「石森章太郎ふるさと記念館」第二十九回訪問記

平成十七年一月三十日(日)

 今年最初の宮城県行は中田町。新番組「仮面ライダー響鬼」を見ないまま八時二十六分に水沢から上り列車に乗り、石越到着は定刻の九時二十五分を少し過ぎる。晴れだが強風。駅前から同三十分のバスに乗って二十分ほどで石森仲町に着く。
 門前の丸ポストに郵便物を差し出し、直接、蔵楽の表から入店、店の人達に挨拶。互いの近況の噺等をする。さすがに十二月の萬画館での遠藤正明ライブを間違えてふるさと記念館に来た人はいないそうだ。
 暫くは蔵楽、本館、生家、旧幼稚園の間を歩き回る。第四回章太郎メモリアルデー開催。旧幼稚園では恒例の餅搗きや親子凧作り、東北高校漫画部の指導による漫画教室。生家では「光のページェント写真展」、一月二十二日(土)から二月六日(日)まで。
 十一時半頃、蔵楽で食事。新献立「章太郎御膳」、油麩丼とかけ蕎麦、小鉢、香の物がついて八百円。好きなものばかりの組み合わせで楽しく食事する。最近は店員の西條女史と和食談義に花を咲かせることが多い。蔵楽と取り引きをしている気仙沼市の会社・(有)雅食彩の人が製品を並べて販売している、海苔の佃煮やわかめ等。
 分らない事は専門家に訊け。「あたしンち」#114での「フカヒレは高級中華料理の食材なのにどうして日本の気仙沼産が最高級品なのか」これを雅食彩の人に訊いたところ、早い話が加工技術が日本の方が優れているのだという。
 蔵楽では既に「響鬼」商品販売中、本館エントランスには同番組のパネルが飾られている。テレ朝ライダーのパネル乃至ポスターは毎年早々に飾られているので、番組は原作者の地元への礼儀を欠かしていないようだ。
 生家で小野寺弘幸氏夫人に会う。
 十三時から本館エントランスでトークショー開催、司会は本宮副館長、挨拶は三浦・中田町長、出演者は小野寺弘幸・前館長と佐藤壽昭・友の会会長。
 脇の大きなスクリーンに絵を映しながら、少年時代の章太郎を一番よく知る二人が思い出を語る。当時の遊びや、その経験が反映した萬画作品。豊里町教育長の佐藤氏は「幼児期の遊びの重要性」を力説する。確かに、今は年齢の違う子供達が一緒になって遊ぶという光景は見掛けない、そもそも危なくてうっかり子供を屋外で遊ばせられない時代である。
 また、両氏から「仮面ライダーの顔はバッタではなくイナゴ」という説が提唱される。今や「仮面ライダーはバッタ」というのは一般常識、それで一般視聴者やテレ朝ライダー出演者までもが「今の仮面ライダーはバッタではないのか」と驚いているような状態だが、地元からの力強い異議申し立てである。
 一時間で終了。
 また徘徊。裏の田んぼで凧揚げ大会を見る。うまく揚がる凧、くるくる回って落ちる凧。風が強く、時折雪も舞う。寒い。
 生家にたまたま案内係不在。県内から来訪した夫婦に筆者が室内の解説をする。これだけ通っていれば一通りの案内はできる。その夫婦の夫が写真の趣味があるそうで、「光のページェント写真展」の作品について語り合う。ふるさと記念館の冬の恒例行事を題材にした作品募集に県内から四十四点の応募あり。差し当たり主催者側が用意した賞の数よりも応募点数が多くてよかった。
 蔵楽で牛丼。
 この日もいつもの常連衆集合。
 雅食彩から海苔の佃煮三種を買う。三つで千円。
 十五時半少し前に辞去、少し歩いて石森新町でバスに乗る。折からの強風で石越発が二十分ほど遅れるが、いずれにせよ従来の一ノ関での待ち時間が長いので影響なく、十七時半頃に帰着。

 四回目のメモリアルデーはよく言えば定着、悪く言えばマンネリ。そろそろもう一工夫、新味が欲しいところだ。筆者は章太郎門下出身の漫画家に、弟子の目から見た章太郎を語って欲しい。
 雅食彩の海苔の佃煮三種は「青のり」「岩のり風味」「豆板醤入り」。香りがかなり強い。炊き立ての飯に乗せて喰えば実にうまい。「豆板醤入り」は筆者には少し辛すぎるな。
 仮面ライダー響鬼と、中田町の郷土芸能「願人太鼓」を結びつけることは出来ないだろうか。

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