その十 「守株」と「刻舟」

 筆者がよく引用する故事成語を二つ紹介する。題名に掲げた「守株しゅしゅ」と「刻舟こくしゅう」、前者は学校の漢文教科書にも載っているし、出典自体が有名な書物だが、後者は言葉も書物も或る程度漢籍に興味のある人以上でないと知らないだろう。使用底本は前者は明徳出版社「中国古典新書・韓非子」、後者は大修館書店「漢文名作選第2集6・故事と語録」。口語訳は筆者によるもの。

 「守株」の出典は「韓非子」の「五蠧ごと」。「守株」の他に「矛盾」「逆鱗」も「韓非子」が出典である。故事成語、寓話の宝庫として有名。著者と言われる韓非子はその著作で秦王(後の始皇帝)をして「この著者と語り合えたら死んでもよい」と言わしめ、その縁で秦に呼ばれて赴くが、嘗ての同門で秦王の臣下になっていた李斯りしの讒言で非業の死を遂げる。現存「韓非子」のどの部分が真に本人の著作なのか諸説あるが、秦王が読んで感激したのは「孤憤こふん」と「五蠧」の二篇と伝えられている。
「宋という国に畑を耕す人がいて、その畑の中に木の切り株があった。或る時、兎が走って来て切り株に激突し、首を折って死んでしまった。そこでその人は農具を捨て、また同じように兎を手に入れようと待っていたが二度と兎は得られず、自身は国中の笑い者になった。今、昔の王者の政治を以て当世の民衆を治めようとするのは、皆『株を守る』の類である。」

 「刻舟」の出典は「呂氏春秋りょししゅんじゅう」の「察今」。始皇帝の臣下であり一説に始皇帝の実父とも言われる呂不韋りょふいがその食客に編纂させたもの。森羅万象を網羅する一種の百科事典で、呂不韋はこれを都の門に陳列し、「一字でも添削することの出来た者には千金を与える」と豪語したという。尚、位人臣を極めた呂不韋は後に失脚、自殺に追い込まれる。前述の李斯は呂不韋の次に歴史の表舞台に登場する。
「楚という国で川を渡る人がいた。その人の剣が舟から川の中に落ちてしまった。その人はすぐ舟縁ふなべりを刻んで印をつけて『ここが私の剣の落ちた場所だ』と言った。やがて舟が止まると、その人は印をつけた所から川に飛び込んで剣を探したが見つからなかった。舟は進んだが剣は進まない。それなのにこのようにして剣を探すのは、実に見当違いではないか。」

 今でもよくいる、我が「帝國」の掲示板でも見かける「こんなの仮面ライダーではない」「新作に藤岡弘を出せ」「どうして音楽が菊池俊輔ではないのか」等という手合いは、これら宋の人や楚の人と同じだと思う。「仮面ライダー」のうちで或る特定の作品が好き、と言うのは勿論勝手である。ただ、その作品を持ち上げる為に他の作品を貶める、他の作品を貶める為に好きな作品を持ち上げるのは建設的ではない、単に他の愛好家の気分を害するだけの不毛な感情論である。嘗て吉川ライダーは平山ライダー愛好家にさんざん馬鹿にされて、特に「RX」「J」は今も強い非難の的だが、今やその吉川ライダー世代人がテレ朝ライダーを否定するようになっている。その手の論者はそれぞれ平山ライダーという切り株を守り、吉川ライダーという剣を探しているだけではないのか。
 我が「帝國」でその手の持論を開陳する際は、まずこの二つの故事成語をよく味わってからにされたし。

(平成十四年四月二十九日)

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