どうせFCMやVMV、FMVファイルがあるんなら自分でエンコしてみよう、という気持ちを持つのもまた人情というもので。
そのままリプレイ再生すりゃいいじゃねえか、どうせ一回しか見ねえんだし、とも思うがその一回すらシークして飛ばせるものなら飛ばしたい、今のところもう一度、と見たくなるのもまた人の業というものでありまして。
まあ、色々コーデックをいじくり、その都度マシンパワーの低さとドットの境界線のボンヤリ感に悩まされて。
最終的には、WMEの画面取り込みがイイ感じであるという結論に達したわけなのだが、リアルタイムでエンコするのが玉に瑕。
もともと演算能力のないマシンでエミュレートしてんだから、CPU使用率は常に8割9割は当たり前。
これでバックグラウンドで何か動いたらフレームが飛んでしまい、あまり美しくない映像が出来上がるわけだ。
そういうわけで、妖怪道中記のベストエンディングでもエンコしようと思い立ったら、止められるアプリケーションは極力排除していかんといけない事になる。
あー、懐かしいなー、昔に太陽誘電のCD−R焼いていたときの事を思い出したよ。
別にTDKでも台湾かどっかの知らないメーカーのでもいいけど。
パソコン触り始めてもう何年かな。
ずっとロクでもないことにしか使ってないなー。

ルラ嬢のところで宇多田ヒカル(苗字がこれでいいか自信が無い)の離婚について取り上げていたんで、つい思わずレスしてしまったんだが、
俺は映画「CASSHERN」が大好きなんですよ。映画そのものよりは、映画を巡る周りの状況とか諸々とかが。
多分作品単品では好きじゃないんですよ。わざわざDVD買って特典まで応募したのに2回しか見てないんだから。
以下おぼろげな記憶のみで感想を書くよ。
俺の好きなのは「やりたい放題感」が漂ってるからだと思う。
これって多分カットしたくないところは全部カットしてない映画だと思うよ。映像とかシナリオとかよくわからん俺でもバランス悪いと感じるもん。
でもね、「俺が見せたいもの、俺が見たいものはこうじゃー!」というか、例えるなら自分だけのお子様ランチを作ろうと皿にハンバーグやエビフライやピラフやなにやらを乗せていったら皿に乗っかりきらなかったのでいっそのこと皿を捨てちまってテーブルクロスの上にスーパーお子様ランチブチまけたみたいな、例えになってない例えだけど、そんな感じで作られた映画に俺には見えたのよ。
間違った方向へのとんでもない情熱量と、あまり頭のよろしくない我が貫き通された、バカの作品なわけですよ。この文脈上の「バカ」は「空手バカ一代」の「バカ」なわけで。
そんなイカした男に見えてしまったんですよ、俺には。宇多田のダンナが。
別に「CASSHERN」は俺が見たい映画じゃなかったし、俺は映画を作りたいと思ったことも無ければ、仮に映画を作れる立場にあっても「CASSHERN」みたなのは作らないと思う。
でも、その姿勢には憧れるんですよ。他の映画に限らず創作する人はその姿勢を持っているだろうけれど、俺は宇多田のダンナに憧れる。
俺もああやってみてえ、って。その時ブっ散らかすのはファミコンとかアメコミとかふたなりとかロボットとかになるだろうけど。


納豆がつい先ほどまで無かったわけでありまして、植物性たんぱく源として重宝していた俺としては非常に憤りを感じたものでした。
カロリー制限してると、肉食うための計算が面倒なんですよ。
基礎代謝をあげるためにはたんぱく質摂取して筋肉つけんといかんが、脂質は極力取りたくない。
イソフラボンがどうだ、ナットウキナーゼがどうとか言う話はどうでもいいんですよ。
低脂肪高たんぱく(他の野菜に比べれば脂質は高いけどね)であることのみが俺には重要だったわけで。
だから、世の流されやすい方々が信じていた情報の信頼性が大いに損なわれたという報を聞いたときは正直「ざまあみろ」と思いましたよ。
これで普通に納豆が食えるな、と安堵しつつ。
自分が食う分の納豆が確保できると、自然と視座も高く、視野も広く変化するもので、日曜日のスーパーを何軒か回って愕然としましたよ。
これだけ大量に納豆を仕入れてしまってどうするのだ、と。
どのスーパーも購入担当者は間違った判断をしていませんよ。
むしろ納豆を売り切らして騒ぎを起こした方が問題視されたはず。
ブームへの対処としては良くこれだけの納豆を確保できたと褒められるべきでしたよ。
それが昨日の今日であなた。
イヤ、ほんとどうするのかね。納豆の賞味期限なんて3日ぐらいでしょ?
在庫廃棄とかはさすがに無いよね?
納豆工場も増産体制を敷いた矢先のことじゃねーの?
にわかブームだって気づいててもこんなに早く終わるとはそうそう気づかないでしょ。
みんな仲良く損金出すのかな。
テレビに走らされた客、客に走らされる店、店に走らされる生産者…ふりだしのテレビだって何かに走らされてホラ吹いたわけで。
自分の尻尾を敵だと勘違いしてぐるぐる追い続ける犬のような悲しさがその構造にはありますよ。
多分ね、マスコミは今回の件を反省してこれからはオカルト色の強い番組を作って行くんだろうな。
裏の取れない与太話に大げさに一喜一憂するような、ね。
そんなことを考えた81キロの夜。
明日は馬肉カレーにでもするか。


あけたりおめたりしましたか?皆さん。僕はまだ不十分です。
日本でも旧正月やらないかなぁ…

それはともかく、最近の職場とか。
「オイ!コインってなんだ!?」
と、えらく威勢がいいというか怒りのアクセルがハナから全開の、外見は世間一般で言う所のオッサン(以下オッサン)が来られまして。
まあ、普通にわからんわけですよ、質問の趣旨が。
で、呆気にとられてポカーンとしたらオッサンがやっとこっちが分かってないことを察してくれ、
「ロッカーだよ!ロッカー!」
と二の句を継いでくれて、僕のほうもああ、ロッカーかと心の中で膝を打ち、次の瞬間にはそんなに顔真っ赤にしてロッカーがどうしたの?と呆気にとられて。
「コインってのは100円の事か!入れたらどうなるんだ!」
どうなるってねぇ。カギがかかるだろうに。つうかウチのロッカーって100円だったよな?どう考えても100円でFAなんだけど、もしかするともしかするっつうか普段そんなにまじまじとロッカーなんて見ねえよ、そんなに真剣な眼をされたら不安になってくるじゃないか。かける言葉が出てきません。
「オイ!何とか言え!」
何とかって…。そこでやっとね、機転が利きましたよ。
あ、そっちのことか、と。
「使い終わりましたら100円は返って来ますよ。」
そういうことだろう?なあ。
「んなことはわかってる!」
じゃあ何だよ!3分足らずで俺は何回呆気に取られるのだ。
「100円玉がない利用者はどうすればいいのかって聞いてるんだよ!」
聞いてねえじゃん!初耳っつうか最初から言えよ!
「両替なら致しますよ」
「金がねえんだよ!!!!」
なんで怒りのボルテージのピークをそこに持ってくるかな、このオッサンは。公衆の面前でそんなこと大声で宣言せんでもいいだろうに。
「あぁ、どうすんだ!荷物持って入るぞ、いいのか、いいんだろうな!」
と、なんか集金カバンみたいなちっちゃい手荷物を持ってオッサンは凄んで来て。
こっちとしては
「どうぞどうぞ」
とダチョウ倶楽部ばりのリアクションを取るしかありませんでした。

万引き中学生に困るエロ本屋じゃないんだからさ、荷物ぐらい別にどうって事はないんですけどね。
万引きは困りますけど。西尾維新ばかり盗むんじゃねえ。


年末にもなりますとなにかと用事が出来るもので、今日は銀行と郵便局めぐりをしたわけです。
で、自分と同じように色々用事のあるお忙しい方が多数おられるようで、店内や局内は非常に混雑しており、座るイスが無く突っ立って順番待ちをする事になることもしばしばあるわけですよ、ええ。
幸い、自分は座る事に成功し、順番待ちの間備え付けのマンガでも読むかと「美味しんぼ」の60何巻かを手にとって見るわけで。
旧姓栗田改め山岡ゆう子が妊娠するあたりのどうでもいい話でした。まあ、そんなこと言い始めたら「美味しんぼ」でどうでも良くない話なんてほとんど無いわけですけど。
そんなわけで座って待つわけですよ、番号が呼ばれるまで。
そうすると、来るわけですな、自分の後にもひっきりなしに客が。で、その中に家族連れがいたわけですよ。お父さんと小学校低学年くらいのお兄ちゃんと幼稚園の年長くらいの妹さんの三人連れが。
外は風が吹きすさんで非常に寒く、中は中で折角の年越しを間近に金と時間の心配をする人の群れでそこはかとなく荒んだ空間であるわけで。
そこで突っ立って待っておれと、まあ、そういう事をちょっと疲れた子供に強いるわけですな。
で、二十代後半になってもマンガに夢中な俺の前に突っ立った妹さんがお父さんの袖を引っ張りながら「座りたい」とか抜かすわけですよ。
子供は子供らしく黙って突っ立ってろと、美しい国的にはそれが躾でありプリンシパル(意味はよく分からんがかっこよさそうなので使ってみました)であり国家の品格であることが分からぬのか、と思わなくも無く、そういう駄々をはねつけるのも大人の義務とかそういうもんだろうからお父さんもまあ頑張れ、と考えたりもするんですがね、あんまり人の前でそういう態度を取られるとこっちとしてはうざくてしょうがないんですよ。
「座りたい」「我慢しなさい」のループがね。
で、キレやすい14歳から成長せずに歳だけ食った俺は我慢できずに立ち上がり、一言「どうぞ」と言うに至るわけで。
もうね、立ち上がった時点で後戻りは効かない訳ですよ。この銀行内での用事を済ませるまではずっと立ち続けるしかないな、自分の番まであと何人だよオイ、そこの婆さんカウンターについてから支払い用紙を探し出すなよ、とか色々余計な計算が頭を駆け巡り、その計算の中には子供に優しい好青年な俺とか考える所もあって。
とりあえず椅子が空いてしまった以上、お父さんもこっちの意図を汲んでくれたのかどうなのか、「座りなさい」とさっきまで駄々をこねてた女の子に勧めるわけです。
もうね、ここで誰もが女の子が座って一件落着とか思うじゃないですか、そしたらいきなりさっきまでの言を翻して「イヤだ」と言い始めるんですよ。
なんだーっ!お前はーっ!
立ち上がった俺の面目なんて1ミリも残さずありませんよ。
いやあ、久しぶりにブチ切れるかと思ったよ。
それでも耐え難きを耐え忍び難きを忍びながら順番待ちを続けていたら、結局俺の空けた椅子にはお父さんが座りました。
で、そのお父さんの膝に男の子が。女の子は最後まで立ってましたよ。
人生、どこに優しさの空回りの罠があるか分からないものです。来年こそはもっとスマートに生きていきたいなぁ、と思いました。

ところで年末の格闘技ですが、対戦カードでは圧倒的にPRIDEの勝ちなのに、テレビで見れるのはショボい方ってのはなんともはや。

世界にはご飯のない人がごまんと居て、その人たちはかわいそうなものだというのですが、飯の種がない人もまたごまんと居て、そういう人たちは笑われたり蔑まれたりするのは何故だろうと、今年は考えて過ごしてました。
もちろん、答えは出ません。


かなり更新してないなぁ。書くことないっつうか書く気がおきないっつうか。
まぁ、取り留めの無い話でも。
クラッシュやってたねー。その場に俺もいたけど。つうかスタッフだけど。
回数を重ねるたびに募る孤立感は一体なんなのだ、戦国BASARAの合わせで集まるコスプレねーちゃんたちに蔑む様な目で一瞥されながらダラダラ昭和アニメを流し続けたりふたなりエロマンガを読みふけるのはまあ、楽しいっちゃあ楽しいんだがな。オタクはオタクでも、女子はほら、向こう側の人たちというか、どこか線が引かれているわけでしょ、駄目側とは。そこら辺は許容範囲つうか、もう嫌なくらい含まされているからさ、どうでもいいんだけどさ。問題は男子だよ、男子。見てると死にたくなるし、話すと殺したくなるよね。もう誰か殺せよ、と。俺ごと刈れ、と。もっとね、地方でグダグダしてて発信する事も消費する事も中途半端極まりないのはね、屈折するべきなんですよ。ダメなアニメをつかまえてダメだと嘲笑しててはいかんのですよ。だから俺はきこうでんみさについてコメントを求められて、延々と人の世の持つ侘しさと、それでも尚生まれる優しさについてみうらじゅんをたとえ話に引っ張ってきて語り、伝わらないなぁと諦めて「まぁ、纏めるときこうでんみさ死ね、と」と言ったら当を得たような顔をされるのですよ。わかるか、俺の感じた感情を?俺だってわかんねえよ。話が噛み合わないなんて対人能力が著しく低いオタクコミュニティーじゃ茶飯事だろうよ。どう噛み合わないのか、が大事なんだ。多分向こうは噛み合ってないなんて思ってないよ。だから嫌になるんだ。
そのあと、日を改めて貴義とカレー食いながら適当に喋った。いい話は多分何一つしていない。絶望的な盛りのカツカレーを食いながら、冗談は本気かどうか紙一重でわからないレベルで喋るのが一番面白いのにな、と思った。本気じゃないと言えば面白くないしカッコ悪い、黙っていれば本気だったかと引かれるし。まあ、この構造はこれで面白いんで黙ってたけどね。
体重はまだ落としているよ。あれからもう2キロ。2ヶ月で8キロ。まあ悪い数字じゃないね。ダイエットはし始めが一番落ちるから、最初の6キロはご祝儀だと思って、あとは淡々と粗食とウォーキングしていくだけだろうね。めんどくせえ。カリフラワーにギョーザのたれはあうだろうか真面目に考えるのは実にバカバカしい。実際やってみたら案外イケたよ。
PCを起動したらマイクロソフトさんからBIOSをアップデートしやがれとか言われた。オートアップデートでなんか引っかかったらしい。困った事に、BIOSのファイルはメーカーのサイトから速攻でダウン出来たが、うちのマシンはFDDが無い。どこかからドライブを買うか借りて来なければいけない。思いついたのは、知ってる店の売り物を借りるという最悪の物。すげえ迷惑だよなー。あんまりにも迷惑だろうと思ったので、アップデート後、一緒にいた兄にその店で買い物をさせた。俺は出費ゼロ円。
そんな兄が買ってきたのは「信長の野望嵐世記withパワーアップキット」。2chのスレを探したら「信長の野望「嵐世記」糞ゲー2本目」しか見つけられなかった。糞糞言われてた。あと、PSの「トミカタウンをつくろう!」も買ってきやがった。糞。
「ブロークバックマウンテン」見たよ。ホモ映画。山の描写がキレイな映画だね。あの山が無かったら成り立たない映画だよ。
「ホテルルワンダ」も見た。テーマには失礼だが、面白いなぁ。主人公の困った顔がえらく映画にハマる。
今日、仕事をしてて、何となく真田十勇士の名前を思い出せるか試してみた。忍者の猿飛佐助と霧隠才蔵、三好晴海入道と三好伊佐入道の兄弟、海野六郎と望月六郎の六郎つながり、鉄砲の筧十蔵と鎖鎌の由利鎌之助は武器で覚えていて、穴山子介は作品によっては幸村の息子の大助に取って代わられてたりするってトリビアで覚えていて、これで9人。あと1人が思い出せない。何度考えても思い出せない。あんまり思い出せないので家に帰ってから速攻でググッた。最後の1人は根津甚八。誰だお前。
時々、どうでもいいことを覚えているか自分の頭の中で試している。歴代ウルトラマンとかそういうので。ライダーは響鬼からわかんなくなった。映像に出てない鬼とか勘定に入れていいのか?入れるんなら覚えられねーよ。そもそも覚える必要はないけどね。


中村獅堂と竹内結子が離婚云々、ってところを起承転結で考えて「起」とすると、

IZAMと吉岡美穂の結婚が「承」、

陣内智則と藤原紀香の結婚が「転」と来て、

「広末涼子、離婚の危機?」と朝鮮日報が報じるのが「結」かな、と思った。

あともうしばらくは必要ないでしょ、芸能ニュース。
飲酒運転やいじめ問題みたいに流行りだすと似たようなニュースを続けて流すからマスコミは困る。


僕っ子は、見ていて非常にムカつくものがあるわけだが。
なんで一人称が「僕」はあっても「僕ぁ」はいないんだろうと思った。
加山ライクな喋りをする女子がいてもいいじゃないか、と。
多分目の前にしたらムカつくだろうけど。

