「石森章太郎ふるさと記念館」第十一回訪問記

平成十三年十二月二十二日(土)

 定例の水沢発九時十五分、石越着は十時八分。現地も雪がそこかしこに見える。
 列車の中から、駅前に駐車しているふるさと記念館の仮面ライダーバスが見える。後述の東北高校生、寄席出演者の出迎えのバスなのだが「記念館に行く者ですが」と名乗って紛れ込んでしまう。筆者が記念館のバスに乗るのは初めて。筆者の他にも一般客数人。
 記念館へ直行。
 途中、車内から見えるロボコンモニュメントは「0点」。繰り返しだが、小学校の前に「0点」とはあまりにも不吉。石巻市は「満点」に書き換えたのだから中田町は「100点」にでもすればいいのに。
 例によってまず茶屋へ。烏龍茶一杯、これでこの店の全メニュー征服。
 この日から二つの展覧会。一つは企画展示室での第6回特別企画展「昇華する静と動 小島剛夕こじまごうせきの世界」、もう一つは館エントランスと生家での「まんが甲子園優勝記念 東北高校生まんが展」。共に三月三十一日(日)まで。
 エントランスで館長に挨拶。高知県での「まんが甲子園」という催し物で宮城県の東北高校が優勝したのだそうだ、その作品や関連新聞記事がエントランスに飾ってある。
 一度館を出る。
 丁度小野寺電気に幸朗氏。店頭の003像はだいぶ汚れている、通りに面しているのだから仕方ないか。顔に縦筋がついて、泣いているように見える。
 生家。館長夫人が出迎える。こちらにも土間と座敷に掲示板を立てて作品を飾ってある。白黒、カラー取り混ぜてストーリー漫画の数々。もう少し漢字の勉強もした方がいいぞ。
 館長の案内で東北高校の生徒達五人と引率教師一人、総勢六人が来場。展示作品の作者達である。漫画家を目指す少年達にとって、自らの作品が「萬画の王様」の記念館と生家、言わば「萬画の王宮」に飾られるとは無上の栄誉だろう。少年達も大変喜んでいる様子。東北高校組、館長夫妻に筆者も加わって、皆で卓を囲んで茶や干し柿を食しつつ歓談。この少年達の中から章太郎ら郷土の諸先輩に続く漫画家が輩出したら愉快である。
 生家の庭には「メダカの小川」の案内板。風だけは変わらない。
 展示作品を鑑賞したり、諸氏、諸君と歓談したりで正午頃まで生家にいる。
 昼飯時。茶屋で菓子パン二つとピザ一つを喰う。
 カウンターに置いてあるパンフレット、「萬画家・石森章太郎先生のふるさと 中田町ワクワクガイドブック」(中田町)と「おすすめ旅プラン【花、緑、高原、海、焼物、温泉、グルメ】南いわて 北みやぎ 平泉〜松島」(岩手県一関地方振興局企画総務部企画振興課/岩手県千厩地方振興局企画総務部企画振興課)を取る。後者は「みやぎ国体」に合わせて作られた物。後者に掲載の地図、北は前沢町まで載っていてぎりぎり水沢市が載っていない。
 記念館友の会会員証を提示して特別展示室に入室。ああ、初めての会員証行使である。
 小島剛夕、御存じ「子連れ狼」の劇画家。章太郎本人は別として、この記念館で故人の企画展が開かれるのは初めて。だから今回はサイン会等は無い。
 劇画と漫画、どう違うのかよく解らないが、筆者の知人は「濃いのが劇画」だという。確かに濃い。そして「四コマ劇画」とは言わない。
 今回も経歴年表が表示してある、小島も苦労人のようである。いろいろな職に就いて家計を助け、映画館の看板描きもしたそうだ。
 展示の殆どは「子連れ狼」関連、劇画本体、本の表紙等の原稿や一枚物の絵等。部屋の一角には故人の仕事机が再現され、彼の訃報の新聞記事切り抜きが添えられている。外国の新聞記事もあるが筆者は英文は読めない。
 「子連れ狼」の他、「孫悟空」の絵も飾られている。
 一通り見て企画を退室。何度も見ているが機械に券を突っ込んで常設にも入室。先程の高校生達がビデオライブラリーの「仮面ライダー」総集編ビデオに見入っている。筆者も暫し脇で見ている。「RX」の十一人ライダー対グランザイラスの場面、筆者は五郎ちゃんを指差して「これは章太郎氏の長男だよ」。
 十三時半から館隣の旧石森幼稚園で「平成13年度生涯学習推進事業 年忘れ 招福『お笑い寄席』」。東北大学落語研究会の三人と、そのOB三人の六人による落語。当日の演目、出演者は下記のとおり。

