「石森章太郎ふるさと記念館」第七回訪問記

平成十三年四月二十八日(土)

 目的地が石巻市でも中田町でも、九時十二分水沢発の上り列車というのが定番である。石越着は十時八分、すぐ十五分発の宮交登米バスに乗車して石森仲町で下車。例によって筆者の他に記念館行と思われる人は見掛けない。いい天気。
 石森章太郎生家に向かう。この四月一日から無料一般公開されている。二月に前を通った際は中田町長発注の工事をしていた、一般公開に向けての改装工事だったのだ。
 商家の作りの古い建物、ガラガラと引き戸を開けて入る。説明係の女性の出迎えを受ける。
 かなり広い土間、嘗ては米や文房具、郵便切手類等を売る店だったそうだ。右手にはソファーが置かれている、嘗て章太郎の父・康太郎こうたろう氏の部屋にあった物だという。左手にはショーケース、その中には「仮面ライダー」「人造人間キカイダー」「サイボーグ009」人形や「快傑ハリマオ」掲載雑誌、そして章太郎幼時の落書き帳。「仮面ライダー」人形は往時の古ぼけた物や近年のUFOキャッチャー商品等。「サイボーグ」人形は001、002、003。「キカイダー」と共に最近流行の所謂フィギュアである。今年一月の矢口高雄パーティーの会場の廊下に飾られていたのと同じ物だ。係の女性は小学生の頃テレビの「ハリマオ」を見ていたと言うので、筆者は今CS、ケーブルテレビで放送中であり、筆者も見ていることを話す。
 靴を脱いで座敷に上がる、畳敷きのかなり広い、且つ古い部屋。建物自体は百年以上経過しているという。
 畳は新品に交換済みだそうだが天井は昔のまま。座敷に上がってすぐ左手に古いラジオ。テレビの普及前、ラジオが家族団欒の中心だった時代の物だろう。その手前に小さな木馬、章太郎が子供の頃に乗って遊んだ物。すごい物が残っているものだ。
 章太郎やその両親が地元から贈られた賞状類が多数飾られている。また、章太郎兄弟の写真や解説が展示され、往時の小野寺家の食卓の席順図まである。黒ずんでしまって最早解読できない、由来不明の不気味な額も掲げられている。
 神棚にはこれまた古そうな恵比須、大黒。
 卓の上には芳名帳と、去年のふるさと記念館開館初日の写真。
 奥の部屋にはこれも年季の入った端午の節句の人形が飾られている、再上段中央には東征の神(神)武帝、その下の段には武藏坊辨慶や加藤清正公虎退治等。
 座敷にもショーケースあり、章太郎の愛読書。
 庭の東側には石楠花しゃくなげが咲いている。また、もみじの大きな古木があり、秋は大変美しいという。井戸は蓋がされている。南側には池だった窪み。草木がいろいろ植えられている。
 急な階段を上がって二階へ。洋室、章太郎の部屋だった所。机や卓上灯が残されている、巨匠は嘗てこの部屋にいたのである。その隣の和室には昔のステレオ。
 土間に降りてソファーに掛けてみる。康太郎氏が知人を招いてこのソファーでくつろいでいたのだという。
 係の女性と歓談等して小一時間も過ごす。再会を期して退出。
 記念館へ。茶屋に入ると店員の女性から声を掛けてくる、またいらっしゃいましたねと。もうここでも常連である。先週は石巻市を訪問したと語れば萬画館はどれくらい出来ているかと問われるので外観は殆ど出来ていると答える。売店を一通り見る、「アギト」関連玩具や新刊書が入荷。
 記念館のエントランスに差しかかると締め込み姿の力士像が立っていてギョッとする。四月五日から六月十七日まで第4回特別企画展「ちばてつやとすてきな仲間たち展」PART1開催、力士像は「のたり松太郎」の坂口松太郎。この展覧会は全国を巡回して最終開催地がここ。エントランスには他に「のたり」田中清、「おれは鉄兵」上杉鉄兵、「みそっかす」北小路秀磨が立っている。田中清は昭和六十年前後の小兵力士・栃剣がモデル、確かに顔は似ている。
 写真集「時代が呼んだ顔 撮っておきのマンガ家たち」(撮影・齋藤亮一)掲載作品が掲示板に貼られている。白黒で漫画家達の仕事振りや日常生活を示す。
 怖がって常設展示室入室を嫌がる女児あり、この記念館を怖がる人を見たのは筆者初めて。
 「クウガ」と「アギト」の番組宣伝ポスターが貼られている、この記念館にもやっと「アギト」登場。
