番外「増田町まんが美術館」訪問記

平成十四年六月十五日(土)

 石森章太郎ふるさと記念館友の会の研修旅行として、秋田県増田町の増田町まんが美術館訪問が実施される。本当はふるさと記念館から仮面ライダーマイクロバスで出発だが、水沢市から中田町経由で増田町では大変遠回りになるので、筆者は記念館に事前連絡の上、独り増田町直行という方法を採る。
 この美術館は石森プロジェクトではないが、開館に当たって章太郎が尽力しており、また増田町、中田町、石巻市を結ぶ国道三百四十二号線はみちのくマンガロードと称され、中田町長がみちのくマンガロード連絡協議会の会長を務めている。ふるさと記念館友の会の企画での訪問ということでもあり、そこで今回は「番外」としてこの訪問記を発表する。

 八時十分、曇天の下マシンで出発。水沢市中心部を横切る国道三百九十七号線を西進。
 すぐ水沢市を抜けて胆沢町に入る。曜日や時間帯のせいもあろうか、通行量は少ない。元々広い道幅ではない、四号線よりも一回り狭い道路である。
 ひっそりとした国道を疾走する。
 十五キロメートルほど走った所で左手のガソリンスタンドで給油。「この先スタンド/ネガス!(ありません)」という看板が立ててある。
 民家の点在する林を通過し、やがて胆沢ダム工事現場、現役の石渕ダムに差しかかる。鏡のようなダム湖面。展望台に立ち寄りたい気持ちにも駆られるが疾走を続ける。ダム近辺を通るのは二十数年振りか。
 奥羽山脈越え。急勾配ではないがだいぶ道幅は狭くなる。曲がりくねった国道を上って行く。普段平地慣れしている筆者、山道をマシンで走るのは初めて。時速三十キロメートル制限の標識が出ているが、本当に狭隘で蛇行している道路、しかも霧まで出ていれば言われなくても減速せざるを得ない。尚、この山道は冬の間は閉鎖される区間である。
 路傍の少し引っ込んだ所に自家用車が点々と停めてある。休憩中なのだろうか。
 トンネルを通過して九時頃県境を越え、秋田県東成瀬村に出る。四十三キロメートル走っている。路傍に停めて数分休む。この頃には晴れてきている。
 下り坂は急勾配、第一から第十までの急カーブを第十から降順に下って行く。急カーブにも不慣れな筆者、時折対向車線にはみ出してしまう。対向車が飛び出して来たらまず間違いなく死んでいただろう。
 坂を下り切る。やがて見えてくるガソリンスタンド。先の胆沢町から三十七キロメートルの間、ガソリンスタンドが無い事になる。「ネガス」は本当だった。
 国道三百九十七号線から同三百四十二号線に入る。青天の下疾走を続け、九時五十分に増田町ふれあいプラザに着く。駐車場の入り口近くの升目に停め、入館。左右対称の大きな、宮殿の様な外観。まんが美術館単体の建物があるのではなく、学習交流館(公民館)、図書館、郷土資料館、まんが美術館、ヤングプラザの複合施設がふれあいプラザである。
 中では男子小学生達がたむろし、ミニ四駆を走らせている。玄関真正面に軽食と土産物の店がある、土産物は当地出身の矢口高雄関連の他、何故かタオルや飴、文具等「ゲゲゲの鬼太郎」関連も多い。「ドラえもん」関連も少なくない。ここで売っている矢口作品漫画本は全て本人の直筆サイン入り。この玄関ホール、店の辺りをヤングプラザと言うそうだが「ヤング」とはまた古風な言葉だ、「ナウなヤングにバカウケ」とでも思って命名したのだろうか。
 ライスカレーを注文して喰う。置いてある讀賣新聞には「ウルトラマンコスモス」主役逮捕の記事は載っていない。
 十時半過ぎ、バスで友の会一行到着。友の会の参加者二十二人と本宮副館長以下館職員三人。合流。
 副館長の指示、十時四十分から一時間、自由に行動、見学せよと。
 まんが美術館に入る、まず大々的に矢口高雄の展示。彼自身についてや、「釣りキチ三平」その他作品の展示。いくつも原画が並ぶ、以前中田町でも見たがやはり草木そうもくの葉の一枚ずつや川の水飛沫しぶき等、描き込みが大変緻密である。魚の躍動感も素晴らしい。豊かな自然環境の中で育った人でないと描けないだろう。
 展示室の一角に仕事場の再現がある。
