「宮城国際ヒーローサミット2012」参観記

平成二十四年八月十八日(土)、十九日(日)

 六月に突如発表された今般の催し物。八月十八日が前夜祭で、十九日から二十一日までの三日間開催。同時刻に複数の催し物があるので固より全て見るのは不可能。いろいろ思案して絞り込み、仙台市での前夜祭を見てから松島町に移動してウルトラ関連の催し物を見る事にする。
 今回の訪問地は仙台市と松島町で、石森両館には全く足を運んでいないが、両館共にサミットで受賞し、会場で関係者にも会っているので、敢えて石森プロジェクト現地訪問記に加える次第である。
 尚、サミットとは無関係の部分が長いので、興味無い方は適宜読み飛ばすべし。
 十七日の晩は前夜祭の前夜祭として、自宅で雨宮慶太作品の鑑賞。数点持っている中で敢えて選んだのは「人造人間ハカイダー ディレクターズカット版」LD。この作品はロードショーを盛岡東映で見た。従来の勧善懲悪を排除して正義と悪を相対化する井上敏樹思想、それを象徴する名台詞「お前が正義なら、俺は悪だ」。確かにディレクターズカット版は話の前後のつながりの不自然さが解消されてはいるが多少くどい部分、蛇足と思われる部分もあり、筆者はやはり劇場公開版が好きである。音楽については断然劇場公開版。
 十八日は十七時十二分に水沢から上り列車に乗る。乗り換えは一ノ関での一回のみで十九時三十三分仙台着。すぐに西口に出て歩き慣れた青葉通りを進む。やがて一本北側の道・クリスロードに入り、前夜祭の会場・桜井薬局ビルに到着する。ここの三階の映画館・桜井薬局セントラルホール。この建物に入るのは初めてである。宮城県在住の頃はこの映画館の存在を知らず、知ったのはつい最近。
 エレベーターで三階に上がる。既に当日券目当ての数人が並んでいる。筆者は事前にメールで入場権利を取得済みなのでそれを以て行列の先頭に並ぶ。二十時頃か。行列に加わって行くのは当然ながらその筋の愛好家達だが、中には親に連れられた小学生もいる。開場の係の人は、今、劇場内では他の作品を上映中なので、それが終わって観客が全て退場するまで待って欲しいと言う。扇子で自らの顔を仰ぎつつおとなしく待つ。
 雨宮慶太やショッカーO野が入場するのを目撃する。
 二十一時頃に一般客入場。好みの席を確保する。
 前夜祭開会。司会はヒーローサミット総合司会でもあるO野。一般の撮影等は禁止。雨宮へのインタビュー。雨宮は「心の師匠」章太郎のDNAが自らの中にあると語る。前述の「ハカイダー」についてはキカイダーを悪者にしてしまった為に章太郎に怒られるかと思ったら、面白かったと言われて安堵したと言う。「ハカイダー」が章太郎存命中最後の特撮作品である。今回の上映作品の見所も語られる。やがてテレビ番組撮影で使われた牙狼も登壇して報道機関向けのフォトセッション。質疑応答等、壇上と客席の間のやり取りは無し。
 「これから明朝まで軟禁」「顔を憶えたから寝たりしていないかその頃に見に来るぞ」等と言い残してO野達は退場。
 二十一時半頃から「牙狼 MAKAISENKI」テレビシリーズ二十四本オールナイト一挙上映。雨宮監督作品「牙狼」については、岩手県では岩手めんこいで一昨年に突然初代テレビシリーズを毎週二本ずつ放送したのを見た、但し加勢大周出演回は未放送。主題歌の歌詞が実に格調高くて良い。囲碁将棋有段者としてはバルチェスの場面が好きだ。映画「RED REQUIEM」はMOVIX利府まで見に行った。雨宮作品も人によって好き嫌いが分かれているように思うが、筆者には特に拒否反応は無く、熱心な愛好家と言うわけではないが割りと好きな方である。「未来忍者」、「ゼイラム」シリーズ、「鉄甲機ミカヅキ」も面白かった。
 翌朝までのオールナイト上映は筆者には初めての経験。自宅でも平成十二年の大晦日の晩にBLACKの最終決戦七作を見た程度で、徹夜での映像作品鑑賞と言う習慣自体が無い。レポート等の執筆で夜が明けてしまった事は何度かある。
 三十分番組を三本上映する毎に十分程度の休憩、それの八セット。休憩毎に自販機の飲料や売店の菓子を買って食して眠気を払い、また手洗いに立つ。眠くはなって来るが、周囲の他の客がいびきや寝息を立てる中、筆者は辛うじて全て鑑賞。  翌朝、八時過ぎの終了。特に拍手も起きず、O野も雨宮も姿を見せず、主催者側からの挨拶も無く、疲れた顔の観客達は外に出て行く。
