「石森萬画館」第六十八回訪問記

平成二十四年三月十一日(日)

 大地震発生から一年。
 九時十七分水沢発。
 乗り換えの小牛田駅ホームの売店で、女川町の(有)兼宮商店の商品・ひじきふりかけとわかめスープを見付けて買う。以前、萬市場があった頃はそこでよく買っていた。
 まだ完全復旧していない石巻線と気仙沼線のホームの時刻表には、貼り紙で補正がしてある。気仙沼線は柳津まで。
 十一時四十六分石巻着。従来の四番線着、左降りに戻っている。跨線橋を渡る。仙石線ホームには陸羽西線最上川ラインのディーゼルカーが停まっているが、前回訪問時に見た章太郎作品シールは貼られていない。
 改札を出る。晴れ。温暖である。
 駅の真正面の石巻市役所には国旗と市旗、二つの半旗が目に入る。その向かい、駅前交番も旗竿の先に黒い布を付けて弔旗を掲げている。歩道の片隅に残雪がある。
 市役所に入り、エレベーターで五階に向かう。市民サロンに設置されている祭壇に献花、拝礼する。
 外に出て南下する。歩道に、津波の時の水の深さ「ここまで」を示す看板が立っている。ガードレールくらいの高さには水が来たのである。
 マンガロードの入り口、旧ヤマト屋書店の建物には三日前の八日(木)に三越石巻店が開店している。この日は定休日。仙台三越の小型売店である。シャッター通りの入り口に輝く「越」の字。
 マンガランドを東進する。再開した店も少なからずあるが、筆者が通い始めた十数年前には既にシャッター通りであった立町たちまちである。004像の瞳は消されている。ペアーレ前の仮面ライダー像や商工会議所前のアカレンジャー像は立入禁止が外されてそばまで寄れるようになっているが、商工会議所の建物の壁面はブルーシートをかぶっている。今も一階部分が壊れたままで中は空っぽ、泥の跡が残っている建物は少なくない。社会福祉協議会の角には小さな卒塔婆と献花を並べた祭壇がある。
 今回も前回訪問時と同じ道筋を歩く。まず街カフェ。駐在の係の若い女性から茶を出され、それを飲みつつ会話をする。やはり話題は六日(火)放送の日テレのドラマ「6枚の壁新聞」。彼女曰く「私達はあんなに訛っているのか」。一流俳優が訛っていればこその違和感であろうか。あのドラマは冒頭でタテマチと言ってしまったのはタチマチの間違いだな。室内には大正二年水害時の石巻日日新聞がパネルになって掲示されている。地元の人と会話をする度、筆者は並みの石巻市民よりもマンガランドに詳しいとつくづく思う。
 街カフェを出る。まんぼうの事務所は休業日。
 和田社長の店。上がり込んで会話をする。ネタとして今回筆者が持参したのは、昨年北上市博物館で開催された北上川舟運についての企画展の図録。北上川舟運については第十五回訪問記参照。図録には石巻市の文物の写真も数多く掲載され、最後に中瀬の現状の写真が載っている。ドラマ「6枚の壁新聞」はここでも話題になる。石巻かほく特別縮刷版を貰う。三月十四日から四月十日までの紙面を収録した物。ああ、先代市長・土井喜美夫も亡くなっていたのか。
 辞去する。向かいの粟野蒲鉾店は昨年九月十二日、近所の石巻中央一郵便局は同十月六日に再開済みだがこの日は両店とも休み。
 ここに至るまでで、既に道すがら多くの喪服姿の団体を見掛ける。日和山に向けて歩み出すと、ますます喪服の人が増え、道は人や自動車で混雑し始める。
 日和山の頂上は多くの人々が参集している。神社境内には式典参列者の為の大きなテントがいくつも設置されている。ここでまんぼうの大森氏に会う。しかし縁日でもないのに綿飴やチョコバナナ等の屋台が出ているのには違和感を抱く。本殿の前には大勢の神職が整列して行事を始めるところのようなので、邪魔しないように代わりに脇の小さな社を参拝する。報道によれば神社本庁総長が来ていたのだと言う。
 公園から門脇や中瀬方面を眺める。片付いて更地にはなったが、まだそこに新たな建物等が建ち始めると言う状態ではない。河口近くの川岸には瓦礫の階段ピラミッドが聳える。
 十四時過ぎには山を下り始める。
 八幡家の前を通過する。店は工事中である。
 人の流れに乗って中瀬に入る。ここで今回一番会いたかった人物・八幡家の紀代子女将との再会を果たす。その他、中瀬で会うのはまんぼうの尾形副社長、本郷女史。
 十四時四十六分は大勢の人々と共に萬画館南側の公園で迎える。筆者も黙祷をする。上空をヘリコプターが行き交う。後刻点火されるキャンドルアートが公園いっぱいに並べられている。
 前回訪問時に中瀬に転がっていた船や瓦礫は撤去されている。傷ましい姿のまま立つ自由の女神像。教会堂は工事用の足場で覆われている。いくつもの石碑や看板が倒れたまま。前回近付けなかった萬画館玄関では、同館のブログで報じられているとおりベニヤ板に多くの書き込みが残されている。中には(本物ならば)著名人による物も少なからずある。中瀬の北端は水没してしまって、わずかに石燈籠の土台周辺が水面の上に見えている。「当館は本年度中の再開を目指します!!」と言う当日付の貼り紙がしてあるが、本年度中なら三月末まであと二十日間ほどしかないのだから、本年中の間違いではなかろうか。
 この後、マンガロード東端で数時間を過ごすが敢えて詳細は記さず。一月十一日に街カフェの敷地の一階に開業したハンバーグ&サラダかやで目玉焼き付きハンバーグを食す。
 十八時半頃、石巻駅に向かう。途中、またまんぼう事務所の前を通るが、その窓ガラスに貼られていた「がんばろう石巻」の海斗ポスターのⒸ表示が石森プロだけなのに気付く。マンガロードのサン・シューズの前にも中瀬と同様のキャンドルアートが一列に並べられている。出掛けた先で飲食店のチェーン店で食事するのは味気ないと思いつつも駅内のNEWDAYSで軽食を買ってホーム内の待合室内で喰らう。十九時五十分の小牛田行に乗り、一ノ関に着く頃には雪模様。先行すべき寝台特急の遅れが影響して筆者の水沢着も五、六分遅れの二十二時四十二分頃。結局この日は石森両館の顔なじみの常連達には全く会わず。この日に石巻市から生中継のTBS「情熱大陸」を見た限りでは、筆者の去った後に石巻市も雪が降ったようである。

 あれからもう一年なのか、まだ一年なのか。もう思い出したくないのか、まだ風化させてはならないのか。人それぞれである。
 石巻市の状況は前回訪問時より後退していると言う事はないだろうが、では着実に前進していると言えるのかどうか、筆者には何とも言えない。そもそも復興をどのように定義するのか、何を以て復興とするのか。大地震が来なくても既に東北経済は壊滅していたと言う人もいる。
 ただ、前述のとおり、持ちこたえた萬画館の建物とマンガロードモニュメントが現地住民の希望の象徴、心のよりどころになっているのなら、その再開が復興に向けての一つの目印にはなろうとは思う。そもそも萬画館こそ、石巻市の町おこし即ち復興の為に建てられた施設である。その再開を機に再び石巻市を訪れるようになる人は必ず大勢いる、あのベニヤ板への沢山の書き込みがそれを示している。一日も早い再開を祈念するのみである。

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