「石森章太郎ふるさと記念館」第七十六回訪問記

平成二十四年一月二十九日(日)

 今年も新年最初の宮城県行はふるさと記念館メモリアルデー。今回は漫画家の山田ゴロ、細井雄二、中島昌利、桜多吾作(当日の着席順)によるトークショー。いずれも今期の特別企画展に出品している。
 いつもの東北本線八時二十六分水沢発、九時十六分石越着。電車の一ノ関での乗り換えは五分間だし、石越駅前からのバスも電車到着三分後の十九分発。この日のバスは割りと乗客が多い。現地晴れ。
 二十分ほどで石森仲町で下車。伊勢岡神明社参拝。そして北側から記念館の敷地に入る。会場の本館エントランスはまだ空いている。いつもは演壇は東向きに設営されているが、今回は表を背に西向きにされている。
 石巻市のSEI氏と再会。宮内洋と前田公園V3像以来、約二年振りの再会である。彼は丁度萬画館の中にいた時に大地震に襲われ、また自宅も浸水の被害を受けた被災者であり、直後からブログで石巻市の状況を発信し続けた。ネットで互いの無事を確認し合ってはいたが、大地震後に会うのは初めてである。再会を喜び合う。SEI氏はメモリアルデー参加は初めてだと言う。
 氏と二人でエントランスの暖炉の前に腰掛けて会話をしていると、暗黒大公さんですかと話し掛けて来る人がいる。我が「帝國」の愛読者で、また細井のファンだと言う。その人を交えて三人でいろいろ会話をする。SEI氏は持参のノートパソコンを起動して自らのブログにアクセスし、被災の様子を話す。細井ファンの人は、細井画の「秘密戦隊ゴレンジャー」を持参している。筆者も見せてもらう。実は筆者小学生の頃、桜多の名前を「さくら・たごさく」と読んでいた。
 やがて会場には続々と人々が集まって来る。顔なじみの常連氏達に挨拶する。
 南側駐車場に出てみる。恒例の餅つき、餅バイキング。今回も納豆、鮭フレーク、野菜等、何種類もの具が用意されている。好きな餅を皿に取って、筆者もSEI氏も何皿も、何種類も喰う。SEI氏は普段ブログで食品、食事についての記事が多く、筆者は相変わらず登米市では食欲が増進する。
 隣の旧幼稚園ではこれも恒例のマンガ教室や凧作りをしている。
 餅をたらふく喰ったはずだが、更に筆者とSEI氏は竹ちゃんラーメンに向かい、みそスープラーメン三百八十円を一杯ずつ。
 閉鎖中の生家の災害復旧工事が始まっている。期間は三月十六日まで、施工者は(株)イシケン、代表者石川久。
 特別企画展をまた見てみる。SEI氏も、シュガー佐藤の作風の幅広さに感心する。
 トークショーは十三時半からの予定だが、二十五分頃から只野主幹の説明が始まる。空席はやがて埋まる。友の会の小野寺会長が挨拶する。布施市長から祝辞が述べられ、また生家再開について言及がある。
 四人の漫画家入場。また、客席には工藤稜がいる。以下、山田が進行を務める。山田が話題を提起して各人が喋ると言う形式。四人の出演者のうち、最年少は山田で最年長は桜多だと言う。
 四人と章太郎、また四人各人同士の出会いの思い出が語られる。時折、噺の脚色について他の人から異議が申し立てられる。
 章太郎の一番弟子は今年亡くなった野口竜、最後の弟子は早瀬マサトだと言う。他に、ひおあきら、かわあきら、すがやみつる、山上たつひこ、永井豪、川崎のぼるも話題に上る。章太郎ファンクラブの青柳会長が客席から時々野次を飛ばす。山田曰く、同会長は石森プロの生き字引ならぬ生き地獄。
 各人の発言から章太郎の人柄や、漫画業界の厳しさが浮かび上がる。そして、章太郎の故郷であるここ登米市は弟子達にとっても故郷のように感じられるようである。興味深い噺の連続で、会場は終始爆笑の嵐。
 石巻市の萬画館は山田ゴロ展の最中に被災して当該企画展は中断してしまい、また予定されていたトークショー第二弾も未開催のまま。質疑応答でSEI氏は、萬画館再開の際は是非また来て欲しいと山田に要望し、山田もそうすると応ずる。
 十五時頃、工藤稜も参加してサイン色紙プレゼントのじゃんけん大会。トークショーの四人はそれぞれの画風で描いた章太郎の似顔絵、工藤は仮面ライダーの絵。筆者は全敗。
 以上でお開き。SEI氏の自動車で石越駅まで送ってもらい、再会を期して別れる。十六時一分の下りに乗り、五十分着。

 トークショーでは危険な話題がいろいろ飛び出したので内容紹介は控え目にしておく。今回の出演者で以前から筆者が名前を知っていたのは山田と桜多だけだが、各人の発言はそれぞれ面白く、大変楽しく聴けた。
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