「石森章太郎ふるさと記念館」第十四回訪問記

平成十四年五月二十六日(日)

 十七時十五分頃、マシンを出す。近所で給油、それから国道四号線、三百四十二号線を南下。前日と同じ道程である。
 中田町に入って暫くして、ジャスコの看板と宮石運輸の駐車場のある辺りで右折。道々、記念館の幟が立っている。夜道、いつ果てるとも知れぬ田圃の中の道を走り続け、突然記念館駐車場の案内板が見え、記念館の裏手に出る。ああ、今までいつも南側から入っていたので知らなかったが、記念館の北東には広大な水田地帯が広がっていたのだ。到着は十八時四十五分頃、所要時間は一時間半ほど。辺りはすっかり暗くなっている。
 エントランス北側の入り口で受け付けを済ませる。館長や幸朗氏に挨拶。幸朗氏も前日のテレビの筆者の映り込みに気づいていたという。
 十九時から記念館友の会総会。平成十三年度事業報告と決算、同十四年度事業計画と予算が議題。友の会総会には設立総会以来の出席である。
 定刻を少し回ってから開会。エントランスにしつらえられた議場、出席者は役員、来賓、一般会員含めて三十人ほどか。出席者の殆どは中高年の男性で女性は少なく、二十代は筆者くらいしか見当たらぬ。
 佐藤会長挨拶。来賓は町長と教育長、式次第に載っている町議会議長は欠席。議長選出の後、役員から議題内容が読み上げられる。事業計画について三人から質問、要望がある他は異議申し立ても無く、いずれも原案どおり承認。筆者は特に発言せず。
 来賓からも挨拶。教育長からの、学校完全週休二日制と記念館活用についての話が印象に残る。そうだ、もっと子供達にこの記念館を利用させるべきだ。
 「墨汁一滴in石森」責任者である幸朗氏から、茶屋改装と矢口高雄「釣りキチ三平・平成版」についての話。
 二十時前には一切終了。
 館長から町長、友の会会長に引き合わされて両者と握手。ああ、地元の市長とも口をきいたことすら無いのにこちらの町長と面識を持ってしまう。
 茶屋に赴く。沼倉女史に岩手県の観光パンフレット数種を渡す。前回の訪問時に女史から、岩手県に遊びに行く時の参考資料が欲しいと言われていたので、駅や市観光協会から集めておいたのだ。
 蔵の食堂に筆者や友の会会員、「墨汁一滴」関係者、七、八人が集まる。ジュースやビールで乾杯、菓子をつまみつつ歓談。やがて館長も歓談の輪に加わる。
 記念館の事、茶屋の新商品の事、蔵の食堂の事、館長の語る思い出話、等々。隣席の友の会会員とも特撮やアニメの話題で盛り上がる。いよいよ筆者は石森の人々になじんでいる。
 或る人に「水沢から船で来い」と言われる。北上川の船下りで水沢市から中田町まで、一度はしてみたい。
 友の会会報第二号の試し刷りを見せられる。
 何故か筆者の音頭で「快傑ハリマオ」を皆で歌う。近所の人に泊まって行けとまで言われるも翌日も仕事、名残を惜しみつつ二十一時に辞去。帰りも所要時間約一時間半。

 今回の訪問記は単に筆者の常連振りを示すだけになってしまった。やはり向こうとしても、よく顔を出す筆者の事が嬉しいらしい。まあ上得意である。
 設立総会も今回の総会も、若者の姿が少ないのが気になった。もっと若者対策もすべき。

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