「石森章太郎ふるさと記念館」第六十四回訪問記

平成二十二年六月十三日(日)

 宮内洋、説明不要の天下のヒーロー役者。筆者も以前から宮城県への来訪を希望していたが今般ついに実現、登米市でV3像の除幕式に参列、また記念館でトーク&サイン会を開催する。その一日の見聞記。
 前日二十三時過ぎに帰宅して就寝は日付が変わった一時。テレビのオンタイマー機能まで動員して三台の目覚ましを設定し、四時十五分起床。身支度をして五時頃マシンで出発。曇天の下を走る。国道四号線一関市内南下中に雨が降り出して雨具を着るが、本降りと言うほどでもなく霧雨にしては強い、中途半端な雨。
 最近あまり自動二輪に乗っていなくて給油のタイミングを忘れている(燃料計はついていない)。四号線から左折する手前辺りで五リットルのタンクが燃料切れ。一リットルの予備タンクに切り替え、走りながら給油所を探すも日曜早朝ではどの店もまだ開いていないし、二十四時間営業の店は既に通過済み。確か一リットルで二、三十キロメートルもつはずだが下り坂ではエンジンを切るなどして何とか走り続け、六時過ぎに記念館着。無事たどりつけて本当に安堵する。
 北側駐車場にマシンを置いて先着五十人のサイン会整理券の行列の最後尾に並ぶ。本館建物の脇、十八番。筆者の数人前に、前年の安彦良和の時にも一緒になった盛岡友人(今回は一人)がいる。この時点で九時半の開場まで三時間以上あるが、列の前後の人達と会話をして全く退屈しない。昔の飛び出す絵本等を持参、披露する人がいて筆者も見せてもらう。
 NHK「ゲゲゲの女房」を見ている人が多い、筆者もその一人。水木しげるが極貧に苦しんでいた頃、章太郎は既に人気漫画家であった。四十歳を過ぎて売れ出した大器晩成型と、高校在学中デビューの早熟の天才。対照的な二人だ。番組には村上弘明と鈴木裕樹、岩手県出身の変身ヒーローが二人出演している。「岩手ことば指導」も何も、鈴木自身がネイティブスピーカーである。鈴木の出身地・北上市と役柄の小林太一の出身地・遠野市は共に盛岡領。但し、いつも言っているが世間の所謂「岩手方言」は実際は南部、盛岡方言であり県南の仙台領の言葉とは違う。水沢市の言葉は盛岡市よりも寧ろ登米市や石巻市に近い。
 更に列は伸び続け、倉田てつをの時以来の石巻友人も来る。最終的に列は今回も隣の安永寺にまで突入する。倉田、安彦、宮内と回を追う度に参集者が多くなっている。タクシーもひっきりなしに発着する。今回は南側駐車場にやたらHONDAの自動二輪が目立つ、五、六台も並ぶ。自動車学校で何度も圧殺されそうになった苦い思い出があるのでCB400は大嫌いだ。
 九時半開場。エントランスで整理券を受領する。石巻友人は五十人に間に合わず、整理券入手失敗。
 以後、盛岡友人、石巻友人と共に三人で行動する。まず生家に赴くが、この日は小野寺夫妻共に休み。建物内を一通り案内してから外に出て、伊勢岡神明社、旧石森役場跡、笠原氏の家の前を経由して石大神社まで歩く。
 石大神社から引き返し、石森小学校から北上して斜め向かいの前田公園に着く。十一時頃。ここにも既に多くの人々が集まり、座席は満席で筆者達は立ち見。良い場所を求めて移動。
 十一時二十分頃に宮内を含む来賓達入場。
 十一時半より、石森章太郎ふるさと記念館十周年記念「前田公園開園式」。司会は地元コミュニティーFMの女性アナウンサー。尚、このアナウンサーは後刻宮内の事を「山内」と間違える。
 讀賣が取材に来ている。
 市長欠席で主催者挨拶は代読。
 建設部都市計画課から事業報告。報告者は「私はV3の放送と同年の生まれで、明日は宮内と共に誕生日」と発言して会場から拍手を受ける。
 開園のことばは石森小児童代表女児。
 来賓祝辞で宮内登壇。今般1号2号ではなくV3の像が建立された事について、人気の証し、ざまあみろと叫ぶ。
 来賓紹介では石森プロ社長と副社長、平山亨、上院議員大石正光等も紹介される。
 来賓達によってテープカット、そして宮内の手によってモニュメント除幕。百五十センチメートルほどの台座の上に、石森萬画風だが石巻市役所前のとはポーズの違うV3像が出現する。その台座の前の地面には巨大なダブルタイフーンが設置されている。
 記念手形造形。ダブルタイフーンの前で宮内が手形を型押しする。
 以上で閉会、正午頃。
 筆者達は徒歩で記念館に戻る。企画も大入りだが、やはり物足りない展示だと思う。
 前日に撮影した平山亨との記念写真をエントランスの館職員に託そうとすると、本人が事務室にいるから直接渡せと促される。ここで筆者の「顔」の行使、即ち事務室に入って本人に写真を渡し、友人二人を引き合わせる。平山大喜び、そして「スカイ」の思い出を語って止まらない。
 萬画館常連の福島友人と合流。満席の「めだか」で席が空くのを待って四人で昼食。一人はそば、筆者を含む三人はカレー。この日はそばが品切れ。
 十三時半からトーク&サイン会。司会は熊谷副館長。エントランス超満員、筆者も立ち見。こちらには市長も出席して「ライダースナック世代」を名乗る。
 宮内は演壇を撤去させ、また記念館との事前調整を無視して会場との一問一答で進める事を宣言。会場からは様々な質問が出て、それらに回答する。また女性客からの台詞やポーズをして見せてと言う注文にも応じる。質問者も興奮して言葉がなかなか出て来なかったり、声が上ずったりしている。時には子供質問者と共に「V3」主題歌を歌う。話題は主演の石森四作品の他に救急警察や「キイハンター」等にも及ぶ。宮内が何か喋るといちいち拍手、歓声。
 仙台市から来た客が「登米市はあまり近くない」と言うのを宮内は不審に思ったようだが、要するに彼も「仙台」と宮城県の区別がつかないのだろう。ここは岩手県一関市花泉町の隣である。
 今回も出る、宮内の後輩ライダー批判。「最近の仮面ライダーは最低」と断じるとやはりまた大喝采。NHK・BS2「とことん! 石森章太郎」の時と同様、ライダー同士の戦いを批判し、また母親視聴者狙いをこざかしいと斬り捨てる。また、巨大化なんてくだらない、巨大化したらウルトラマンと同じと評する。今の作品は絵はきれいでも心に残らないと主張するが、その点では四十年近く経っても愛され続け、新しい愛好家を得ている「V3」であるから宮内は他の作品の事を色々言えるだろう。
 通説或いは風説の幾つかをデマだと明言する。
 宮内アクションチームの紹介。
 翌日が宮内誕生日。駆け付けた愛好家女性と、記念館それぞれから記念品贈呈。
 一時間で第一部終了。宮内退場、会場整理。筆者達も一度本館を出て「めだか」でソフトクリームを喰っていると二階に宮内が上がって行く。
 再び本館へ。第二部のサイン会開始。本館準備の色紙にサイン、記念撮影。
 本当は先着五十人のはずだったが宮内は希望者全員にサインをすると宣言。「快傑ズバット」LDの件を知っていたので「皆にサインするまで帰らない」とでも言うのではないかと予想していたらそのとおり。間に合わなかった石巻友人もめでたくサイン入手。
 その後、皆で暫く館のあちこちを見る。
 友人達は携帯電話でブログやツイッターの発信をしている。筆者はどうも電話自体が嫌い、苦手で、やむを得ず七年ばかり持っていたPHSも、故障を機につい先日解約して現在は持っていない。今や我が「帝國」のように、自分でhtmlファイルを書いてアップロードする方式でウェブを更新し続ける個人も少数派であろう。十五、六年前にワープロ専用機でパソ通を始めた頃はITに弱い職場の上役から怪しい魔法使いのように言われ、別の人からは「インターネットでメールのやり取りなんて変態」等と言われたものだが、その筆者こそ現在は時代遅れである。中庭で歓談している時に地震、友人の一人は早速ツイッターで発信する。
 友人達と再会を期して十六時半頃解散。
 石森小学校手前の泉田油店で給油、五・七リットル。本当にぎりぎりだったのだ。
 再び前田公園。式典資材は撤去済みだがまだ少なからぬ人々がいて、早速子供達は遊んでいる。しかしまだ滑り台もブランコも無い、急ごしらえの公園である。一関市から来たと言う青年二人と会話、彼等は筆者の服装に気付く。
 帰途では降られず十八時頃に帰宅。
 翌日の讀賣、「コボちゃん」一万回の下に除幕式の記事が写真入りで載る。

