「石森章太郎ふるさと記念館」第五十八回訪問記

平成二十一年十月十一日(日)

 ガンダム展にちなみ、安彦良和トーク&サイン会開催。そしてこの月は筆者が初めて当時の中田町を訪れてから十周年。
 十月に入ってから、安彦監督作品「巨神ゴーグ」のLD‐BOX鑑賞。仙台放送では水曜日の夕方の放送だったと記憶する。筆者の手持ちソフトでは唯一の安彦作品。地味と言われればそれまでだが筆者は大好きな作品である、まさに「ロボットアニメ版『宝島』」。オープニングで頭に乗せた由宇を守りつつGAILのヘリコプターと戦うゴーグが特に好きだ。どうしてオープニングで仲間達が走って来る場面にはトメニクがいないのだろう。
 宮城県を訪問する時はどうしても五時前に目が覚めるが目覚ましが鳴るまで寝ておく。六時四十五分頃に少し厚めに着込んでマシンで出る。走行中は少々寒い。
 一時間強で着いて北側駐車場にマシンを置く。果たして既に長蛇の列、今回は徹夜組も出たと言う。列の最後尾に付けば去年の倉田てつをの時と同じくまたも「めだか」の前。そして集まっているのはやはりその筋の愛好家ばかり。山形県の常連氏と共に並ぶ。
 九時半の開場まで間がある。列の前後の人々と会話をする。暇潰しに、鞄から雑誌「宇宙船」を取り出して目を通す。筆者の前に並ぶ派手な服装をした若い女性二人組は「キカイダー01」の志穂美悦子の写真を見て、古臭いと馬鹿にするのではなくかわいいと絶賛。意外な反応だと筆者は思う。筆者の後ろに並んでいるのは高一の時に「ガンダム」に出会った母親とその二人の子。最近は親子で楽しんでいる例も珍しくない。筆者は親と共通の趣味が殆ど無く、いつも馬鹿にされて育った。
 行列はどんどん伸び、本館の門を出てとうとう隣の安永寺にまで到達する。
 九時半会場で列が動く。本館エントランスに入る。先着七十人のサイン会整理券、筆者は五十二番で取得。倉田てつをの時より早く到着したのに番号は後ろ、危ない危ない。
 本館を出て「めだか」に向かっていると、列に並んでいる盛岡市の知人二人組(以下「盛岡組」)から声を掛けられる、やはり来ていたかと。
 「めだか」で関係者に挨拶し、また盛岡組と再会を喜ぶ。この日も店頭に山積みのガンプラ。会期中よく売れていると言う。
 例によって催し物まで間がある。盛岡組と共に生家に移動、岩手県出身の案内係の女性に引き合わせる。彼女も盛岡市にいたことがある。盛岡組に生家内を案内する。
 皆でコーヒー飲みつつ談笑。盛岡組相手に郷土史冊子「石母里のさと 石森みちしるべ」をネタに当地についての話をする。盛岡組の一人は軍事通で、海軍中佐・鈴木三守に関心を示す。その筋では有名だそうである。
 四、五人ほどの青年達の一団が生家に入って来るので筆者は席を立ち、彼等にも生家内の案内をする。筆者自身は知り尽くしているので今や人に案内する方に回っている。どちらからと尋ねれば青森県しかも津軽地方、筆者の親戚も津軽地方なのでその話で盛り上がる。
 この日限定でウケたネタ。生家内を案内する際に、まず上がり口左手のテレビの前に置いてある章太郎愛用の玩具を指して「今日はガンダムだけに木馬」。
 まだ間があって天気も悪くないので、盛岡組と外に出て徒歩で石森地区を案内する。まず伊勢岡神明社、ここで数年前に誤字を指摘したのにまだ訂正されない案内板、石碑の内容等を説明する。
 次に裏小路を通って石森小学校近辺、ロボコン像。路傍の柳津虚空蔵尊(登米市内の寺院)のポスターは「仮面ライダー海斗」の上に紙を貼って「シージェッター海斗」に直してある。海斗の営業先である。児童の自転車五台が並べて置いてあり、同車種で五台それぞれ色が違うのでまさにスーパー戦隊原作者の地元だと一同大ウケ。
 少し記念館側に戻って石森郵便局前のエッちゃん像も確認。
 小学校の裏手の丘は旧石森領主笠原氏、即ち石森の殿様の子孫が今も住んでいる。屋敷の前まで行って「ここが殿様の家」程度の話をする。果たして当主に「元・格さん」の家老や幼なじみの寿司屋がいるかどうかは知らない。
 歩く。石大神社。ここでも石碑の案内等をする。本殿脇の斜面を上がってみるが小さな石の祠くらいしか無い。人気ひとけの無い境内、林。改めて見ると「ガメラ3」のような雰囲気。
 石大神社からまた本館に向かう。旧役場跡前を通り、北側から本館に入る。これが正午頃。
 「めだか」で昼食。三人で油麩そば。遠来の客には地元産品を勧める。
