「田口 萌 ファン交流の集い In  Sendai」参加記

平成二十五年十一月九日(土)

 「BLACK」紀田克美役・当時は田口あゆみ、現在は田口萌。我が「帝國」開設から間もない平成十年十一月、当時設置していた掲示板に彼女からの書き込み。以降、時折の掲示板書き込みや近年のSNSで筆者とは交流があった。筆者は以前から田口の宮城県来訪を熱望していたが(熱望だけで具体的には何もせず)、今般、来訪が実現。当然筆者も参加申し込みをした次第である。筆者も一般参加者であり、企画等には一切関わっていない。
 前項の続き。
 十二時三十八分仙台着。駅内ATMで資金調達、エスパルのロッテリアで食事をしてから歩き出す。途中、勾当台公園に立ち寄って横綱谷風像の写真を撮る。ネット上にもこの銅像の写真は沢山あるが、意外にも自分で撮影したものは手元に無かった。
 やがて東京エレクトロンホール宮城に着く。多分ここに入るのは初めて。入り口の予定表を見てエレベーターに乗り、会場の部屋に向かう。
 早川実行委員長が出迎える。事前に入手済みの券を出す。既に到着している参加者もいる。定員四十人で当日参加可でもあるが参加者は最終的に十人。事前申込者全員出席。参加者は北東北きたとうほくや関東から。早川委員長とは先日のヒーローサミットで初めて会ったが、他の人達とは初対面である。出席者は二十代も多く、或いは筆者が一般参加者の最年長だったかも知れない。
 定刻の十四時を少し過ぎた辺りで開会。司会は早川委員長。田口入場、皆で拍手で出迎える。田口のお付きの人達も来ている。
 早川委員長を聞き手に第一部、トークショーが始まる。「BLACK」についての思い出。当時の現場でビシュム役・好井ひとみは姉貴分で、杏子役・井上明美は妹分。倉田はJACの面々とは仲が良かったが、独特のオーラを発していて田口は近寄りがたかったと言う。田口が倉田について話す時の呼称は「倉田君」「てっちゃん」「クラテツ」。
 来仙の理由の一つは震災復興支援である。空想を超越した現実を前にエンタテイメントは何ができるのか、芸能界の仲間と共に考えたと言う。被災地はヒーローを求めている。
 バトルホッパー、ケラ怪人やクジラ怪人はかわいく、クモ怪人、ヒョウ怪人、バラオムのような、演者の目が見える怪人は怖いと言う。怖さについては原作者の希望、原作萬画に忠実だったと評する。番組当時幼児だった一般参加者からも、番組、怪人が怖かったと言う声があがる。
 第一部は小一時間ほど。
 第二部は机を寄せて交流会。田口を囲んで語り合う。田口は私蔵の当時の写真を持参。いろいろ貴重な場面を見る。
 出席者が音盤、人形、書籍等、各種「BLACK」関連商品を持参して展示している。朝日ソノラマ「宇宙船別冊」や小学館「超全集」は誰かが持って来るだろうと予想したので(的中)、筆者が持参するのは徳間書店「特撮アイドル3」平成二年、「RED」同十二年、「ハイパーホビー」同十七年二月号、バンダイEB「仮面ライダー大図鑑6」同四年。バンダイEBは十二年前の萬画館開館初日に小野寺丈からサインをもらった家宝。HHは田口と好井の対談記事、「美女二人の爆笑トーク」。徳間のヒロイン写真集が他の参加者から「かわいい」と好評。ここで田口の主張「杏子ちゃんにはかわいい場面があるのに」。しかし克美さんにも#37の信彦とのラブラブ場面があるではないか。「3」の「囚われの克美」のページにサインをもらう、家宝がまた一つ。
 ゲーム大会。かるた取りの上位に豪華賞品、倉田、岡元次郎、当時助監督・田﨑竜太のサイン色紙三点セット! 取り札は室内の机上に配置されていて、皆、目の色を変えて走り回る。
 参加者から田口に「L L A,」を歌って欲しいと要望が出て、皆で一番を歌う。
 十六時頃お開き。一般参加者は退室、その際に花を一輪貰うので「海に追憶の花束を」と言う。筆者は数分、廊下で他の参加者と立ち話。我が「帝國」を見て参加した人も一人。
 十七時四十二分の下り一ノ関行きに乗り、十九時五十六分水沢着。この日は往復とも小牛田での乗り換え無し。
 次項に続く。

 番組終了から二十五年、ネット上での接触から十五年。ついに対面の日が来たのだ。
 参加者は定員割れだったが、その分、一人一人が田口と身近に接する事ができたとも思う。
 田口からは「BLACK」に寄せる情熱が感じられた。我々の大好きな作品の関係者が今もその作品を誇りにしていると言うのは愛好家にとって最高の喜びである。

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