「石森章太郎ふるさと記念館」第四十回訪問記

平成十九年二月十一日(日)

 宮城県登米市と栗原市に跨る第三セクター鉄道・くりはら田園鉄道(通称「くりでん」)は平成十九年三月末を以て廃止。前々から存続危機が噂されていた鉄道であり、筆者も廃止前に一度は乗っておこうと考えていた。そこで廃止直前の今般、ふるさと記念館の行事に合わせて乗りに行った次第であり、従って今回の訪問記の前半は「くりでん」乗車記である。
 七時六分水沢発。三十一分に一ノ関に着いて仙台行が出るのは八時丁度。手洗いが自動ドアの見慣れぬ新式車両。
 八時二十二分石越着。駅舎を出ると果たして駅前には一見してその筋の愛好家と判る人々がたむろしている。筆者もそのうちの一人だ。
 「くりでん」石越駅はJRの向かい。乗り込む。運賃支払いはバスと同じ方式、乗車口で整理券を取る。左の席に座る。西進するので南側の風景を見る。一両編成の車内はほぼ満席。三十六分発車。
 「くりでん」自体については他に詳しく紹介しているウェブがいくつもあるのでそちらに譲る。筆者が宮城県在住の小学生時代(昭和五十年代後半)にはラジオ番組で「日本一運賃の高い電車」と馬鹿にされていた記憶がある。平成に入ってからの第三セクター化や電化廃止等も苦しい経営状況の発現だが、とうとう約八十年の歴史に幕を下ろす。
 石越出発後、集落や田園地帯の間を進む。途中から乗り込んでくるのもやはり観光客ばかりで、地元民と思われるのは少数。線路脇にもカメラを構える人達が立ち並ぶ。確かに、車窓からの風景は市街中心部から外れているような印象を受ける。車内放送の声は宮交登米バスと同じのようだ。
 九時二十三分、終着の細倉マインパーク前に到着。全線二十五・七キロメートル、所要時間四十七分で運賃千二十円。JRで水沢から石越まで四十六・六キロメートル、待ち時間を除いて正味四十七分で運賃八百二十円。やはり「くりでん」運賃はキロメートル当たりで計算してJRの倍である。整理券と現金を運賃箱に投入して下車。
 こちらのターミナルも無人駅。周囲を歩いてみるも駅の脇に電気機関車が鎮座していて隣に食堂がある他はこれといったものは無い。看板を見つけて坂を登り、十分ほどで細倉マインパークに着く。曇天で少し肌寒いがやはり雪は無い。
 駐車場には自動車もまばら。土産物屋とレストランの建物には客の姿もあまり無い。暫く店内の様子を見る。漬物等、ここにもあったか水沢市の(有)岩手物産の商品! そしてどこの観光地でもあるものだ「艶笑譚」の本。結局何も喰わぬ、買わぬ。
 十時少し前、観光坑道に入る。大人一人九百円。旧細倉鉱山閉山後に観光施設化したものである。
 前半は「鉱山の歴史ゾーン」鉱山の仕組みや歴史の解説。千年以上の歴史を持つ鉱山だが丁度二十年前、昭和六十二年に閉山。坑内事務所の再現、当時使われた機械類、鉱山の模型等が展示されていて、要所に置かれた機械のボタンを押すと解説音声が流れる。筆者の後ろからガラガラと旅行鞄を引きずる男性が一人来る他は客を見ない。思わず田中信夫の声で「我々取材班は」と言いたくなる。
 後半「タイムトラベルゾーン」が神懸かっていてわけのわからぬ世界。神々の絵、各種の視覚音響効果、何だこれは。「恐竜の巣」の一帯はまるでゴルゴム神殿。
 出羽三山から勧請された由緒ある山神社が鎮座している、小さな鳥居と社だが真新しい日本酒の樽が備えられているから今も篤く拝まれているのだろう。建国記念の日に地底で参拝。
 時間制限付きの砂金採りコーナーは素通り。
 意外に早くゴール到達、外に出る。全長七百七十七メートル、外の案内では所要時間四十分ということだが筆者は三十分ほど。連れがいるわけでもないし、筆者は走るのは遅いが歩くのは速い。
 十時半頃、再び土産物屋の建物に戻る。暫く休憩してから退出。
 近所に郷土資料館というものがあるが冬期休館中。スライダーパークも休業期間。坑道入り口でもらったパンフレット(「栗原市」表記なので平成十七年四月以降の発行)には遊園地施設「ドームゾーン」の記載が一切無い、駐車場の掲示板では説明文が抹消されているので季節休業ではなく閉鎖中なのか。
