「石森章太郎ふるさと記念館」第九十回訪問記

平成二十五年十一月九日(土)

 天気はいいのだがマシンは事実上の故障中にて鉄道利用。八時二十五分水沢発、九時十六分石越着。少し待って、十九分発の市民バスが来る。車内はほぼ満席、途中で立ちの客も出る。
 章太郎記念館前で下車。その近辺で用事を済ませてから本館に向かう。入館時に十時は過ぎていたと思う。
 第45回特別企画展、石森章太郎生誕75周年企画「仮面ライダーヒストリー展」十月二十六日(土)から一月二十六日(日)まで。
 この日はこの後すぐまた別の用事があるので駆け足での参観である。昭和ライダーと平成ライダーに分けての展示で、今回も「J」までが昭和で、「クウガ」以降が平成の扱い。
 この日展示されていた祝辞、色紙は次のとおり。中には「昨日届いたばかり」もあると言う。

 昭和では1号とサイクロンの展示が目を引く。「J」までの章太郎画も展示されている。作品毎の説明は少ない。
 平成はパネルで各作品が詳しく紹介されているほか、武器等の撮影資材がいくつもある。「フォーゼ」の展示がひときわ大きい。
 長居ができない。手配の自動車で石越駅に向かい、十一時十六分発の仙台行きに乗る。
 次項に続く。

 短時間しか見ていないので詳報や論評は差し控えておく、もう二、三回見る予定ではある。
 ところで西洋史には「長い十九世紀と短い二十世紀」と言う考え方がある。即ち、十九世紀は寛政元年のフランス革命から大正三年の第一次世界大戦勃発まで続き、二十世紀は平成三年のソ連崩壊で終わったとするもの。
 内容的に「真」「ZO」「J」は「クウガ」以降よりも昭和作品に近いのは筆者も認めるし、また「BLACK」から「J」までを一括して第三期、吉川ライダーとも呼んでいる。しかし形式主義者の筆者は「平成ライダー第一号はRX」と呼び続ける。何も筆者に限った事ではない、倉田てつを自らが「オールライダー対大ショッカー」の時に平成初代と発言しているし、ラジオ関西「青春ラジメニアZ」の「平成ライダー特集」では定義でもめて、結局「ZO」の主題歌も流れた。尤も、別に製作側も「日本の支配層乃至国家機関の一部の生物学的交代」に合わせて作品を作ったり、作風を変えたりしているわけでもあるまい。
 余談ながら、平成五年の「ゴジラVSメカゴジラ」が特報では「ゴジラファイブ」と呼ばれたりして、昭和五十九年の「ゴジラ」が「シリーズ第一作」に数えられていたが、昭和に遡ってあれを平成作品と呼ぶのかどうかは知らない。

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