ライオン丸G、えらく面白いね。
遠藤憲一、石橋蓮司、バナナマンの設楽とか、キャストがステキ。


早起きなんざクソ喰らえだ。4時だよ、4時。
なんかハラがキリキリ痛むんで目が覚めて。
あー、こりゃ胃かなー、とムカついたツラでぼんやり考えて。
胃酸過多ならハラに薬となんか突っ込んどきゃやり過ごせるかー、とか考えて。
とりあえずメシ食ってやる事ないし今更寝るのも無理だからネットして出勤まで時間潰して。
で、仕事終わって家帰ってきてメシ食ってレッスル1年進めてクソして寝た。
ここまでが昨日の話。
で、今朝。5時からキリキリキリキリ。昨日よりも発生は遅いが痛みは強い。
あー、こりゃまずいかなー、運良くというか運悪くというか休みだから病院行くかー、と思いながらメシ食って薬飲んでネット。
体が不調だとなんかやる気おきないよねー、つうか回線細いなこのエロサイト。家を出たのが10時。
そっから1時間ぐらい病院でスポーツ新聞と産経新聞読んで順番待ち。
2chのニュー速で知ってる話ばっかりだった。本持ってくりゃ良かった。
胃潰瘍かもしれない、胆石があるかもしれない、ストレスかもしれない、はたまた膵臓かも。
患者のあやふやな話じゃよう分からんので、尿を採って血液採ってエコー撮って胃カメラ飲んでもらいます、つう話に。
朝メシを食ってしまったんで胃カメラ以外を受けることに。
エコーはハゲたオッサンにゼリーでハラを撫で回されるのであまり好きではない。
男の俺が思うぐらいだから、産婦人科はよく訴えられないものだと思った。
タオルでコトの終わったゼリーを後片付けしてくれた看護婦もあまり好みじゃなかった。そういう問題ではない。
エコーでは胆石は無いっぽいけど、石が無くても胆道が炎症起こす時もあるから、と言われて抗生物質を30分点滴した。
右腕で血を取ったんで左腕から入れる事に。別に、右だけで両方出来ないわけじゃないけど、気分的にね。
毎食後に飲む痛み止めと朝と晩に飲む胃酸を抑制する薬を処方された。
痛み止めは食後に飲まねばならないので、まず昼メシを食わねば。
漫画喫茶でカレーを食べる。
長編に挑める気力が全然無かったので、現在連載中の「弁護士のくず」と「ブラック・ラグーン」を1巻から最新刊まで読了。感想は無し。

大人のためのドラえもん特集
OP映像が11本。東京プリンが主題歌を歌うのまでは良く覚えていた。
原作かアニメかと言えば原作派だが、キャラ立てがややアニメに引きずられてしまった後期ドラも嫌いじゃないし、水田ドラは前のより原作寄りだと思っているので最近のドラ映像つうかそこから見えるアニメ製作側のドラ解釈も楽しく見られた。


ようつべとか。

Danmaku Docmentary
フランス人は物事がわかり過ぎている。ティンクルスタースプライツが無視されてるのは許せんが。

Power Rangers Intros
主題歌がどれもあまり頭を使わないでノリ優先なところとか、レッドの追加装甲が無茶しすぎなところとか、モチーフの解釈の違いとかが良く分かって楽しい。

【MAD】横山光輝作品集
結局最後はGRなところとか、片目猿とかが抜けてるところとか、小言はいろいろあるけど見てると涙腺がゆるむなあ。


近況とかー。
職場の循環器検診があるっつうんで、ちょっとでも数値を良くしてみんべえということで一夜漬けの学生ぐらいのいきおいで2週間ほどダイエットを慣行。
方針としては、腹がすくのはイヤなのでキャベツダイエットを主体に。キャベツダイエットというのは食事前にキャベツの千切りを食って腹にためてけ結果として摂取カロリーを減らそうというもの。中葉4、5枚を毎食食べることにした。もちろん味付け無しで食うのは無理くさいので何かをかけて食べることになるが、マヨネーズとドレッシングは半分以上が油で出来ているステキ物質なので、めんつゆやポン酢、ウスターソースやケチャップ、塩レモンに焦しにんにくまで、味の探求をするハメになる。ポン酢が無難だねー。
キャベツダイエットと並行して、食事には毎食こんにゃくを使ったメニューを必ず加える縛りを入れることにした。摂取量は目標1日2枚。めんつゆと鷹の爪で炒めたものが大好きなんで、そればっかり食べた。ウマー。
肉類と炭水化物は最低限に留める食事を心掛けた結果、1日の摂取カロリーは1400キロ前後になった。基礎代謝以下だからイヤでも体脂肪は減るだろう。
ダイエットといえば運動も取り入れねばならんだろうな、つうことで1日1時間のウォーキングも行うことにした。コースを変えたり、小手先の工夫をいくつか試したが、マジ苦痛。
で、検診前には体重が6キロ落ちてました。シルエットが変化したことが目ざとい人にはわかるくらいのレベル。
これで血中コレステロールとかに良い変化があればいいんだが。
ダイエット終了後、速攻で太陽市場に行って一人で焼肉バイキングをしました。今は順調にリバウンド中。

シグルイ7巻読んだよ。話が進んでないけど死ぬほどオモスレー。
あと、DMCの2巻買った。読後「やっぱりお前はメタルモンスターだぜ」と兄弟で意味もなく褒めあった。キモ。
コンビニで新谷かおる先生の「ふたり鷹」がペーパーバックで出ていた。裏表紙に「最後の名作が遂に廉価版で登場!」というアオリが入っていた。存命中で今でも新作も書いてるのに最後の名作がある新谷先生って……。1巻を読んで続きが気になったので漫画喫茶で一気に読破。最後のどころか、名作かどうかも妖しくなった。トラックのエンジンをパンチでぶち抜くのはマズかったんじゃないかな…。あと、結婚を機に引退するライバルのフィアンセが交通事故で死んで、ライバルがレースに戻ってくるとふんだ主人公が「やった!」と喜ぶ所とか。
みなぎ得一「足洗邸の住人たち。」6巻も話は進んでいないけどえらくオモスロイ。見せたいシーン、書きたい話だけ書いたような感じ。


「私から撃って」と犠牲少女、全米で驚き
この記事を知ったとき、最初に驚きよりも怒りを感じた。
何に対する怒りなのかは自分でもハッキリしないのだが、子供は何かに殉じてはいかんのだと思う。
大人も、殉じさせてはいけない。
どんなに万人が正しいと思える考えであっても、だ。
それなりに時間をかけて、それこそ子供が成長して大人になるくらいかけて、選び取ったものに殉じるのは、まあ良いというか許容範囲ですよ。俺の中では。スジを通しきったな、って。
ただ、子供がスジを通して生きていいものか、子供に通さなければならないスジを持たせていいのか、スジを通しきれるような意志と能力を持った者は果たして子供と呼べるのか、子供が主体になると問題があると思うんだ。
この件はこの子供達に教えに殉じるという意識があったかは不確かだと思う。普段から教えられた事を反射的に行っただけかもしれない。
緊急時、それも命がかかった場面で行うべきと教えられた事を行った事は、それはそれで立派な事だけど、それよりもそんなに立派でなくてもいいから、見苦しい事をしてでも生きてて欲しかったなと思う。
生きてればさ、少なくとも思い出して考える事が出来るんだから。
犠牲になった子達と一緒にいた子供は、何故自分はそういう行動を取れなかったか、自分を犯人の前に差し出すことは正しかったのか、真剣に悩むと思うよ。
その子がどんな答えを出すかは知らないし、それが妥当かどうかもわからない、あえて答えを出さない事にする選択だってある。
ただ、選んだらそれを抱え続けて生きる事には変わらないんだ。勿論途中で抱えるものを何回だって変えていいだろう。いい大人になるまでは。
俺が知っているのは、13歳の女の子が自己犠牲的な行動を取り、そのまま死んだことだけだ。
13歳の女の子の内面を知る術は無い。こっちで想像するしかない。
俺の考えでは、子供には自己を決定する権利も能力も完全には持ちかねるものだ。
子供の体も心もその子自信が自分のものだと勝手にどうこうしていいものではない。
じゃあ何%かは親のものなのか、神のものなのか、一体誰のものなのだ、と聞かれたら俺は口をつぐむしかない。答えられない。わからない。
でも本人だけのものではないという確信がある。
子供は勝手に死ぬな。生きるべきか死ぬべきか、そんなくだらない事でも考えられる時間を十数年くらい大人は作ってやる義務がある。
あと、当たり前のことだが子供に限らず人はあまり殺すべきではない。


一つのメアドを変えずに何年も使い続けていれば自然とスパムも多く来るもので、出会い系なのかそうなのかさえ良く分からない怪しげな件名のメールも多々あるものです。
相手が数多のスパムを送り続けた猛者ならば、それを受け続けた自分もそれなりには練磨されており、一瞥しただけで自分が読むべきメールであるかどうかなどということは造作も無く判断できるものだ。
と思っていた時期が俺にもありました。
なんだよ、「件名:飛行機おかま」って。
内容はただのインチキ出会い系で飛行機もおかまも出てきやしねえし。
俺にクリックさせる為だけにこんな単語の組み合わせを思いついた奴の脳の瞬発力というか飛躍力はいったいどれくらいなんだ。

あー。すげえ気になる。飛行機おかま。
多分スパム業者はなんにも考えてないんだろうけど、それでも一体どういう事か考えずにいられない。


会っていきなり「ヤック デカルチャ!」とか言う彼氏の友人は、まあ普通に白い目で見られるよな。
それから20分近くもバイストン・ウェルがどうのと立ち話をしてればそりゃ不貞腐れもするだろうよ。
元秋田在住のHくん、ごめんなー。


日曜日の病院の、カウンターに鉄格子が降り、最小限の電燈が深く陰影を刻む受付ロビーの侘しさはホントどうにかならんものか。

安売りスーパーでいつまでも果てる事無く勇壮にがなり立て続ける軍艦マーチはホントどうにかならんものか。


レッスル10年目。
スイレン草薙17歳が異常な速さでの成長を見せ、10年目の終わりには吉田の評価値1360を遥かに超える1520という数値を出し、国内、国外共に追随するものを許さない力を持ってしまった。もう少し先のことだと思っていた世代交代もGTKベルトをはじめとして各選手が持っていた海外団体のベルトもスイレンが独占、史上初(といってもゲーム内の10年しかないが)のシングル6冠を達成することになる。この勢いを借りてファイナルシリーズではシングル代表の座はスイレンに、タッグ代表は吉田龍子と、もう一人は実力で言えば来島になるはずだが同じパワー系の選手で試合中に使うカードがかぶってしまうために、飛び技を得意とする新咲を組ませた。ジュニア代表はスイレンと同期で能力的にあまりパッとしないミミ吉原を出すことに。すでにぶっちぎりで世界最強レスラーになってしまっていたスイレンは順当にシングル王座に、ジュニアのレギュレーションである評価値と年齢の枠の関係で選手を参加させられなかった団体が多かったために吉原も運良くジュニア王座を得た。タッグも、国内ランキング2位と4位を出している以上、優勝は堅いかと思って見ていたら、カオスとコーディのWWCA組みや、フリー選手で武藤めぐみ&結城千種組がいて、まさかの3位で終わることに。総合では国内一位の団体として有終の美を飾り背景つきのエンディングを見ることもかなったが、完全優勝ではないところにやや後悔が残るところがあった。
11年目以後も、そのままのデータでファイナルシリーズは無いが、ゲームを続けられるのでダラダラと経営続行中。

仕事場のことはここにはあまり書こうとは思わないんだが、流石にアレなことがあった。
2,3日前からからうちの図書館では病院に団体貸出という形で病院内だけで読んでもらう本を貸し出し始めた。
そうしたら早速そのことについて市民からの投書があったわけですよ。
どんな内容かと言うと、かいつまんで言えば「病院で何の病気かわからない人が触った本を消毒もせずに図書館に並べるのか?」という疑問というか言いがかりというか、まあそんなのが、無記名で年齢だけ書かれた方からありました。
これに対して公式なコメントはうちの職場からは出ていません。なんせ今日届いた投書ですから。近いうちに館長か補佐がリアクションをしてくれるとは思いますが。
ただ、俺が個人的に思うというか感じたのは、病院や病人を何だと思ってるのかな、と。腹は立つんですよ、で、それと同時に本を触っただけでうつるような強度の感染症の患者が病院の待合で本を読むだろうか、とかそういう想像力をなんで持てなかったのかな、という疑問があって。
もちろん、科学的に病院に置かれた本を手にとって病気にかかる確率が図書館で不特定多数の手に触れた本をとった場合に対して有意と言えるほどの差を持ちえるものなのかどうかを考えることは重要ですよ。そんなことは無い、と俺は確信しますが。
それでもね、こういう問題提起のしかたには俺は悪意を感じてしまうんですよ。
多分、どんな医者が安全といってもこの投書をした人には納得してはもらえないと思うんですよ。むしろ神主か僧侶か神父か、そっちの方面からのアプローチでの説得が欲しいんじゃないのかな、と。それでも納得させようと思ったら「人権」という言葉だけは使ってはいけないと思った。論破するなら一番有効な言葉だけどね。多分そこが分かってるから投書の主は無記名だったんだろうと思うし。
あと、世の中には無記名で書くことは卑怯だという考え方もあるけれど、俺は別にそうは思ってなくて、内容に説得力や正当性があれば別に無記名でもかまわんかな、とかは思ってますよ。

秋篠宮様に皇孫男子がお生まれあそばされ、一国民として大変喜ばしい限りでありますが、NHKで各方面各位のコメントを見ていたら自民・民主は「お子様」「皇孫」、社民は「子供」と呼び、共産の志位委員長が「赤ちゃん」と呼ぶのはなんかのジョークかと思った。


レッスルは9年目に突入。
7年目に南が引退、8年目にはグリズリーが引退し能力の減衰が著しすぎて入団9ヶ月のジーニアス武藤にすら敗れるほどまで弱まった斉藤とを解雇、団体立ち上げ草創期のメンバーはこれで全ていなくなった。世代交代は霧島の頃とは違いあっさりと行われ、6年目に新人として入団した吉田龍子がグリズリーからGTKベルトを入団1年で獲得した以後は2年間で13回防衛し、安定政権を築く事になる。龍子のGTKヘビー級ベルトは、龍子がクリス・モーガン、ダークスターカオスらから奪った海外ベルトの防衛戦のために出国している時以外はほぼ毎月選手権試合が組まれており、挑戦者も自団体のみではなく実力上位の海外選手も対戦相手にしていた。そのため、試合内容では際どいものも多々あったがベルトを守り続けていた。GTKベルトに動きがあらわれるのは吉田の一つ下の来島理恵、新咲祐希子、パンサー理沙子、更に下のスイレン草薙、ジーニアス武藤らが急成長してきてからの事になる。数値的に言えば現在吉田の評価値1360と海外トップレスラーと並び渡る力を持ち、その次に来島が1280と続いて国内ランキングの1位2位に並んでおり、以下の選手も1200台におり、今後も成長が予想される。
実力が伯仲し、ベルトも流動的になり誰がチャンピオンになっても不思議ではない状況は創設3年目から4年目に近いものを感じるが、運営している俺の脳内的には3年目の頃の世代闘争ではなく、10年目の年末に行われるファイナルシリーズに向けて切磋琢磨しているものだと考えている。もちろん試合には全力を尽くすが、Jリーグと日本代表みたいな感じだと思う。このまま順当にいけばシングルは吉田、タッグは来島と新咲が代表になるだろうが、いざその時になってメンバーが果たしてそうなるかは今の時点では分からず、俺はどうなるか非常にワクワクしている。

脳内でストーリーを展開させるツールとして素晴らしいね、レッスルは。


今日もレッスル日記。

4年目。
グリズリーが大物食いで奪ったベルトは南から二回、真田から1回防衛した後、霧島が再び巻くことに。
3年目が終わった時点で評価値が団体一位になった南がグリズリーからベルトを奪えなかったのは高い人気が逆に災いして映画出演や写真集のオファーで充分な練習が詰めなかったことが原因だろうか。再びベルトを奪い3代目王者になった霧島もその政権は全くもって不安定であり、すでに評価値ではグリズリーに追い越され、若手の真田にも追いつかれようとしている所になっていた。
結局、花巻大会でグリズリーから奪った霧島のベルトは翌月のさいたま大会で南が巻くことになる。試合は終始霧島ペースだったが、一瞬の隙を突いて南がリング中央で決めたネオ・サザンクロスロック(変形STF)が完全に入り、あえなくギブアップとなった。
この頃から、霧島の能力値は目に見えて衰え始める。
各地でのサイン会が功を奏し、殆どの選手にファンクラブが結成される事になる。
また、選手宿舎を増築、新たに神田幸子を新人としてスカウトする。これまた打撃系を得意とするレスラーだが、斉藤と真田が蹴り技を必殺技に選んだので手技中心に育ててみようかと思い、入団最初の月に掌底を覚えさせる。
4年目の終わりに南は防衛回数を4回まで伸ばす。
斉藤が初めてベルトに挑むが、6分でアキレス腱固めにギブアップ、そのまま入院するなんてこともあった。

5年目。
グリズリー山本がヒールから転向し、反乱軍が消滅する。反乱軍は2年目にオーガ朝比奈が立ち上げ、それにグリズリーがついて来るという形だったが、肝心のオーガが半年後に転向してしまい事実上うやむやになっていたのだが、残されて3年近くひとりぼっちで反乱軍をやっていたグリズリーを褒めてやるべきか。早速ジムで褒めたらモラルが上がりやがった。このままベビーフェイスまで転向する気か。
4月に新人テストでイージス中森16歳を獲得。間接技に才能があるようなので、南を選手兼コーチとしてつけることにする。
評価値ではすでに上位ではなく中堅になろうかという霧島がまさかの再びの王座君臨を果たす。南のサザンクロスロックをロープ際で上手く逃げ切れたことが勝因と考えられる。評価値900ながらいまだ霧島レイラ健在をアピールしたが、評価値1130まで成長し、あらゆる面ですでに霧島を凌駕しているグリズリーが難なく翌月6代目王者となる。
興行の規模も大きくなり、資金的に余裕が出てきたのでフリー外人ではなくメキシコの飛び技主体の選手を多く要するAACと業務提携を結ぶ。
提携していきなりAACタッグベルトを南・真田組が、AACジュニアを神田が奪い取る。チチョカラスの持つAACヘビーにはいつの間にか南に差をつけて団体トップにまでなったグリズリーを中心に何度も挑むが、阻まれることになる。
2月、とうとう霧島が引退を表明、引退試合は一関でグリズリーとのシングルマッチ。同じシリーズでイージスが1年先輩の神田からAACジュニアを奪取、それを買われてなのか、3月のプロレス大賞では最優秀新人賞を受賞する。

