「石森章太郎ふるさと記念館」第五十二回訪問記

平成二十年九月十四日(日)

 さあ全国の倉田ファンお待ちかね、石森プロジェクト大常連が贈る「倉田てつをトーク&サイン会」当日の見聞記。
 前の晩は久方振りに「RX」のLDを引っ張り出して#1から#4と#29、#30を見る。今鑑賞すると実にアニメ声の高野槇じゅん。風の砂漠に飛ばされる前に茂達三人組が歌っていた宮澤賢治の替え歌が良い。動かないライドロンを前に「あれえ、動かないぞお?」と頓狂とんきょうな声をあげる光太郎、これが「BLACK」の頃の性格のままだったら「何故動かないんだ!」等と言って一晩中ライドロンとにらめっこしていただろう。ああ、清楚可憐な上野めぐみ、大好きだったのにテレビで見なくなったのは残念だ。十年前、このLD発売の頃にパソ通で「『RX』が仮面ライダーシリーズの一作でなかったら放送当時あれほど叩かれなかっただろうし、逆に『シャンゼリオン』の内容で仮面ライダーだったらどれほど叩かれたか」と論じたが、白倉・井上のテレ朝ライダーで「仮面ライダーシャンゼリオン」は或る程度実現、的中したと思う。
 さて。
 藤岡、宮内級の大御所でもなければジャニーズアイドルや当代イケメンヒーローでもない。その後も特撮番組に出続けていたのでもない。「変身ブーム」や「イケメンライダー」のような社会現象にまでは至らず、知名度では「仮面ノリダー」に劣る二十年前のヒーロー。しかも開催場所は交通機関が絶望的に不便な僻地。客の集まり具合について予測がつかず、しかし早く行くに越した事は無いと考えて六時三十二分に東北本線水沢から乗車して七時二十分に石越に着くつもりでいたら何と濃霧の為に水沢からの乗車が十三分遅れ。駅員によれば濃霧はこの時期多いとは言う。乗り換えの一ノ関着は七時十分、本来の接続便は十分前に出てしまっていて、次は八時丁度発まで五十分待ち。出発時からこれだもの。
 結局石越着は八時二十二分、石越での下車は筆者一人。すぐタクシーに乗り込んで章太郎記念館を命じると、運転手は「既に記念館には大勢集まっているようだが祭りでもあるのか」と問い返して来る。ただならぬ雰囲気を感じる。
 八時半過ぎに現地着。サイン、握手会の整理券配布は九時半からだが既に行列が出来ていて不安になる。記念館只野氏が行列の人数を数える。先着七十人の整理券、筆者は三十六番目。丁度半分である。後で聞けば徹夜組は出ないものの早い人は六時頃からだと言う。また、団体客が生家に前泊したそうである。行列の筆者の前後に知人達。集まっているのは筆者同様その筋の人たちばかり、やはり単なるアンパンマンショーとはわけが違う。ただ、いつも夏祭りやメモリアルデー等には参集する市政の幹部や記念館友の会の近所の高齢会員達は姿を見せない。
 九時半、列が動く。エントランスで二千円のフォト、サイン券を買う。
 知人達も無事に権利を購入出来て一安心。初対面の知人同士を引き合わせる。また、筆者自身新たに数名と面識を持つ。
 十二時半からの催し物まで間がある。企画や常設を見る。「BLACK」愛好家だがやはり筆者は第二期世代人だ、「スーパー1」は懐かしい。前回訪問記のとおりまとまりに欠ける企画展だが、デビュー作「二級天使」、代表作「どこに落ちたい」「1号ライダー」、最新テレビヒーロー、そして幻のテレビ作品まで要点は押さえてある。常設にはデビュー前、高校時代の絵や地元デパートで書いた色紙のような私的作品まで展示しているのだからやはり生誕地ならではである。
 知人達と生家に移動して章太郎の義妹・小野寺おっかさんに挨拶、知人達を紹介。生家の中を知人達に案内する。当日知り合った人も含む四人で卓を囲んで「作戦会議」と称して実に濃密な会話をし、貴重な物を見せてもらう。著名業界人の姿も見掛けるが今日の彼は一見物人。
 この日も蒸し暑い。天候だけでなく参集者の熱気もあろう。
 正午前に「めだか」に移動して食事。筆者は予約済みのカレーライスと油麩そば。皆にも当地特産の油麩を勧める。
 予定の十二時半頃にエントランスに行けば会場既に超満員、椅子席から溢れた人々がエントランスの両脇や後ろに立つ。筆者達整理券購入者は優先席に着く。三十五分頃から倉田てつをトーク&サイン会開始。
 熊谷副館長の挨拶の後、司会進行は立花レーシングクラブ片山勇樹氏に引き継がれる。「BLACK」「RX」歌曲が流れる中、片山氏の音頭で来場者一同が「ぶっちぎるぜ!!」と叫び、事務室の扉から倉田登場。光太郎を連想させる白い服を着ている。筆者が倉田本人を見るのは初めて。当然会場は大いに沸く。倉田の後から出て来て終始倉田の後ろや会場の脇でうろうろしていたのがマネージャー氏だろうか。
 以後、十三時過ぎまで倉田と片山氏の問答で進む。主演の二年間の思い出は一言では語れぬ、原作者の故郷に来られて感無量だと言う倉田。
