その十五 第十八回カシオペア映画祭見物記

平成二十六年九月二十七日(土)

 平成十一年の第六回以来、度々見物している岩手県一戸町でのカシオペア映画祭。昨年の第十七回のゲストは宝田明だったが、その当時は著作権について裁判の最中で、ゴジラ映画は一本も上映できず、「100発100中」「月給泥棒」「世界大戦争」上映。宝田はゴジラだけと言うわけではないので、それはそれで有意義。
 そして今年の第十八回は何と昨年に引き続き宝田明! 昨年のうちに裁判も終了して、晴れてゴジラ映画が上映可能になる。ゴジラ誕生六十周年、宝田明八十歳、伊福部昭生誕百年、新作ゴジラ公開の記念すべき年にまた宝田に会える。
 八時十分東北本線水沢発、九時十五分盛岡発。JRの改札を出て、ここで一時間以上の接続待ち。駅舎内の店でライスカレーを喰らう。
 IGRの改札を通って十時二十分発。初めて一戸町に行った時は盛岡以北もJRだったが、東北新幹線延伸によって盛岡以北の並行在来線は経営分離。水沢から盛岡までは平地を走った後、盛岡以北はすぐ山がちになり、一戸町もまた山間である。十一時二十二分着。
 蒸気機関車の時代には機関区が置かれた一戸町は「国鉄の町」でもあった。駅舎内に往時を偲ばせる備品や鉄道模型の常設展示がある。そして今回の映画祭のポスターが掲示されている。
 好天一戸町。駅舎を出て会場に向かうべく北上を始めようとすると、駅の駐車場に盛岡市の知人(現地訪問記の盛岡組の一人)が自発的に自動車で迎えに来てくれている。ありがたく乗り込み、萬代舘に到着。以後、行動を共にする。
 既に多くの見物客が来ている。昵懇の冨田圭・実行委員長に挨拶。
 前売券を提示して入場。当日のプログラムと共に「ゴジラ×メガギラス」「モスラ2」「モスラ3」の入場者特典がもらえる。いずれも宝田作品ではない。
 今回もロビーには古い映画ポスターが掲示されている。東宝チャンピオンまつりのもある。筆者が初めてテレビで見たキングギドラ作品はチャンピオンまつりの「ゴジラ電撃大作戦」だと思う。「初代モスラ」のポスターには「10/18(土)もりおか映画祭にて/上映決定!/ゲストトーク香川京子さん」と言う張り紙も添えられている。これらポスターを見ているだけで、見知らぬ同好の士とも会話が弾む。
 売店では今回も弁当や軽食が売られている。筆者も数点買う。カツサンドは実に分厚く、口を大きく開けないとかぶりつけない。
 場内後ろの壁面に、去年宝田が書き付けて行った詩がある。「送別歌」七言四句の漢字のみの詩だが、使われている字等からして、古典の授業で習う漢詩ではなく、現代中国語の詩と思われる。
 観客には全く子供の姿が無い。冨田委員長挨拶の後、十三時から上映開始。三本ともフィルム上映である。
 「初代ゴジラ」。六月にデジタルリマスター版を仙台市で見ている。今更言うまでも無く、いろいろな意味での原点。今年、産経が「本多監督は単に娯楽映画を作りたかっただけであり、反戦反核の訴えなんか無い」と言う趣旨の記事を掲載したが、ラストの山根博士の台詞だけでも、映画の訴えるところは明白である。やはり白黒ならではの怖さはあると思う。ただあまりに深刻な内容だけに筆者はあまり好きな作品ではない。それにしても理科の苦手な筆者でも、恐竜時代が二百万年前と言うのはどう考えてもおかしいと思う。「ブロントサウルスや恐竜」と言う併称も変だ。
 幕間には今年の日本映画専門チャンネルのゴジラ予告篇特集が上映されている。昔の予告篇は「決定版!」「近日公開」。これが平成だと「何月何日激突」等になる。
 十五時から「モスラ対ゴジラ」。今回の上映作品の中で一番好きなのはこれ。星由里子が実に良い。政治権力と報道機関の力関係がいろいろ問題化している現代、「新聞が権力持ってどうするんだ」の意味を考える。ゴジラの愛知県襲撃場面が実に怖くて大好きだ。佐原健二と田島義文が悪代官と越後屋そのもの。予定時間より早く上映終了。この作品はLDとDVDを持っていて何度も見ているので、上映中に場面のカットに気付く。再上映版のフィルムだったのか。ロビーのポスターの中には松本零士画もある。
 建物の入り口の向かって左手が受付で、右手の奥では二種類の本が販売されている。一つは昭和憲法九条についての本で、日野原重明、澤地久枝と宝田の共著。宝田のサイン入り。もう一つは小学館「東宝特撮全怪獣図鑑」特別に本体価格のみでの販売。図鑑のみ買う。
 何やら外が騒がしい。宝田一行到着の様子。
 十六時五十分から「怪獣大戦争」。これは平成四年のWOWOWで見ただけである。「女性全員が水野久美の顔」と言う世界も、その筋の愛好家にとってはたまらないかも知れない。
 ロビーには最近の新聞雑誌の宝田明インタビュー記事が陳列されている。宝田は基本的に最近のゴジラ関係の仕事は断っていないと言う。一般紙や映画雑誌の他、中島春雄と共に「赤旗」にも登場している。