実際のプロレスと比べると、女子といっても世代交代のペースがやや速く感じるのだが、ゲームとしてみた場合は脳内ストーリーを組みやすく盛り上がる要素だと思うので全然構わないなと思った。


レッスルエンジェルスサバイバー」購入。
プロレス団体経営シミュレーションゲームというジャンルのゲームはレッスルシリーズを除けば片手で数えられるぐらいしかないので、標準がどこにあるかというのは良く分からないが、かなりギャルゲ寄りのゲームに仕上がっている。
ギャルゲとしてみたらストーリーも無く、イベントも薄味なのでお話にならないわけだが、そこはプレイヤーの脳内妄想力が試されるところである。
もちろん、俺はありまくりなわけで、ここから妄想込みのプレイ日記を書くわけですが。

1年目。
岩手を本拠地に立ち上げた団体名は「劇団つきかげ」。俺はガラスの仮面の読みすぎである。団体名に似合わず試合は操作せず観戦のみの八百長無しでいこうと決意。フリーで岩手出身の霧島レイラとフォクシー真帆、新人テストからオーガ朝比奈、南利実、グリズリー山本、中江里奈をスカウト。19歳で既に体が出来上がっている霧島をメインに据え、オーガが青森、中江が秋田出身なので東北を巡業の中心に据えた経営を目指す。
立ち上げたばかりで知名度の無い選手ばかりなのでキャパが500人の会場でも埋めることが出来ずに苦労する。最初の半年はほぼトントンで利益が出ない。業務提携した安いフリー外人2人を含めた8人でシングルリーグで霧島が順当に優勝すると、霧島だけ人気が大きく上がり始める。
霧島は能力評価で他の選手に大きく水を開けているので、1年目はどこの会場でも霧島が最終戦をつとめ、当然のように勝っていった。

2年目。
スカウト当時から評価値510と新人離れした能力を持っていた南が急成長、霧島の920には及ばないものも800台にまで上がり、霧島の代わりに最終戦に立つ事も出てきた。2年目に入ってファンクラブも出来て全国区の知名度を得た霧島の人気によるところが大きいが、東北ならば2000人の会場も埋めることが可能になり、経営は安定してくる。選手宿舎と移動車両に投資し、新たに真田美幸と斉藤彰子の新人2人をスカウト。どちらも打撃を得意とするので、どのように差別化して育てるか悩む。
12月に団体のベルトとしてGTKヘビーを創設。花巻会場での初代王者決定戦は霧島が南を下してチャンピオンとなる。試合内容は霧島が得意技しか出さないために南とうまくかみ合わず、一方的な展開で塩だった。

3年目。
20歳も過ぎて成長も打ち止め気味になった霧島を新人筆頭の南が追うという展開が劇団つきかげの興行のメインストーリーとなるだろうと考えていたが、ここで思わぬ伏兵が現れることになる。南の同期だが年齢は一つ下のグリズリー山本が着実に力をつけていて、南やフォクシーの挑戦から霧島が4度守ったベルトを初挑戦で奪い取ったのだ。グリズリーは霧島と同じパワー型の選手だが、体力と回復力、各技に対する防御が優れているディフェンシブなキャラだが、決め手に欠けるところがあった。その欠点を必殺技のラリアートの威力を特訓で上げることで克服、宮城で行われたタイトル戦では霧島優勢の中パワーボム、STOを喰らうも2.8、2.9で返し、そこからラリアート3連発で返してベルトを奪取する。その時の霧島の評価値は940、グリズリーは830と実力差は明らかなものだった。その2ヵ月後、評価値930と霧島と変わらないまでの実力を身につけた南との防衛戦は難しいとも思われ、南の関節技で腕も足もギブアップの限界まで絞り上げられるが、耐え切り、掌底で流血させてひるんだところにDDTからフォールで初防衛を果たす。実力上位ながらベルトを得られない南と、元王者の霧島の二人からグリズリーはどこまでベルトを守り続けられるかが3年目後半から4年目前半のメインストーリーとなった。

ちなみに、公式サイトを見ると分かるが、グリズリーはかなり太いキャラでギャルゲ的には色物なんで、オーナーとしては乳が実にけしからん霧島か下乳の見えるコスの南にベルトを取らせたい所なんだが、八百長はしないと心に決めたので思うようにいかん。


昨日の話でなんなんですが、高校野球。
途中経過が気になるのは良く分かりますよ、俺だって仕事中は気になりましたよ、ええ。
でもさあ、いきなり公民館の図書室に飛び込んできて「どっちが今勝ってるの?」って聞くのはあんまりにもあんまりですよ、マダム。
「申し訳ございません、私には分かりかねます……廊下にテレビがありますので、そちらでご覧になられてはいかがでしょうか」ぐらいしか言えませんよ。
イヤな顔をしないで下さい。
「勤務中だったのね。」見りゃあわかるでしょうに。
俺はそんなに仕事をしてないように見えますか?
「どっちが勝つか気になるね」ええ、そうですね、ジェントルマン。
「ちょっと見てくるから。決まったら教えるよ。」
貸し出し処理中に本を置いていかないで下さい。
「早実が勝ったよ。」これが一番へこんだ。

テニプリの田仁志のキャラソンが出るってのはニュースだと思った。


ファッションセンターにてぬりかべTシャツ衝動買い。¥980。

ルーからカレーを作るのがそんなに面倒な作業じゃない事に気づいた。
基本はフライパンで小麦粉とカレー粉を炒めてサラダオイルを少しずつ入れていけばいいんだから、別段難しい作業じゃあない。
問題は味付けなんだよな、スパイスとか色々。市販のカレー粉だけじゃ全然ダメだね。
今日の昼は夏野菜と鳥皮のカレーということで、すりおろしたトマトを入れてみた。味はまあまあ。


最近読んだもの。

ゆでたまご「キン肉マンU世」1〜29巻
今まで立ち読みと漫喫ですませていたんだが、衝動的に一気買い。
前作からの友情というテーマが横糸なら、世代交代それも父と子の関係を縦糸に持ってきている作品だよね。
子供のいる超人は弟子を取っておらず、子供のいない超人は弟子を取っている所を見ると、師匠と弟子という関係も作品内では父子関係の一つとして見られるかもしれない。
前作の師弟関係だとスグルとカメハメ、ロビンマスクとウォーズマンがすぐ頭に浮かんでくるけれど、この二組はタッグも組んでいて、U世での師弟関係の捉え方とは異なっているように感じられた。
読んでいてゆでたまごが凄いなあと思ったのは、作品内でいくつも出てくる親子関係、師弟関係に同じようなものが一つも無い事で、それはそのままキャラクターのバリエーションの豊富さやストーリーの幅の広さに繋がって来ているわけで、対照的な親子関係を持つ万太郎とケビンマスクが決勝に勝ち進む超人オリンピック編の後に、息子を殺めざるをえなかったアシュラマンがラスボスになるデーモンシード編を持ってきたゆでは凄いストーリーテラーだと俺は思うのですよ。

掘骨砕三「はえてる女の子」
イエーイ、ちんこー。
感想としてはこれだけでもいいんだけど、下水街シリーズとくらべたらアクは弱めかと。
それでも客観的に見たらキツいとは思いますけどね。
裏表紙の女の子の勃起したちんこにパペット人形をかぶせているのは可愛くていいですね。

島本和彦「新吼えろペン」5巻
非常に面白いです。
が、正直そろそろ普通の漫画かいて欲しいなーとかも思ったり。
連載してるのが吼えペンにアニメ店長と漫画に言及する漫画しかないのはどこかマズいのではないのかと。


三ツ矢サイダーのゲド戦記キャンペーンも非常に胸糞悪いわけですが、コンビニや量販店等で挿入歌の「テルーの唄」が有線かなんかで流れてくるのも非常に胸糞悪いわけですよ。中途半端にテンション下がるっつうか、軽薄で魂なんぞ入ってないとされるJ-POPこそがそこでは流れていて然るべきなんですよ。TPOをわきまえてないと言うか。
近代の店舗空間というものは薄いカーニヴァル性を持つよう、ハレの空間であるように作られていると思うんですよ。
そこでのBGMというものは客を軽い躁状態に持って行くものが善とされていて、逆に落ち着かせたり引かせたり、過剰に興奮させたりしてはいけないものだと思うのね。
「テルーの唄」はそうじゃないよね、と。
買い物してる時に聞きたいものじゃないよね。ちょっとこれ買おうかな、と迷っている時に背中を押してくれる曲じゃないよね。そこではまだ多分DJ OZMAの方が有効なんだと思う。
まあつまりどういうことかというと、ゲーム屋行ってきて、テルーの唄が流れていたから今日も「ワンダと巨像」はパスして、「純情〜スンジョン〜」が流れていた時に眼に止まった「ウルトラマン Fihting Evolution3」を買いました、と。


陛下の御心を蔑にするのは明治どころか大昔からの日本の伝統なわけで、その伝統を受け継いで陛下が政治に口を挟む事を禁ずる事を憲法に明文化された上での首相の毅然とした態度はまさに保守の本流、流石自民党総裁だと思うわけで。
それに対して、リベラル陣営であるはずの人たちが陛下の発言とされるメモをもとに靖国分祀をこれ幸いと声高に叫ぶわけですが、論拠に陛下を持ち出してくるのは果たしてリベラルの態度としていかがなものか、戦前の陛下の名のもとに国民を破滅へと導いた軍国主義の再来ではないのかという懸念も、右傾化していると言われる世情に敏感な性質の人は持ってしかるべきではないのか、と思われる方ももしやいるかもしれん。
しかしながら、愚見を申せば陛下の御心を指針に行動するという事は、過去の日本の伝統からはかけ離れた行為であり、その方法論は既存の政治手法を否定するという意味においてはまさしくリベラルそのもの、革新としか言い様の無い動きである。
歴史をかなりかなり前まで紐解けば天皇が政治と軍事の両面で実権を握っていた時には天皇の意思が政治に色濃く反映されていた時代も無かったわけではないんだが、天皇が権威としてしか機能していなかったここ600年ばかしのところで、天皇の本心を知ってそれに従おうなどと考えて実行に移そうとした者は皆無に等しい。
不遇な処置に不満を持ち続けた天皇が新興勢力と結びついて神輿として担がれて政権交代の道具になるなんてのは日本史によくあるパターンで、そこから考えたら天皇を持ち出して自己の正当化を図ろうとする輩がいたらそいつらは革命分子だと思っても差し支えないのではないのか。
まあ、その革命が成功してもどうせすぐ天皇をコントロールして軍事的政治的能力を出来るだけ奪い去って権威だけの存在にするだろうし、それはこれまた綿々と続く日本の伝統な訳であり、下手に歴史が長いと何をやっても伝統的行為となってしまうからリベラルは辛い。
小選挙区で小沢一郎に、比例代表で自民党に投票する俺としてはこの件をどう評価していいものかようわからん。
捏造オチにしても分祀するにしても落とし所にはならないだろうしなぁ。
大体アレだ、靖国を政争の争点するのを嫌がって福田が総裁選に出馬しない意向を発表した時点でもう野党側にとっては藪蛇以外の何者でもなかったんでないの、これって。


ズッキーニが本当に美味しい季節になりましたね。
ゴーヤも炒めるだけではなく、塩水につけてアク抜きすればサラダにもいいですね。
まあ、僕は安かったという理由だけで買ってきた牛スジ肉を延々煮るだけですが。
煮上がったものは酒・醤油・砂糖・味醂で味付けして御飯にのせて牛スジ丼にしますが。
季節感全くなし。
つうか、牛スジの季節っていつなんだろう。


アニメでもマンガでもゲームでもオナニーでも、何を入れても身につまされるなぁ。


最近プロレスづいてる気がした。
ランブルローズを買ってからだとは思うが、レッスルエンジェルスの新作が10年以上ぶりに出ると聞くと製作がバグを取らないサクセスでも、キャラデザが微妙でも、週間プロレスとのタイアップキャラが何故か総合格闘技寄りの設定のキャラでも、それでも期待してしまう自分に気づいたり。
みちプロがまた水沢に、今度はタイガースマスクもやってくると知ってワクテカしたり、店に行ってレジの兄ちゃんの名札が「佐々木(健)」を見てやっぱり健介かなぁ、とか思ったり。
小橋の入院を伝えるニュース番組にノアの岩手公演のCMが入り、小橋の映像かぶさって参加選手を伝えるナレーションにはまだ小橋の名前があったり、身の回りのプロレスな事がまた気になりだした。

鬼うさ姐さんと前田祐作さんとの作品が載っていると言う事でアックス購入。
タイトルは「夏の日」。
鬼姐の日記で名指しで何かが心に残るようにと言われたんですが、なんで俺なのかと言えば登場人物のモデルは俺と鬼うさ姐さんだからでして。
そういうことをおくびにも出さずに感想を書いてもいいのだろうけど、この点を押えといた方が自分の周りの人でこれからもしも読む人がいるとしたらもっと面白く読めるんじゃないかな、と思うんで、書いておきます。
かえるがオレでうさぎが姐さんです。
内容はほぼノンフィクションで、キャラ心理は俺に限ってはフィクションです。
自分のことが描かれている、と思うとなかなかどうしてモヤモヤしたものがあたまをもたげてきて感想を持ちづらいんですが、あの時の空気感はしっかり伝わってきましたよ。鬼姐がどんな原作を書いたかは知らないんですが、作画の前田さんを通して再現されているというか。
ページ数や演出の関係もあると思いますが、口数が少ないと俺はもしかしてカッコいいのかもしれんと勝手に思いました。よく見たらかえるの腹は出ていなくて、ああ、だからか、と勝手に絶望しました。
多分、俺視点であの時の事を書いたらロクでもない事になっていたと思います。
思い出を美しくしてくれてありがとう。


職場で聞いたイヤ過ぎる口説き文句。
「オレさ、カノジョいるんだけど知ってた?いるんだよ、いるって。ホント。お前カレシいる?いないよな。
 んでさぁ、もしもだよ、もしもオレが彼女と別れてお前に付き合ってくれ、って言ったら付き合ってくれる?」
大体こんな内容を午後2時の公民館の図書室で養護学校上がりの少女に、その少女と同じ養護学校にいたガキがしていた。
つうか図書室で話し込むな。

そんなこんなであんまりにも心がささくれ立ってしまったのでyoutubeでcoccoの出ていたミュージッステーションを見て和む事にした。
あー、タモさんやさしいなー。
あと、あんまり遅刻が酷いのでソラミミストにブチ切れたタモリも見た。
すげえ癒された。


これで、まずブラジルがオーストラリアを4点差ぐらいで虐殺して、そのブラジルを日本が虐殺でもしない限りは予選突破は不可能なわけですが、オーストラリアに負けてる時点でそんなん無理だろ、と思ったり。


昔、富士通のFMVを使っていたんだが、問題が起きた時にサポートセンターに電話したら全くつながらなかった記憶がある。
今日、行きつけの中古屋に行ったらそこのオヤジも前に富士通のPCを使っていて、やっぱりサポートセンターに全然つながらなくて困ったと言う。
二人で話し合った結果、過去に富士通総研で役員をしていた福井日銀総裁は道義的責任を取って辞任すべきだという結論が出た。


兎月ルラ嬢のblogから指定型バトンとかいうものを指名された。
なんでも廻されたお題の質問に答えて、人に廻す時にはお題を指定するものらしい。
こういうバトンの類はやった事が無いので良く分からん。昔あった100の質問みたいなものか。
俺のお題は『エロ本』らしい。俺を何だと思ってるんだ。
とりあえず答えよう。

◆最近思う『エロ本』
→エロ本と言うかエロ漫画しか読んでないねぇ。
エロ漫画に限って言えばクオリティは右肩上がりの世界だと思うよ。昔に比べたらみんなうまくてヌけるね。
全体的にエロの比重が大きくなり、一般誌では載らないようなネタ話やユルい漫画が減ってきているのは残念。
もちろんエロとストーリーの両立が出来てるすごい作家もたくさんいて、それは喜ぶべき事だと思うよ。
◆この『エロ本』には感動!
→感動と言うと違うかもしれないが、堀骨砕三の下水街シリーズや別名義の作品群。
変態マンガ、変態と言っても体が変わる方の変態マンガは世界中探してもそうそう無い。
表現としては嫌気を催す人も多々いるかと思うが、そういう作品が一般流通に乗って多くの人がアクセスする環境にある事は素晴らしい。
◆こんな『エロ本』はいやだ!
読めない、買えないエロ本は嫌いだね。
発表と同時にプレミアのつくエロ同人誌とかはオタクアイテムとしてはともかく情報媒体としてはどうなんだろう。
ネット書店でもいいから本屋に並んでアクセスに障害が少ないことが「エロ本」の最低限のレギュレーションだと俺は勝手に思ってる。
だから、裏本も好きじゃないね。
◆この世に『エロ本』がなかったら…
エロサイト見てるんじゃないですかね。今も見てますが。あとAVとエロアニメ。
でも、エロ漫画ほどは見ないと思うな。ふたなりが少ないから。
◆次に廻す5人(指定付きで)
5人も廻せる人を知りません。
鬼姐に『ふたなり』をお題にして輪姦します。


最近俺が言った名言。
「今の子供達にたりない根性が3つある。ロボ根性、ファミ根性、スーパーファミ根性の3つだ。」


この前、胆沢町の「キャロル」という喫茶店とレストランの中間みたいな店に行ってきました。
なんでもカツカレーの大盛りがえらい事になってるとかなってないとか。
こう見えても私、田舎者です。田舎者の特徴の一つとしてテレビの中と現実は違うという考えが強いというか、都会の人みたいにテレビで紹介されるものにさほど触れることがないから、どうしても想像力に限界というものがありまして。
テレビでやってるやよい食堂とかそういうのは無いだろうと。いくら大盛りと言っても普通よりも多いと分かる程度だろうと。
胆沢町だしな。
そんなことを考えていたわけですよ。
結論から言えば、やよい食堂みたいにカツカレーのカレーがはみ出ているとかそんなことはありませんでしたよ。
でもね、俺の想像力も越していたわけで。
ゆうに1キロ超は絶対あったね、アレは。
カツがうまくなかったら俺の腹でも全部は収まっていなかったと思うよ、うん。
お昼に食べる量じゃなかったね。
お値段は750円とランチタイムにうってつけなお値段なのですが。


