「石森章太郎ふるさと記念館」第百三十七回訪問記

令和二年一月二十六日(日)

 八時二十六分水沢駅発上り、一ノ関駅での乗り換えを経て石越駅着は九時二十一分。同駅での下車は筆者を含めて二人のみ。
 この日も駅前待機のタクシーは無いので電話して呼ぶ。すぐ来る。
 メモリアルデー。今回は後述のトークショーについて整理券発行は無く、並ぶ必要も無い。
 石巻市のSEI氏との合流は十時頃か。
 生家のかるた取りを見学する。交通安全が内容のかるたを友の会関係者が読み上げ、児童達が取る。なまじ児童同士だけに手加減の無い真剣勝負である。
 十一時から餅。好物の納豆中心にほうれん草や鮭フレーク等、十個は喰らう。
 そしてたけちゃんラーメンのメンマラーメン。
 十三時半から木村直巳トークショー、聞き手は今秀生。
 木村については石巻市復興支援活動で名前を知っている程度であり、彼の作品で知っていたのは同市の漫画雑誌「マンガッタン」掲載作品のみ。会うのも初めてである。マンガジャパン世話人、大阪芸大客員教授、まんが王国とっとり国際マンガコンテスト審査員。
 木村は中三の時に描いた作品で高一になってからデビュー。高校受験の前日に採用の通知が来たと言う。子供の頃は長編指向だったのが親戚の漫画家・宮田陽子の勧めで短編を投稿、それが採用されたのだと言う。元々手塚、石森、永井作品を読んでおり、石森著「マンガ家入門」の「龍神沼」に痺れて漫画家を志す。以後、今に至る活動について色々。
 日野日出志、大友克洋、萩尾望都、矢口高雄、かわぐちかいじ、他の漫画家の名前も多数出て来る。大友から影響を受ける事への恐怖。マンガジャパンは重鎮揃いで、入会後も三年位は近付けなかったと言う。
 去年フジテレビでドラマ化された「監察医 朝顔」について。阪神淡路大震災の神戸市の事を描いている最中に東日本大震災発生。「風化させない」との思い。
 今は「銭形平次」や旅グルメ漫画に取り組んでいると言う。
 質疑応答では岩手県紫波町の野村胡堂あらえびす記念館が話題になる。「銭形平次」の原作者である。
 「朝顔」の配役には助言せず、撮影現場は一度だけ見学したと言う。原作未読で臨んだ上野樹里、読み込んで来た山口智子。
 トークショーは十五時頃まで。
 何人かの常連、顔なじみに会う。
 企画も見ておく。この日が最終日の「プリ☆チャン」。
 十五時半頃、SEI氏の自動車で出発して石越駅まで送ってもらい、十六時一分の下りに乗ってまた一ノ関駅で乗り換えて水沢駅着は同五十五分。大相撲初場所の結びの一番と、感動と爆笑と涙の表彰式には間に合う。ここ数年、劇的な初優勝が続いている初場所。

 早朝から並ぶ必要も無く楽しめた一日。特に注文を付ける点も無い。

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