「石森章太郎ふるさと記念館」第五十七回訪問記

平成二十一年七月二十五日(土)

 曇天下、八時頃にマシンで出る。雨には当たらず、九時過ぎの現地着。開会式挙行との事で既にごった返している。第31回特別企画展「機動戦士ガンダム展」この日から十月十八日(日)まで。戦後日本が生んだ世界に誇る文化・巨大ロボットアニメ。その歴史の中で「鉄人28号」「マジンガーZ」「新世紀エヴァンゲリオン」等と並ぶ大金字塔「ガンダム」。その勢いは映像作品に留まらず、ガンプラと言う文化をも生み出した。昭和五十年代後半の巨大ロボットアニメ全盛期の出発点が「ガンダム」なのは間違いない。
 第二期ライダー世代人の筆者は当然「初代ガンダム」世代人であり、筆者の世代にとってガンプラは男のたしなみである。筆者はたしなみ程度でも知人親戚には本格派が何人もいる、或る友人の部屋に腕の無いモビルスーツが置いてあったので「腕は飾りだから不要なのか」と尋ねれば単なる作りかけだった。
 筆者と「ガンダム」との出会いは少々複雑だ。昭和五十四年当時、岩手地区にはテレ朝系の局が無く、「ガンダム」は遅れて放送してはいたそうなのだが、筆者は放送されている事は知っていても一回も見た事が無く、玩具や絵本も所持せず、幼稚園や小学校でも話題に上った記憶が無い(次の「無敵ロボトライダーG7」は日中の放送を見ていた)。街で劇場版のポスターを見掛けた事はある。
 それが昭和五十六年三月にテレ朝系東日本放送のある宮城地区に引っ越したら「ガンダム」ブーム真っ最中、ここで殆ど初めて「ガンダム」に接する。近所の友人兄弟が部屋中にジオラマを飾るガンプラの達人だった。自身ではこれが人生最初のカルチャーショックだと思っている。東日本放送では繰り返し再放送していたので、最後に見たのは二十年以上前でも内容の大筋、主要登場人物、メカニックは記憶にある。「重戦機エルガイム」から引き続いて「Ζ」は開始前特番から見たものの主題歌が変わる前に何故か見なくなったので森口博子は知らない。テレビシリーズを見たのはここまで、この時期には東映特撮も見なくなっており、どうも中学校進学前後は特撮や男の子アニメから離れかけていたようである(「まんが日本昔ばなし」と「ドラえもん」からは離れず。逆にナショナル劇場中心に時代劇を本格的に見始めたのはこの頃)。「逆襲のシャア」はテレビで見た。平成四年三月に岩手地区にまた転居したがその時点でもテレ朝系の局は無く、岩手朝日開局は平成八年。金曜日夕方のガンダムシリーズの岩手地区での放送状況は未確認。その後のフジやTBSのも見ていないので、筆者は結局初代しか知らない。
 筆者は寧ろ「ガンダム」より「超時空要塞マクロス」が好きで、「7」「プラス」辺りまでは見ていた。筆者も数点、巨大ロボットアニメ作品のセルソフトを所蔵しているがガンダムシリーズのは一つも無い。サンライズ作品まで広げても「巨神ゴーグ」「機甲界ガリアン」のみ。「ガンダム」と言えば、当時母が「ロボットの区別が付かなくてどれが敵でどれが味方か判らない」と言っていたが、最近、筆者の知人の妻が変身後のテレ朝ライダーについて同様の事を言っているようで、興味無い人の感性はそうなのだろう。筆者とてこれから萬画館で見るであろうサンリオキャラクター等は全然判らぬ。
 思い出話が長くなった。大混雑の企画に突入すると真正面に1/12のガンダムとシャア専用ザクが並び立つ。その斜め向かいに今回の目玉、実物大・量産型ザクの頭がある。時折、効果音と共にモノアイが点灯して左右に動く。今回は写真撮影可なのでザクの前で記念撮影する客が多い。実はザクの首から下は地面に埋まっていて会期最終日に建物を突き破って大地に立つ、と言う予定は無いらしい。
 いろいろ充実した展示が目に入って来るがビデオ上映や展示説明等に見入り始めると時間が掛かりそうなので一度企画から出る。「めだか」の人々に挨拶、そして生家で小野寺おっかさんに挨拶して暫し休憩。時折、見物客が中に入って上がって行く、その度におっかさんが案内をするが筆者も気が向けば案内をする。ふるさと記念館近辺も石巻マンガロードも知り尽くしているので、一般向けの案内程度ならお手の物だ。
 終日、企画の出入りを繰り返す。案の定、筆者と同年代の親が子を連れて見に来ている。子供が見るのに親が付き合っているのではなく、親主導で来ているのである。
 筆者はふるさと記念館では本名、石巻マンガランド構想第一世代(和田社長、awano若旦那、紀代子女将等)やBZ従業員からは「大公さん」、萬画館事務室からは「閣下」と呼ばれている。本館エントランスで「閣下」と声を掛けられるので振り向けば萬画館の元従業員が夫と息子と共に見に来ている。開館当時の従業員が次々に退職して、そして誰もいなくなるだろう。まあ003衣装も三十路女が着るべき代物でもない。
