「石森萬画館」第百回訪問記

平成二十七年九月二十七日(日)

 開館以来百回目の訪問が、NHK・FM「今日は一日“特撮ソング”三昧」萬画館からの生放送に当たる。
 盛岡市からの石巻市入りは初めてである。東北本線七時十六分発、一ノ関着は八時五十分。同五十四分発、小牛田着は九時四十一分。ここで石巻線ではなく、同五十一分発の東北本線仙台行に乗り、十時十九分に塩釜で降りる。三十三分の仙石東北ラインに乗る予定だが駅内放送は理由を明らかにせぬまま七分程度の遅れを告げる。遅れて来る電車は高城町から仙石線の線路に入り、十一時十八分、定刻どおりに着。今まで石巻市への鉄道経路は小牛田からの石巻線、急ぐ時は新幹線仙台経由で仙石線があったが、新たな経路が加わっている。
 駅に石巻市在住のSEI氏が出迎えに来ている。再会を喜ぶ。以後、暫し氏と行動を共にする。
 天気は良い。橋通りCOMMONの「鉄板ですWHITE」で、それぞれ注文して暫し軽食、歓談。筆者はしいたけ肉詰め。揚げ物である。
 岩手県南の一関市博物館で開催中の中世葛西氏の特別展の図録を見せるとSEI氏も関心を示す。葛西氏は奥州藤原氏の後、伊達政宗の前に「奥州総奉行」として東北地方を治めていたとされており、また石巻城にいた事があるとも言うが、資料が少なく混乱していて、詳細は不明の一族。系図すらはっきりしない。業界では「葛西氏には手を出すな」と言われているのだと言う。
 正午頃、二階から萬画館に入館し、すぐ企画展示室の放送ブースに向かう。会場は既にほぼ満員、我々は辛うじて最後列に着席する。他にも知人の姿を見掛ける。子連れがいない事も無いが大半はその筋の愛好家。やはり童謡ファミリーコンサートの類ではない。
 十五分から放送開始。詳細は番組ウェブに譲る。放送ブースの中には外の音は聞えないので、客席が笑ったり歌ったりするのも自由。テレ朝ライダーの主題歌を口ずさむ人が結構いるが、昭和四、五十年代の有名曲等は皆で大きな声で歌う。写真撮影も自由で寧ろアナウンサーから拡散が求められるが、漫画家・丹羽庭の時だけ撮影不可。
 十四時半からの「生ライブステージ」に合わせて外に出る。中瀬公園では「やっぺぇ&ヒーローまつり」と称して、萬画館やNHKが多くの屋台を出している。こちらの舞台は撮影等は禁止で、そう言うプラカードを持った人が何人も配置されている。
 遠藤正明と宮内タカユキは何度も見ているが、石原慎一は「仮面ライダーアギト」の頃に盛岡市で見て以来。大地震後の今となっては歌詞が洒落にならない「救急戦隊ゴーゴーファイブ」。大好きな曲、「重甲ビーファイター」の「地球孝行」を聴いて涙する。また、ラッキィ池田の指導で、ニンニンジャーの副主題歌に合わせて皆で踊る。これらの途中で都合でSEI氏は帰る。以後、筆者単独行動。
 放送ブースに戻る。筆者は座れるが聴衆は増え続けて立ち見も出る。
 宙明入場には大きな拍手。そして退場の際には我々に対して手を振って応える。
 公開放送、第一部は十八時五十分まで。記念品を受け取って辞去。十九時二十分から放送再開、第二部は携帯ラジオをイヤホンで聴く。各駅ホームや、十九時五十分から二十時二十七分まで乗る石巻線車内では聴取可能だが、何故か二十時四十七分から二十一時三十二分までの東北本線車内では雑音で聴き取れず。二十二時十三分一ノ関発の東北本線車内では再び聴取できて、同三十分、車内で番組終了。三十七分水沢着。尚、小牛田駅でやはりイヤホンでラジオを聴く人を見掛けるが石巻市からの帰りだったかどうかは判然としない。

 二十年近く前、当時のパソコン通信ニフティでは、マンガランド構想について009愛好家は盛り上がっていたものの特撮愛好家の間では筆者が話題提起しても反応が殆ど無く、「009愛好家は同時に章太郎愛好家だが、仮面ライダー愛好家が章太郎愛好家とは限らない」と評していた。それから月日が流れて石森両館は特撮愛好家の間でも有名になり、とうとう「特撮」を冠する大型特番が萬画館から放送されるに至った。大袈裟だが隔世の感がある。筆者自身が構想当時「あくまでも章太郎顕彰施設であって仮面ライダーや藤岡弘、の記念館ではない」と喧伝したが、今や変身ヒーローの聖地であると断言する。
 番組内での曲の掛け間違いは相変わらず。せっかく地方で公開生放送だったのだから、番組出演者と聴衆の接触の機会があってもよかった。司会者が聴衆にマイクを向けたり、質問を受け付けたり等。
 それにしても、百回も訪問すればいい思いも嫌な思いもするものだ。

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