 建物を出て仙台駅に向かって東進する。やはり天気はいい。「ミラーマン」の主題歌を口ずさむが既に朝焼けどころか陽は高い。
 駅二階の粟野蒲鉾店が既に営業しているので揚げ物三種を五枚ずつ買う。ここで若旦那に会った事は無いが、最近は仙台市での用事のついでにここで買い物をする事が多い。S‐PALのロッテリアで軽く食事をしてから九時丁度の東北本線に乗る。空いている車内で日記帳を開き、十八日分を書く。
 二十四分松島着。いつも仙台行の際に通過するだけの松島町、訪問は二十七年振り三回目。「名所には近場の住民は行かない」の法則どおり、十一年間宮城県在住でその後も頻繁に仙台圏を訪問していても、松島町に行ったのは小学校のバス遠足の二回だけで、全くの私用での訪問は今回が初めてである。
 日本三景の駅の割りには小さな松島駅、水沢駅よりも一回り小さい。好天は持続して、寧ろ天気は良過ぎるくらい。手持ちの地図を広げて、次の目的地への道筋を確認する。
 国道四十五号線を南下する。炎天下、殆ど日陰も無い狭い歩道を歩く。毎度ながら歩くこと自体は苦ではないが暑いのは辛い。途中、自販機でペプシコーラを買うと「当たり」が出るのでいちごミルクを取る。
 十五分ほどで松島町での第一目的地、松島干支えと記念館に着く。広い駐車場と大きな建物。受け付けで名乗ると、やがて狩野章かりのあきら支配人が筆者を出迎える。狩野支配人は以前、萬画館で事務長をしていて、その当時は筆者もいろいろ世話になった。最近、ふとした事で彼が現在はここに務めている事を知り、また記念館自体も気になっていたので今回訪問を事前通告していた次第である。平成二十二年十月二十五日開業、その五ヶ月後に被災している。
 記念館の建物に入ると、エントランスには受付の他に土産物の陳列がある。干支にちなむ品物。展示室には、台座を含めて高さ十メートル近くはあろうかと言う巨大な乾漆仏像や神像が並んでいる。展示の主体は十二支の守り本尊像。守り本尊とは「身の守りとして信仰する仏」(講談社日本語大辞典第二版)で、筆者は虚空蔵菩薩。その他、各像の説明、各十二支の年の生まれの人の性格やその年生まれの著名人、世界の宗教、仏教の歴史についてのパネル等が展示されている。
 狩野支配人と会話をしつつ、展示室内を歩む。十二支は八卦、十干、陰陽、五行等と共に東洋神秘学の根幹をなすものであり、また東洋に於ける仏教の存在の大きさは言うまでも無い。筆者は多少東洋学の心得があるので、ここの展示は実に楽しめる。社会科が好きな人は、歴史年表や世界地図だけでも話題が広がり会話が弾むものである。筆者達以外にも家族連れなど数組が見学している。
 やがて狩野支配人と別れて筆者一人で展示を三周ほど見て、例によって展示パネルの誤記を指摘してから辞去。
 干支記念館の隣には同じ経営主体の建物がある。一階は土産物店の松島観光物産館、二階は松島浪漫亭。まず二階で藻塩ラーメン六百三十円とご飯セット二百十円を食す。実に数十時間振りのまともな食事。一階では自分用の菓子と、ビデオプラザ神奈川の大震災記録映像DVD「東日本大震災/宮城・石巻地方沿岸部の記録」を買う。このDVDは以前から知っていて、いずれ通販を利用しようかとも思っていたがここで目にして買う。
 干支記念館等の敷地の隣はみちのく伊達政宗歴史館。伊達政宗の生涯と東北六県の偉人達の蝋人形館である。この時点でまだ十二時過ぎで、次の催し物まで時間があるので急遽立ち寄る事にする。こここそ、まさに二十七年前の小六のバス遠足で訪ねた場所である。
 二階建ての建物。一階部分は東北六県の偉人達。岩手県については水沢三偉人や宰相経験者、文学者、学者等。鈴木善幸を岩手五人目の宰相としているが、それでは東條英機を数のうちに入れている事になる。首相官邸ウェブ掲載の歴代一覧では、明治憲法下では本籍地、昭和憲法下では選挙区を以て「出身地」としており、それに従えば岩手県出身の宰相は原敬から善幸までの四人だが、父親の代まで盛岡藩士だった故に、往々にして東條も岩手県出身のうちに入れられている。尚、山口県出身の安倍晋三も、先祖が衣川の安倍一族だった事を以て岩手県出身だと主張する人もいる。