 本館の企画に入る。今回は撮影可なので大いに写真撮れ。しかしギレン・ザビが今の筆者と同年とは思わず。意外と若かったのかあの番組の登場人物は。
 常設では入れ替えて「009」原画を展示中。ここでも萬画館でも「009」は何度取り上げても取り上げ過ぎと言う事はあるまい。
 開館記念に各漫画家から送られた扇子を久方振りに見る。どうも世間では、この扇子の中では原哲夫の描いた009が一番人気のようである。
 既に大入りのエントランス、客席に着く。
 十三時半から安彦良和トーク&サイン会。まず熊谷副館長が開会の挨拶を行い、トークショーの進行は漫画家・工藤稜に引き継ぐ。
 安彦良和、所沢市からはるばる来場。トークは工藤によるインタビューで進行する。安彦と石森の関係については、何度か会ったことはあるが格が違い過ぎてこちらからは仰ぎ見ていたと語る。
 徳間書店が石森の為に雑誌を創刊するが不振でその石森を切り捨てたと言う例を挙げて、漫画界の恐ろしさを語る。しかし切り捨てられた石森は腐らずに「HOTEL」「日本経済入門」等で次の黄金期を迎えたと評する。筆者にとって昭和六十二年は勿論「BLACK」の年だが、当時世間では専ら「経済」を話題にしていたような気がする。
 話の中心は当然「初代ガンダム」で、作品誕生秘話や各スタッフの役割分担、アムロとシャアの設定、漫画「オリジン」等。監督の富野その他とは阿吽の呼吸で仕事を進めたと言う。
 三十年前、「ガンダム」とテレビの「宇宙戦艦ヤマト」、漫画「アリオン」を同時進行して体を壊し入院したと言う経験から、話題が「ヤマト」プロデューサー西崎義展に移る。これが実に強烈な秘話が次々に飛び出して場内大爆笑。本人不在の場での西崎に不利な話をここで逐一紹介するのは敢えて避けるが、次の一言が言い得て妙、「ヤクザみたいな人で本当に刑務所入り」。しかしアニメと言う子供文化を大人の物に引き上げた旗手であり、その点では石森の「萬画」に(若干)通じると言う。総じて「ひどい人だが功績は認める」と言う事。
 影響を受けた先人として手塚治虫、横山光輝、石森を挙げる。自身はアニメーターを辞めてからアニメ絶ちをしてテレビにアニメが映ったらすぐ消してしまうほどだが、たまにレンタル店から借りて見ており、細田守に注目しているとの事。筆者は細田作品と言えば「ゲゲゲの鬼太郎」第四期が思い出される。今後もアニメへの復帰のつもりはないと言う。
 石ノ森と大友克洋の出た登米市を妙な風土、恐ろしい場所だと言う。くりこま高原駅を降りてから見た景色を日本の原風景と評する。要するに何も無い田舎と言う事だろう。
 安彦にとって「ガンダム」は初代が全てで、最近はシリーズの中で埋没しているので「オリジン」を描いた、「F91」は不本意な仕事だったと言う。その「オリジン」も三年のつもりが十年。
 トークの途中で、立ち見の中に萬画館の関係者、常連の姿を見付ける。
 三十分の予定が四十五分ほどのトーク。その後、場内を片付けてサイン会。会場内で販売の物か各人持参の安彦著に限りサイン。大部分の人は「ガンダム」の本だったが筆者が持参したのは手元にあった唯一の安彦著、前述「ゴーグ」の封入特典の設定画・イラスト集。黒い表紙に銀色のペンで書いてもらう。インクが乾くまで暫し待つ。
 盛岡組と萬画館常連氏を引き合わせて四人合流。「めだか」で各人違うジュースを注文して乾杯、歓談。また、企画や常設も見る。本館は大変な混雑。
 盛岡組は一足早く帰途に就く。筆者はもう少し居残り、館の関係者と話をする。
 十七時少し前に辞去。帰途が寒くて暗くてひどい目に遭う。

 大盛況で関係者ウハウハ。やはりその道の著名人来場となれば、解っている人は遠方からでも多数押し寄せる。どうも大都市圏の人には理解し難いようだが、広い上に交通が不便な東北地方は、場所によっては隣の県に出るだけで大旅行なのだ。それでもこのように大勢がやって来る。嬉しい事だ。これからもふるさと記念館には大物を招いて欲しい。このような僻地でもそれなりのゲストを迎えればそれを目当てに客は来る。
 盛岡組には以前から石森プロジェクトの事を話していたので今回案内できてよかった。現地を案内して、他の客を楽しませるのが筆者の楽しみ。いつか萬画館も案内したい。

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