「石森章太郎ふるさと記念館」第七十二回訪問記

平成二十三年六月二十五日(土)

 友の会総会出席のみで本館には入っていない。
 十七時頃にマシンで出発。晴れ。前回訪問時から三ヶ月近く経過して、国道の信号機は復旧している。しかしまだ花泉町内の路面は所々片側交互通行になっている。往復とも県道百九十号線経由。
 夕闇迫る十八時過ぎ、伊勢岡神明社に参拝してから本館北側駐車場にマシンを置く。既に閉館時刻を過ぎている。南側に出て、たけちゃんラーメンで会場の南町会館の場所を尋ね、そのとおりに歩く。案内葉書には記念館から徒歩五分と書いてあるが、実際は十分程度かかったように思う。
 表通りから一本奥に入って南下、やがて見えて来る会場。田圃の中の集会所である。
 十八時半から座敷にて開会。出席者は二、三十人ほどか。記念館側の出席者は熊谷館長、只野主幹、粕谷女史。いつもの石森ふれあいセンターは諸般の事情で使えず。
 配布の資料のとおりに議事が進み、出席者からの質問に友の会執行部や記念館が回答する。特に紛糾もせず、全て原案どおり可決。
 引き続き生家は閉鎖中、「めだか」も休業中である。熊谷館長の説明によれば、記念館を管轄する市教育委は市内の学校の修繕を優先しているので生家は後回しだが、今年度中には修繕したいとの事。「めだか」は蔵の損壊が激しく費用が数千万円掛かり、まだ再開の目途が立たないと言う。生家使用不能で恒例行事開催にも影響が出る。
 新年度の記念館人事について。新館長熊谷氏については前回訪問記で述べたが、氏は同時に市の生涯教育担当の最高責任者として他の施設の館長も兼任し、ふるさと記念館には常駐しなくなっている。職員削減の為に後任副館長は置かれず、常駐では只野主幹が筆頭。
 一時間ほどで総会終了。その場で懇親会に入る。飲み、喰い、話す。田圃から蛙の鳴き声が聞える。
 二十一時半頃に辞去。
 改めて生家と「めだか」の蔵を見る。生家の様子は変わりないが、蔵は表通りに面した全面が、郵便ポストや石碑ごとブルーシートで覆われ、前回訪問時よりもひどくなったようである。蔵の前や駐車場には「平常通り開館しております」と言う看板が立てられている。
 二十三時頃に帰着。

 やはり記念館業務への地震の影響である。「めだか」が無いと、筆者のように毎回丸一日記念館で過ごす者にとっては食事が不便である。近所の食事場所はたけちゃんラーメンくらいだと思う、近いコンビニエンスストアでも一キロメートルほど離れている。友の会夏祭りのように多くの屋台が出る日ならいいが、催し物の為に早朝から行列ができる日は多くの人が困るだろう。筆者はふるさと記念館訪問時の食事の利便性について開館当初から指摘して来た。
 萬画館についてはいち早く寄付金口座開設や各方面からの支援表明があったが、ふるさと記念館に関してはそのような動きは寡聞にして知らず。今回の震災は世間一般では沿岸の水害ばかりが注目されているような感じは受ける。沿岸に比べれば内陸の被害は軽微ではあろうが、それでも被災地には違いない。中瀬の大惨事は何度も全国報道されているがふるさと記念館関連施設の被害は知る人ぞ知る事象。しかしながら学校優先と言う市教育委の方針に筆者も賛成だし、学校を後回しにして生家や蔵を直してくれと言うつもりも無い。

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