 いろいろ興味深い噺が出て来て、初めて明らかになる事実には会場から驚きの声。三日前の十一日が四十歳の誕生日だったと言うことでバースデーケーキ進呈、皆で「Dear光太郎さん」で「ハッピーバースデートゥーユー」を歌う。主な話題は番組関係者との思い出、自身も子供の頃「仮面ライダー」を見ていた倉田が考えるヒーロー像、テレ朝ライダーについて等。話題になった人物は原作者の他に岡元次郎、高畑淳子、渡邊亮徳、吉川進。時代の変化は肯定しても茶髪ピアス批判をする辺り、倉田も昭和ライダーに属すると言えよう。ヒーローはチャラチャラせずに強く格好よくあれと言う倉田だが、(変身前は)弱々しく間抜けなヒーローが大人気を博している当世である。「ノリダー」については実は当時共演の話があり、倉田は希望したものの吉川プロデューサーが許さなかったと言う。「ノリダー批判」とされる小学館「超全集」の記事を片山氏も引用する。しかし「ウルトラマンゼアス」二部作にその「とんねるず」が出演したことについて吉川プロデューサーはどう思っているか。
 今噂の「BLACK続編」「二十年後の光太郎」について倉田は積極的な姿勢を示し、片山氏も「ファンの熱意次第で実現」「東映に声を届けよう」等と煽る。「水戸黄門」出演や光太郎フィギュア発売等、倉田の今後の予定も発表される。
 一度倉田退場。サイン会準備の為に来場者達も外に出る。
 客席が撤去されて来場者は整理券の順番に並ぶ。サインを書いてもらう物や記念撮影の小道具等、来場者それぞれが思い思いの工夫を凝らしている。サイン握手会開始、男性とは握手をし、女性の肩を抱き、幼児を抱き上げて記念撮影に応じる倉田。七十人の半分、三十五人まで済んだところで倉田は休憩の為一度退場、十分ほど。筆者の番の直前で「お預け」だがその間、筆者を含む来場者達は大人しく待っている。本当にふるさと記念館の来場者はいつでも行儀がいい、もしこれがガラの悪い都会だったら「まだか」「早くしろ」と罵声が飛んだだろう。再開後、筆者は先程購入の色紙にサインを受け、持参の小道具を「俺が持ちましょうか」と倉田自らが持って撮影。撮影は只野氏がポラロイドカメラで行い、すぐ写真交付。
 一人外へ出る。石森局ATMで資金調達。いつも無人の伊勢岡神明社では珍しく社務所が開いていて中に人がいる、祭礼の準備らしい。参拝後、館の北側から戻る。筆者が突然姿を消して生家にもいないので知人達は慌てたと言う。同行者を忘れて単独行動、筆者の悪癖。
 「めだか」で知人達と軽食、筆者はざるそば。蔵の階段脇の卓で喰っていると私服に着替えた倉田が階段を上って行くのに気付いて我々は「先程はありがとう」と挨拶。蔵の二階は貴賓控室として使われる事が多い。その時に蔵の中では筆者たち以外にも数組がいるが気付くのは我々だけ。
 萬画館の板場社長が来ている。
 十五時頃、再び倉田エントランスに登場。半頃まで来場者達との交流、質疑応答。挙手をした人に片山氏がマイクを持って行く。前述のとおり来場者はその筋の人ばかりなので、片山氏の言うとおりいい質問、鋭い質問が出て倉田もまた丁寧に回答する。筆者もここ暫くの疑問をぶつけて回答乃至ヒントを得る。そうか、そう言うことだったのか。片山氏がオフレコと言うので筆者もここには記さない。
 何時頃か、一天にわかにかき曇り激しい雷雨、以前からの知人は筆者の雨男発動を笑う。しかしまた晴れ間が出て来て「やはり光太郎は太陽の子だ」と言うオチ。
 サイン会で着用の上着や手袋は倉田がサインして、倉田退場後に岩手宮城内陸地震のチャリティーオークションに掛けられる。全て落札される。ひょっとしたらその落札金は筆者の周囲にも恩恵をもたらすかも知れない。
 十六時頃にはあらかた終了、片付けに入る。知人達も別れを告げて帰って行く。片山氏はだいぶ遅くまで残って来場者達といろいろ話をしている。
 石越から十七時に乗っても十八時でも水沢着は同時刻。十七時過ぎ、手配の自動車で他の遠方の来場者達と共に駅まで送ってもらう。十八時二分の下りに乗り、水沢着は五十三分。

 「BLACK」終了、そして「RX」開始から二十年の節目の年に倉田との対面、筆者こそ感無量。しかも原作者生誕の地で。言うこと無い。万々歳。
 以下、冷静な噺。「二十年後の光太郎」の実現について、当日来なかった人も含む数名の知人、有識者と話し合ってみたが、筆者は懐疑的だし周囲も否定的な人ばかり。この手の「続編」「復活」「再び」と言う話題は数多く浮上しては消えていくものである。勿論愛好家達の夢が実現した例は昔からいくつもあり、だいぶ間を置いてから近年になって再展開している作品もある。しかし主演の当人が乗り気でも当然一人で出来るものではない。筆者自身この手の噂に振り回された経験が何度かあり、結実していない署名活動も複数知っているので、この件については不関与、静観のつもり。盛り上がっている会場で水を差すような事も言えまいが、今回片山氏は必要以上に煽り過ぎたのではないかと思う。
 総会出席は高齢者ばかりの記念館友の会、その友の会の高齢者達が来なかった今回の催し物。この現象には筆者も会員の一人としていろいろ考えるところがある。

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