「石森萬画館」第六十九回訪問記

平成二十四年五月四日(金)

 再開に向けて本格的工事に入る前に、予約制で萬画館内部を一般客に公開する企画「萬画館探検隊」。五月四日と五日の二日間に亘って行われ、筆者は四日の十三時の回に申し込む。
 前夜からラジオは大雨の情報を繰り返す。翌朝、九時十七分水沢発に乗ろうとするも、果たして石巻線は小牛田・石巻間が不通。仙台経由も一瞬考えるが仙石線はまだバス代行区間があり、バスとは定時どおりには動かないものである。数年振りでマシンでの石巻行を決行する。
 九時半過ぎ、雨具を着込んで出発。降り方はそう強くはない。国道四号線沿い、前沢町内吉田石油で給油。気を付けてみると確かに花泉駅の手前、ホーマックの辺りから新しい道路が分岐している。従来の三百四十二号線を進み、中田町を通過して登米町に入る。大雨のせいか、北上川は泥の色に濁っていて、川岸が水浸しになっている箇所も見受けられる。道中、まだ道路工事、片側相互通行の箇所がいくつもある。
 やがて四十五号線に乗り、南下を続ける。石巻市に入る頃には青空だったように思う。左折して中里方面に入り、石巻郵便局を右手に見つつ走る。方向音痴の典型、自分が今、縦(南北)に走っているのかそれとも横(東西)なのか解っていない。
 萬画館までのキロ数を示す道路標識を頼りにしつつ、石巻線の線路を越えて旧北上川の近くまで来ると安堵する。石巻信金本店前を通って内海橋手前に出るが、この辺りは相変わらず一方通行が多くて苦手だ。行き先は目の前、熟知していても思いどおりの方向にマシンを動かせない。この時点で正午頃。
 橋通りで萬画館アテンダント達とすれ違うが向こうは気付いていない。「まんぼう」事務所は施錠されている。アイトピアを南下して、左手の粟野蒲鉾店が営業中なのを認める。マシンを降りて雨具を脱ぐ。営業再開後は初めての入店である。揚げ物十枚を求め、レジの女性店員と会話、前夜の大雨について。
 向かいの和田社長には挨拶だけで店内には上がらない。
 自分の運転で日和山に登るのは初めてである。走行中は普通自動車と同格の自動二輪でも、駐輪の時は自転車程度の場所で済む。ほぼ満車の駐車場の奥にマシンを置き、山頂に向かう。サトウ売店で石巻焼きそばを食す。昨年七月には地上波アナログ放送を映していたテレビは、今はチューナーを載せてデジタル放送を映している。外を見れば製紙工場の煙突から盛んに煙が出ている。
 大勢の人出で賑わう山頂。見下ろせば門脇方面は全く水浸し。中瀬も南西部やマリーナの辺りが水没している。海も濁っているように見える。
 参拝。
 急ぎマシンに跨り山を下りる。中瀬進入、係員氏の指示で商店跡地の向かいにマシンを置く。
 十三時、探検隊出発。十五人で一班、先導役はまんぼうの大森氏、殿しんがりは同じく本郷女史。料金五百円を払い、参加章、缶バッジ、懐中電灯(持ち帰り)を受け取る。
 事務所の通用口から入る。家具は全て撤去され、監視装置等も止まったまま。場所毎に大森氏が被害状況や現状を説明する。
 事務所を出れば目の前が墨汁一滴だったがそこにも今は何も無い。被災直後の惨状や片付け作業については萬画館ブログで既報のとおり。大森氏によれば被災時には一階に水と共に魚も流れ込み、いけすのようになったと言う。この後も、淡々とした口調で恐ろしい事を語る同氏。
 萬画館被災の象徴的な物件は一階の首の取れたロボコンであろう。今も胴体が空しく鎮座する。
 館内には各方面から寄せられた寄せ書きの類や、被災状況を示す写真が貼られている。床や壁のあちこちに損傷があり、二階へ向かうスロープの柵はひしゃげている。
 映像ホールに入る。ここで被災時の状況をまとめた五分ほどの映像の上映。事前に大森氏から、見たくない人は見ないでいい、気分が悪くなったら途中退席して、と注意が告げられる。正面のスクリーンに後方のプロジェクターで映写。萬画館の内部から撮影した津波の様子等。上映後、退室する時にふと足元を見れば泥の跡がまだ残っている。
 二階。ブラックゴースト首領や1号ライダー、キカイダーは残されているが、歴代ライダーのマスクや原画類は他所に移されている。プリペイドカードで乗る002もサイクロンも、筆者は一度も乗らぬうちに当分機会を失ってしまった。暗い館内を懐中電灯で照らしつつ歩く。
 三階。ライブラリーの蔵書はここに置かれたまま。そしてBLUE ZONE。嘗てはここでいつもの席に着き、毎度コーヒーを飲んで、いろいろな人達と交流したのだ。萬画館が収容した被災者達はここの食品で数日をしのいでいる。曜日の感覚が無くなるとて、日付に×が付けられた昨年三月のカレンダーが今も残っている。また、平成二十三年の年賀状も掲示されたままである。三月二日、ここで阿部店長に見送られながら辞去したのが被災前の最後だった。そしてその訪問記には開館十周年記念企画への期待を書いた。それから十日もしないうちに大惨事。
 スロープ途中の南側出口から公園に出る。館から公園に延びる通路に断裂、段差が出来ていて危ない。水上ショーの客席代わりだった中瀬西岸はこの時完全に水没し、壊れた手すりが杭のように水上に突き出ている。今は普通に通行できる内海橋も外観は損傷がひどく、ゆがんだままである。
 北側広場に出て、終了。一時間弱。
 石巻市のキャラクター「いしぴぃ」が来ている。
 職員通用口の前にテントが張られ、萬画館商品や石巻市の産品を販売している。伊澤女史の姿を見掛け、また宍戸女史や木村部長と会話。海斗の営業で今や同部長は全国区。003アテンダントは相変わらず茶髪の厚化粧軍団。
 車両の移動を求める放送が聞える。よく聴けば筆者のマシン。急ぎ駐輪場所に戻ればマシンの周囲は水たまりになっている。マシンを引き上げて浸水していない高い場所に置く。満潮時なのである。
 暫くテントの前にいて、石巻復興企画商品三千円と萬画館キャンディーを買う。
 十五時前に帰途に就く。晴天だが、内海橋の手前のミュージックショップオバタの十字路には大雨の後のように水たまりが生じ、中央交番隣の広場は水没。川から幾分離れている、高い場所でも浸水している。
 二、三十分ほど走り、道の駅・上品じょうぼんの郷に初めて立ち寄る。石巻市の友人・SEI氏のブログでよく紹介される場所。入浴施設、食堂、産直、ヤマザキショップ等が併設され、かなり大きな施設である。食堂でみそラーメンと豚丼を食し、産直で菓子を買い、ヤマザキで買った氷菓は表のベンチで食す。一時間以上はいただろうか。
 夕刻、雨が落ちて来る。十六時半過ぎに出発し、再び四十五号線を北上する。中田町走行中に少し雨が強くなったかと思われて雨具を着込むが、結局本降りには至らず。後は寄り道せず、十九時前には帰着する。