変な親切心っていうか、おかしな几帳面ってのはあるよな。
公民館の靴箱なんだけど、上がスリッパを置く所で下に靴を入れる2段タイプの靴箱で。
普通に使えば靴を置いてる時はスリッパを使うから上の段は空になって、下が空の時はもちろん上にスリッパがあって。
そういう状態が至極当然であり、そうでなければならないと思うのですよ。
それが、仕事を終えてさあ帰ろう、という段になって自分の靴箱にスリッパを突っ込もうとしたら先客がいた時の動揺はいかなるものか。
別段大声を立てたりするようなサプライズじゃないけれど、数秒は途方にくれますよ。
スリッパをどうしたらいいものか。とりあえず考えるのは周りの他の靴箱でスリッパを入れるスペースがあるものを探す事で。
この際は下の段に靴が入っているかどうかは考えない。人間はそれほど優しい生き物ではないのだ。
そこで新たに愕然とするのは、全ての靴箱にスリッパが収まっているという信じがたい光景を目にした時で。
ぽつりぽつりと下の段に靴が入っているのも確認できるが、そこにもスリッパがあって。
後々この俺と同じくうろたえるであろう人が複数人現れるだろうというのは気持ちを抑えることには何の役にも立たず、むしろ唖然とさせられるのだが、この状況が与えてくれた一つだけの幸福なことがあるとすれば、自分がこうむった被害を他人になすりつけるような卑しい行為を私が行う事が物理的に阻止された事ぐらいだろうか。
まあ、それはともかく私のはいていたスリッパは行き場を失っているわけだ。
まだ、そこで自分の靴を取り出してそこにスリッパを突っ込んだり、脱いだまま床に放置して帰宅するという方法ももちろん策の一つとしては浮かび上がっても来た。だが、そこまでするほど私は追い詰められていないし、そこまできたら人として堕ちる所まで堕ちたと言っても過言ではないのではないだろうか。
次善の策としては、靴箱の横に並置されたプラスチック籠の中のスリッパの山に入れることだろう。
いわゆる、来客が多すぎて靴箱が対応しきれない時に使われるスリッパであり、おそらく私の靴箱にスリッパを入れた奇特な方もそこからスリッパを取り出して収めて行ったであろう事は容易に想像がつく。
他に良い方法も思いつかないので、その日は籠にスリッパを突っ込んで事態の収拾に努めたが、もちろんスリッパを収めたのは自分の物だけなので私と同じようにスリッパの収容スペースを別のスリッパに占拠された他の人たちが私と同じような結論に達するかどうかはわからない。
世の中には人心をいたずらに惑わせるだけの行為というものが常にどこかに潜んでいるものであり、それにいかに落ち着いて対処していくかいうことこそが人としての熟練・修練の向かうべき方向なのではないのだろうか。
もちろん、その場で2分近くスリッパを両手に1足づつもって靴下でワックスのかかった床をウロウロ迷った私はまだまだ修行が足りないのである。

気づけば、家にあるPS2のソフトがスパロボだけしかないという状態に気づき、これではいけない、どこがどういけないかはさておきいかん、という事でゲームショップを物色。
ランブルローズ」を買いました。
実にいかん。


大学生の頃から続けている日本語教室の活動のせいで、街中を歩いていて「先生」と呼ばれる事もあるわけだが、教室外でそう呼ばれるのはどうにもこそばゆい。教室ならいいかといえばそうでもないんだが、それはともかく。
俺は別に先に生まれたとか、先んじて生きている先生なわけではないんで、先ず生きているだけの先生なんだろうなぁ。


ガンパレ緑を買ったには買ったんだが、その時一緒に980円で買ったスパロボIMPACTの方ばかりやっている。
ゴッグが妙に硬かったりと、最近のヌルすぎるスパロボよりは難しいが、バランスはこれ位の方がいいかなーとか思ったり。
とりあえずグレートマジンガーとダイターンばかり強化して進めることに。

最近読んでる本は滝沢馬琴の傾城水滸伝。
水滸伝の舞台を鎌倉時代の日本に移し、105人の男性と3人の女性で構成された梁山泊108星の豪傑の性別を逆転させた翻案もの。
どきどきすいこでんを遥かにさかのぼること百ウン十年前にこんな作品があったんですよ、みなさん。
江戸時代に水滸伝の大ブームというものがあったそうで、傾城水滸伝もそのブームにあやかった作品のひとつ。
馬琴は同じく水滸伝の影響下にある南総里見八犬伝を著しているわけだが、八犬伝が日本中でブームになったときは各地で勝手に八犬伝グッズが自主制作されて土産物屋に置かれたりしたそうだ。
八犬伝の消費者からの同人的受け入れられ方や、傾城水滸伝の発想とかは、なんというかラノベ的だよなぁ。


おそらく中盤も過ぎたところ何だが、FF12がゲイすぎる。
半裸の男を半ケツの男が追いかける「ベイグランドストーリー」を作った松野がプロデューサーになって、その後病気療養のために降板しているわけだが、降板してもやはりゲイすぎる。
短パンのオッサンがゲイくさい。
初対面でいきなりステージのように一段せり上がった所に鎮座した鳥かごみたいな檻に2年近く囚われていたり、脱獄して久しぶりに会った仲間には「お前が早かったのか、俺が遅かったのか」と意味深な事を言うし。
他のメンバーがヴァン(空気みたいに存在感の無い半裸の主人公)に冷たいのに、オッサンだけ優しい言葉をかけるのもなんだか怪しい。
自称主人公のバルフレアもゲイとしか。
ヒゲでメガネの父親がマッドサイエンティストになってヤバい研究に没頭してしまい、それがイヤで家出したのにスト−リー上では父親の事を「アイツ」呼ばわりで何度も何度も口にするところは親子の情以上のものを感じますよ。
実家のある街に帰ったらどこかカマっぽくて金に汚い情報屋がバルフレアの面倒を見るところもなんだか、腐れ縁は腐れ縁でも昔の男臭がしてなんとも。
松野ゲーのキャラは男らしさは露出度で決まる所があって、ミニスカ王女のアーシェは復讐鬼の後家、色黒うさみみボンテージのフランはツンバサ(ふだんはツンツンしてるけど、魔力の霧が濃い所では狂戦士)で、露出の一番少ないパンネロが普通の性格なので、パーティーで一番着込んでいるバルフレアは間違いなく乙女ですよ、ええ。
サブキャラももちろんゲイくさい。
ラスボス臭がプンプンするヴェインはCVが飛田展男なんでカミーユのように繊細で比良坂竜二先生の様に鬼畜であるとしか思えない。
そんな男がバルフレアの親父のドクターシドの唯一と言っていい理解者なところもゲイ臭いとしか。
ヒゲメガネをめぐるラスボスと息子の三角関係とはどういうことだ。
そんなヴェインに全く疑いを持たない弟のショタ王子ラーサーは兄に(開戦回避の)アプローチを何度もするが、冷たくあしらわれる。
それでも兄を信じる純粋キャラ。
のわりにはパンネロを宿泊先に連れ込んだりしていて、齢12にしてすでに立派な両刀使いであり、プレイ中は薬を使いまくる末恐ろしい子。
そんなラーサーと内通しているのが敵国ロザリア帝国のアルシド王子。見た目は松田勇作、中身は若本規夫。
常に女性の側近を連れているけど、それは多分ポーズ。そうでなきゃ命がけで12歳のショタ王子に会いに来ないって。
FF12は男キャラでノンケはジャッジ・ガブラスだけなんじゃないかと思えてきた。仲のいい女ジャッジ・ドレイスを、皇帝への忠誠心を証明する為に剣を挿入して殺すけどね。二人とも全身を鎧で包んでいたので、間違いなく心は乙女だと思います。
そんなところで、今レダスとかいうもみあげが非常に発達したハゲオヤジが仲間になった。多分ゲイ。


一昔以上前の話題ではあるが、ノーパンしゃぶしゃぶなる単語が全国的に人々の口耳に上るようになった時、インドのパンジャブ地方の方々の心境はいかなるものだったろうかと考えると、俺はなんてバカなんだろうと思わずにはいられない。


今しがた死ぬかと思ったんで報告。
夜食にスパゲティーペペロンチーノを作って食ったんですよ。
作るのが楽でしかも美味い、最近のお気に入りで。
あんまり美味いので、ジョジョ4部のトニオさんの店で娼婦風パスタを涙を流しながら食べる億泰ばりにズビズバーと啜っていたらアナタ、緊急事態が。
吸い込む勢いが強すぎたのか、ペペロンチーノの主役ともいえる鷹の爪が鼻腔に入り込みまして。
鼻の粘膜をカプサイシンが刺激しまくるのですよ。
アレはもうね、辛いとか熱いとかそういう次元じゃないですね。
イヤもう、痛くて鼻が根元からもげるかと思いましたよ。
あんまり痛いんで、お恥ずかしい事に私少々パニくりまして、その鷹の爪を鼻から出そうとついいきんでしまい、鷹の爪を鼻腔の更に奥へと押し込んでしまいました。
ここからが地獄の始まりです。
刺激物にダイレクトに攻撃された粘膜は鼻水をこれでもかと大量生産を開始するんですが、それが痛みを薄めてくれる事も無く、頭では吸い込めば鷹の爪が入ってきた喉の方に移動して事態の収拾も図れるだろうとは思っても、幼少時からの鼻水は鼻紙でかむ習慣が体に染み付いた私は大量の鼻水を脊髄反射で吹き出してしまっては鷹の爪を進め、ハッとわれに返っては吸い込んで口腔に戻そうとする、一進一退の一人相撲をすることになったのです。
この前後移動で鷹の爪は鼻粘膜の殆ど全域になすりつけられたかと思います。
ラマーズ法のようなリズムで鼻息を荒げながら悶絶する事十数分、鷹の爪は無事口中に戻り、嚥下されたのですが、鼻粘膜の荒廃とそれにともなう鼻水の発生はつとに著しく、この惨劇の後始末にはティッシュを用いることは不可能と判断、洗面所で顔を洗ってタオルで拭わねばならないほどでした。
ホントね、死ねるよ、アレは。


公共機関なり、それなりに大きい店のトイレに行くと、「吸殻、ガム等、備え付けの紙以外のものは流さないで下さい」なんて感じの文章の書かれた白いプラスチックの板が行為中の人間の目の前に来るように配置されてある。
正確な字句はどうだったかはよく覚えていないが、それは大した問題ではないし、よほどの田舎者かウンコをしないアイドルでもない限り、「ああ、アレ」と分かってもらえると思う。そう、アレのことだ。
日本の義務教育課程に大きな欠落があったのか、私自身の成長過程に大きな欠落があったのか責任の所在はいまだに明らかではなく、明らかにする気も無いが、私は中学生のある一時期まであの文章の冒頭の「吸殻」を何をトチ狂ったか「吸盤」と勘違いし、勝手に悩んでいた。
一体、吸盤を流すとはどういうことなのか?
まず思いついたのは、手洗いにある、ネットに包まれた黄色い石鹸がぶら下がっているフックのついた吸盤。
あれを流すのだろうか。
なんのために?多分ただのいたずらだろうなぁ。
あんな小さい吸盤を流す事に利益が伴うとは考えられないからだが、吸盤がいたずら心をくすぐり痛快な思いをさせてくれるとも思えない。
それでも注意する以上はする奴がいるということだろう。
だが、それではプラスチック板に印刷されてある事が理解できぬ。
どう考えてもそんないたずらはその場だけのローカルないたずらではないのだろうか。
そのトイレの管理者が張り紙なり何なりをして対処するものでは?
しかしながら印字されて備え付けられていると言う事は、設計段階で吸盤を流す輩が現れる事を予見したということだろう。
そして、吸盤を流すなと言うプラ板がこうも大量に目に付くと言う事はこれは量産された商品であると言う事だ。
吸盤に対する注意に関する市場がある!商売になるということは需要があると言う事であり、そしてプラ版の単価を考えれば安価に頒布しても利益が確定されるほどその需要が多量にあるということだ。
嗚呼、なんということだ。世の中には吸盤をトイレに流すなどという愚行を嬉々として行い便器を詰まらせる人間が何人も何百人もいるというのか。
この人間の抱える原罪にも繋がるが如き矛盾を悟るにあたり、多感な思春期にあった私の純朴な少年期に培った世界観は瓦解し、私を新たなる知見に導いていた。

だが、この知的発見を根底から覆す仮説がその数日後私の脳裏には閃いていた。
吸盤とはもしやスッポンのことでは?
正式名称は生憎知らないが、トイレの掃除用具入れにはあるとされ、マンガ、コントにおいてはハゲ頭に吸着させるのが古来よりの慣わしである、あの棒のへさきについた黒い巨大な吸盤のことなのでは、と。
トイレという空間において吸盤について言及すのならばむしろこちらのほうが適切であり、自然ではある。
水場において吸盤式のフックは決して珍しいものではないし、よく見られるものではあるが、必ずしもどのトイレの手洗いにもあるというものでもない。
だがしかし、スッポンならば、最も良くある致命的トラブルが詰まることである水洗式便所には無くてはならない備品であり、トイレを詰まらせないよう利用者に懇願している文章に出てくるのは当然のことである。
当然の事であるが、しかしそれは論理的矛盾を大いに孕むものであった。
スッポンを流すって?
まずそれは物理的に可能なのだろうか。難易度はマッスルドッキングを遥かに超えるものと思われる。柄にあたる棒の部分を排除し、ゴムの持つ柔軟性に可能性を見出せばもしかするのかもしれない。が、それには大きな努力を伴う事だろう。
なんのために?やはりいたずらとしか思えない。しかし相当の悪意が無いと出来ない行為だ。
そしてまた、スッポンの用途から考えても流すという選択肢はありえない。
なぜなら、スッポンをトイレの個室に持ち込むときというのは、トイレが詰まった時に他ならない。
詰まっているトイレではスッポンに限らず何もかもが流せないのは自明の理ではないか。
おお、なんということだ。先の知見よりも妥当性に優れた前提条件を提示する事で前説を廃し、より一層上の高みに立とうとした私の知的冒険は挫折するに至り、それまでの緻密な推察は全て無に帰し、再び出発点からこの問題を考えていかねばならなくなった私の胸に去来する徒労感は多感な思春期にあった私の世界観を瓦解させ、虚無主義者への第一歩を踏み出せようとしていた。

私が少年期に終わりを告げ、思春期に移ろうとしている時期においてこの問題は常に頭の片隅にあり、休む事は無かった。
解決せんと能力の限りを尽くして論理の展開をする姿はあたかも禅問答を解くがごときであったが、禅問答と違うのは現実に目の前にある事象を相手にしており、論理の飛躍は許されずあくまでも現実的解決を求められる事であった。
この疑問と悶々とひとりで格闘し続けてどれだけの月日が流れただろうか、疑問が氷解する日はあっけなくおとずれた。
ある学年集会の席で、ある教師から、トイレでタバコを吸って吸殻を流すものがいる、との訓告を聞いたのだ。
ああ、あれはきゅうばん、ではないな、すいがらなんだな。
こうして多感な思春期にあった私の世界観が瓦解する以前に、私そのものが壊れているのではないのかと言う新たなる視点を持つに至り、それが自覚となり、確信になるにつれて学業の成績も対人関係構築能力も目に見えて落ち込んでいくのだった。


安全靴を衝動買い。
最近の安全靴はカッコいいねえ。編み上げ以外にもスニーカータイプとかがあって、選択の幅が広い。
つま先が鉄ではなく樹脂で出来ているものもあり、樹脂製のものはとても軽い。
硬度はどちらも変わりない、というか俺としては実生活で重い荷物を運ぶ事も、それを足元に落とすことはまず無いだろうから関係ないのだが、今回はあえて重い鉄先芯のスニーカーを購入。
鉄片を仕込んだ靴、ってなんかカッコいいじゃないですか、小学生マインド的には。
安全靴に履き替えて帰宅。
帰る途中で電柱につま先をミートさせるように回し蹴りを放ってみた。
上方からの衝撃はガードしてくれるが、前方の衝撃にはこれといった措置が取られているわけでもないので足指に痛みが走った。
普通のスニーカーで蹴るよりも、間に鉄板があるために余計痛い。
悪い事を考えるとロクなことが無い良い症例である。


買ったりした物。
3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!完全版
チュンソフトのADVを買うのはSSの「街」以来。
ガンオケの生徒がどうしてもパレと比べてアクが弱く、6周するくらいから食傷気味になって来ていたんで、気分転換にどんなもんだろうと思って購入。
ゲームのテーマが金八なせいなのか、今までのサウンドノベルに比べれば飛躍したストーリーは少なく、地に足が付いたシナリオをじっくり練り上げてあるように感じた。イベントシーンをアニメーション、メッセージは全てフルボイスで送っているせいか、ボリュームはたっぷりあるけれど基本的にシナリオは一本道で、分岐で展開が大きく変わるサウンドノベルとは違い、昔PSであった「やるドラ」シリーズを思い出した。
チュンソフトのゲームは製作側が最適と思えるキー配置を提示するためにキーコンフィグが無かったりと、押し付けがましいかわりにすごく良く考えられたシステムのゲームが多いのだが、金八では読んだ事の無いメッセージは早送りできない仕様になっている。
メッセージはフルボイスであるため、ファーストプレイではストーリーのほぼ全てに耳を傾けなければならず、しかもボイスが流れている間はテキストは一時中断しないと表示されない。そのためゲームプレイの時間の大半はモニタの前でキャラクターたちの演技を見て、聞くことになる。コントローラーのボタンを押す回数は極端に少ない。
はっきり言ってコントローラーの入力を受け付けないムービーシーンが多量にあるのは大容量次世代機の時代のクソゲーの条件の一つであり、その方向で言えば金八はクソゲーと言っても過言ではないのだが、自分としてはそう感じさせる事はなかった。
シナリオと、ムービーと声優の演技のクオリティの高さがその問題を問題と思わせていない。普通にムービー垂れ流し、というかゲームではなくアニメにしても成立する作品だ。それにさらにゲームとしての面白さを付け加えていったような。楽しいよ、これ。

