「石森章太郎ふるさと記念館」第四十六回訪問記

平成十九年十月十三日(土)

 九時頃、マシンで出発していつもの道を通り、十時半頃に現地着。天気はいいが少々寒い。
 記念館北側の駐車場にマシンを置いて、まず伊勢岡神明社参拝。それから石森局ATMで資金調達。
 生家。これもまたいつもどおり、小野寺おっかさんと会話。一時間程。
 蔵楽。閉店の情報が一時流れたが存続決定、営業中。そば定食。バンダイの仮面ライダー玩具等は棚から消えたが特別企画展関連商品は販売している。
 それから本館へ。エントランスに新たにシャドームーン等の頭部(市販品)が飾られているが、特に「BLACK」二十周年記念と言うわけでもあるまい。第25回特別企画展「これでいいのだ!赤塚不二夫展」この日から一月十四日(月・祝)まで。「もーれつア太郎」「天才バカボン」連載開始四十周年を記念する企画。
 知らぬ人無き天下の巨匠。章太郎とは若い頃からの仲間である。近年は病床に就いており、マスコミの前に本人は現われていない。いくつもの作品が複数回アニメ化され、また、登場人物が官公庁や企業の宣伝等にも使われている。「でん六」の鬼の面も毎年恒例だ。この月には講談社と小学館が共同で「天才バカボン THE BEST」を出した。筆者はアニメ「天才バカボン」「元祖…」の再放送、ぴえろ版「おそ松くん」「平成天才バカボン」の本放送を見た。「平成…」のエンディング提供クレジットの後のパパの一言が大好きだった。バカボンのパパのような男でありたいと常々思っている。尚、青梅赤塚不二夫会館のある東京都青梅市は元来赤塚とは無関係だが、著名人の記念館が出身地以外の場所に建っているのは珍しくもない。
 展示の先頭はフジオ・プロ社長(赤塚の娘)の挨拶文。この記念館で企画展が開催されることを光栄であるとしている。続いてトキワ荘時代、若き日の赤塚と章太郎の写真。
 展示の主体は漫画原画、東日本漫画研究会時代から時代順に示す。テレビアニメについてはパネル展示はあるがセル画は無い。ギャグ漫画の印象の強い赤塚だが初期から少女漫画を描いており、章太郎作品のような雰囲気の冒険物も見受けられる。一作品につき一頁か二頁の展示が多い。「週刊少年マガジン」掲載の「バカボンのロボットいい発明ね」は昭和五十年代後半に小学館学習雑誌の別冊付録で読んだ記憶がある。息子の為にロボットを演じるパパと、ちゃっかりパパロボットを酷使するママ。あの一家は基本的に幸福だ。ビデオセットでは「平成…」DVD第一巻上映中、全部見てしまう。本放送時以来の鑑賞である。
 ガラスケースの中に掲載誌、文具、玩具が陳列されている。「週刊少年マガジン」昭和四十九年第九号の新連載「大相撲怒涛の二百五十年史」が実に気になる。
 赤塚の人生の年表を読む。赤塚作品の登場人物の言動は往々にして反権力、反体制的であり、展示にも当時の国鉄や郵政省の職員に対して暴力を振るっている図の作品や、「ニャロメは学生運動の象徴」と言う解説パネルがある。しかし赤塚自身は平成十年に褒章を受けていて、前述のとおり官公庁即ち国家権力(旧郵政省や国税庁)のパンフレットで赤塚キャラクターを見たこともある。
 恐らく漫画家の中では赤塚ほど自身の様々な姿を公開した人もいないのではないか。写真パネルには実に多様な本人の姿が写し出されている。正装、仮装、普段着、露出。一緒に写っている人々も多彩である、漫画家仲間の他に青島幸男、黒柳徹子、由利徹、タモリ、鳳啓助、その他諸々。筆者も子供の頃、テレビ番組で全裸を披露する赤塚を見たことがある。水木しげる本人が「妖怪」なら、赤塚本人も間違いなく「バカ」なのだ。
 企画入口の手前に、パンプレストとスタジオぴえろからの花が飾られている。一方、常設入口の右側、石森地区の絵地図が貼られていた壁一面が黒い布で覆われている。
 客の入りは多くはない。
 再び蔵楽、ナポリタンを喰う。
 企画についつい長居して十七時ぎりぎりまでいる。十八時半頃の帰着。

 展示内容に大笑いして頭が満腹。しかし原画展示が断片的で、一話分全部の展示が無かったのは実に惜しい。いつも言っているがやはり一話分全体を読みたい。

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