 舞台に映画ポスターが立てられる。十九時からトークショー。伊福部音楽と共に宝田登場。司会者からのインタビューで進行する。今回はノートを取っていないので断片的な記述。
 話題は「初代」から最新作まで。撮影時の苦労、共演者との思い出。初代ゴジラの着ぐるみは気持ち悪くて触れなかったと言う。しかし試写では、自分も核実験の被害者なのに人間に斃されてしまうゴジラがかわいそうで涙を流したとの事。
 「初代」の海外向け再編集版「怪獣王ゴジラ」にも言及する。前述の反核反戦の訴えが「怪獣王」では削除され、海外には伝わらなかった。ずっと後になって本来の「初代」が米国でも上映され、各紙で絶賛されたと言う。
 米国のゴジラファンの噺。新作の劇中でいよいよゴジラが姿を現すと場内大拍手だと言う。「大戦争」で共演したニック・アダムスについて催し物で「スケベ男」と評するとこれが米国人には大ウケ。
 政治的な話になってしまうがと断った上で昨今の防衛論議にも触れ、国会議事堂内で議員達を対象に「初代」を上映せよと訴える。場内からは拍手。
 宝田から自発的に出る、新作でのカメオ出演場面のカットの経緯。昨年の映画祭の時に、既に宝田は新作に出演済み、映画そのものの詳細は私もまだ知らないと明かしている。それが今年、日本公開の前に「編集の都合でカット」と新聞報道され、まさか、或いは日本公開版ならばカットされていないのではないかとも思ったが本当。クレジットにはTAKARADAの名前が残っているが、パンフレットでは宝田についての言及は無い。宝田に対して監督や向こうの副社長からカットについて詫びが入り、宝田は短時間の場面なのだから何とかならないのかと抗議したものの「大人の対応」で引き下がったのだと言う。監督の権限ではあるが、しかし若造監督が世界の宝田を呼んで撮影までしながら切るとは、実に罰当たりだと筆者は思う。
 司会者は前述の本の販売についても触れる。図鑑の裏表紙を見て「怪獣とは思えないかわいいのが」と言ったのは多分クレクレタコラ。我が母の証言によれば、生後間もない筆者は「クレクレタコラ」が大好きだったと言うが、当然記憶には無いし、きちんと見た事も無い。
 質疑応答で、福島県南相馬市の人から「『初代』の劇中で子供達にガイガーカウンターを当てている場面がまさに我々の日常」と言う話が出る。
 トークショーは一時間ほど。建物の外に出て、参集した愛好家達と交流する宝田。サインにも応じている。筆者は先程購入の図鑑と、平成五年の「ゴジラVSメカゴジラ」の通販で買ったgodzilla帽子にサインを貰う。図鑑へのサインの後、着帽のままお辞儀をしてロゴを示すと宝田がつばに自発的にサイン。この帽子を着用して帰宅するが当然家宝なのでもう二度と着用しない。
 ふと足元を見ると「瀕死の蛾」がいる。
 一般客達が帰った後、宝田と関係者の懇親会。筆者と盛岡知人もまた映画料金とは別に会費を払って参加する。皆で宝田を囲んで、郷土料理「ひっつみ」等を楽しむ。出席者同士でもまた話に花が咲く。
 筆者から宝田に我が市内の後藤新平記念館のパンフレットを手渡す。宝田は満洲育ちで、後藤伯爵は満鉄の初代総裁。宝田も後藤伯爵の名前は知っている。筆者の親族が昭和十二、三年頃に陸軍武官で滿洲帝國にいた事も話す。宝田と二人での記念写真では宝田は自発的にパンフレットを手に持ってくれる。
 二十一時半頃、お開き。見送る。筆者も関係者に謝辞を述べて辞去。
 盛岡知人の厚意で、予約済みの隣の二戸市金田一温泉の宿・仙養舘に送ってもらう。実は盛岡知人の親族の経営である。玄関ではガンプラ軍団がお出迎え。綺麗な室内や大浴場、美味な朝食。
 翌朝は宿の自動車で金田一温泉駅に送ってもらい、独り鉄道で盛岡入り。車内で、前夜の映画祭参加者とばったり会う。ラヂオもりおか音楽映画祭で再び盛岡知人と合流し、「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」上映と飯島真理のライブ&トーク。この映画も映画館での鑑賞や飯島のライブ鑑賞も初めて。

 映画祭関係者、今年も登場の宝田には本当に感謝の一言。やはり映画は映画館で見るのが一番。
 今回は上映途中で音声が途切れる等の不調が多かったように思う。機材は古いだろうし、「昔はよくあった」と却って懐かしがる人もいたが、不調は無いに越した事は無い。
 ラヂオもりおか映画祭も含めて、主演本人を招いて不朽の名作を映画館で見る、しかも大都市圏ではなく一地方都市で、と言う贅沢。これからも期待してやまない。

(平成二十六年十月十五日)

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