 車窓からは見えないが、改めて地図を見れば確かに石巻線は川沿いを走っている。大雨での運休は仕方あるまい。
 筆者自身が石巻マンガランド復興の為に名指しの義務を負っているわけではないが、迷惑を掛けない程度に現地に出向いて金を使うのが差し当たり筆者にできる事。今回もその一環のつもりではある。
 全国的には、東北地方全体が地震被災地、原発事故汚染地のように思われている。また、東北地方内部でも、被害の大きかった地域へのよそからの差別がある。筆者の石巻市訪問がいくらかでも風評被害への抵抗になればいいとも思う。
 店舗再開は知っていたが今回、実際に粟野蒲鉾店の店頭で買い物が出来たのもよかった。
 探検隊は一回十五人、一日八回、二日間で二百四十人が完売。関心の高さがうかがわれる。
 今回、参加できるまんぼう関係者は皆、集まったと言う。筆者も久方振りにあった人もいれば、姿を見掛けなかった人もいる。
 当日の関係者の話やその後の報道によれば、萬画館は今夏に修繕工事を行い、今秋の再開を目指すと言う。
 日テレで「6枚の壁新聞」、テレ東で「がれきの中の新聞社」が放送されている。最近シージェッター海斗がフジテレビの施設によく出演しているから、この際、フジテレビ、仙台放送で被災時の萬画館をアニメ化してはどうか。また当ても無い事を言う。
 久方振りのマシンでの石巻市往復、当日よりも翌日に疲労が出る。やはり一日で往復四時間の運転は筆者には辛い。乗り換え待ち時間が長いのが難点だが、それでも読書と居眠りができる鉄道がよい。
 石巻復興企画商品の中身は順不同で牡蠣の佃煮、秋刀魚の昆布巻き、おでん、塩蔵わかめ、わかめ用ドレッシング、鰹節。どれも地元企業の商品。夕食のおかずに丁度良い。
 萬画館修繕関連予算は三月末に市議会を通過済みなのに、今頃になって「漫画なんかに税金」式に騒ぎだしている人達がいる。萬画館への批判非難は大いにするべきだが石巻市民よ、今まで予算通過を知らなかったのか。税金投入を批判する前にまず自分の不明を恥じよ。もう復旧に向けての法的な根拠は得たのだから萬画館よ真っ直ぐに行け、幸運を祈る。

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