「石森萬画館」第百十一回訪問記

平成二十九年三月十一日(土)

 午前中はMOVIX利府でウルトラマンオーブを見る。椿鬼奴は曽我町子師匠を目指せ。
 十一時三十二分に利府で利府線に乗って岩切には六分で着くが、ここで東北本線との接続が悪くて四十八分待ち。十二時二十六分の仙石東北ラインに乗る。混雑していて着席は蛇田から。よその人が石巻市と岩手県花巻市を混同している例は多々あるが、車内で旅人と思しき人が「これから宮澤賢治の故郷へ」と言っているのが聞える。
 十三時十九分の到着時点では晴れている石巻市。駅前でSEI氏と合流。以後、彼と行動を共にする。市内では全行程徒歩である。
 まず駅前の市役所四階に赴き、献花台に献花、拝礼。献花台の脇に置かれたテレビの映像を見る。
 続いて日和山に向かう。歩きつつ、街の様子に注意を払う。中央の萬画神社に、神像を覆う屋根が作られている。大地震後に筆者が初めて現地入りした六年前の七月時点で舗装は剥がれ、建物は損壊し、あちこちに自動車が転がっていた通りも今はすっかり綺麗になっている。大きな集合住宅が何軒も新たに建つ。但し、更地が目立つのもまた事実である。
 日和山頂上には多くの人々や、テレビ朝日やミヤギテレビ、NHK等、報道各社が集まっている。海に向かって拝礼。門脇、南浜方面を見下ろせばここにも新しい建物等は見える。河口に向かって白い帆のヨットが行く。鹿嶋御子神社参拝。
 時折、あの日を思わせる小雪がちらつく。
 山を下りて十四時半頃にニューゼに着く。武内館長に挨拶。我々二人揃ってニューゼに入るのは久方振り。暫し会話の後、四十六分、サイレンの音と共に一同黙祷。
 中瀬に向かう途中で内海橋の手前の復興まちづくり情報交流館中央館に立ち寄り、館の人に過日のテレビ出演を見た旨を話す。
 中瀬ではまず萬画館北隣の水辺の復興・みらい館を見る。
 作田嶋神社参拝。
 往時の中瀬の様子について思い出を語り合う。教会堂、シーフードレストラン、茶屋、商店、遊具、海事公園、その他。この中瀬こそ、復興と放置が同居する被災地石巻市の縮図。
 入館。一階から三階まで一通り見る。筆者はスマートフォンケースにいいのがあれば買うつもりだったが大きさが合わずに断念。特別企画展では、石巻市民のSEI氏には思い出の風景がいくつもあるようである。筆者は昭和の石巻市を殆ど知らない。
 十七時頃に萬画館を出て、駅前で再会を期して別れる。十七時十七分の小牛田行に乗り、小牛田駅KIOSKで恐らく最後の買い物。水沢着は十九時五十五分。
 当日のラジオ関西青春ラジメニアで筆者リクエストの「不滅のヒーローシージェッター海斗」が掛かる。

 月並みな言葉しか出て来ないので敢えて論賛は長々とは書かない。マンガランド構想への関心が無かったら通い始める事も無かった石巻市。しかし縁が出来た以上はこれからも通い続け、また街の変貌を観察し続けていく。

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