「石森萬画館」第九十三回訪問記

平成二十七年三月十一日(水)

 今回はラジオ関西「青春ラジメニア」のツイッター経由でここを読む人がいるかも知れないので、少し説明する。宮城県石巻市と石森章太郎の関係については次のとおり。森先生と石森萬画館について 「先生の出身地は登米市なのにどうして石巻市に記念館があるのか」と疑問に思う人がいるが、このとおり根拠のある事である。宮城県の北隣・岩手県南に住む筆者は「BLACK」原作者ゆかりの地として、萬画館開館準備段階の平成十年秋から石巻市に通い始めた。全ての催し物に参加しているわけではないが、萬画館の企画展は毎回必ず見ている。残念ながら章太郎本人には会っていないので、古参愛好家から「先生に会った事無いくせに」と馬鹿にされていたりもする。
 大地震発生から四年。
 雪。東北本線水沢駅から七時六分の上りに乗る。三月はまだ冬である。一ノ関を過ぎてもまだ雪景色が続く。今回利用の便には遅れは出ないものの、乗り換えの小牛田こごたの駅内放送は陸羽東線や東北本線仙台方面の遅れを告げる。
 隣接の小牛田運輸区に、五月三十日より運行開始予定のハイブリッド車両が置いてあるのが見える。元は私鉄だった仙石線は国鉄以来の東北本線とは電化方式が異なり、今まで相互乗り入れが出来なかったが、今般両線が仙石東北ラインとして接続され、両方を走れる車両が導入される。車体にHYBRIDと書いてある。
 石巻線に乗っても涌谷辺りまでは雪景色だが、やはり石巻に近付けば雪は消える。十時八分着。晴れ。今回の便は浦宿行だが、次に乗る時は女川行のはずである。二十一日(土)、女川駅再開により石巻線全通。
 駅前の市役所に直行。半旗を掲揚している。四階の奥に献花場がある。入り口で花を受け取り、祭壇に献ずる。特に混雑はしていない。
 建物の南側から出て、久方振りに石巻双葉町郵便局に向かう。まず南下して坂を上るが、何分にも前回の訪問から間があり、記憶が曖昧。検察庁まで出た辺りでおかしいと気付き、斜め向かいのファミリーマートで道を尋ね、少し引き返してから西進、坂を下り始める。歩いている最中にも、地震発生時刻の黙祷を求める市役所の広報の音声が遠くから聞える。
 自分でも何年振りか記憶に無い双葉町局だが、佐藤局長から筆者に気付いて声を掛けて来るので挨拶をする。局長は旧マンガランド構想の重鎮であり、また局内にはいろいろ漫画の物品が飾られている。津波の際は局舎の五メートルまで水が迫ったと言う。ラジオ関西「青春ラジメニア」への葉書を風景印で発送し、ドラえもんポーチを買い、ATMで資金調達。これが十一時頃。
 今度は東進、坂を登り始める。そしてまた下って日和山の麓、石巻中央一郵便局の辺りに出る。ここでふと考えて、粟野蒲鉾店本店に向かう。この日は会えないがここの若旦那も旧構想の重鎮で、大地震前は箱にモンキー・パンチの絵を使った商品もあった。ここ暫く仙台駅二階でばかり買っていて、本店は久方振り。笹蒲鉾や揚げ物を買い込む。クレジットカードを出すと店の奥から「(操作の)出来る人」が呼ばれる。
 十一時半頃か、その隣の理容ワダ。彼も元・重鎮。丁度他の客がいないので話し込む。いろいろ高度な話題。筆者持参の、東京市役所「帝都復興祭志」昭和七年を見せる。大正十二年関東大震災の七年後に挙行された祭典の七百頁に及ぶ記念誌である。
 正午が近くなり、アイトピア通りを少し北上して日和山から更に離れるが、割烹八幡家やはたやに予約無しで入店成功。紀代子女将は萬画館運営会社「街づくりまんぼう」の役員でもある。いつものかば焼き定食と茶わん蒸し。四、五十分ほどいる。少し女将と会話。