掘骨砕三「夜に虚就く
「下水街」シリーズの2冊目の単行本。エロマンガ。
身体改造エロマンガといえば日本で5本の指に入ると思われる堀骨の作品の中でも特にアイデア、表現ではっちゃけている。
掘骨の漫画の面白い所は、エロ描写の空想性が非常に高いのと同時に生態学的なリアリティをどこか持つところだと思う。
五体満足な人間が殆ど出てこず、出てきても亜人と化したり、寄生虫を育てていたりするし、人外はエロマンガだからもちろんかわいくてそそるデザインではあるけれど明からに人間のフォルムのそれを大きく逸脱しており、性交を見ると同時にそのような空想(もしくは妄想)の生物の生殖を考える知的遊戯的な面がある。まあ、そういう部分はひとまずヌいてからのお楽しみだけどな。

カート・ビュシーク「アストロシティ:コンフェッション
「アストロシティ」シリーズの2冊目。アメコミ。
購入したのはかなり前なんだが、響鬼が終わった後で読み返して思う所があったので。
ヒーローもののパターンの1つとして師弟関係にある二人、もしくは複数人というものがあり、その代表格としてはバットマンとロビンがあり、アストロシティでのコンフェッサーとオルターボーイの関係性もそれを意識した作りになってる事は間違いないものと思われる。
社会的に認められぬままに死んだ父を否定し、ヒーローたちに憧れてアストロシティで新生活を始めた少年キニーが、謎のヒーローコンフェッサーに出会い、オルターボーイとして活躍しながら、善を行うとはどういうことなのかを苦悩する師との葛藤のなかから見出だし、自立していく。
成長物語としても父子の物語としても理想的な上質の作品。
アストロシティというシリーズがオールドスクールへの郷愁を持つと共に、80年代のように作品を壊すだけの批判ではない建設的な新復古とでも言うような雰囲気を持つからこそ出来たファンタジーなのだろう。
それはいい。なんでこれが日本の、1年かけてやるテレビ番組で出来なかったのかなぁ。


(´-`).。oO(鬼姐って膝のお皿大きいよな……)


まあなんつうか、アレだね。
昼と夜を、人の奢りで済ましてしまえた、それもそれぞれ別の人物から、それも豪勢に。
なんて日があると自分には食客の天分があるのやもしれんという虚妄がムクムクと頭をもたげてくるね。
ま、たまたまだけどさ。
これが女性からのメシだったらヒモとか考えるんだろうなぁ。
そういや女の人からメシ奢られた事ないや。奢った事もないけど。


あー、なんでこうブライダルサロンというところは居心地が悪いんだろうか。
明るい照明、清潔な室内、パステルな内装、どれをとっても自分には似つかわしくない。
そんなところでお茶飲んで新聞読んで、新聞見飽きてゼクシィ読んで、お茶飲み終わったら頼みもしないコーヒー出されて、コーヒー飲めないんですとも言い出せずに冷えていくコーヒーを眺めて、トイレに立ってみたらノックしたのにカギもかけずにもっさりした兄ちゃんが先に小便していて、その兄ちゃんは兄ちゃんで将来の嫁さんかなんかのウェディングドレスの試着かなんかが終わるのをただボーっと待っていて、壁を見たらここのサロンを通して式を挙げた人たちからの感謝のハガキや年賀状が貼られていて、なんで年賀状の図案に西郷隆盛が?とか疑問を持ったりしながら1時間近く待つわけですよ。
ホント、新聞が岩手日報と岩手日日しかなかった所が不幸の始まりで、日日のヤングコーナーは相も変わらずややイタめで、何度目かのペンネームの変更を報告するハガキなんてすげえどうでもいいじゃん、とか思うのですよ。赤塚不二夫が山田一郎にとか、島本和彦が島本ららら和彦にとか、桜玉吉が奥村勝彦にとかのように、意味というか話題性を少しでも持つのであるような変更じゃなくてそれは気分の問題だろう、と。
まあ、それはどうでもいいんですよ。
問題はブライダルサロンで放置されるのは案外つらかったよ、ということで。
ホントなんで喪服の裾上げにあんなに時間がかかるんでしょうかね。

さらにガンオケ話。
PC瀬戸口師匠で絢爛舞踏賞取りました。
1週でパラカンストさせようとすると人と話す時間があまり無いね。
2月の終わりに谷口から自己紹介されたときは笑った。
どんだけ無口な師匠なんだ。知力上げようとした時は10日近く自宅から一歩も出なかったし。ひきこもりもいいところだ。
撃墜数を追ってプレイしていくと、友軍も自軍の他のメンバーも邪魔になってくるね。そんなところはGPMの時と変わってないな。
フル強化した人型戦車の砲撃型ならほぼ無敵のようなもので、初心者救済のようなもんかな、とも思うんだがGPMの時の士魂号で突出して敵の射線をドット単位で交わしてブッタ斬りまくって脳からなんか汁が出るような興奮は無いなぁ。
未改造のウォードレスで巨大幻獣の後ろを取るのとかは楽しいけれど。


またガンオケ話。
1週目終了。交際しているキャラごとにEDがあるようで、順当に工藤ED。
2月の戦闘がもうきついのなんのって。
1月の半ば辺りから自分がアーリーフォックス1型乙の砲撃兵になってグレネードランチャー撃ちまくり、横山と佐藤は戦車から砲撃とミサイルで援護、吉田は適当に狙撃、鈴木は警戒車で敵位置把握という勝ちパターンを何とか見つけて順調に評価を上げていたら、バレンタインデーに難易度9の作戦が。
ベヘモス、Gデーモン、ヴィーグルの群れと真っ向勝負しろとか言いやがる。ボケ、出来るかそんなもん。死ぬに決まってるっつーの。
それでもまあ、戦闘開始直後に退却して後で銃殺刑宣告されたりしたら嫌だなーと思い形だけでも戦闘しようとちょっと前進。
囲まれました。えーっ。
つうか友軍は何してんのよ。敵のヘリコのミサイルに殲滅されかけています。
どうしたもんかなー、どうもしねえよ、ということでその場で獅子奮迅の活躍をするわけですよ、俺は。撃墜したのはGデーモンが10匹にベヘモス3匹ヴィーグル6匹と、後1匹で勲章も貰える位に。それでもあいつら撤退する素振りすら見せねえ。
そんな泥沼の戦場でまず最初に補給車が大破。命中精度はあまり気にせず弾幕の厚さでカヴァーする戦いをする身としてはこれは痛すぎる。
50発のグレネードは弾切れ、虎の子のミサイルもあと1発。他の隊員を見ると佐藤の74式の耐久力が半分を切っている。
もうこれはね、撤退しかないと。そう決意させるものがありましたよ。早速全隊員に撤退を指示。
横山、佐藤、鈴木の3人は車両に乗っているから多少の追撃も何とかなるだろうと思い、やや離れた場所で大型幻獣の固い皮膚には豆鉄砲でしかない突撃狙撃銃を撃っていた徒歩の吉田をエスコートしようと前線を離れたのが運のつき。
横山・佐藤は戦車の分厚い装甲で撤退位置までの移動に成功したが、鈴木の警戒車がリンチを食らって大破。その次の瞬間にはウォードレスの耐久が0、鈴木とは音信不通になってしまいました。
あー、うちの小隊2人目の死者かな、と思いながら吉田を安全圏に移動させ、残すは俺1人。
このまま戦場から離脱しても良いのか。
ここでもしかしたら、という思いが脳裏に浮かんだ。ミサイル1発のみで敵陣に突入する俺。敵の砲火を一斉に食らうが、移動だけに集中すれば案外よけられるものだった。敵の密集地に最後のミサイルを叩き込み、動きが鈍ったところで鈴木が倒れた位置まで到着。
「助け起こす」のコマンドが。よし!
鈴木の体力がほんの少しだけ回復し、行動が可能に。このまま逃げるぞ。
、と踵を返して走り始めた所、10秒も経たずにまた鈴木が倒れた。えーっ。
鈴木の位置を確認しようと立ち止まって旋回したら、その隙を疲れて集中砲火を喰らい、俺自身が瀕死に。
いかん、鈴木を助ける以前に俺が死ぬ。負け戦でもこれだけの敵を撃破したんだ、その経験値は惜しい。
ジグザグ走行でなんとかレーザーの雨を潜り抜け、命からがら生還。勝敗判定は大敗でした。
で、戦闘後どうなったか。横山・佐藤・吉田は身体には異常なし、廃棄される装備は佐藤の74式戦車のみ。鈴木は死を免れないものと思っていたが、何故か無事生還。翌日から元気に登校してきている。そして、その鈴木を助けようと命を張って結局助けられずに返り討ちになった俺はというと、12日間の入院と相成りました。
退院後は、付き合ってる工藤の愛情値が20パーセント近く下がっていたのを初め、のきなみ隊員からの不評を買い、お前のためにこちとら命を懸けたんだと、命の恩人面をしようと鈴木に近づいたら何を話しても無視されました。酷い話だね、これ。
その後、戦争はおっかねえ、このままじゃ命とられてしまうと悟り、通信室で待機休養を申請。
幻獣が現れても他に任せる生活を3日過ごした所で期限が来て1週目終了でした。
ウチの隊員は戦闘向きのキャラが横山と佐藤ぐらいしかいなくて、戦場では非常に苦労したが、2日あればどんな状態の機体でも完全に仕上げてくれる整備陣を初め知的能力の高いキャラが集まっていたので、EDでの各隊員のその後の進路では政治家になるやつがなんと6人も出てきた。松下政経塾か、ここは。残りの二人は俳優に。吉田は俳優ムリだろ、オイ。と思わず突っ込む。


ガンオケ
キモくてウザいから近寄んなよ、ってのを戦場でもやってみたらあっさり上田死亡。
上田の傷ついた獅子勲章は誰ももらわず。カラオケに行こうとクラスメイト全員を誘っても全員にシカトされたりしてちゃ当然ではあるが、非道いよなぁ。
戦死した上田の変わりに補充で入ってきたのは竹内とかいうさわやかさん。
社交的っぽそうだからほっといてみたが、新参者のせいなのか、既に上田を省いた上でクラス内での人間関係が完成していたのか、1週間たっても誰とも仲良くなれていなかった。
カワイソスとは思うが、今の俺は工藤と付き合うのに忙しいので竹内に一緒に訓練しようとか言われてもやんわり拒否。
そんな工藤が実は男でしたというショッキング極まりないイベントが起きて一晩(ゲーム内時間)悩む事に。
結論としては、まぁ、ちんこついてても別にいいかな、と。
小隊内での俺の指揮能力に疑問が持たれて来ている。
結果出してないからねー、それは当然かも、とも思うが食糧難の際に自腹切って発言力浪費してお前らの食い扶持を維持してるのは誰だと思ってやがるんだ。内政型の小隊長がいてもいいじゃないかよー、この戦闘苦手なんだよ、戦車が思うように動かねーんだよ。撃破数の8割方を横山が取っていて、その横山から戦闘中にその指示で正しいのですか?信頼できませんとか言われるのはつらいんだよー。
ちくしょう。ひとりカラオケでアニソンでも熱唱するか。ゲーム内で。


ガンオケ買いました。
買う前から言いたい事はたくさんあるし、買った後でも多分言いたい事はたくさんあるだろうと思うけど、とりあえず買ったことだけ。
前作はしゃぶり尽くせるだけしゃぶり倒したと自負してやまない自分ですが、始めたばかりなので誰が誰だか、何処に何があるのか、何をしたらいいものか、するにしても最適解はどれなのか、そもそもそんなのあるのか、さっぱり分かりません。
あー、そういえばガンパレ買った時もこんな感じだったなー、と当惑すら懐かしむ自分がいたり。
1週目だけはドラマチックに楽しみたい、と思いので攻略情報から設定やら何やらガンオケ関係の情報はシャットアウトして遊ぼうと思う。
やってる途中で何回か誘惑に駆られると思うけどね。我慢できるか自分との戦いですよ。


新年二日目にして我が家にトラブルが。洗濯機が壊れましたよ。
十年選手だからガタが来て当然と言えば当然なわけですが、タイミングを考えろ、と。
とりあえずメーカーのアフターサービスダイアルにかけてみれば、これもまた当然の如く営業が開始する五日から修理対応できるよ、との答えが。
まあそりゃそうだよなー、とりあえず五日まではコインランドリーでも使いますか、と母上に話してみたら、修理が必要と聞いた時点で俺を無視してどこかに電話をかけているんですよ。
初売りだから洗濯機買うって。
新年早々大きい買い物をしましたよ。別に俺が金出したわけじゃないけど。
風呂水ポンプという物珍しい機能があったので設置してすぐ試してみましたよ。ホントにグングン風呂水が減っていくのな。
ポンプの性能がいいのかうちの風呂桶が狭いのかは多分両方なんだろうけど、水位が下がるのを見てるだけで興奮ものですよ。
で、給水も終わったあとは普通に洗濯してくれたわけです。洗濯物の良し悪しなんざこちとら全くわからんからねー、普通としか言いようがない。
そこでまたトラブル発生。
なんか足元が水浸しなんですが。
なんじゃこりゃ、すわ不良品かと思いきや問題があったのはうちの排水溝でした。蓋を取って奥まで見てみたら何とも表現の仕様がないものがどっちゃり詰まってたんですよ。
石鹸かすとほこりくずが主成分なんだけど、それがいい塩梅でブレンドされてなんともいえない粘度と腐臭をたくわえたものが。
前の洗濯機もこの排水溝で排水していたのに、溢れる事は無かったから、この新しい洗濯機は排水力もかなりあるようですよ。
とりあえず排水溝の詰まりを取ったら水が溢れる事は無くなりました。
つまり俺は何を言いたいかと言うと、洗濯機を買いました。それだけ。ホント普通の買い物だね。

正月早々テレビドラマ版「電車男」の全話一挙再放送をしていたので、流し見をしてみたんだが、エルメスって何なんだろうな。
最終話の告白シーンとか、告白は告白でもアレは恋の告白と言うよりは信仰告白みたいなものじゃない。
伊藤淳史の演技のせいとかもあるんだろうけど、電車男から見たエルメスって女性というよりも聖母か女神かなんかのようにイコン化してるとしか思えん。
電車男視線で見ればエルメスは充分以上に都合よく作られた女で、電車男に批判的な人はそこを指摘したりするんだろうけど、今回見た限りでは、俺にはこのドラマが電車男が(凄く僅かに)成長し認められる話である以上に沙織という女性がエルメスという偶像に追い詰められていく話であるように見えた。特に後半。
掲示板のログを読んで、秋葉原で無数に貼られた電車男ビラを見た後で、それでも電車男の告白を受けるって事は、電車男がエルメスを対等の女性ではなく崇拝の対象として崇め続けることを受け入れるって事だと思うんだ。
そこまでに至る思考の筋道が俺は知りたいなー、と思ったんだ。
山口貴由の「悟空道」で、悟空ら弟子たちが私を徳の高い僧として尊敬する眼差しがあったからこそ、私は堕ちることなく仏弟子としていられた、というような趣旨の発言を玄奘がしていたが、エルメスも同じようにあのありえないキャラを保ち続ける為にはあの眼差しが必要で、だからこそ彼女は電車男を受け入れたのかもしれない。
そういえば伊藤淳史は今月始まる新番組「西遊記」で猪八戒をやるんだったな。彼は深津絵里をどんな目で見るのだろうか。
なんかきれいにまとまったぞ。


年末最大の格闘技イベントは、浦沢直樹の漫画で言うなら「YAWARA」じゃなくてむしろ「MONSTER」じゃねえかと国民の半数以上が思っている日本を代表するアスリート谷亮子と、その伴侶として一生を人間として生れ落ちた原罪に対する贖罪に捧げたキリストの再来・谷圭知の、正に神の申し子と呼ぶにふさわしい御子の生誕ではないだろうか。
この件に比べたら曙が又負けたことや、それを氣志團が予言していた事や、ヒース・ヒーリングがリングでゲイに迫られたりしたことなんて小さすぎるよなあ。
何はともあれ、「20世紀少年」の誕生を心からお祝い申し上げます。

年が明けたら、草野仁が相撲を取っていた。
いきなり2006年度最大の格闘技イベントが!


