「石森章太郎ふるさと記念館」第九十五回訪問記

平成二十六年六月二十二日(土)

 今回も本館敷地には全く立ち入っていないが、記念館行事なので例によって訪問記に加える。
 当日はいろいろ用事が重なってしまって、回る順番を思案する。好天の下、七時半にマシンで出発。いつもの国道三百四十二号線を走るが花泉町金沢かさわではまだ道路工事中。今回も迂回。対向車が来る道を選んで走り、奇跡的にまた本線に戻る。
 同町永井、金華山バス停付近で右折、南下して山道を走行中、路傍に「→関ノ戸億右衛門の墓」と言う標柱を見付けて驚く。関ノ戸は永井出身の江戸時代の関脇で、自身が強豪であった外、かの有名な仙台出身の大横綱・谷風梶之助の師匠。永井郵便局の局舎内に記念碑があるのは知っていたが墓所については今まで全く知らず。標柱に従い右折して暫く進むと分かれ道に行き当たり、そこに近所の案内図が立っている。その地図によれば、未舗装の細道の奥に墓所がありそうだが、時間があまり無いので元の道に引き返す。今後の課題である。
 また南下を続けてやがて県境を越えて石越町に入り、県道四号線、いなべ接骨院の十字路に出る。ここで右折、西進して線路の向こう側に出て、九時直前に石越郵便局に着く。開店と同時にATMで資金調達。
 マシンを石越駅前に置き、九時十五分の仙台行に乗る。仙台市内で初代「ゴジラ」デジタルリマスター版鑑賞等の用事を済ませ、鉄道で再び石越に戻って来るのは十七時十五分。再びマシンに乗り、中田町方面に向かって走り出す。記念館前を通過し、二十分程度で割烹くまがいに着く。今年度の友の会総会と懇親会の会場。洋室に「友の会会員募集中」の真新しい幟が掲示されている。
 筆者の先に着いているのは一人のみ。やがて館職員や会員が集まって来る。
 十八時開会、いつもどおりの進行。出席の熊谷前館長を顧問に推戴する。
 同じ部屋で引き続き懇親会。新年度、館長以外にも職員の異動がある。幟は夏祭りの露店の収益を積み立てて三十枚作ったと言う。
 二十一時過ぎにお開き、出発。やはり夜道の迂回は恐ろしいが迷わず。十時四十五分頃帰宅。

 わざわざ石越駅に立ち寄らずマシンで直接仙台市に行けばいいのにと言う意見もあろうし、現に盛岡組は自家用車で仙台入りしているが、やはり筆者はなるべく鉄道を利用したい。鉄道ならば道に迷う事も無く、雨に降られても濡れず、居眠りも読書もできる。何より、体力的に仙台市まで走行できる自信が無い。遠路は石巻市が限度だと思う。石越駅から仙台駅までは直行の場合は一時間半ほど掛かる。
 慣れている永井経由で石越駅に向かったが、本当は一関市から更に国道四号線を南下して金成町、若柳町経由で行く方が早いのかどうか。高速道路を使うまでもないとは思う。
 相変わらず方向音痴且つ夜目が利かず、同じ場所を通っても昼間と夜の映像が頭の中で一致しない。花泉町の迂回路は、往路は薬王堂付近で本線に戻り、復路はセブンイレブンの手前から山道に入っているので、少なくとも一部区間は違う道を走っている事にはなる。しかし正確な経路は後で地図を見ても判然としない。

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