 食事の後、再びアイトピア通りを南下し、日和山を登り始める。神社の手前にチョコバナナ等の屋台が出ている。多くの人々やマスコミが参集している。神社に参拝、また海に向かって拝礼。強風晴天、あちこちに花束が置かれている。相変わらず荒寥とした門脇、南浜方面。日和山を下り、またアイトピア通りに戻る。
 石巻日日新聞社の交流施設・ニューゼ到着は十四時頃か。「六枚の壁新聞」実物が展示されている。既になじみの武内館長や、居合わせた人々と会話をする。すっかり口癖になった武内館長の「自分が取材された映像等を見るのは嫌だ」。本来、館長は取材する側。二十年前の「阪神淡路」を経験した神戸市民も来ている。
 十四時四十六分。サイレンが聞える。一同黙祷。
 川沿いの復興マルシェ跡地に隣接して、去る七日に「復興まちづくり情報交流館中央館」が開設されている。各種情報発信施設であり、また会議室等も備えている。受付に「まんぼう」の関係者がいる。震災関連の写真や年表、大きな都市模型が展示されている。なじみの従業員と暫し話し込む。ふるさと記念館の活動の様子について訊かれるので、「石巻市が何を言おうとこちらが元祖」「うっかりすると石巻市に持って行かれる」と言う、登米市の人達の心意気を伝える。
 十五時半頃に交流館を出て、橋を渡って最終目的地の中瀬に入る。作田嶋神社参拝。萬画館南側の公園は護岸工事開始の為に閉鎖。二階に上がると受付に「お嬢様」がいる。常設と企画も一通り見るが、専ら彼女と会話する。やはり今回の特別企画展は幼児が親にせがんで見に来るような世界ではない。子供が見てはいけないとは誰も言っていないが、親の配慮が必要な展示。尤も、ふるさと記念館自主企画展の高校生や専門学校生の作品の方が不健全だと思う。
 翌日は仕事なのでいつもより早く、十六時頃に出る。表で大森課長とばったり出会い、「ラジオ関西から海斗CDの注文が来たのは私がリクエストしたから」と告げる。
 復興マルシェ跡の近くで、遠来の人から石巻駅までの道を尋ねられ、ついでだから一緒に歩く。彼はタクシーで女川町にも行ってみたと言う。道すがら、街並みの解説をする。
 マンガロード入口の辺りで、走って来た大森課長が筆者に追い付く。渡す物があるのだと言う。受け取る。ここで遠来の人とも別れる。
 石巻市では天気に恵まれたまま、二十一分の列車に乗る。十九時二分に降り立つ水沢は大雪。
 その週の「青春ラジメニア」で、双葉町局から出した葉書が読まれる。岩崎アナは009図案の風景印に言及し、こう言う楽しみは郵便ならではと評する。

 石巻市の現状は、早々に機能を回復した部分と、まだまだ手付かずの部分への二分化が固定しかけているように見える。駅前辺りは、言われなければ津波で水浸しになったとは気付かないほど修復されているし、その一方で海沿いはまだまだ。その点では中瀬は復興と手付かずが同居している、石巻市の縮図かも知れない。
 「阪神淡路」を経験している「青春ラジメニア」は石巻市にも多大な関心を寄せており、石巻市を訪れた歌手が番組で現地の様子を話す等している。ラジオ関西としては取材で萬画館に来た事はあり、「ラジメニア」内でその様子が紹介された事もあるが、「ラジメニア」の出演者達はまだ来ていない。筆者は平成初期、三、四年間くらい要望を続けて、番組の遠距離リスナー訪問企画「リスナー訪ねて三千里」の仙台開催を実現させた事がある。それが丁度二十年前。今年から「三千里・石巻」の要望を始めているが、実現する日が来るかどうか。二十年前と違って今は仙台空港から仙台駅まで鉄道があるし、今年は仙石線の完全復旧、仙石東北ライン開通で利便性向上も予定されている。

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