結局のところ何処行ってもやってることは安易な物語の消費でしかなくて。


鬼うさ姐さんのネタ帳眺めながらムニャムニャ考えたのだが、食欲と性欲の間には類似性というか互換性というか、そういうものがあると世間一般では言われていると思うのですよ。
で、映画をはじめ色々なメディアでセックスの暗示として食事の描写をする、ってのがスタディケースを上げようと思えばいくらでも上がってきそうなほどあるわけなんですよ。
露骨なものとしては女性にアイスキャンディーとかバナナとかソーセージとかの棒状のものを咥えさせたりしてますが、そうでなくても汁が滴るものを溢れさせたりとか、食材につやがあって色気を感じるとか、口元ばかりを妙にズームアップするとか、描写のテクニックは事典が書けるぐらい開発されまくっているように思えるのです。そういえばエヴァンゲリオンでアスカが水のみ場で水飲んでる写真をケンスケが売ってたけど、そういう意味ではあれは立派なポルノグラフィだったな。
他にも、セックスを食事に例えて女の子を喰ったなんて言葉の使い方もありますし、性欲と食欲に共通性を見出すのは万人共通の感性だと思うんです。
でも、これって性欲を主、食欲を従としたあからさまに不公平な関係じゃないの?
食から性を喚起する事はあっても、性から食を喚起する事は無いとでも言うか。
「桃のような尻」だといいケツだということで、立派なチンピクワードになるわけですが、逆に「尻のような桃」と言われても涎が出て食欲が増進する事は無いわけで。
出来のいい映画なら男女がレストランで食事をするだけでも官能的な絵が出来たりするけれど、現代のAVは嗜好が限りなく細分化されたともいわれるが、その中に見たあと腹が減るAVがあるとは聞いた事が無い。あったら教えて欲しい。
今の所、映像や音楽、文章で腹を減らすには食そのものをテーマにしたものに触れるのが一番であり、それ自体は性欲を亢進させるには性描写があるものが良いというのと変わりが無いが、性に結びつく描写対象が世の中には溢れかえっているというのに、食を暗喩するものが世の中にはさっぱり無いように俺には思えるのだ。
食事も生殖も人間の本能に根ざした行為だけど、人間には文明というものがあり、どちらも生命をつなぐ以上の意味をそこに見出して文化として機能しているのに、こと抽象的な表現に入るととたんに食よりも性の方の比重が圧倒的に重くなるというのが、俺には不思議な事だと感じる。
いや、もしかしたらそれはチャートにラブソングばかりしか並ばない現代日本だけのことかもしれんが、それにしてもみんなセックスのことばかり考えすぎに思える。
もしくは、そういう表現ばかり見ている俺がセックスのことばかり考えすぎている。

あと、上の考えは鬼うさ姐さんへのメッセージとかそういうことじゃないんで。ただ思いついただけなんで。気にしないで下さい。


結局、灯油チキンレースは母上がいつの間にやら入れていて終了。別に勝利感とかは特になし。当たり前だが。

ULTRAMAN」をレンタルで観た。
ハムの人(別所哲也)がルミ子の元ダンナ(大澄賢也)に「俺はお前を許さなーい」と変なイントネーションで叫びながらウルトラマンに変身して板野サーカスを繰り広げる、って話だったと思う。
映画のウリとしてはスピード感と浮遊感のあるCGを多用した空中戦にあるのだろう。実際、設定上の便利な移動手段以上にちゃんと「空を飛ぶ」という事が描写されていて、新しい映像なのだろうな、とは思えた。ただ、俺としては中盤の廃テーマパークのホールでのセット撮影がスケール感がしっかりしていて、そっちの方が見ていて「すげえなぁ」と思えた。
ウルトラマンのストーリーを家族愛を軸に語り直した映画だと思うんだが、息子のために頑張る父というのは解っても、母親がどうにも影が薄い。スタッフロールを見てみたら、裕木奈江だった。
あと、さして重要でもない役所で草刈正雄が出ているんだが、最近バイエル薬品のCMと「エスパイ」を観てしまったせいで出るたびに吹きそうになった。


寒うなってまいりました。
かといって日中は完全に寒いというわけでもなく。
それでも夜は冷えるので、ストーブでも出すべかという動きも自然に起きてきます。
我が家ではストーブは屋内に収納してあるので、出すこと自体は容易に行うことが出来るし、実際リビングには出してきたストーブがすでに鎮座ましましています。
そこまではいい。
問題は、季節を三つほど眠って過ごして待っていたストーブには燃料が入っていなかったということで。
出してきたことだし、ストーブをつけるか、という段になると躊躇というものが生まれるのです。
つまり、だれが屋外の灯油タンクから給油してくるのか、という厄介ごとが。
ストーブをつけよう、と思うのは室温が下がる夜間の事である。
当然の事ながら、室内がいくら寒いといっても家の外はもっと寒い。
暗いから手元もおぼつかないし、夜だから寒い。
誰も行きたくないわけだ。
ここで、室温が我慢できない寒さだったらそれでも誰かが外へ給油へ行くのだが、11月半ばでは「まだ我慢できる」という判断が生まれる。
その結果、「寒いからストーブをつけない」という一見矛盾した行為がこの時期の我が家では多々見られる。
勿論、僕も我慢できると判断し給油しない。
只、出来れば早く誰かが我慢の限界に来てストーブに灯油を入れてくれたらなぁ、とは切実に思っている。


掲示板での貴義とのやりとりの結果、久しぶりにMADサウンドを作ってみた。
音の継ぎ目がはっきり分かるのとネタの微妙さあたりから俺のかけた情熱の程を推し量ってもらうと有難い。

DL


テレ朝の「熟年離婚」がヤバい。
まず渡哲也がヤバい。もうこの3週間いじめられまくり。
特に第2話の、日曜日に家族とバーベキューをしようと意気揚々と肉を買って準備をしたら自分以外は全員用事があると外出→しょぼくれて仕方なく長女の所に肉を持って行って焼肉でもしようと持ちかけるが、長女の婿(西村雅彦)は玄関でイヤな顔をして家に入れてくれない→まあいいじゃないか、と無理矢理家に上がりこんだら家族が全員揃って長男が付き合ってる女性と顔合わせをしていた。
っつうコンボは最高。つうかひどすぎ。
ドラマの設定としてはさ、重工会社で35年間会社一筋に勤め上げて来たって設定だけどさ、俺の頭の中での渡と言ったら犯人の持つ拳銃をショットガンで撃ち落すダンチョーでさ、多分35年間ショットガンとマシンX一筋だったはずなんだよ。
それが定年になったらゴミを分別しろと近所のジジイに説教こかれたり、西村雅彦にトイレ掃除の仕方をイチから教わったりするんですよ、息子は徳重だし。
渡哲也がこれだけヘコみまくり、困った顔をするドラマはもう無いんじゃないかと思うのですよ。
だから、今までの強くてカッチョイイ渡のイメージを持つ人間としては、逆に嬉しかったりもするけどね。ざまあみろ、と。
ドラマもヤバいが、CMはもっとヤバい。日本興亜損保に宝酒造。1時間丸々余すところなく渡哲也を見ろ、と。そういうことですか。
特に宝酒造のCMがヤバい。渡が1人ですげえ楽しそうに酒飲んだり大根引っこ抜いたりしてるんだよ。
離婚した方がいいじゃん、つうかそっちの方が絶対いいよ!って思えるぐらいいい笑顔してる。

そして、妻役の松坂慶子もヤバい。
すげえ太っていた。


ハレンチ学園が小学校だって事と、マチコ先生が勤めているのは中学校だって事とではどっちがマズいんだろうかと悩む秋の夜長。


納車の前日にパンクするとは貴様いったいどういう了見だ、と自転車を押しながら路上で独り言の説教をブツクサ言いながら出勤。


確かに、東南アジアではスナック感覚で食べる国もあるし、たんぱく質の供給源としてはとても優秀な食材だとも思うんだ。
でも、この日本においては食品と虫のとりあわせってのはナシの方向だと思うんだけどなあ。
流行れば売れると、なんでも取り込んでいく永谷園明治製菓ロッテバンダイ、の姿勢はある意味とても立派で冒険心に富んだ企業だとも言えるけど。
やっぱ就学前の児童とかはこれを食べればヘラクレスオオカブトの様に強くなれるとか考えるんだろうか。


今思いついた小噺。
ラオスの田舎の人がよそから来た人に言いました
「こんなヘンプなところまで、よくいらした」


どう考えても修理費の方が購入した時の金額よりも大きそうだから、車買い替え決定かな……。
とりあえず20万円以下を条件に中古車検索するか……


ビデオ屋から「ONE PIECE オマツリ男爵と秘密の島」を借りてきて見たので、感想でも書こうかと思い検索してみたらWEBアニメスタイルでの細田守監督インタビューが面白すぎたんで書く事が無くなった。


ジュースの話2つ。
仕事の終わりとかに自販機で1本買ったりするわけだが、財布の中に10円玉が無いと悩む。
100円玉も無ければ1000円札を出して880円のお釣りを受け取る覚悟(ずいぶん仰々しい言い方だな、これは)も出来るものだが、200円を出して4枚もしくは8枚の硬貨を受け取るのは面倒に思える。
硬貨を投入したらそのまま財布を閉じてポケットに差し込み、空いた手で缶を握りたいものである。
受け取り口に横たわる缶を横目に釣銭口に指を突っ込み小銭を掻き出すのは、どうにも格好がつかない。掻き出す時に小銭をこぼすこともままあることで、落ちた小銭が自販機の下に潜り込み、頬を地面すれすれまで下げる羽目に陥るのも嫌なものである。
もちろん、そのような事態が生じる確立は遥かに低いものであるが、釣銭口に響き重なる金属音を聞いた時、そのシーンが自分にも起こりうると考えてしまうと、喉の渇きもささやかな心の乾きも潤されなくなってしまう。
そうなると、10円玉が無いからジュースを買わない、という選択肢も考えられなくも無い。だが、それではジュースを飲む為に自販機へ足を運び、今の自分の気持ちに最もフィットしそうな飲料は何かと考えあぐねていた自分に対して申し訳が立たない。金が無いのであれば納得するが、10円玉程度で己の意思を曲げ、それまでの行為を無にすると言うのは自分にとってはありえない話である。
ならば、ジュースを買う方向で話は進むが、同時に釣銭を出さないことを考えねばならない。
その際の案としては2つ考えられる。150円の500mlペットボトルの飲料を選び、釣銭を50円玉1枚まで減らすか、100円のミネラルウォーターや小さい缶の飲料を選ぶかだ。
どちらにもメリット・デメリットがあり、両者に共通しているデメリットは選択肢が狭められることである。特に後者にそれは顕著で、コカ・コーラ社の自販機だと280mlの「日本アルプス 森の水だより」だけが100円商品だったりする時もある。
釣銭を受け取りたくないという一心のみでこの選択肢を選んでしまうと、半分ほど飲んだ後から「本末転倒ではないか」という声が聞こえてきそうな気持ちになってくる。
そんな感覚を覚えてしまうと、ミネラルウォーターと水道水の味の違いもよく分からなくなって来て、余計に気が重くなる。

コンビニでミディペットというものを見かける。500mlと1.5gのサイズの間にあるということで、1gの容量を持つ。
コンビニでの500mlペットボトルの価格設定は大体150円前後。お茶だともっと下がることもある。
ミディペットになると、容量は倍で価格はおよそ200円。差額は50円。コンビニの中だけで見ると妥当な値段にも思える。
ところが、スーパーに行くと1.5gや2gのペットボトルが200円もせずに買えたりする。
サイズによる利便性だとかコンビニという商売の形態とか色々理由があるのだろうが、この価格では俺はコンビニで買う気がどうにも起こらない。
今のスーパーは夜遅くまでやることが多いし、車での移動が増えると100や200メートルの距離は無いも同然であるし、店舗の規模が大きい為に商品の選択肢も圧倒的にスーパーに分がある。
これは飲料に限らずコンビニとスーパーで被っている商品全てに言える事かと思う。
俺には、どうにもコンビニの存在意義がよく分からなくなって来ている。


日本語教室関係でちょっと小耳に挟んだのだが、日本語学習者でイントネーションを人一倍気にする人にとっては大阪弁というのは標準語、すなわち東京弁よりも分かりやすいのだそうだ。ホントかどうかは知らんが。
何故分かりやすいのかと理由を聞くと、例えば「ネクタイ」という単語を例に取ると、標準語では実際の発音は「ク」を省略気味にするため「ネッタイ」と聞こえたりもするが、大阪弁では逆に「ク」が強調される、といったように聞いた言葉の文字列をそのまま脳裏に浮かべやすいのだそうな。
似たような事例としては接尾語の「です」の「す」も標準語では力を抜くように発音されるので聞きづらかったりすることもある。もちろん、日本語ネイティブやかなりの日本語話者なら「〜です」の「す」ぐらい聞き取れなくても文脈やその場の雰囲気で「す」を脳内補完してしまうわけで、これといった障害は無い。
だが、日本語学習をしはじめて少ししか経たない人にとっては一字一句しっかり発音してもらわないと文意を理解できなかったりする。一文字の違いで意味が全然変わってくる接尾語ならなおさらの話だ。
だから字句をはっきりと聞き取れる大阪弁の方が分かりやすい、のだそうだ。
それを聞きながら僕は、まあ、そういう日本語学習者もいるのね、と眉に唾して聞きながら、音調が標準語よりも多様で文中の強調が多い大阪弁の特徴が、外国人にとって日本語をマスターするのを容易にする効果があるとするならば、大阪に在日の方達が多く住んでいることもむべなるかな、と与太を俺は考えていた。
やっぱり、大阪に住む在日は大阪弁を話すものなのかな。それが自然な話だろうけど。

第3次スパロボα購入。ジーグが恐ろしくパワーアップしているが、他のユニットもえらく強化されとるので、なぜかうちのエースは豹馬だったり。


宝くじの利点と言えば、株や先物と違って信用買いが出来ないところぐらいかな。


ホームセンターのワゴンセールでセルビデオが山積みされており、背表紙のタイトルを眺めていると一部が値札シールで隠された「17歳のカルテ」があった。
僕は何の迷いも無く値札で見えない部分を脳内で補完して「17歳のカラテ」だと思い込み、手にとってパッケージを見たらガッカリした。
そんな出来事があったことを思い出した。


「絢爛舞踏際」面白すぎ。
つーことでここの更新は暫く無いと思われ。


村上龍「半島を出よ」読了。
知り合いからタダでもらったから、とりあえず放置するのももったいないから、という後ろ向きな理由で読み始める。
長い。長かった。1週間かかったよ。
小説の内容とはあまり関係ないんだけど、今の小説って長くなる一方だよね。
宮部みゆきとか京極夏彦とか、シャレにならんくらい厚いでしょ。それを見るだけで僕は読む気が起きない。
宮部はトルネコシリーズが大好きだと聞いた事があるから、多分そういうひとは良い物を書くだろうと思う(予断)し、京極夏彦は水木しげる先生と仲がいいから、多分面白いものを書くのだろうと思う(確信)から、いつかは読んでみようとも思うが、あの縦と横が分からなくなりそうな厚さを見るとスルーしてしまう。
どういう中身が綴られているのか全く知らない上で書くが、あのボリュームで一つの物語を一つのタイトルだけを付けて成立させることが出来るのだろうか。
どんな物語でも骨子になる部分って割りと簡素に出来ているわけじゃないですか。あとはそれに肉付けをしてくだけで。
あんなにページがあったら骨子の部分、ストーリーの大まかな流れがぼやけるんじゃないのかな、と。
ゲームなんかだとやりこみ系RPGとか言ってレベル上げとかレアアイテム集めがプレイ時間の8割近くを占めて、ストーリーはどうでも良くなってくるんだけど、プレイヤーとしては別にかまわなかったりすることがあるけども、それと同じ感覚で細部の描写とか脇道にそれた話とか時間稼ぎの新展開の描かれたページをめくるのがそんなに楽しいかな、とかは思うんですよ。
とにかく1ページでも多く読みたい、作者が提示した世界に長く浸りたい、って欲求なんだろうけど、どんな物語にも散り際というか終わり際というものがあって、それを失っていたりしていないのかな、と思春期にジャンプ作品を読んで育った人間としては思うのですよ。
それに、そういうものは「あのシーンが良かった」とかは言えるけど全体を包括する言葉を持ちにくいんじゃないのかな。作品内でマルチにというか全方位的に語られたりするから。自分の考えたどんなキーワードでも作品の一部しか表現し得ない、という。
小説に限らず、映画でもゲームでも何でも、良い物語の条件の一つには読み終わった読者が他人に内容をかいつまんでうまく話せることがあると俺は思うんだよね。
読み終わった人がどんなに陳腐でもいいからキャッチフレーズを作れるような、そんな作品が素晴らしいと思うんだよ。
うまく話せないけど良い物だから読んで、見てみれば分かるよ、って紹介のされ方をされる作品ってのはじつは良作とは言えなくて、著者と読者の間でのコミュニケートは成立してるかも知れないけれど、そこから第3者への広がりを持ちにくいものはダメなんじゃないかな、と。
人間が3人いれば社会だ、っていう言い方があるけど、書いた人・読んだ人・読んでない人でコミュニティを作れなければ商品としても作品としても大したものではないのかな、とか思うよ。
そういう意味では見てないことを立場として表明してもそれなりに話が出来る映画「電車男」は良いのではないのかと。見た人は絶対あらすじを説明できるでしょ、で、見てない人がそれを聞いて意見を何か言っても許される雰囲気を持った作品だと思うのですよ。見てない人間からすればね。
で、「半島を出よ」だ。長くて、僕から考えればいらないシーンがたっぷりある小説で、作者はそのいらないシーンにこそ意思を込めているように思えるんだけど、物語としては最後まで骨子がぶれてはいなかったと思う。
北朝鮮のコマンドが福岡ドームとホテルを占拠、社会に適合できない少年達がそれにテロをしかける、という話はそれなりに分かりやすい。ニュースを少しでも見ていれば予備知識も充分にある。実にタイムリー。
長くはあるが、読みやすい本だった。感動は無かったけどね。
ちなみに、僕は小説をほとんど読まない人間で、村上龍はJMM等は目を通したことはあるけれど小説を読むのは初めてだった。


新約聖書の内容をみなさんはどれだけご存知だろうか。
マリアの受胎、キリストの受難と復活、最後の晩餐等等、有名なエピソードはいくつか思い出せるかも知れない。
では、新約聖書を開いて最初の1ページ目、マタイによる福音書の頭には何があるかはご存知だろうか。
マタイによる福音書第1章第1節はこうだ。

アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。

続いて第2節から

アブラハムはイサクの父となり、イサクはヤコブの父となり、ヤコブはユダとその兄弟たちの父となり、

と系図が長々と語られていき、

ヤコブはマリアの夫ヨセフの父となった。このマリアからキリストと呼ばれるイエスが生まれた。

キリストに至るまで42代、第16節までかかっている。
その後、聖書にはよく知られているキリストの誕生が綴られている。
新約聖書、それとキリスト教のアイデンティティーの根幹を成しているキリストの誕生よりも先にキリストの父の系譜が、それも王族の血を継ぐ貴い者であるとして、語られているのだ。
よく知られる常識として、実際にはどうだったのかは別としてキリストの母・マリアはキリストを処女のまま懐胎したとされている。
要するにキリストには大工ヨセフの血は一滴も流れていないことになるわけで。
育ての親ではあるが半ば他人の様な、キリストの青年への成長途上において何らかの啓示を与えたわけでもない人物の血筋の正しさをこうも力を入れて後世に伝えねばならない理由は何なのだろうかと勘繰りたくもなってきたりもする。

さて、報道によれば2000年以上の時を経てこの極東の地に神の子が光臨する予定のようだが、やはり我々もこの奇跡を後世に正しく伝えていくために父親の系譜を少なくとも20代以上は遡って調べる必要があるのではないのだろうか。

え!?ヨシ君がセックルして中で出したから妊娠したって?
ハッハッハ、ご冗談を。


METAL SAGA 砂塵の鎖」プレイ中。
適当にググればいくらでも出てくる感想だが、ロードは遅いが中身はしっかりメタルマックスしている。
データイーストがガスマスク、椎茸に続いてマイナスイオン発生装置に手を出したら倒産。その関係で版権や商標がなんかややこしい事になっていたり、製作者のみや王こと宮岡寛率いるクレアテックがDCで作るはずだった続編・ワイルドアイズはスポンサーのアスキーが手を引いて頓挫したり、メタルマックスの続編を作りますからお金を出してと抜かす詐欺師が現れたりと、メタルマックス関係には今までロクな事がなかった事を考えると新作が出ただけでも奇跡だな。と感慨。
かれこれ20時間ほどプレイしたが、とりあえず殺し損ねた賞金首がいくつかいるので2周目決定。


只今私の職場は蔵書整理というわけで、黙々と流れ作業でバーコードをピッピと読んでるわけですよ。5日で27万冊の予定で。
そんな単純労働に精を出しながら、「結構楽しいなぁ、知らない人と顔を会わせないだけでこうも楽とは。もしかすると俺はこの仕事向いてないのかもなぁ。」などとつらつら余計なことを考えたり。

山岸涼子「アラベスク」とスパイダー・ロビンスン「スターダンス」を平行して読む。
前者は超名作古典バレエ少女漫画、後者は77年のネビュラ賞を獲ったSF。
どちらも広義の意味での舞踏をテーマにしているわけだけど、それ以上に表現する事とは何か、とかそのために傾けられる情熱について書かれた作品だと思う。


プロ野球は交流戦が盛り上がってんだか無いんだかよくわからんですが、面白いとは思いますよ。
ついさっきBSをつけてみたら中ソ戦をやっていまして、中国対ソ連かと一瞬思ってしまったりしますからね。中日対孫禿ソフトバンクのしょっぱい試合なのに。じゃあ日ハム・ソフバ戦は日本対ソ連かというと日ハムの本拠地が北海道だったりして実にまずいなあとか思いますけど。


量販スーパーでYMOが大音量で流れ、それを苦々しく思いながらもあれっこれってテクノポリスだっけなんだっけ、と自分はさっぱり覚えて無かったり、と気持ちの重くなる毎日ではある。
だが、家に帰って何気なくぐぐって「ジャッキー・チョン」という名前の俳優の存在を知ったとき、俺は背筋に電流が走った、ような気がした。
まあ、その感動もその人がジャッキーチュンで呼ばれている方が多いと知って萎え萎えだけどね。


シェービングクリーム、もしくはジェルには毛生え薬が混入されているのではないかという陰謀論を思いつくぐらい、毎日剃り始めたら青くなってきた。


使い込みだ無駄遣いだ年金受け取れないだの世間のみんなが社会保険庁についてあれこれ言っているのは僕も知っていた。
でも、その事については年金を支払っている当事者でありながら、僕にはどうにも他人事のようにしか聞こえず、事実無関心であり社会保険庁特集をしている時のTVタックルは「ツマンネ」とチャンネルを変えていた。
そんな僕だったが、ついこの前厚生年金に切り替える手続き等があり、そのついでに自分の年金手帳を見てみた時、今までのような無関心のままではいられなくなった。
社会保険庁、許すまじ。
あいつら、この俺を未来人にしやがっていた!

初めて1号被保険者になった時、つまり厚生年金や共済に入らずに二十歳になった時のものだが、どうやら俺は平成54年でハタチ、つまり平成34年生まれらしいぞ。ママは俺を74歳の高齢出産で産んだことになる。
こんな重大な記載ミスというかおいしいネタをを6年近く放置して俺も悪いが、社会保険庁はもっと悪いと思うんだがどうか。


あー、よく見りゃガオガイガーって合体の際に毎回オーバーランしてるな。


リサイクルショップに行ったらこんなもののうちの2枚が売りに出されていた。
小沢・野中と古賀・森・野田・二階のが。もちろん速攻で買いましたよ。
しっかしこいつら悪人顔だな。やってることもろくでもないけど。
さて、買ったあとはこれの使い道を考えるだけか。


最近の色々を自由律俳句で。

スピードワゴンの小沢さんに似た小学生

炊き立ての御飯で程よく溶ける煮凝り

ちくわから覗くじゃがいも

食べるよりも多くでている気がした

インド人でも海の男

灯油の無い春の雨

窓の震えで風を聴く観る知る

大事な思い出が他人の本の間に挟まっている

ちくわを吹いてみる

ちくわを吸ってみる


マジレンジャーは馬の話。それはともかく来週は緑の兄ちゃんの恋話ですか。
どこからどうみてもゲイっぽいから、製作側では必死で否定しようとしているんだろうか。
河合俊一が結婚したときぐらい怪しいよね、それは。
結婚ついでに思い出したが、プリンセステンコーはいつ結婚するんだろう。
結婚に近づいたという報告は毎年聞くが。いいかげんジョンイルか居もしない架空のハリウッド男優かどっちか選べっての。

最近見た映画(レンタル)。
「ジョンQ」。くろんぼが息子の医療保険が下りないから怒って病院ジャックする話。
これを見たら大きな政府が保険制度なんとかしてやれよと思って民主党に票入れそうな話だな、こりゃ。
話のキモの部分で主人公が自殺してまでも息子を救おうとするんだが、自殺ってキリスト教圏的にはオッケーなのかなと思った。
リベラルな人向けの映画だからいいのかな。
「アメリカンヒストリーX」。くろんぼを殺してしまって3年間ムショ暮らしをていたしろんぼでネオナチのあんちゃんが、あんちゃんが留守の間に新米ネオナチになってた弟に差別はいかんぞと諭すけど水の泡になる話。
右翼っつーかネオナチ姿のエドワート・ノートンがえらいカッコイイな、オイ。
家族でなくても近所にあんな兄ちゃんいたら憧れるよな、ガキ的には。強くてワルで頭が良くてどこか繊細で。
そんなあんちゃんがレイシストをやめてしまうんだからムショではよっぽどの事があったのだろうと考えてしまうんだが、真人間になろうと改心するきっかけになるようなものは映画内ではいくつか示されているけれど、具体的には改心したエピソードは無くて出所すると改心したあんちゃんがやってきた、つうのはわかりづらくて困った。
気のいいくろんぼと友達になって、同じしろんぼにカマ掘られて、ってだけじゃあちょっと。


ウソは日頃からつきまくっているのでエイプリルフールのありがたみが良く分かりません。


「装甲鬼MDガイスト」は面白いじゃあないか。
ガイストさんの全部ぶち壊しっぷりが見ていて気持ちいいなぁ。
こんなダークでイカす話を書いたのは誰なんだと、スタッフロールを見ていたら「ダイの大冒険」の三条陸先生の名前が。
そういえばダイ大ってえげつない敵キャラがたくさんいたよなぁ。「冒険王ビィト」も愉快なヤツらばっかりだし。グリニデとか俺大好き。

BSアニメ夜話が始まっていた。今日はエヴァ。
ひきこもり文学の旗手でリアルひきこもりで真性エヴァ厨かつ脳内嫁が綾波の滝本先生を引っ張り出したNHKは実にエラい。これでアスカ厨の本田透も引っ張り出せれば神だったんだが。多分実りのある会話はないだろうけどね。
それにしてもエヴァの頃はみんな大変だったなあ。俺も同人誌1冊作っちゃったし。
10年も経つとにこやかに語れるようになるものなんだね。エピゴーネンがクソばっかりだったってのもあるんだろうけど。


ゲオで半額だとか何とか言っていたんで、この機会にと思い微妙なアニメをいくつか借りてみる。
プロジェクトA子の1作目でもうダウン。
ミサイル八艘跳びくらいかなぁ、心に残ったのは。
やりたい放題だな、ってのは良く伝わってきて、楽しいんだろうなってのもわかる。
でも、見てるこっちとしては楽しいのツボが全然ちがうんでどうにも。へぇ、そうなんだとしか。
それでも1は最後まで見たけど、これが2、3と続くと思うと気が重くなるなぁ。
ま、出費は1本50円もしないのだから見ないで返せばそれでいいだけの話だけど。
それでも見るべきかどうか悩む俺は貧乏性だな。実際貧乏だし。


大学の卒業式についてはとりたてて書く事はなし。
卒業証書授与の際に学長が総代の名前を間違えるとか、学歌斉唱の際に学歌が歌える卒業生が一人もいなかったとか、ゼミ担の教授が卒業式に顔を出していなく て気楽だったとか、そんなことぐらい。
むしろ今日の問題はそれ以後のことだ。
半田屋で750円分も食べてしまい、その結果ソフトクリームを舐めながらこみ上げてくるものを必死でこらえたり、一昨日あたりからさっぱりネットに繋がらなくてとうとう業を煮やして水テレの人ををよんでみたら電波が弱いとか言われてケーブルテレビ用ブースターをつけてもらって快復とたり、明日のCRUSH!の打ち合わせに出掛ける途中で謝恩パーティーの酒でベロベロに酔っ たまま二次会に突入しようとする同級生と鉢合わせて寒い中立ち話をしたり、打ち合わせでルラ嬢からここで書いていいのか悪いんだかよくわかんないスキャン ダルを話されたり、メンバーに俺の体に大きな火傷痕があることをカミングアウトしたり、まあ色々。

ちなみに、そんなCRUSH!のパンフ向けに「好きなマスコット」というテーマで書いた文章はこれ


淡々と、それでいて急ぎ足で新生活への準備は進行しているわけで。
今日は市役所で印鑑登録ついでに住民基本台帳カードの発行申請なんかもしてきたり。
こういう手続きをするたびに、社会の中での自己を証明するものがこれと運転免許証ぐらいしか俺にはなくて、顔と名前といくつかの情報だけで自分が通用するコミュニティは片手で数えるぐらいしかないのだな、と思うのですよ。
痛感というほどではないけれど、改めて確認させられるわけで。
本宮ひろ志の漫画じゃないけれど、目と目が合ってオーラとかそういう醸し出すものをお互いが瞬時に察知してこいつできるな、と認め合ったりする事が出来ればいいなあ、とか思いますよ。楽でしょ、それって。
実際のところはその人がどんな人かなんてのは会って話したぐらいじゃ俺はサッパリ分からなくて、俺の方も俺の人となりの良いとこだけを伝える事なんて出来ないし、ありのままの自分を伝えることすら出来ないですけど。
間違いなく俺は俺というフィルターを通して歪んだ俺像を世界に発信してるな、と思いますよ。ホントの俺はこんなじゃない!って何度自分自身を提訴しようと思った事か。
まあそれはさておき、自己証明は難しいなあとボンクラなりに考えていると、50過ぎたオッサンが世間一般で偉いと言われる人と会ったとか言う話を聞いて「アレは出来る男だからオーラが違うね、おいそれと近づけなかったよハッハッハ」なんてぬかされる場面に出くわす時なんかには、現実と主観と希望的観測の違いがこの年になっても区別つかないのか、それとも客観的に優れている人物をオカルト入った謎の価値基準で判断して高評価を下す自分を優れたものとしてアピールしたいのかよくわからなくなったりします。
現実というのはイヤすぎるもので、傍目には俺並のボンクラのそんなオッサンも社会的地位は越える事の出来ない壁が3枚ぐらいあったりとかしまして。
そうなると考えてしまうのは世の中の制度が間違っているとか、そっちのほうで。
それでも俺の目が間違ってる公算の方が高いな、とつい思ってしまう事が自分にまだ理性がある証明になるんでしょうけど。

あーもーホントにおれってなんだろう。


ギニャーーーーー!
北上に半田屋が出来てるゥゥゥ!いつの間に!
……去年の10月にオープンでしたか、そうですか。
とりあえず見つけてしまった以上入らないわけにも行かないのが食いしん坊のさだめなので、食う。
いやー、あいかわらず腹に響くね、めし中盛りは。食ってる途中で終わらないかも、って一瞬思ったぐらい。
はー、満腹。
ラーメン210円ですよ、そりゃ向かいのラーメン屋も閉めるわけだ。定休日なのかもしれないけど。

北上ついでに、大学の行き返りで良く見ていた謎の看板の正体が分かった
あー、なんだか大変だねぇ。ネット上だといまさらの話なんだけど。
どうするんだろ、tarecyan


買った本。
カート・ビュシーク「アストロシティ:ライフ・イン・ザ・ビッグシティ
アメコミの魅力と言ったらなんといってもクロスオーバーで、複数作品のヒーローがタイトルを越えて共闘するところにある。その下地としてユニバース、DC ならDC、マーヴルならマーヴルのタイトルの作品は基本的には同じ世界の同じ時間軸の住人だという考え方がある。もちろんお祭り的に会社を跨いでクロスオーバーすることもあるが。要するに年がら年中スパロボやってるようなもんだ、しかもそれが正史になって。
クロスオーバーすることにより作品のもつバックボーンとなる世界観は大きく豊かになる。読むほうの楽しみはそれだけ増えるわけだ。
だが同時にクロスオーバーには弊害もある。読み手の知らない作品とクロスオーバーする時だってある。ひとつのエピソードが複数タイトルを移動し、気付いた ら読んでない作品で知らない間に解決していたなんてこともある。酷いものになればお気に入りのキャラクターがいつの間にか死んで、さらに知らぬ間に生き返っていたなんてことだってある。
何作品も追わなければ流れが追えない、全てを把握しようと思ったら途方もない事になる。ましてや原書ではなく邦訳されたものを読む日本人なら絶望的だ。
アストロシティは、そんなクロスオーバーの弊害を克服し魅力だけを取り出せた作品かもしれない。
アストロシティの作品世界はどのユニバースにも属さない。言うならば一作品で一ユニバースを持つ。この作品だけの為に75年分の歴史と膨大なキャラクターが設定されてはいるが全て初出であり、読んでいるのに知らないエピソードは書かれていないものだ。それだけでも安心できる。
そのアストロシティの世界は誰かひとりの視点によって語られるものではない。
夢の中で空を飛ぶ多忙なヒーロー、ヒーローたちの大競演を目撃しながら記事に出来ない新聞記者、クライムファイターの素顔を知って怯えるチンピラ、呪われた土地に住むOL、人間に共感も軽蔑もするエイリアン、神のごときヒーローとヒロインの恋、それぞれ違う切り口の短編によってアストロシティの世界を紹介していく。
アメコミの美味しいところがそこにはあるし、ウォッチメンやダークナイトリターンズ以降のダークなヒーロー観から抜け出し、前向きな捉え方を示せていると思う。

ほりほねさいぞう「愛犬擁護週間
表紙は今までで一番ヤバいなぁ。
内容のほうはリトルピアス掲載の「愛犬擁護週間」と「季刊畜産手帳」で普通のロリものと人体改造が無いファンタジーが半々。
昨今はロリであるだけでもマズかったりするけど、下水街とかに比べれば普通のエロマンガ。
愛犬擁護週間の第5話「フランダース」ってキャラ造詣とかはVガンだよね。イヌがウッソで鼎がシャクティ、エリシャとマルチナとスージィは確認。
畜産手帳の羊の話がお気に入り。