 宮城県の偉人の中では、やはり好角家としては谷風梶之助が嬉しいがパネルが「梶乃助」と誤記している。政治と相撲では分野は違うが、所詮伊達政宗は天下を盗り損なった男だから、宮城県出身の「日本一」第一号は谷風だろう。国語辞書「言海」編纂者の大槻文彦も宮城県に並べられているが、彼は岩手県一関市では祖父・玄沢、父・磐渓と共に大槻三賢人として駅前に銅像があり、また一関市博物館でも大きく取り上げられている。そして筆者が一番問題視するのは高橋是清。元々は江戸の生まれで、仙台藩足軽の養子になった事でここでは宮城県出身とされているが、宮城県では是清を郷土出身とは普通は見なさない。仙台市博物館でも是清の展示を見た記憶は無い。是清が宮城県出身なら「宮城県からはまだ宰相が出ていない」と言われる事は無いはずである。ついでながら是清は前述の原敬の後継として盛岡選挙区から出馬、当選しているが、岩手県でも是清を郷土出身には数えない。
 自身に居住経験のある岩手県と宮城県について長々と述べるが、実は東北六県偉人展示の中で谷風と同じくらい嬉しかったのは秋田県の内藤湖南。湖南と言えば京都帝大東洋学の祖にして、東洋学の世界では神様のような存在である。
 二階は伊達政宗の生涯、誕生から晩年までの場面。今年は放送後二十五年にして、ケーブルテレビの時代劇専門チャンネルでNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」を見たばかりでもあり、ドラマの場面を思い出しつつ見る。裏番組の「元気が出るテレビ!!」を見ていたので「政宗」の本放送は一回も見ていないが、当時の政宗バブルは泉市民として経験している。
 二階の順路を奥まで進み、階段を下りるとミュージアムショップ。何も買わず。
 四十五号線を今度は北上する。狭い道で自動車の通行量は多い。十五分か二十分ほど歩いて、十三時頃に松島町中央公民館に到着する。この日の最終目的地。
 建物の内部、玄関付近には既に多くの参加者が集まっている。昨夜の前夜祭で見た人もいる。まだ開場まで間がある。仙台駅で買った粟野の揚げ物数枚を食す。
 やがて係員の指示に従い列に並ぶ。十三時半の開場予定より少し遅れる。講堂に入り、適宜着席。
 ウルトラシリーズ45周年記念ワークショップ。司会はO野、出演者は飯島敏宏、黒部進、桜井浩子、森次幸嗣。シリーズ初期を代表する面々によるトークショー。
 各人が語る当時の思い出話等。客席ではしばしば大きな拍手や爆笑が起きる。様子の一部はサミット公式ウェブで動画が公開されているのでそちらを参照されたい。筆者が一番印象に残ったのは、当時は手探りで始めたので続けられるかどうかどうか不安だったと言う飯島の発言。果たして「ウルトラマン」は大人気作にはなったものの制作が追い付かなくなり、打ち切りになってしまう。番組自体は打ち切りだが人気は半世紀近く続く。思い出話の中に頻繁に登場する毒蝮三太夫。確かに、彼の服が芳香を発するとは思えない。質疑応答の際に「あまりにも面白そうなので」と言う等、O野自身も出演者達の発言を楽しんでいる。一時間余りか。
 一度観客も退場して場内整備。ふるさと記念館熊谷館長に挨拶する。
 先程と同じ講堂で十五時半から松島クリエイターズ・アワードママ賞式。ヒーロー関係者の栄誉を讃える式典。司会はインターネット放送局の女性アナウンサー。
 これは公式ウェブで全編が見られる。この訪問記の執筆時点でもう筆者の記憶もだいぶ薄れているのでそちらを参照して欲しいが、ここで主催者側は第一の大失態を演じる。動画の四分経過頃、受賞者入場の途中で、司会は萬画館代表として石巻市の亀山市長を紹介した後、「まんぼう」の西條社長入場の際にふるさと記念館代表の登米市の布施市長、熊谷館長の名前を読み上げてしまう。それでも客席に向かって一礼する西條社長、拍手する観客達。筆者はすぐ間違いに気付いて気が気ではない。やや間があってから、司会は「エー続いてはこちらの方です、どうぞお入り下さい、どうぞ皆様、拍手でお迎え下さいませ」と、名前を告げずに入場を促す。布施市長、続けて熊谷館長入場、ステージの前まで来てからきちんと名前を読まれる。六分過ぎ、布施市長が一瞬、左手の方を向いて立ち止まっているのは客席の筆者と「今、間違えたよな」と会話をしているのである。全員の入場、着席が済んだ後、司会は改めて西條社長を紹介し、西條社長は起立して一礼する。
