「石森章太郎ふるさと記念館」第百二回訪問記

平成二十七年四月十八日(土)

 今回の訪問記はふるさと記念館以外についての分量が多い。
 新年度、初めて自動二輪を出す。キックで起動して十時半少し前に出発し、いつもの道を行く。前沢町内吉田石油で給油。好天である。
 国道三百四十二号線、一関街道の金華山バス停の辺りで右折して南下し、昨年六月、第九十五回訪問記で触れた「→関ノ戸億右衛門の墓」の標柱に行き当たる。そこでまた右折し、暫くは舗装道路が続くが、交差点に出ると直進方向は舗装が途切れる。去年はここまで来て引き返している。両側が森林の山道に速度を落として進入すると、すぐ左手に墓場を見付ける。元禄から明治までの墓石が並ぶ中、奥の方に一際ひときわ大きな墓石がある。達信道覺居士と達性妙覺信女の二名の戒名が記され、その間に小さな字で「東都相撲□司 伊勢海五太夫當邸産関戸億右衛門夫婦□」と見える(□は筆者には判読不能)。関脇・関ノ戸、後の年寄・伊勢ノ海の墓所はここで間違いない。生家跡に墓だけが残っていたのだ。特に手入れもされていない様子の墓石に合掌。去り際にふと見ると、墓場の入り口に「関ノ戸億右衛門の墓」と言う、朽ちた看板が転がっている。尚、周囲には養鶏場跡等があり、もう少し奥に進むと畑や民家も見えるが、Googleマップでは道は無い事になっている。花泉町永井字長崎、今度ゼンリン地図で確認しておこう。
 再び街道に戻り、南下を続ける。次の目的地は登米町、みやぎの明治村。二年振りである。この時点で昼頃なので昼食にしようとするも遠山之里の「蔵.ら~」は満席。一度退出してから向かいの登米懐古館の見学を先にする。「わが家の珍刀・宝刀と戦国変わり兜・胴」この日から六月二十八日(日)まで。武具の他、館所蔵だと言う東郷平八郎、齋藤實の書が展示されている。係の人と話し込んだりして、一時間ほどいる。
 また「蔵.ら~」に行けば今度は席に通される。「はっと」と油麩の両方を喰いたいので蔵.ら~セット。
 食事の後、県道三十六号線等を通って迫町の登米市歴史博物館に行く。「登米伊達文庫 美と潤い」これもこの日から五月三十一日(日)まで。幕末から明治にかけての調度品等の展示。懐古館のは男性の世界なのに対し、こちらは嫁入り道具等、女性の世界である。
 そしてふるさと記念館着は十五時は過ぎていたか。今回は関ノ戸の墓以外はあまり写真を撮っていないのではっきりしない。
 まず「たばごや」で握り飯二つとチキンナゲット。
 第49回特別企画展「鉄拳のパラパラマンガの世界展」四月十一日(土)から七月五日(日)まで。
 芸人・鉄拳の名前程度は聞いた事があるが、彼の芸をきちんと鑑賞した事は無い。この彼の作るパラパラマンガが芸人の域を越えているのだと言う。この少し前にさくら野百貨店北上店でも鉄拳展を開催しているがそちらは見に行かなかったので内容が同一かどうかまでは知らない。
 コマを縮刷してパネル一面に並べたり、実際にパラパラをできるようになっていたり、また音楽を付加された映像が上映されたりしている。要するに一種の無声アニメである。今までに無い形態の作品群だけに鑑賞に戸惑う。
 エントランスのテレビセットでは鉄拳本人の挨拶映像が上映されている。また、変身ポーズを取る鉄拳の等身大写真パネルもある。
 閉館時刻の十七時に辞去。伊勢岡神明社を参拝して帰途に就き、十八時四十五分頃帰宅。

 初めからあまり期待していなかったパラパラマンガなので特に失望もしていない。大型連休期間を含む時期の特別企画展として適当かどうか。
 やっと現地を確認した関ノ戸億右衛門の墓。標柱や案内板があるのだからその存在を地元の人達は忘れていないのだろうが、大事にされているようにも見えない。たまには草取りくらいしているのか。
 登米懐古館で、思いがけず海軍の大物の書を見られたのは良かった。

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