「石森章太郎ふるさと記念館」第九十一回訪問記

平成二十五年十二月一日(日)

 この日はあちこち歩き回ったものの写真をあまり撮っていないので、鉄道以外の時刻は記憶に頼っており、必ずしも正確ではない。
 今回は珍しく南からの現地入りである。仙台駅二階の粟野蒲鉾店で買い物をしてから九時十六分の東北本線下りに乗って二十九分国府多賀城着。目の前の東北歴史博物館を見学。「東日本大震災復興祈念特別展 神さま仏さまの復興 −被災文化財の修復と継承−」十一月十六日(土)から一月十三日(月)までには、登米市内の文化財も展示されている。また、「よみがえった被災文化財 −石巻市阿部家資料−」十一月六日(水)から十二月八日(日)までも見る。萬画館所蔵品は無事だったが石巻市としては多くの文化財が被災している。大地震の後筆者は度々同館を訪れ、各被災地での文化財レスキューについて見ている。
 見学と売店での買い物の後、十時五十四分の下り(一ノ関直行)に乗り、煩わしい小牛田乗り換え無しで十一時五十四分新田着。いつもの石越の一つ手前の小さな駅。駅前にタクシー会社があり、すぐ乗り込んで迫中江中央公園を命じる。
 二十分ほどで到着。「第10回日本一はっとフェスティバル」開催日。登米市の郷土料理・はっとについては既に度々触れているが、このフェスティバルへの参加は初めてである。多くの業者がはっとやその他食品の屋台を出しており、また舞台では歌等の芸能も披露されている。晴天だが風が強い。
 暫し会場内を徘徊しているうちに盛岡組三人と合流。彼等は先に到着して既にいろいろ飲食や見聞をしている。以後、行動を共にする。
 大変な混雑で長い行列の出来ている屋台もあり、どこで食すべきか悩む。或る一店に決めて一杯食す。屋台を見て回り、食品を数点買う。
 駐車場まで少し歩き、盛岡組の自動車に便乗する。十四時頃だったろうか。東進して登米市歴史博物館の前を通り、「紺のれん」の角を左折すれば途端に市街地が消え、荒寥たる田園地帯になる。すぐにふるさと記念館。エントランスでは後述の朗読会の設営中。
 すぐ企画に入る。仮面ライダーヒストリー展。「J」までは原作者存命で、「クウガ」以降は没後である。1号ライダーとサイクロンの展示はあるが、「昭和」作品は章太郎画を主にした展示で、作品紹介のパネル等は無い。どれほど当時邪道、異端呼ばわりされても「RX」も「J」も原作者存命時の作品であり、それらの章太郎画も展示されている。漫画家や俳優からの色紙等は前回訪問時から増えていないようで、即ちテレ朝ライダー俳優からのは一切無い。
 「クウガ」から最新作「鎧武」までは一作品毎に詳しい紹介パネルがあるが、変身前の主人公が写っている物は少ない。実際にテレビで使われた資材の展示が多い。石森両館で過去に仮面ライダーの企画展は何度も開催されているが、撮影資材の展示はめったに無い。ブレイドの武器はひびが入っている。筆者が一番気に入った展示は「フォーゼ」の仮面ライダー部の旗、如月モータースの看板。
 盛岡組の一人がテレ朝ライダーの出演俳優について実に熱く語る。テレ朝ライダーも「鎧武」で十五作、今やオダギリジョーや佐藤健が仮面ライダーだったと言うと詳しくない人から驚かれたりする。
 「THE FIRST」「THE NEXT」「G」については展示自体無し。
 四人でエントランスの暖炉付近にいると熊谷館長から挨拶される。館長や受付の女子職員達に先日の田口萌との記念写真を見せる。今まであれほど絶賛して来たふるさと記念館女子職員達も、田口に会った後では最早どうでもよくなってしまった。
 十五時頃か、一度自動車で館を出る。三百四十二号線を南下して途中で左折、東進して三百九十八号線に乗り、米谷大橋を渡る。登米市東和町、筆者にとっては初めての道である。市立東和小学校の辺りに「原田氏甲斐宗輔之墓」の標柱を見付ける。伊達騒動の重要人物である。今年五月の「石ノ森章太郎ふるさと記念館」第八十七回訪問記参照。
 山間の三百九十八号線を走り続け、三、四十分ほどで次の目的地・南三陸町さんさん商店街に着く。石巻市の復興マルシェや立町復興ふれあい商店街のような、プレハブ店舗が立ち並ぶ仮設商店街である。周囲はまだ山間だが、地図を見ると海岸まで一キロメートルほど、かの防災対策庁舎もほど近いと言う。気仙沼線の線路の手前に位置しており、気仙沼線BRT志津川駅が隣接している。盛岡組の中には以前も来た事がある人がいるが、筆者は南三陸町自体初めて。
 まだ外は明るい。目当ての飲食店は夕刻からの開店が多いとて、その時間まで四人で各店を見て回り、気に入る品物があれば購入する。筆者は菓子を数点。飲食店、土産物店や床屋等もある。郵便ポストもあるがATMは見当たらない。
 敷地中央のフードコートで飲食店パンフレットを見て作戦会議。暖房はかれているが、出入り口がアコーディオンで閉めても隙間があるので少し寒い。
 十六時半頃から各自目当ての店に入って注文。出来上がった商品は店員がフードコートまで持って来てくれる。筆者は「志のや」の天丼定食を頼む。少し早い夕食。
 我々より先に注文したと思われるお客を店員が何度も呼ぶが出て来ない。
 場内放送でバスケットボールチームの来訪が何度も告げられているが到着は遅れているようである。日も落ちた十七時頃にバスで到着。店舗の中から人々が出て来て選手達を出迎える。
 十七時半前には再び自動車に乗り、途中セブンイレブンに立ち寄って、十八時前にはふるさと記念館に戻る。
 南側駐車場はほぼ埋まっている、何とか駐車できる。十八時から、ふるさと記念館光のページェント点灯式。布施市長と声優・銀河万丈も参列。カウントダウンと共に一斉に点灯。参集している多くの人々から歓声が上がる。続けて市長からの挨拶と、小野寺五典防衛大臣からの祝電披露。政権交代、政党に関わらず、当地選出の国会議員はふるさと記念館に敬意を払っている。
 十八時半より、銀河万丈朗読会「言-ごんべん-」開演。今年二月以来。今回は当日になって演目の変更があり、実際に演じられたのは次のとおり。