「そこつの使者」 福之家長太郎ふくのやちょうたろう
「時そば」 左亭升鶴さていしょうかく
「目ぐすり」 浪速家平助なにわやへいすけ
〜中入り〜
「子ほめ」 青木亭今一あおきていいまいち
「一目あがり」 賀千家がちやぴん吉
「こんにゃく問答」 好笑亭笑好こうしょうていしょうこう

 実は筆者は落語は好きで、中高生の頃はNHK「真打ち共演」や東北放送「爛漫ラジオ寄席」をよく聴いていたもの。近年、一関市に寄席が来た時にも見物に行った。自分で演ずるのは無理だが「寿限無」の名前の暗唱程度なら出来る。
 まず館職員からの挨拶、続いて開演。初めは観客は十人もいないのが次第に増えてきて、後の方になると三、四十人くらいにはなる。子供から高齢者まで、館長以下館職員も数名。この寒いのに杖をついて老婦人来場、館職員達が支えて誘導。時折後ろの方から女性の一際ひときわ大きな、けたたましい笑い声が聞える。
 古典落語だから落ちまで知っているが、それでも聞く度に笑ってしまうものだ。
 当日配布のプログラムには出演者の本名まで記されている。初めは気付かぬものの、ぴん吉氏の顔を見て、そして本名と考えあわせて、ひょっとしたら小中学生の頃の同級生ではないかと思い始める。
 笑好氏は落語の後に「南京玉すだれ」も披露。
 六人で二時間余りか。友の会会長から挨拶。爆笑、盛況のうちに打ち出し。
 打ち出し後、控えにぴん吉氏を訪ねる。本名で呼びかけると、向こうも筆者の本名で答える。向こうも気付いていた、やはり小中学校の同級生だったのだ。意外な所での十数年振りの再会である。驚き、喜ぶ。落語好きの方なら解るか、三遊亭圓歌の「暫くでした中沢さん」そのものである。
 茶屋で飲み物を飲みつつ歓談。お互いや同級生達の進路、近況等。実に懐かしい。
 外が暗くなってくると、中庭のイルミネーションが映えてくる。
 今回の買い物はれんこんうどん、サブレ、「ハリマオ」ステッカー。バンダイのソフビ、G4が入荷している。
 図々しくも彼の自動車で石越駅まで送ってもらう。その間、車中で落語談義。
 駅前で降ろしてもらう、再会を期して握手。十七時二十分頃。
 一ノ関行の来るまでまだ時間がある。駅前の赤城亭の焼肉定食を喰ってから十七時五十八分の列車で帰途に就く。

 石森プロジェクト訪問の楽しみの一つ、現地でのいろいろな人達との出会い。今までも楽しい、素晴らしい出会いを経験してきたが今回ほど驚いたことは無い、小中学生の頃の友人と十数年振りにばったり再会してしまったのだから。本当に驚いた。
 東北高校生の作品展示は実にいい企画だと思う。亡き御大も同県の後輩達の活躍に喜んでいることだろう。本当に「ふるさと」記念館である。今後も地元の若者の作品を数多く展示して欲しいものだ。
 小島剛夕の作品群、激しさと静寂を感じる。チャンバラ場面の筆致等は緊迫感に満ちて迫力満点。そして哀感。
 今回が平成十三年最後の中田町訪問。正月の矢口高雄展、パーティー以来、館長や幸朗氏達には本当にお世話頂いた。これからも訪問し続けよう。

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