日曜日の事でも。
7時25分起床。寝巻きのままスーパーヒーロータイム突入。
マジレン。自称リーダーとして気張る緑の長男と話を聞かず好き勝手やる赤末っ子のいざこざの話。テキトーな理由で心変えというか変な思い込みを持った緑が戦闘中に赤に向かって「お前は真っ赤な苺だ、兄ちゃんは緑の畑だーっ!」というのはどうかと思った。なんかゲイ臭い。ケツ開いてばっちこーいとでも言うような。
そんな兄弟が巨大化、赤を残して4人が合体してドラゴンになったところで次回へ続く。
予告を見る限りでは次は5人で合体してロボになるのね。
響鬼。徐々に猛士の組織のかたちがチラチラ見えてきたり。
ドラマの偏量が大きいからって理由もあるのだろうけれど、響鬼の戦闘シーンは短いながらも緊迫感があっていいなあ。刃物が火花を出す鈍器でしかないチャンバラとかはしないで、童子と姫との戦いではスキをついた一撃で勝負が決まるし、魔化魍戦も火炎鼓を貼り付けてドンドコするのが目的というかそれ以外で勝てないからいかにそこまでの展開を作るのか、ってところに重点が置かれているようで戦いというよりは狩りとか討伐という言葉が合うような感じで、今までとは違っていて新鮮だと思う。
そんな風に思っていた今日の魔化魍は蟹。変身後の肌が焼け爛れるような毒泡吹き付けられたらそりゃまあ一旦逃げるよな。退いてそこからどう体勢を整えなおして倒すのかは次回のお楽しみ。第二のライダー息吹鬼の登場かな。
プリキュア。やっとこさ視聴者には正体バレバレのシャイニールミナス登場か、って話。金に光って空に浮かぶシーンはブルースワットのゴールドプラチナムを思い出してしまった。ああはなってほしくない。
NHKにチャンネルを回してみたら日曜美術館でイタリア・ビエンナーレでの国際展示の話が。マニアは現物に、オタクは虚構に入れ込むって話は分かりやすい区分けだと思った。あと、実在のオタクの部屋を再現した展示ってのを見て思うのは俺はオタクでもなんでもないなあ、と。フィギュアとか抱き枕とか全然無いよ。食玩だって鬼うさ姐さんからもらったキュアブラックとなぎさだけだし。本棚と布団しかないよ、俺の部屋は。
土曜日にCRUSH!の打ち合わせがあり、その中でなぜか貴義と江刺のカラオケ屋に行く約束をしてしまったので、11時に市民プールで待ち合わせ。もっと俺の家から近いポイントも指定できたが、行く途中にPO3の家を見ていこうという半ば以上嫌がらせ以外の何者でもない目的からそこで待ち合わせる事に。待ち合わせ場所には少し早く来てしまったのでベンチで若桑みどり「お姫様とジェンダー」を読んで時間を潰す。ジェンダー論やフェミニズムにはどうも真正面から組み合えない人間的にはジェームス・フィン・ガーナーの「政治的に正しいおとぎばなし」ぐらいの茶々の入れ方のほうが健全かもなーとか思った。良い事言ってる本だと思ったけども、ね。
貴義と野郎二人で4時間ほどカラオケ。UGAは曲数に不満は無いが、曲検索のシステムがダメすぎる。日本ブレイク工業社歌しかカテゴライズされない「社歌」カテゴリや、1曲も登録されていない「国家」カテゴリ作る暇があったら黄金戦士ゴールドライタンとゴールドライタンを別番組としたり、レッドマンをアニメ扱いしたりするのを直せと。店内有線でO−ZONEの「恋のマイアヒ」が流れていたが、カラオケの方ではまだ登録されず歌えない事に腹が立った。


アメコミ情報サイトPlanetcomicsの 4コマ漫画「帰ってきたスパえもん」は面白いなあ。
ドラえもん体型のスパイダーマンっぽい人があたしんちみたいなキャラデザの世界でセクハラと商売的・政治的にまずすぎそうなネタをかましてくれる漫画で。
スパえもんが男子中学生の夢オートフェラチオに暇つぶしで挑戦する13話とか、マーヴル社が絶対怒りそうだよなー。
そういうのが俺は大好きだけど。
タイトルに帰ってきたとあるように、スパえもんは元々は同サイトの旧コンテンツ「続・ 正義のかたち」から出てきたキャラ。現在は消えているのでリンク先はInternet Archiveから。21話が欠番になっているけど、こんなネ タだったから。そりゃ削るわ。スパえもん出てこないし。
ちなみに、タイトルに続、とあるように元々は小学館プロダクションの邦訳アメコミ販売サイトの中にあった4コマ漫画「正義のかたち」なんですが、こちらは アーカイブの方を漁っても見つからず。あー残念。

ま、それはそうとウォッチメンの映画化ってマジなんでしょうか?


雪かきがなー。
めんどくさいんですよ。さすがに一日二回だと。
雪かき用のプラスチック製のスコップは左半分にヒビが入っていて、右側しかまともに使えないし。
買い換えればいいだけの話なんですけどね、こんな大雪の中あんなかさばるもの買いにいけるかボケって話で。
そういうわけで現状に不満たらたらながら、それなりに妥協して出来る範囲でやるけどね。
スコップが悪いのか俺の手際が悪いのか、やり終えると左手と右膝が痛い。普通腰とか痛くなるもんじゃないの?
あと、車が通ったところって踏み固められてて、スコップの角あたりでガツガツ削ったりしないとアスファルトがみえないじゃないですか。
そういうこまかい作業がイヤでね。
だったら大雑把にかくだけで、残ったのは自然に溶けるのを待てばいいのかも知れないのだけど、それはもっとイヤで。
だからついいつまでもガリガリやってしまう。A型の悪い気質がここで出てきて、地面をアスファルトの黒一色に染めないと気がすまない。
ま、どーせすぐまた雪が降ってオジャンになるんだけどね。
それは分かっているんだけど、実際に雪が降って道路が白に埋まるとへこむんだな、これがまた。
俺の仕事が無に帰した……雪かきとはなんと虚しい行動なのだろう……とか考えたりしてな。
そういうこともあって雪かきがめんどくさいんですよ。


大学で使ったテキストやノートを梱包してみたらリンゴのダンボール箱一つに収まってしまいビックリ。
勉強してこなかったんだなぁとしみじみ。
本棚に入りきらない漫画や文庫を詰めるためにスーパーにダンボール箱を貰いに行く事が良くあるのだけど、この前持ち帰るところを知ってる人に見られてしまいました。
「引越しでもするの?それとも夜逃げ?」
口とは裏腹にその人妻は僕を車に乗せて家の近くまで送ってくれ、大変ありがたい思いをしたのですが、今思えば何故あの時僕は「家を作ります」と言わなかったのだろう。
ま、それはともかく、本棚から適当に本を間引いて箱に詰めるのですが、僕の本棚に残る本の基準は1.完結していないもしくは全巻買い揃えていない漫画、2.時々使うかもしれない辞典類、以外には何も無いんであとはフィーリングで決める事になります。
今日の箱詰めでは文庫は平井和正の幻魔大戦と真・幻魔大戦とか、河出書房とかの澁澤龍彦関係、ファミコンロッキーとかコスモスストライカーとかゴッセージの竜虎の拳とかのキワモノ漫画あたりを中心に2箱。
箱詰め作業中に荒俣宏と水木しげるではどちらが俺にとっては重要か、という難題に直面するところがあったが、今回はデズモンド・モリスとコリン・ウィルソンをダンボール行きにすることで問題を先送りにした。
あー、これでやっとガラスの仮面を本棚にしまえるよ。いままでずっと布団の隣に積んでいたから、月影先生が夢に出て困るの何の。


勝ち組み負け組み人によっては色々あるけれどなどと歌われる昨今、私などはなに言ってんだこの野郎ふざけんなと思っていたのですが、コーヒーカラーの人をテレビで見てみたら男の方のボーカルが醸し出す胡散臭さがなんとも言えず気に入ったのでまあいいかな、とか考えてるところですがみなさんいかがお過ごしでしょうか、佐藤です。
そゆわけで、勝ち組みとか負け組みとか好きとか嫌いとか突きとか気合とか最初に言い出したのは誰なのかしら、っていう話題について話してみます。いや、誰なのかしらについては分からないので勝ち組みと負け組みの話だけ。
困った事に人生はゲームではないし、セックスはスポーツと言い放てるほど競技経験は無いのですが、それでありながら勝ち負けという線引きがどこかで引かれているという事があるわけですよ。恐ろしい事に人生は誰もが無理矢理リングに立たされますし、セックスは対戦相手が見つからずリングに上れなかったらそれだけで不戦敗扱いだったりするわけです。俺は誰に負けたんだと。
俺の恋愛敗北主義者っぷりはこの際どうでもいいんですが、というか不問にしていただきたんですが、それはともかく世の中にはいつの間にやら勝ち組みと負け組みというのが出来ていた、と。これが数年以上前からの定説で。
で、勝ち組みにはなった事が無いんで、恐らくは遠くない将来、もしくはすでになっている負け組みなんですけど、往々にしている訳ですよ、客観的に「キミ、人生もうどうしようもないんじゃないの?」って人が。どうしようもなくなっても自発的に行かないとなかなか死ねなかったりするのが日本社会のいいところであり、案外あっさりどうしようもなくなって取り返しのつかない事ばっかりになるのは日本社会の悪い所なんですが、勝ち組み負け組み言われはじめた頃って負け組みに属するような人が増えてきたからそういう言葉が生まれてきたわけで、勝ち組みというか社会のピラミッドの上の方に立つ人の数は大して変わって無かったりするわけですよ。ほら、セレブとか言われてテレビで見世物になってる金持ちってバブル期だったら中の下くらいの金持ちじゃないんじゃないんですか。今でもそれくらいだと思うけど。
貧乏人ばかりが増えてしまった、と。
で、おっとろしいことにその貧乏人の中に僕もいる、と。更に恐るべきは昔からうちは貧乏だった、と。
うちの母方の実家は戦前は大変広大な土地を持ち、趣味の写真の現像用に小屋を一戸おったてたり、ガス灯を灯すためにわざわざ地中のガスを掘ってみたりとか、そういう金のかかる事を平気でやる豪農だったらしいんですが、マッカーサーのおかげで自前の土地がわずかになったそうで。世が世ならうちの母はお嬢様だったかもしれないんですが、いかんせん戦後の生まれで食べ終わった納豆のパックにご飯を詰めて更に食べるような生活習慣を身につけてしまいましたとさ。戦争に勝っていたら俺も金持ち一家の一員かな、とかも思うんですが、もしそうなるとしたらどう考えてもギャンブル好きな貧農の十男坊と見合い結婚するとは思えないので俺は生まれてこなかっただろうな、とか思うのですよ。
まあ、この貧しさはデスティニーだと。
幸いにして俺はまだ人生先があってまだ詰んでおらず、今後の努力と運いかんではどうとでもなることになっているのでいいのですが。
問題は傍から見ても生きててもどうしようもないかなー、とか思える人のことですよ。
ヤケになれる環境にある人がすげえ多い世の中になってきてるんじゃないのかな、と思うんですよ、俺は。
そこからあとは確率論で、ブチ切れにくい日本人でも数が増えれば、線の切れた人が多く出てくるわけで。
結局のところ、追い詰められた人を減らしていくしか有効な対処法は無いんじゃないのかなー、と。
人道的に行けば「社会の邪魔だから、はした金やるから黙ってろ」って話になって、道徳的に行けば「人様に迷惑をかけるな。立ち直れ、それが出来なければ死んでくれ」って話で。
俺としては前者の方がいいなーとか思うんですが、立派で偉い人の多くは後者だったりするんだな、これが。


そりゃねえ、俺も昔は大きすぎるモザイクに出会うたびにふざけんな!金返せ!どうなってんだ!見せろ!見せてください!と思ったもんだよ。
その関係でソフ倫モノから薄消しに走ったりもさ、するわけでさ。
ただ、なんつうのかなぁ。最近はむしろ怒りとかは通り越して心配になっちゃうんだよね。
何故こんなに大きいモザイクを使わねばならないのか、それとも肝心のブツとは別に隠さねばならない何かがその周辺にあるのではないか、とね。
たまにさ、ムッチリした娘だと股ずれで足の付け根あたりがかぶれてたりするのよ。かぶれるほどひどいのは1回しか見た事ないけど、他の部分の肌とちょっと色が違ってたりするのはよく見る。
そんなスキンコンディションで撮影するなよ、つうのもあるけど、モザイクかける人も迷ってるみたいでモザイクのかかる部分がシーンによって違ったりするわけで。
そういう場合、俺としてはモザイクは大きい方がいいな、とか思ったりするんですよ、ハタチなかばにもなってくると。
とりあえずこっちの脳内の方で適当に修正かけておくから、そっちはモザイク大きめにかけて妄想で補完する余裕を残してくれと。
あんまり現実を突きつけられても、こっちとしては困るからさ。


タンスの角とか、十分に開かなかった引き戸に足の指をぶつけてアイターッ!とその場にうずくまるのは月イチぐらいでよくある事で、ひどい時には爪が割れたり突き指したりもするわけだけど、血が出たのは初めてでしたよ。
鼻をほじっていて鼻血が出るって事はよく経験しているけど、基本的に安全で平和で運動不足な生活を四半世紀近く過ごして来た男の子的には血を見る経験って少ないわけじゃないですか。
だからもう血が出て左足の中指がどんどん赤く染まっていくのを見ているともうクラっと来てね、十分は無かったけど数分は思考停止に陥ってしまって。
運良くというか足をぶつけたテレビ台の角が鋭くなかったのか、気が遠くなっている間に血は止まっていて、じゅうたんを敷いた床を汚す事は無かったんだけど、その足で風呂に行って足を洗ってみたら爪の根元の近くの皮がベロリとはがれかかっていましたよ。
とりあえず皮をかぶせなおしてその上からバンソーコーをはっつけておいたが、今になって痛くなってきやがった。


まぁーっくぅすはぁーと!

デカレンジャー最終回のキレイなシメも、響鬼2話のドンドコドーンも、新番組「ふたりはプリキュアMaxHeart」のインパクトの前では霞みましたよ。
まず主題歌。「Max Heart!♪」おっ、イントロから気合入ってるな、と思ったら「プリッキュア プリッキュア♪」。
え……「プーリキューア プーリキューア♪」「プーリキューア プーリキューア♪」おい……
「プーリティーで キューアキューア ふーたりーは♪」
「プリッキュアー!♪」これって…
「一難さってまた一難 ぶっちゃけありえない♪」
「マーックスハァート♪」
前の主題歌にマックスハートってつけてアレンジしただけかい!
あー、先週のグダグダでバンクいっぱい萎えいっぱいの最終回の余韻がまだひきづられるよ……
あー、はじまったー。亮太がちょいとなぎさにちょっかいだしたら過剰反応されて、お母さんに逃げこんでらー、いつも通りだねー。
竹之内先生エロイなー。いつも通りだねー。
今はデジタル彩色になってるはずなのに、余った絵の具を処理したような背景きたー。いつも通りだねー。
デッドシグナルみたいなザケンナーきたー。このデザインの安直さはいつも通りだねー。
唐突に淫獣共でてきたー。最優先事項である新商品の顔みせきたー。いつも通りだねー。
新変身シーンはダイナミックというかブラックが元気ありすぎでややはしたないねー。コスチュームはいつも通りでよかったのにー。
アクションもいつも通り、つうか作画の調子のいい時のそれだね。今シリーズはこれがどこまでくずれていくのか……
思わせぶりなシーンきたー。知りたい人は2chのネタバレスレでも行ってくれ。
新エンディングきたー。後期つんくっぽいなぁ。そういう意味ではいつも通りだねー。でも最後の止め絵のなぎさの顔の崩れは何とかしてくれ。
大雑把に総合して言うといつも通りだね。
去年の俺の中でのイメージが「冒険的企画→アクションヒロインものの王道→保守的で守りに入りすぎている→グダグダ」と変わっていって後半はあまり語りたくなかったなあと思っていたのを考えると、今年はそれの縮小再生産なのかな、と。
まあ、それでも魅力的なシリーズだから俺は見ていくけどね!
あと、これからは平均的アメリカ人(トレーラーハウスでジャンクフードを貪りながらケーブルテレビを見て、絶対ありえないアメリカンドリームを夢想しながら子供を虐待するような)が息を吸うようにfuck、fuckingと口にするようにMaxHeart、Maxheartと口にして行こうと思っているのだが、早速昨日から実行に移してみたらすこぶる兄に不評だったので、ヒビキさんの敬礼から指を下ろすポーズだけ真似していこうと思った。


私、インターネッ卜管理人佐藤良寛は自殺する事にしました。
自殺しようという思考に至るまでに、私の身の上には様々な悲しい事件がいくつもあり、それが私に世の儚さと生きる事の虚しさを教えてくれました。
死を決意した時から、それを胸に秘め人知れず死ぬ事も出来たかもしれませんが、これまでの人生の中でお世話になった人々もたくさんおり、その方々に挨拶一つも無くこの世を去るのはしのびなく思い、こうしてネット上に自殺宣言を載せることにしました。
また、出来るならば私の死の瞬間を多くの人々と共有し、つまらない人間ではありますが私という人間がいたという事実を記憶していてもらいたい、という思いから具体的にいつ、どこでどのように自殺するかについてお知らせします。
期日は2060年5月18日の誕生日の前後20年あたりとします。
場所は我が家の畳の上か病院のベッドの上です。公開自殺を見たいと言う方には大変申し訳ないのですが、どちらかにするかまだ決めきれておりません。期日に近づいたら改めてアナウンスする予定ですが、一部の方には新聞・市広報等のメディアを通じて事後報告となってしまうかもしれません。その際にはどうかお許しください。
次に肝心の自殺方法ですが、私は出来る限り美しく死んで行きたいという思いがあり、そのためリストカットや切腹、飛び降りなどと言った出血を伴う自殺方法を良しとはしません。また同様に、死体が美しくは無いと伝え聞く首吊りや入水も致しません。見苦しい様を人前には晒したくないので毒物等の摂取ももちろん致しません。思考に思考を重ねた結果、私は老衰による衰弱で眠るように、もしくは眠ったまま静かに死んでいく事にしました。
老衰死と書くと自殺でないのではないかと訝る方々の向きもあると思われますが、これはれっきとした自殺です。不意の事故や病気など不本意な死の可能性を徹底的に排除した結果としての老衰死であり、決して天寿などと言う神のような不確定な存在から賜るものではなく己の意思で選んだ結果としての死であるのだから自殺であることは明白でしょう。
改めてここに宣言します、私佐藤良寛は自殺します。
私の周りにはやさしく良心的な方々が溢れており、この自殺宣言を読んで私の自殺を食い止めようとタバコや酒を差し出したり、高価で毎日食べたら成人病は必至のような食事を奢ってくれたり、楽しい所にドライブに連れて行ったり、面白くてハマってしまい運動不足に陥りそうなゲームをくれたりするかもしれません。
皆さんご存知のように私は意志が弱く、そのような好意を受け取らずに置く事は出来ないかもしれませんので、そのような事は決してしないで下さい。世の中にはするなというとしたくなるという人々が多いと聞きますが、決してしないで下さい。
最後に、私は心中相手を探しています。異性を希望します。