 坂を下りて駅の近くまで来る。まだ帰りの発車時刻まで間があるので徘徊を続ける。
 映画「東京タワー」のオープンセットが残されている。昭和三十年代の筑豊の炭鉱町らしいが、そう言われなければ単なる廃屋群にしか見えない。筆者の他にも数組の観光客が歩き回る。
 七十七銀行の特別出張所に閉鎖の告知。近くに他の金融機関は郵便局しか見当たらぬ。前述のマインパークにもATMは無い。
 十二時十二分の石越行に乗るつもりで正午頃に駅ホームに着くと既に長蛇の列。線路にやたらごみが落ちているような気がする。折り返す列車のこちらへの到着が十分ほど遅れる。
 また左側に座って今度は北側の風景を見る。「田園鉄道」とはよく名付けたものだ。往路で石越から乗った客が今度は細倉マインパーク前以外から乗って来る、タクシーかレンタカーでも使って他を回っていたか、前の便に乗って途中下車していたか。新幹線の高架との交差点で丁度新幹線が走り去るのが見える。
 接続する十三時十一分のJR石越発仙台行の発車時刻が迫っている。前述のとおりこちらの運行が遅れているので車内で運転士が「仙台行に乗る人は急いで」と叫ぶ。そして石越に着くと何とJRの職員が「くりでん」駅舎に入ってきて「早く乗って」と乗車を促す。珍しい光景。
 石越郵便局で資金調達、十三時十八分の市民バス乗車。とうとう車内放送も流さなくなる。どうやら乗車も下車も随意の場所でいいらしい、筆者が記念館前のバス停で降りるつもりでボタンを押すと記念館の手前で停車しそうになるので、もう少し先までと指示する。
 十三時半過ぎか、記念館前下車。定例どおり生家に入って小野寺おっかさんに挨拶。後でまた来ると言い残して本館の敷地に向かう。蔵楽でも後で喰いに来ると言ってから本館入館。「やっぱりまた来た」と言う声が聞えたような気もする。
 第7回自主企画展「こころのふるさと展」一月二十日(土)から二月十二日(月)まで、それにちなみこの日は出展者・秋山清人のミニコンサート開催。会場のエントランス満席。
 司会は熊谷副館長、本宮館長からも挨拶。秋山清人は市内在住で会社勤務をしながら絵画や音楽の活動をしている人物。ギターを奏でつつ歌う。
 数曲歌ったところで登米市長・布施孝尚到着、挨拶。その中で例の夕張市の問題に触れ、「行政主導だとあのようにろくなことが無い、市民主導で進めて欲しい」と主張する。市当局は館の活用に関心が無いのか。
 再び歌と演奏。聴衆の殆どは地元民らしい。途中でむずかる子供と共に出て行くような親はいない、初めから子供向けの企画ではない。
 一時間ほどで終了。
 企画を見る。昨年の伊藤美智子展並に手の掛かっていない展示。田舎の風景を描いた絵画作品群、唱歌「赤とんぼ」「ふるさと」がよく似合う世界。正副館長は「懐かしい風景」と絶賛する。しかしながら筆者はコンクリートの団地育ちだ。
 常設の展示入れ替えは無し。
 市内からの団体客も来ている。
 蔵楽で食事。ひれかつカレー。
 例によって敷地内を徘徊。
 再び蔵楽。デザートの大ざるそば。早くも「仮面ライダー電王」の未登場フォームの人形を売っている。
 そしてまた生家。光のページェント写真展開催中。
 本館事務室にも顔を出す。
 十七時過ぎ、手配の自動車で石越駅に向かう。石越発が五十八分、そしてまた一ノ関で一時間待ちで水沢着は十九時四十四分。十八時五十三分の石越発に乗っても水沢着は同時刻。

 今まで鉄道の新規開業は東北新幹線や仙台市地下鉄で身近に体験していたものの廃止と言うのは近場では初めてなのでこの機会に乗車してみた。くりでん廃止後の鉄道施設等は一体どうなるのだろう。以前、青森県七戸町に行った時に南部縦貫鉄道の線路跡を見た。
 場合によっては、全国的に有名な漫画家やテレビアニメよりも、地元で活動している著名人こそ地縁血縁で集客力があるようにも思える。但し、地元著名人の時は入場料無料が定例なので館の収入増にはならない。

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