「石森萬画館」第百十二回訪問記

平成二十九年四月十五日(土)

 六時二十七分に水沢駅から始発に乗り、五十二分に一ノ関駅に着く。ここで一度改札を出て、みどりの窓口の自販機で「小さな旅ホリデーパス 南東北フリーエリア」を買って急ぎホームに戻り、七時発の仙台行に乗る。八時三十三分仙台着、駅前のTOHOシネマズ仙台で「グレートウォール」IMAX上映を見る。
 映画は十一時前に終わる。仙台駅から二十二分発の仙石線普通列車、マンガ車体に乗る。快速マンガッタンライナーはマンガ車体と決まっているが、普通列車のマンガ車体は運次第である。乗車時点で車内は既に混雑していたので立つが数駅で多くの客が降り、座れる。石巻着は十二時四十七分、所用時間は一時間半近い。
 曇天の石巻駅前でSEI氏と合流。二人で八幡家で食事をしてから再び石巻駅に向かい、十四時二十一分発の終点女川行に乗る。
 筆者の今回の主目的地は女川町である。仙台駅と石巻駅の間は一時間に一本は便があるが石巻駅から先の石巻線は二、三時間に一本に激減するので、仙台駅を早く発って八幡家で休憩してからまた乗り込むと言う段取りである。
 SEI氏は女川町を大地震後に訪れるのは初めてだと言う。筆者は石巻駅より先への乗車、女川町自体が初めて。石巻市の東隣、牡鹿半島に位置する女川町。ここの原発は無事だった。
 車窓からの風景は市街地、山間部、海、様々である。四十六分女川着。少し雨が降って来るが傘を差すほどではなく、すぐ止む。改札を出て右前方に、今回の筆者の第一の目的を見付ける。
皇后陛下御歌の記念碑とその説明板、
両陛下行幸啓の記念碑。
 大変立派な石碑である。
 女川駅舎は温泉施設「ゆぽっぽ」と併設。一階に売店があり、その上が入浴施設である。売店で地元産品等を売っている。女川町も港町だけに海産物が多い。自分用や土産物として数点購入する。カルビーピザポテトがいくつも並んでいるので買い占めて転売しようかと一瞬思うがやめる。
 暫し駅前を散策する。女川郵便局は四月十日に移転開局したばかりで、Googleの航空写真では「女川郵便局」の文字の場所は更地である。商店街シーパルピア女川、地元市場ハマテラス等、店は沢山ある。
 それら商店街を東進して海に近付くと工事現場がある。ダンプトラックがひっきりなしに行き来する。金網越しに旧女川交番の建物が見える。横転したままで、説明板によれば今後どうするのか未定だと言う。
 女川水産業体験館あがいんステーションでも買い物をして暫し休憩。
 まちなか交流館は集会所のような施設か。
 十六時二十五分の石巻行に乗り、すっかり満足してうっかりそのまま水沢まで帰りそうになるが五十一分石巻着で下車。中瀬に向かう。
 十六時頃にニューゼに立ち寄る。筆者もSEI氏も武内館長とは既に顔なじみ。館長にいろいろ話を訊く。壁新聞を書いた時の状況や、テレビドラマの事等。館長によれば、被災時は避難所で新聞を読み上げると言う事も考えたが、耳で聞いた事だと伝聞を繰り返すうちに正しく伝わらなくなるおそれもあるので壁新聞を貼り出したと言う。語る館長の背後のテレビセットに館長の映像が映っている、不思議な光景。
 三十分程過ごしてから中瀬に入る。第65回特別企画展「トンコハウス展『ダム・キーパー』の旅」三月十八日(土)から六月二十五日(日)まで。映像制作会社ピクサーから独立した二人が設立したトンコハウス、その作品「ダム・キーパー」。筆者はピクサー作品は「カールじいさんの空飛ぶ家」しか見ていないし、トンコハウス以下は知らない。
 「ダム・キーパー」の予告編や各種設定資料等。
 二、三十分ほどで辞去。
 作田嶋神社に向かうと真新しい木造建築が見える。神社再建工事中。本殿は作りかけで、その前には鳥居の基礎が築かれている。
 夕暮れの道を駅に急ぎ、改札前で再会を期して別れる。十八時三十一分石巻発。途中乗り換えの小牛田駅ホームでは売店跡が新たに柵で囲われている。いずれ店舗施設は撤去されるのだろう。水沢着は二十一時三十七分。先のホリデーパスの効力は平泉駅までなので、改札で乗り越し清算。

 御歌の発表時から記念碑でも建立すればいいのにと思っていたので実現は実にめでたい。
 ホリデーパスを目一杯活用した一日。山形県や福島県も回れる切符だが、大船渡線は対象外。
 特別企画展については論評を差し控える。
 一番驚いたのは作田嶋神社再建工事。大地震から六年、何かにつけて再建を訴えて来た。完成が楽しみである。

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