 企画展示室に入る。ちばてつや、筆者の父と同い年。「ジョー」「鉄兵」は筆者も幼時にテレビアニメを見ていた記憶はある。
 彼の経歴で「一家で韓国へ」という記述があるが、ちばが渡った当時は日本領であり、韓「国」とは併合前の李朝か戦後の大韓民国を指すのだから、この場合は朝鮮とすべきだろう。戦前の事について現呼称で韓国と書くならば、後の事項の満州は同様に中国と書かなければならない。
 漫画家達から寄せられた色紙。筆頭に飾られているのは石森章太郎、島村と矢吹の「両ジョー」が握手をする図。1997と書かれているから死の前年の物である。それぞれの漫画家がちばキャラを自分の画風で描いているのが面白い、「ジョー」「松太郎」「紫電改のタカ」が多いように思う。マジックペンであっさり描いたものや丁寧に描き込まれた物まで様々だが、臼井儀人よ、鉛筆の下書きを残したままというのは失礼ではないか。ウノ・カマキリ画の哲学者然とした表情のちば肖像が気に入る。
 解説と共に原画の展示。十七歳でのデビューは章太郎同様早い。可愛らしい少女を描く漫画家だと思う、実は少女がなかなかうまく描けなくて苦労したそうだが。
 ショーケースの中に「ジョー」のビデオやミュージッククリップCD等が入っている。
 幸子ゆきこ夫人は元はちばのアシスタントだったそうで、今回は夫人による漫画も展示。ちば夫妻の写真パネルも並べられている。
 企画展示室入り口に「みそっかす」上条茜、一番奥の隅に「あした天気になあれ」向太陽の像。
 もう何度も見ている常設展示室だが、入場券を機械に突っ込んでまた入る。蔵書の「大江戸相撲列伝」に「谷風は私利私欲の為に横綱制度を作り、過去の伝説の力士三人に始祖から三人目までを追贈して自分は四人目に収まり、公正を装う為に小野川にも与えた」という記述があるがこれはあり得ない。如何に谷風が強豪と雖も白石藩抱えの一力士に相撲家元・吉田司家や相撲会所(今の協会)を動かすような力は無い。それに明石に始まり武蔵丸で六十七人目となる現行の横綱号数は幕末在位の元横綱・陣幕が明治時代に考案したものであり、谷風の時代には当然まだ何人目横綱という数え方は無い。丁度十年前に高校の文化祭でその谷風の研究発表をした筆者、谷風関連の資料は何種類も当たったが横綱制度の創設者が谷風等という珍説は初耳である。
 再び茶屋へ。ピザ二つとコーヒーを食す。勿論サブレも購入。
 いい天気である。そよ風が吹く。エントランスから中庭に出て、そこに出してある椅子に掛け、持参した東北版官製絵入り葉書「21世紀にわたしたちが伝えたい東北のもの」第1集と「サイボーグ009」で恩師や友人に便りを書く。六枚。そしてエントランス備え付けの日付入りスタンプを押す。
 十四時半頃に記念館を退出、門前の丸ポストに先程執筆の便りを出す。ここに投函するとすぐ近くの石森局の消印が押される。投函していると記念館の係員の男性が追いかけてきて筆者に挨拶、企画展の度においで下さっているそうでと。わざわざ丁寧な挨拶をされて筆者も恐縮、確かに常連だが一愛好家に過ぎない。
 石森の通りの街路灯が新調されている。
 まだ少し時間があれば伊勢岡神明社参拝。十四時三十八分のバスに乗り、十五時十分の下り列車で水沢に向かう。この日乗ったバスは往復とも同じ運転手だった。
 今回も大変楽しい一日だった。生家の見学で巨匠が身近に感じられた。
 相変わらず漫画は全く読まない筆者だが、記念館での特別企画展は毎回楽しめている。全体の中から数枚の原画だけ鑑賞するのは勿論ストーリー漫画本来の鑑賞法ではないだろう、けれども単体の絵画作品としても十分楽しめる。また、毎回他の漫画家達から寄せられる色紙は本当に楽しい。
 筆者は官製絵入り葉書を持参したが、売店で絵葉書類は何種類も売っているし、切手類はすぐ近くに石森局がある。ここを訪れたら誰かに旅の便りを出すのも一興。
 石巻市は「マンガを生かした街づくり」、中田町石森地区も記念館のみならず生家改装や街路灯新調等、近辺一帯で「章太郎の故郷」を整備、構成している。筆者も石森地区自体が気に入っている、これからも通い続けようと思う。

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