 漫画本の棚。「のび太と鉄人兵団」のリルル消滅からラストの空き地の場面までをめくってみて涙する。実はこの作品も例によってアニメは大好きでビデオを持っているが漫画は未読。
 漫画家の経歴紹介パネルと原画の展示。いちいち数えなかったが増田町役場のページによると漫画家数九十九、展示原画数二百九十七。主だった有名漫画家のは大体あると思う。新谷かおるは何となく女性だと思っていたら男性だったのか。我らが故・小松崎茂の飛行機の絵も展示してある。尤も、小松崎は漫画の前の時代、絵物語作家である。
 他に、明治時代からの漫画の年表も掲げられている。展示の主役は矢口だが、必ずしも矢口個人の記念館ではない。
 郷土資料館や図書室も見て回る。郷土資料館では戊辰の際の文書を訓読してみせたりもする。
 やはり一時間では慌ただしくてゆっくり見られなかった部分もある。
 コンベンションホールの緞帳は「三平」の絵。その前に集合して記念写真。
 皆で、筆者もバスに乗り込む。
 国道三百四十二号線を東進し、やがて右折して山の方に向かう。民家と田圃の並ぶ中を進む。
 矢口の生家前を通過。老いたる御母堂が独りで暮らしているという。
 コンビニも見当たらない農村地帯でも、簡易郵便局を見つけるとほっとする。
 二、三十分ほどで上畑温泉さわらびに到着。建物の玄関前に簡保融資の「三平」モニュメント。また、この温泉の送迎用バスにも「三平」の絵がある。尚、この温泉の向かいには蕎麦屋「三平」、これも勿論作者公認であろう。文字どおり「三平の里」である。
 二階の座敷で食事。その際、館職員も含めて参加者全員の自己紹介。章太郎の幼なじみや親類縁者も参加している。印象に残ったのが、幼なじみの人の、少年時代に章太郎の父親から「漫画なんかやめさせてくれ」と言われた、という証言。そこで本人が素直に親の言うことに従っていれば不世出の萬画家は誕生していなかった! 親に背くくらいでないと超大物にはなれぬか。
 一番遠方からの参加者は東京から。現地集合は筆者一人。今回も若人の姿は少ない。
 一階で土産物を買う。ロビーに置いてある秋田魁新報には「コスモス」主役逮捕の小さな記事。やっとインターネット以外でこの事件の報道に接する。金曜日の昼頃からネット上ではこの件で大騒ぎだったが、世間一般はサッカー一色、そして週明けは鈴木宗男代議士の件と他の大ネタが相次いだので「コスモス」の件はそれらに押し潰された感じがする。本当ならもっと扱いが大きい事件だと思う、現役ヒーロー役者の逮捕で番組打ち切りという前代未聞の事件。いつ彼が復帰するのかはウルトラマンにも判らない。
 十四時頃出発。
 先程のプラザに寄ってもらって筆者独り下車、自らのマシンに乗り換える。急遽、一行は横手市の秋田ふるさと村に寄ることになり、筆者はバスの後ろからついて行く。
 十五時頃、ふるさと村に着く。筆者は五年振り二回目。
 ここでの滞在時間は僅か三十分! 物産品売り場しか見られない、急ぎ回って土産物を買う。確か五年前にはマスコットキャラクター「ミスター・ストーン」があったのに今は見当たらぬ、犬のノブしか無い。いくら何でもハローキティのなまはげはやめてくれ。秋田名物「曲げわっぱ」は勿論売っている。ゲラッパゲラッパ、マゲマゲ。
 中庭の花壇は相変わらず美しい。
 十五時半、一行と別れて帰途に就く。次第に曇り、横手市内を抜ける前にとうとう本格的に降られ、路傍に停めて雨具を着てから再発進。増田町では降雨の形跡は無いものの東成瀬村でまた降られる。
 帰りは上りが急勾配、見上げるような坂道を上って行く。山中は午前中に増して霧が濃く、前照灯を上げて徐行。
 県境を越えてもまだ天気はよくないが岩手県側は降りはしなかったらしい。帰着は十七時半。

 水沢市のほぼ真西、さほど遠くもないのに今まで未到だった増田町。行ってみれば案外近いのでまた折を見て訪問しよう。矢口を中心に本朝漫画家について総合的に展示してある。ここも「三平の里」として整備中のようだ、今後に期待しよう。

I use "ルビふりマクロ".

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