「石森萬画館」第六十七回訪問記

平成二十三年七月二十三日(土)

 今般の大地震での石巻市と萬画館の被災については周知のとおりである。筆者にとっては庭も同然の場所の現状を見ておきたいと言う思いがある一方、野次馬根性で現地を訪問して迷惑をかけてはならないし、何より惨状を目の当たりにするのが恐ろしくもあり、暫くは石巻市訪問を避けていた。しかしながら人づてに現地の様子を聞くうち、そろそろ一度顔を出しておくかと考えて、萬画館開館十周年記念日に今回の訪問を決行した次第である。
 九時十七分水沢発。一ノ関での乗り換えを経て小牛田で十一時八分発の石巻行に乗る。暫くはいつもと同じ田園風景を眺めているが、石巻市街地が近付いて来ると重機や瓦礫がれきが目に付くようになる。
 十一時四十六分石巻着。普段は四番線に着いて左降りなのにこの日は三番線、右降り。四番線と三番線や改札を結ぶ跨線橋が立ち入り禁止になっている。
 仙石線の一番線に停まっている列車は陸羽西線のディーゼルカー。電化路線の仙石線もまだ全面復旧はしておらず、この車両は矢本行。「奥の細道」「Mogami−gawaLine」と書かれた車体にロボコン、ゴレンジャー、009、キカイダー、仮面ライダーの章太郎画の大きなシールが貼られている。シールにはそれぞれ章太郎の字の「今こそみんながひとつになる時」と言う文言が添えられている。
 曇天の石巻市。さほど暑くない。津波の際は一メートルの高さまで水に浸かったと言う石巻駅舎も今は普通に営業しているように見える。駅前の賑わいもいつもどおりだが、タイルが剥がれた路面や建物を見て、やはり被災地である事を思い起こす。市役所前のV3像と駅前交番のロボット刑事の絵は無事である。
 駅前の道をまっすぐ南下する。緑色の歩道に亀裂が走り、陥没している。マンガポケットパークの009像は無事。ここの角の交通信号機は稼働している。
 左折して立町に入ろうとすると向こうから「まんぼう」の大森氏が自転車で走って来る。挨拶を交わす。氏は駅の方に向かって走り去る。
 立町のアーケード、マンガロードを東進する。やはり路面には損壊が目立つ。中には既に営業を再開した店もあるが、シャッターや窓ガラスの壊れた建物も少なくない。誰だ004像の目に瞳を入れた奴は。
 あいプラザ・石巻前の仮面ライダー像は、地震直後に雪降る中に立つ姿が全国報道されて、現地復興の象徴的存在である。しかしながらその付近は立ち入り禁止にされて、近付く事は出来ない。その向かいのアカレンジャー像も危険区域の中にある。
 アカレンジャーの角から南下。ここも建物の被災の跡が目立つ。社会福祉協議会前のロボコン像は少し傷が付いて、白い地が露出している。マンガギャラリーも作品自体は無事だがどれも泥をかぶった跡がある。
 アイトピア通りを渡り、ホシノボックスピア二階の石巻まちカフェに到着。地元建築家や大学関係者が中心になり、今後の街づくりの情報集約、発信を目的として六月十九日に開店した。七月九日から末日まで、みやぎの思い出写真展in石巻開催中。
 中に入ると係の人が二人ばかり駐在している。写真展は被災前の現地の様子。部屋の机の上には大地震発生直後からの河北新報が置かれている。係の人と少し会話をする。
 まちカフェを出て少し北上し、かんけい丸の斜め向かいの「ほーぷす」に入る。今は「まんぼう」事務所が萬画館からこちらに避難している。中に入って御免下さいと言っても誰も出て来ない。勝手に二階に上がって再び声を上げると本郷女史が出て来る。筆者を歓待する女史。筆者は鴻上会長の口調で「おめでとう萬画館! ハッピバースデイ!」と叫ぶ。
 暫くは女史と会話をする。やがて西條社長や先程の大森氏も姿を見せるので改めて挨拶する。部屋を見渡せば一画の机の上に人形や菓子等の萬画館商品が並べられ、「がんばっぺし!石巻/石森萬画館オリジナル商品販売中!」と言う幕が張られている。また、泥をかぶった書類が積み上げられている。更に隅を見やれば里中満智子の自筆サインと絵入りの衝立が無造作に置かれている。やがて他の来訪者が来るので筆者は辞去。
 開館十周年式典等は行われていないが、ささやかな記念企画は実行されている。「石森萬画館開館10周年・『萬画の国・いしのまき』復興祈念企画展〜今こそ みんなが ひとつになる時〜」この日から萬画館再開の日まで。「サイボーグ009」の額装複製原画を市街地の協力店舗の点頭等に飾ると言う趣向。「まんぼう」事務所は勿論、この後に訪れる先々で「009」を見掛ける。
 アイトピア通りを南下。倒れた交通標識等が目に入る。信号機は消えたまま。角のキカイダー像は無くなっている。萬画神社は章太郎石像は残るが鳥居と本殿は無い。
 数年振りに理容の和田社長を訪ねる。五月十六日から再開している。ただこの時は接客中だったので一度辞去。
 向かいの粟野蒲鉾店は休業中。石巻中央一郵便局は去年二月八日に和田や粟野の近所に移転したが今回の被災で今も休業している。同局駐車場には千葉県警の自動車が停まっている。掲示板には春のフェアのポスターがまだ残っている。
 和田社長に勧められて日和山に向かう。十年振りの日和山、歩いて登るのは多分初めて。途中、妙に警察官の姿を多く見掛ける。扉が外れて「故障中」の紙が貼られた公衆電話。
