「石森章太郎ふるさと記念館」第二十八回訪問記

平成十六年十月十日(日)

 石森萬画館のワークショップ「龍神沼の少女を探して」開催。講師は石森章太郎ふるさと記念館前館長にして章太郎の実弟・小野寺弘幸氏。氏の案内で中田町の章太郎ゆかりの場所を訪ねて歩き回ろうという企画。参加者は当日萬画館に集合だが、筆者のみ中田町に直行とする。筆者は図工が大の苦手なので過去、萬画館内のワークショップは避けてきて、今回初参加。
 前日まで台風二十二号の大暴れで東北地方でも風雨激しく、開催が心配されるもののどうにか当日は落ち着く。どんよりとした曇天の下、傘とゴム長を持って八時二十六分の上り列車に乗り、石越着は九時二十五分。そして駅前からすぐバスに乗って九時半発、二十分ほどで石森仲町に着く。例によってバス乗車の途中、他の客の乗降は全く無い。
 石森郵便局のATM、最近までキャッシュカードのみ対応の旧式だったのが通帳や振替にも対応の新機種に更改されている。
 蔵楽に表から入る。早速注文するのは新品目「油麩あぶらふ丼」、筆者が注文者第一号。当地の食材「油麩」を具にした丼物。麩なので柔らかいだけかと思いきやこれが揚げてあるので表面は適度に硬く歯応えがあり、大変うまい。カツ丼ほど固く、脂っこくはないので肉類の苦手な人にもよいと思う。天丼よりももう少しあっさりしている。尚、油麩丼登場によりピラフ類は退場している。
 店員西條女史と語り合う、醤油や味噌は実に日本の食生活に欠かせない調味料である。やはり日本人には和食だ。
 第16回特別企画展は「忍たま乱太郎&おじゃる丸展」、十月二日(土)から一月十日(月・祝)まで。NHKで放送中のアニメ二作品の展示。
 内容はカレンダー(乱太郎のみ)やテレビのセル画、絵コンテが大部分。ガラスケースの中に人形や携帯ストラップ等。原作者紹介や登場人物一覧のパネルはあるが展示物自体の解説が皆無に等しく、ただセル画等を並べただけ、文字どおり羅列という感が否めない。
 企画をざっと見てから生家に向かい、駐在の案内係の人達と会話。
 そうこうしているうちに十一時少し前、石巻組のバス到着の知らせが入る。急ぎ駐車場に行く。
 ワークショップの一般参加者は筆者含め男性三人、女性二人。萬画館職員からは佐久間、宍戸、山本(以上順不同)の三女史。一般参加者の中にはよく知っている人もいれば初めて会う人もいる。
 十一時から館エントランスで乱太郎ショー。出演は司会のお姉さん、着ぐるみの忍たま三人組とヘムヘム。キャラクターの声はテレビと同じ声優が演じており、それに合わせて寸劇や踊り等を繰り広げるというもの。こちらのお姉さんの方が「海斗対クラブアビシス」ショーの人よりも美人だな。
 ワークショップ参加者達も初めはショーを見物しているもののやがて企画の見学に移る。彼等からも展示に対する不満が出るが、大人の目には物足りない展示でも、本来の対象であろう子供達は喜んで見ている。
 正午頃、家族客等で蔵楽は満席。一同、昼食は生家の手前にある「はっと亭」を利用する。一時期、蔵楽で供された「はっと」、今はこの「はっと亭」で出している。筆者ともう一人は牛丼、他の人達は「はっと定食」。一日で丼物を二品喰う筆者、何故か石森では大食漢になる。
 どうもすっきりしない天気。小雨、霧雨にはなっているようだが傘を差すほどでもない。
 十三時過ぎ、弘幸氏と共に一行出発、ワークショップ開始。まず生家の中を見て、その後、生家脇の「メダカの小川」跡を歩く。元の川底まで降りて歩くのは筆者も初めて。東進して北に折れ、安永寺に出る。小野寺家の菩提寺でもある。尚、章太郎自身の墓は東京都にある。
 それから館の裏の道を歩いて伊勢岡神明社。ここは筆者も何度も足を運んでいる。
 「思い出の小路」を通って西進、旧石森町役場の廃墟前を通過する。更に道路を渡って章太郎の母校・石森小学校の南側を通る。そして小学校の裏手に石大神社がある。嘗てこのそばに沼があったということでここが「龍神沼」の舞台のモデルになったとされているが、弘幸氏によれば特にここだけではなく、先の伊勢岡神明社や次の愛宕神社の印象も渾然となって「龍神沼」になった、という。
 本殿東側の急な石段を昇降してみる、確かに元気な子供なら石段なんか使わずに斜面を駆け回るだろう。筆者は子供の頃に住んでいた新興住宅地の脇の未開発の林を思い出す。この一帯は城内じょうないといい、石森領主・笠原氏の城跡である。ここまでは以前、筆者も来た事がある。
 神社の西側の道路に先回りしたバスが控えている。ここで一行乗車、北の白雉はくぢ山に向かう。
 数分で着く。小高い丘。ここから徒歩で登る。急斜面の狭い道や石段、しかも雨上がりで滑って危ない。十分ほどで中腹の最終目的地・旧村社の愛宕神社に着く。
 場所が場所だけにあまり広くない境内、ひっそりと静まり返っている。実に古そうな木造本殿、弘幸氏曰く「子供の頃に見たのと古さが変わっていない」。本殿の裏側がコンクリート作りになっているのは神輿の保管庫だという。本殿両脇にまた気になる小さな石碑を見つけたので撮影。西の方を眺めれば石越町の田が見える、ということは白雉山はいつも石越駅とふるさと記念館の間のバスから見ていた山なのだ。
 山を降り、また乗車して館に着く。十四時半頃。ここで石巻組は一人を除いて帰途に就く。
 筆者は蔵楽にてメロンフロートで一服。
 十五時過ぎ、筆者ともう一人の参加者は弘幸氏の御厚意で自動車で石越駅まで送ってもらう。その車内から白雉山を見る。筆者は一人、十六時の下りに乗る。

   過去四年間、ふるさと記念館近辺を歩き回ってきたがまだまだ知らないことがある。特に今回初めて訪れた白雉山、愛宕神社。場所は憶えたので機会を見てまた踏査してみたい。今回の探訪地には、章太郎少年達が駆け回った半世紀前の「空気」が今も流れているような気がする。
 今年三月限りで弘幸氏はふるさと記念館館長職を退かれたが、これからも語り部として我々にいろいろなことを教えて欲しい。
 特別企画展はあまりにも展示が平板すぎる、工夫が足りない。もう少しメリハリのある展示ができないものか。尤も、客の受けは良く、寧ろ先の「創世紀展」よりも入りが良さそうなのではある。
 蔵楽での地元料理の提供は大賛成である。どこでも喰える品目より、ここだけの品目の方が嬉しい。
 ところで実は今回、筆者は或る参加者と「雨男・晴れ女対決」をしていたのだが勝ったのはどちらなのだろう。

一覧に戻る

目次に戻る