「石森章太郎ふるさと記念館」第八十六回訪問記

平成二十五年四月九日(火)

 温暖な日なので出掛ける事にする。冬の間は乗っていなかったマシンはなかなか起動せず、キックスターターでやっと動き出す。十時頃の出発。
 前沢町内の宇佐美で給油。
 一関市内の国道四号線で交通安全運動の人達から啓発の品物を受け取る。何故か宮城県警が来ている。
   国道三百四十二号線の南下を続けて、数年振りに登米町とよままちに向かう。みやぎの明治村(第二十五回訪問記参照)。
 小学校から着飾った親子連れが出て来る。入学式のようである。
 登米懐古館。企画展「戦うおとこ達のこだわり/刀装魂」四月一日(月)から六月三十日(日)まで。日本刀の主にこしらえの展示である。
 日本刀とは単なる武器ではなく実に美術品であり、また精神的な象徴でもある。展示室内にぎっしりと、見事な品々が並ぶ。「微塵青貝散みじんあおがいちらし」の色に心惹かれる。甲冑や文書類も展示されている。
 入館の際に受付の人から「どちらから」と尋ねられるので「水沢県から」と答える。展示を一通り見た後、受付の人と筆者得意の水沢県について会話をする。登米伊達家当主の著書を一冊買う。
 昼時である。館を出て、その麓にある「とよま観光物産センター遠山之里」に入る。構内の「喰膳 蔵.ら〜」で油麩丼とはっとのセットを食す。更に売店で買い物をしてから出る。
 (有)海老喜商店に立ち寄り、油麩丼のセット(油麩とたれ)、そば、うどん、麺つゆを買う。かなり重いが無理矢理鞄に詰め込む。
 国道三百四十二号線を北上して、浅水小学校の角で左折、本吉街道(国道三百九十八号線、途中から県道四号線)に入って西進する。やがて竹ちゃんラーメンの角を右折、北上してふるさと記念館着。十三時頃だっただろうか。エントランスで女子職員達の出迎えを受ける。去る三日に亡くなった、初代館長・小野寺弘幸氏への弔意を述べる。既に六日、七日に一連の葬儀は済んでいるが当方は事情で参列できず、弔電等は出してある。
 第43回特別企画展「松本零士の世界展」四月六日(土)から七月七日(日)まで。遂に筆者待望の松本零士の登場である。
 周知のとおり章太郎と松本は生年月日が同じで、共にプロデビュー前から雑誌投稿で東西の天才少年と謳われた。筆者は「宇宙戦艦ヤマト」テレビアニメ一作目と同い年で、幼時はまさに昭和五十年代のSFアニメブームの真っ最中だったが、映画館の前に徹夜で並んだり等はしていない。ブームの頃にテレビで見ていたのは順不同でヤマトシリーズ、「銀河鉄道999」、「新竹取物語1000年女王」、「SF西遊記スタージンガー」、「惑星ロボダンガードA」辺りか。「ヤマト」一作目は再放送だと思うし、2やIIIが「まんが日本昔ばなし」の裏番組だったのなら見ていないはずだが、いくつもの劇場版や家にあった絵本の記憶が混交している。一般映画館で見た松本作品は「999エターナル・ファンタジー」のみ。近年の一連の「ヤマト」諸作品は松本作品ではない。
 特に好きなのは「昭和の999」。日テレ系テレビ岩手で多分遅れで見ていて、昭和五十六年三月二十七日(木)、転居の翌日にフジ系仙台放送でいきなり最終回を見る。惑星こうもりのホームでメーテルがしゃがみ込んで鉄郎をグイと抱き寄せてムチュッとやってしまった時の衝撃は忘れられない。当時七歳の筆者にはあまりにも強烈だった。後に平成四、五年頃にテレビ岩手での再放送で改めて「999」の魅力に触れて、以来、テレビシリーズ、テレビスペシャル、劇場版のLDやCDを買い揃えてある。東北本線と北上線を走った「平成九年九月九日」記念の特別列車(野沢雅子も乗車)、水沢市内での展覧会(松本来場)、仙台市での展覧会、プラネタリウム専用映画等、催し物の思い出も語り出せばいろいろある。
 もう一点だけ、松本の著作権についての考え方には疑義がある。筆者も著作権の問題には関心があり、大学院程度の勉強はした事がある。松本は「子々孫々まで権利を伝えたい」「お父さんが建てた家に家族が住んでいるのに、お父さんが亡くなって五十年経ったら家族はその家から出て行かなければならないのか」と言っているが、著作物と不動産では話が全く違う。コピーライトと言うとおり、例えば漫画ならいくらでも印刷して何万人もが同時に楽しめるが、不動産はそのようなわけにはいかない、一軒に何万人も同時に住む事はできない。筆者も有識者にいろいろ尋ねてみて、「どうして松本はあんなに権利即ち金銭にうるさくなってしまったのだろう」と話し合っている。
 さて。エントランスの常設入り口の脇に今回はハーロック、メーテル、鉄郎の等身大パネルが設置されている。
 企画に入る。まず、松本からの挨拶文。少年時代からの章太郎との付き合い。
 原画類は一点物の絵や漫画の部分等。「ヤマト」「999」中心に、SF作品のが多い。今回の企画展ポスターは描き下ろし。東京スカイツリーの聳える空を999号が飛んでいる絵もある。テレビアニメの資料もある。昭和の「ヤマト」劇場版のパンフレットはよりによってプロデューサー西崎の記事のページが開いてある。戦記物は特に無し。少年時代の作品群の復刻版も展示されている。松本と章太郎を併記した年表もある。立体物はメーテルや森雪等の人形や、「男おいどん」に出て来る架空の薬品。テレビセットで劇場版第一作を上映している。名場面につい見入ってしまうが、我が家にもあるのだからここで見る必要はない。
 平日なれば静かな館内。カメラを手に館の内外を取材する。「蔵」は工事中、早くても五月中旬の再開だと言う。生家の中に萬画館のポスターが貼ってある。道端には弘幸氏葬儀案内の立て看板がまだ残っている。館の裏庭の垣根が先日の強風で倒れてしまっていて、工事の業者が出入りしている。
 新年度人事、沼倉・新副館長からの挨拶を受ける。
 エントランスにて各種松本商品販売中。絵葉書、キーホルダー、Tシャツ、図録。今回は巡回展だと言う。
 館に対して、エントランスか生家での弘幸氏追悼展示を提案、要望する。
 十六時頃辞去。伊勢岡神明社参拝をして帰途に就き、まっすぐ帰宅。  

 温暖な陽光の下、快適に走行した一日。
 小野寺弘幸氏に最後に会ったのは一月のメモリアルデー。ここ数年は体調を崩していたとは聞いていたが、訃報に接してやはり残念でならない。氏は「蔵」や生家も含めた記念館施設全体の「おやっさん」だった。「うちの兄貴はね」と、章太郎の思い出を語るのは余人を以て代え難い。改めて哀悼の意を表する。既に館の側には伝えたが、是非とも追悼展示をして欲しい。さらば、おやっさん。
 松本についてはSF作品しか知らない人間が言うのも何だが、特別企画展は「ヤマト」「999」に偏っていたように思う。出世作と言われる割りには「男おいどん」の扱いは極めて小さかった。松本メーター、メカ好きの松本なのだから、ヒロイン人形のみならず各種宇宙戦艦や銀河鉄道車両の模型等も飾って欲しかった。されど会期中にもう一、二回は見たい。
 ついでに。登米懐古館の刀装展は実に見応えがあり、盛岡市からでも見に来る値打ちはある。是非とも、南部領の人達に伊達の城下町を案内したいものだ。

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