 主催者の挨拶の後、授賞。各人を紹介する映像が映写されてから賞状等を授与する。受賞者もそれぞれ挨拶する。中には当日欠席でビデオメッセージと言う人もいる。
 第二の大失態。動画の五十四分過ぎから萬画館へ特別賞の授与だが、ここで亀山市長にふるさと記念館宛の賞状授与。亀山市長はそのまま受領して、その後の挨拶でも誤りには触れない。市長からの挨拶の中で萬画館の年内の再開が表明され、場内拍手。「萬画館が嫌なので市長選挙で亀山に投票した」と言う人は残念だったな。西條社長からは、土日には営業再開についての照会電話が多くかかって来る旨が話される。
 続いて同じく特別賞、登米市の布施市長には萬画館宛ではなく、正当な賞状の授与。すぐ取り換えたのだろう。布施市長も誤りには触れず。
 円谷プロ受賞の際は先程のワークショップ出演者とウルトラセブンが受け取る。「運動会でも賞を貰った事が無いのに今回このような賞を貰えて嬉しい」とは黒部の言。
 最後に全受賞者、ウルトラセブン、牙狼、東北合神ミライガーも登壇して記念撮影。
 降壇して退場するウルトラセブンや森次と握手。
 建物の外に出る。十八時前。雨宮が愛好家にサインをしているのを見掛けるが、祝賀会場へのバスに乗るとて、お付きの人に囲まれて雨宮はその場を去る。筆者はすぐ松島駅に走り、十八時六分の下りに間に合う。一関乗り換え一回だけで、十九時五十六分水沢着。

 丸一昼夜、徹夜したり歩き回ったりで本当に疲れた。天気が良過ぎたのである。
 困難かも知れないが、出演者と観客がもっと直接交流できる場があれば良かったと思う。
 しかしながら、年齢即ちウルトラ愛好家歴の筆者、不惑目前にしてやっとウルトラヒーローと対面出来て本当に嬉しい。ヒロインの桜井には二年前に秋田県の増田まんが美術館で会っているがヒーローは今回が初めて。筆者の口癖「『ウルトラセブン』は幼き日の憧れ、『仮面ライダーBLACK』は青春の夢」これで憧れと夢、両方との対面がかなった。現場では筆者は百パーセントウルトラ愛好家になっていて、黒松英臣教授の事は帰宅してから思い出した。
 筆者思うに、人の名前を間違えたり取り違えたりするのは無条件に悪、無礼である。松島町でのサミット行事の様子の記述は、主催者側の大失態への筆誅が大半になってしまった。さまざまな場面で混同されるのは両館の側では慣れた事、筆者も実例を今まで何回も取り上げて来たが、このような宮城県内での晴れ舞台でもこの始末である。混同の根は深い。西條社長の入場が段取りに入っていなかったのか。
 それと、ふるさと記念館と萬画館の入場順が解せない。五十音順でも開館順でもふるさと記念館の方が先だし、石巻市が何を言おうが生誕地は登米市。ふるさと記念館の方が兄貴分のはずである。そしてその両館に先立って韓国の都市の代表が入場している不愉快さ。時節柄、韓国人はサミットから追放すれば良かったのに。
 今回は特撮とアニメのヒーロー関係者が表彰されて、スポーツ選手、危険な仕事の従事者のような現実世界のヒーローは対象外のようである。特撮とアニメ関係でも他にも表彰すべき対象はいろいろあるが、もしこの催し物に次回があるなら、その時は時代劇とゲームのヒーローを取り上げて欲しい。時代劇のスーパーヒーローも沢山いる。また、ゲームの世界でも日本発で世界的人気のキャラクターがいろいろ存在する。常々、筆者は「我々の世代の最大のヒーローは80でもスカイでもなく、スーパーマリオブラザーズ」と主張している。
 予想以上に楽しかった干支記念館。仏像展示施設だが抹香臭くはないので、松島観光の折には立ち寄って欲しい。
 ビデオプラザ神奈川のDVDは余計なナレーションや音楽等は入れず、災害直後の現地の様子を収録している。やはり、見慣れた景色が傷つき、崩壊していく様を見るのは哀しい。

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