 二十分程で坂を登り切る。金兵衛茶屋とサトウ売店、二軒の店は営業中。少なくない人々が公園内にいる。ここで筆者は初めて、特に被害の大きい中瀬、門脇方面を目撃する。南の方、海に近い門脇は所々に大きな建物が残るのみで他は平に片付けられてしまっている。中瀬も南側は殆ど何も残っていない。
 鹿島御兒神社参拝。
 金兵衛茶屋で石巻焼きそばを、サトウ売店でラーメンを喰う。金兵衛茶屋の店内には先日放送のNHK「鶴瓶の家族に乾杯」取材時の写真等が飾られている。両店とも確かに蠅は多く、今回の石巻訪問で蠅が多かったのは飲食店のみである。
 一時間半ほどを日和山で過ごしてから坂を下り、再び和田社長を訪ねていろいろ会話をする。「もう笑うしかない」と言う社長。筆者が最近読んだ本・杉森哲也「日本の近世」放送大学教育振興会の中の、石巻市田代島を拠点として活動した海運業者・奥筋廻船についての記述を社長に示すと、案の定社長は知ってるよと熱く語る。やはり郷土史の高度な話題は和田社長である。
 十六時近くになってから辞去。いよいよ中瀬に向かう。
 八幡家を訪ねるが閉店中、表でピースボートの男性が独り作業をしている。その男性が紀代子女将に電話連絡してくれるが女将は只今会議中との事。ベニヤ板の張られた店頭にはこの日からの一部営業再開や新価格についての告知が貼られている。ここ中央二丁目の店舗は持ち帰りのみで、来店は住吉町二丁目で要予約だと言う。
 旧北上川に近付くにつれて被害の度合いが増す。一階部分が流されてしまった建物、大きく破損して傾いた建物。その中でもミュージックショップオバタのように、川のすぐ近くでありながら再開した店もある。内海橋は補修工事中だが自動車や人は普通に通行できるようになっている。
 いよいよ中瀬に入る。内海橋の北側は何も無くなってしまい、重機が地ならしをしている。岡田劇場やコーポ中瀬も跡かたも無く消滅している。
 繰り返すが萬画館の建物は一階部分に浸水して壊滅したが二階以上は無事で、収蔵品は別の場所に移されている。館の正面玄関には立ち入り禁止の縄が張られて近付く事は出来ない。入口の看板は文字が欠落して「石森 画館」になっている。ガラスを塞いだベニヤ板には藤岡弘、その他からの激励の文言が記入されている。「けっぱれ萬画の国石巻」と大きく書かれ、その他寄せ書きがされている日章旗も掲示されている、「けっぱれ」から察するに津軽の人が持ち込んだのだろうか。
 萬画館向かいの旧ハリストス正教会の建物は残ったが一階の中は流されて空っぽである。木製遊具も原形をとどめているが立ち入り禁止。道路を挟んで東西に一隻ずつ、ヨットが転がっている。漢文石碑・内海君紀功碑は無事。その他中瀬の各所で、倒れた案内板や石碑、折れた街灯を見る。
 南端に向けて歩む。北上茶屋も佐藤清正商店もレストハウスも無い。萬画館と教会の他に残った大きな建物はマリーナ中瀬、三ツ島工業くらいのものか。一時は「中瀬は萬画館以外全滅」と言われたが、このとおり他にも残った建物はある。
 そして萬画館や教会堂と並ぶ中瀬被災の象徴、海事公園の自由の女神像。台座を入れて高さは十メートル程か。上半身と台座は無事のようだが、腰から下の左半分が壊れてしまい、右足一本で立っているように見える。敢えて直下に近付いて中を覗き込めば木の支柱が見える。廃墟の中に立つ巨像はまさに「猿の惑星」のラスト、萬画館や瓦礫と共に写真に撮ればまるで特撮映画の世界。海事公園の他の建造物、灯台や風車、記念碑、うさぎのお家等は全滅である。
 いつも参拝していた作田嶋神社はバラバラになってしまっている。社殿の土台、「第二皇子御降誕記念」と刻まれた石の鳥居の柱、狐の石像は確認できるが、他は見るも無残に砕け散っている。手を合わせる。
 折り返して北上する。中瀬には既に更地になった場所もある。西岸を歩く、海斗水上ショーの見物場所は手すりが殆ど壊れている。館の西側から内海橋に入り、帰途に就く。中瀬には一時間程いたか。その間、いくつかの建物の中に人がいたのは見掛けるも特に筆者以外の訪問者らしき人影も見掛けず。
 旧墨汁一滴の前を通る、エッちゃんとチョビンの像は無事。再び立町を通り、駅に着く。十七時十五分の小牛田行に乗り、十九時五十六分水沢着。

 地震列島に暮らしていれば大抵の人には大地震の経験があろうが、大震災と呼ばれる代物を筆者が直接見聞したのは今回が初めてである。岩手県は全市町村が災害救助法で筆者も法的には被災者だが、石巻市の惨状を見ると、少なくとも筆者等は被災のうちに入らないと思う。
 萬画館の建物や仮面ライダー像が復興、希望の象徴とされているのなら、石巻市には「漫画なんかに税金」と言う非難の声は既に無いのだろう。
 最近、大地震の後の何かと団結を訴える風潮について全体主義、軍国主義への回帰を懸念する向きがある。しかし大地震の後始末に発揮される力が戦争に向けられるような事は最早、無いと思う。民営化から四年近く経過してまだ郵便事業(株)と郵便局(株)の区別がつかないような日本国民でも、自然災害と戦争の区別くらいはつくだろう。
 欲望は世界を救う。是非とも「まんぼう」関係者には復活に向けて欲望を全開にして欲しい。復活を遂げたならその時が新たなるハッピバースデイである。素晴らしい。

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