 「頭のふりかけ」とは、「タキシードを着たおじさん、実は社長が実演して、薄毛の頭に振りかけて黒くなる」商品。敢えて明記するがスーパーミリオンヘアーだろう。著者の自身の頭髪に対する言い訳じみた説明、通信販売の電話申し込みのやりとりで随時聴衆の間から笑いが起きる。「お子様ランチ」は、今まで食べた事の無かった著者が死ぬ前に一度と思って注文してみた話、いちいち「危ない人と思われる」と言う文句が出て来る。「秘密」の作者は最近薬物で逮捕。作中の母の秘密とは果たして何だったのか。今回もここで休憩で、和服に着替えた銀河が再登場して高座に座り、時代小説「紙吹雪」を読む。これもまた主人公の身にこれから起きるであろう悲劇を予感させての結末。
 銀河の公演中、十九時台も庭でページェントを見る子供達の歓声が聞える。子供は早く帰って寝ろ。
 二十時半までの予定が二十時過ぎには終了。我々一同はまた庭でページェントを見る。暫し楽しんで熊谷館長に挨拶した後、帰途に就く。筆者は石越駅で一人降り、水沢に帰れる最終の便を待つ。九時十一分発、途中一ノ関での四十二分待ちを経て、二十二時三十九分水沢着。

 はっとに海の幸、宮城県北グルメツアー。四輪車の運転免許を取得できない筆者には、何かにつけて盛岡組に便乗させてもらうのが非常にありがたい。感謝。
 到着時間の関係で筆者一人ははっとフェスティバルを少ししか楽しめなかったので、いずれまたきちんと参加したい。
 南三陸町も津波の大きな被害を受け、防災対策庁舎は全国的に有名になった。筆者の復興支援についての考えは度々述べているので繰り返さない。わずかな金額の消費で胸を張るような事でもないが、少なくとも復興の足を引っ張ってはおるまい。BRTで再開した気仙沼線がいつか鉄道で復旧する事を願ってやまない。
 企画展ではテレ朝ライダーの撮影資材が見られたのがよかった。昭和のウルトラシリーズの撮影資材は度々見ているが、仮面ライダーシリーズではどれほど残っているのだろうか。
 今回もまた銀河万丈の素晴らしい朗読を楽しめたが、せっかく演者と聴衆が物理的に近いのだから、簡単な質疑応答程度でも、交流できればいいと思う。
 あの後、さんさん商店街に当該のお客は現れて食事をしたのだろうか。

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