「石森章太郎ふるさと記念館」第四十七回訪問記

平成二十年一月二十七日(日)

 本年は章太郎生誕七十周年。今年の章太郎メモリアルデーはそれを記念して、ゲストに章太郎の長男・小野寺丈を迎えての開催。
 宮城行の日は目覚ましの鳴る前に目が覚める。水沢、七時六分の上り。一関で三十分待ち、石越着は八時二十二分。晴れ。
 ここでいつもなら一時間近くバスを待つが、この日は早く現場に着きたくてタクシー利用。
 本館は九時半開館、まだ掃除中。業務開始前に館内でうろうろして邪魔してはいけないので敷地の外に出る。生家でも小野寺おっかさんが掃除中。
 本館南側の駐車場で早々に弘幸氏と丈に出会う。丈は前日に当地入りしていたようである。挨拶をする。
 目当ての催し物が始まるまで近辺を徘徊する。前回の特別企画展が終わって次がまだ始まっていない。章太郎ファンクラブの会員も大勢駆け付けている。
 十時から隣の旧幼稚園でマンガ教室と凧作り。見ているだけ。
 エントランスでショッカーО野を見かけて、「ラジメニアのMOJOゲスト出演よかった」等と言う噺をする。彼は取材撮影で訪れており、後で生家にも来る。
 晴れているが風があって寒い。
 十一時、恒例の餅き。いろいろ種類が出ているが筆者は納豆、ほうれん草、鮭フレークのを食す。
 蔵楽は前年十一月末に閉店。建物はこの日の友の会控室に使われている。筆者は出入りしない。
 正午過ぎに「はっと亭」に入る。久方振りの利用。はっと定食一つを喰う。
 十三時少し前から本館で小野寺丈トークショーの挨拶が始まる。まず友の会の小野寺会長、続いて登米市の佐藤教育長の挨拶。丈入場。弘幸氏、丈の挨拶。
 内容は、章太郎の親族二人が兄、父たる章太郎の思い出を語ると言うもの。一番近くで章太郎に接した人達が語る思い出話の数々。いろいろ興味深い話題が出て来るが、筆者が一番笑ったのは「丈が少年時代に父原作のテレビ番組ではなくその裏番組を見ていたら、そこに父が来てしまって気まずくなってしまった」と言う件。ああ、手塚治虫、眞親子でも似たような話を聞いたことがあるが章太郎家でもそうであったか。
 それと、丈が「仮面ライダー」デザイン選定に関与したと言われる件について、丈は「並べてあった案の中で単に自分の一番近くのを選んだだけかも知れない」と言う。
 質疑応答で丈は「仮面ライダー」等の子供番組にはもう出演しないと言明する。
 引き続きサイン会。当日会場で販売の色紙或いは丈著に限っての為書き入りサイン、筆者は色紙に書いてもらう。これで丈のサイン入手は三点目。限定五十人のサイン会終了が十四時半頃か。
 萬画館の板橋社長、狩野事務長、佐久間学芸員が来ている。石ノ森両館の幹部が当地で顔合わせするのは珍しい。
 今年も各方面からの年賀状が展示してある。また、「ギネス認定」の新聞記事も飾ってある。例の「世界一」の認定証は前年十一月に受けていたと言うことだから、やはり「生誕七十周年」に合わせて公表したのだろう。
 十五時五十分頃、記念館のバスが丈や団体客の帰りを送るのに便乗する。途中、石越の辺りで、本館に戻る熊谷副館長の自動車に手を振る。十六時五分頃に石越駅前着、丈に「ROGER」と言ってから下車、他数名も下りる。筆者以外の人達は十三分の上りに乗車するが、下りは一分に出たばかり、次は十七時十六分。一度駅舎を出ると丁度バスがくりこま高原駅に向かって動き出すところなので、バスに向かって帽子を振ると丈も手を振って答える。少し歩いて駅前のセブンイレブンで軽食を買い、駅舎内で喰いつつ電車を待つ。帰りも一関で三十分待ち、水沢着は十八時三十一分。

 章太郎を一番近くで見ていた「弘幸叔父さんと丈君」による思い出話、実に興味深い内容だった。今後も丈にはちょくちょく宮城県に来て欲しい。

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