 麻生政権での構想について民主党は「国営マンガ喫茶」と批判的だった。その民主党が政権を盗って例の「仕分け」が注目された。そして宮城県は「民主王国」であり(岩手県は小澤王国)、石森地区出身の上院議員もいるので、場合によっては石森プロジェクトにとって逆風になるかも知れないと筆者は考えていたが、今回のように市長も上院議員も今までどおり推進の姿勢であれば心配は無用のようだ。
 とにかく大盛況だった事である。このような僻地でもそれなりのゲストを呼べば人は集まる。開館当時には記念館に対しての地元からの否定的な反応も見聞したが、これだけ人を呼べればもう誰も文句言えまい。
 宮内の(今回は「J」も含むので)平成ライダー批判には筆者は勿論同調しない。ただ、視聴者の心に残る、語り継がれる作品と言う事では宮内は胸を張れる。果たしてテレ朝ライダーは語り継がれるか、そろそろ子供の頃に「クウガ」を見ていたのが「ディケイド」に出演したりしてはいる。とにかく宮内の発言の基調は「自信と誇り」に尽きる。
 ライダーシリーズ第二期即ち「スカイライダー」「スーパー1」の不人気不遇については度々言及しているが、確かに筆者や友人達は第二期世代人であり、番組を見ていたのである。番組プロデューサー平山は「見てました」と言う我々の言葉に大喜びし、その喜ぶ姿を見て我々も嬉しい。今までに登米市や石巻市で何度か平山を見ているが、彼は「一言」挨拶を求められるといろいろ喋り出す癖があるようだ。これからも元気でいて欲しい。
 千客万来大入満員は良い事だが、あまりにも混むと本館や「めだか」の人達と会話をする事もままならぬ。大常連ならではの不満。
 今回、例によって間違えて萬画館に行った人が何人いるか。石巻市民よ、県外で「仙台出身」を名乗るのはやめよ。石巻市民からしてそう言う姿勢だから、県外人からは石巻市も登米市も「仙台」だと思われてしまうのだ。

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