 石森両館と秋田県横手市の増田まんが美術館、岩手県遠野市の道の駅四ヶ所を回るスタンプラリー実施中。尋ねれば萬画館で既に二名達成者が出ていると言う。実は筆者はこの前週、十八日に横手市で大ウルトラマン展初日を見ているし、九月には萬画館にも行くが遠野市には差し当たり用事が無い。水沢市はこの四ヶ所のほぼ中央に位置する。余談ながら横手市の大ウルトラマン展初日には桜井浩子が来場したものの、どうも事前の宣伝周知が不徹底のようで、オープニングセレモニーに集まったのは無料招待券を持った近所の子供ばかり二十人ほどでその筋の愛好家と思しきは筆者一人のみ。
 「めだか」で食す油麩そば。去る十六日の日テレ「秘密のケンミンSHOW」では丼が紹介された。筆者も油麩はここでしか喰う事が無い。ふるさと記念館訪問の楽しみの一つ。
 生家の案内係は午前午後で交代、午後担当の男性二人が来る。昨年の地震の影響を訊かれるので前述の横手市までの道程を語る。横手市増田町に行くには水沢市内国道三百九十七号線を西進するが、胆沢町内はダム工事中に加えてまだ地震の爪痕が残り、崩落の危険があるので夜間は通行止め、日中も所々片側交互通行。
 石森局ATMで資金調達、伊勢岡神明社参拝。
 本館の客足は途切れない。企画のスペースのほぼ半分は初代に当てられているが、最新作「UC」までの各作品が、映画、OVA、SDまで網羅されているようである。名場面のビデオ、歴代オープニング字幕無しのビデオ、作品年表、設定画、模型、その他。章太郎と「ガンダム」の接点は無いようだ。近頃は「ガンダム」の設定や台詞が他の場所で引用されたり、「ガンダム芸人」「ガンダムバー」が出現したりして、特定の年代にとっては共通の素養になっている。筆者の印象に残っている台詞、場面は「取り返しのつかない事をしてしまった」「か、母さん(爆死)」「ホワイトベースが、沈む」これらが誰の台詞か全部判る方は掲示板に書き込んで下さい、別に何も出ません。しかしブライト・ノアやシャアが一年戦争当時二十歳前後だったとは全く忘れていた、講談社ワールドスタンプブックにも着手していたのだから諸設定は一通り見ていたはずなのに。
 エントランスの女子職員達に雑誌「宇宙船」の記事を見せ、また翌日のテレビ「ディケイド」への倉田出演を教えておく。昨秋の倉田来館から十ヶ月。あの時は、「BLACK」が復活できるくらいなら「快傑ズバット」等はとっくに先んじているだろう、そんなに甘いものではないと思っていたが今回のこれだ。設定上「二十年後」「続編」ではないが、まさに奇跡の出演。しかし東映ヒーローネットのインタビュー記事を読めば、倉田自身も脱ライダーを図ったが結局また戻って来た事を白状している。脱ライダーからの復帰と言う事では藤岡弘、こそ先駆者。村上弘明やオダギリジョーは仮面ライダーに戻る必要が無いのだ。
 初代の後に数多くの別種が誕生したと言う点ではガンダムもウルトラマンや仮面ライダーに負けてはいない。何とかガンダム或いはガンダム何とかだけで何種類、そしてモビルスーツ、モビルアーマー、その他の兵器等、メカニックは全体でどれほどあるのか筆者には見当もつかない。今回も当然数多くの模型や絵が並ぶ。しかし大河原邦男が成田亨のように「ガンダムは髭を生やしてはいけない」等と言っているかどうかは知らない。
 午後からは晴れる。「めだか」で牛丼。
 次回の訪問予定を関係者に喋っておかないと余計な心配をされる。十六時頃に辞去と言う事は現地に七時間もいたと言う事か。十七時過ぎに帰宅。

 とにもかくにも夏休み企画としては最高最適である。例の実物大ガンダムは遠くて見に行けないと言う東北住民は、是非登米市を訪れてこちらの実物大ザクと常設石森章太郎を楽しもう。但し、交通の便を考えると、出発地によっては東京都に行く方が楽かも知れない。男性向けはふるさと記念館の「ガンダム」とまんが美術館の「ウルトラ」、女性向けは萬画館の「ハローキティ」。例によって石森両館を混同している人がいるようなので、「ガンダム」を見るつもりで「キティ」の会場に行かないように御注意あれ。分野が違い過ぎて洒落にならない。
 巨大ロボット関連では、筆者は以前から「鉄人28号」横山光輝展の開催を石森両館に要望している。鉄人も神戸市の実物大が報道されている。それと「マジンガーZ」永井豪は章太郎の弟子筋であり、輪島市に記念館も出来たのだから、お互いに企画展を開いて欲しいものだ。

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