「負けた、完敗だ……」
 結局、2戦目も俺の大敗だった。例え俺が栞と同程度の知識をつけていても、恐らく勝つのは難しいだろう。それほどまでに栞の格ゲーセンスは他の追従を許さないのだ。
「いやぁ、すごいな、栞ちゃんは」
 戦い終わって俺は素直な感想を栞に述べた。正直栞がここまでできるとは夢にも思わなかった。全力を賭して戦った強敵ともとして、俺は栞を褒め称えた。
「いえ、大したことないです。どんなに上手くできても、所詮ゲームですから。現実にできる人と比べたら全然……」
「えっ!?」
「小さい頃から憧れていたんですよ、力強い女性に……。でも自分は成れないから、せめて架空の世界では強くなりたいって思って、それで格ゲーをやり始めるようになったんです……」
 それは、現実では叶わぬ夢を2次元に託したということだろうか? 確かに、現実世界で強くなることはそう容易いことではない。例えどんなに鍛えたとしても、鍛え抜かれた男に女は敵わない。
 けど、力ではなく操作能力や判断能力が要求されるゲームでは、男女の差は問題ない。故に同姓はおろか異性に出さえも勝れる格ゲーを極めようとする栞の気持ちが分からないわけでもない。
「でも、もしかしたらもうすぐ夢が叶うかもしれません……」
「えっ!?」
「確率は低いですけど、もしかしたなら私もお姉ちゃんみたく……いえ、お姉ちゃん以上の力強い女性になれるかもしれません」
 栞は香里が一種の能力者だということを知っていて、“香里を超える”を言っているのだろうか。それが前提なら、栞は應援團員になり、香里以上の能力を身に付けようとしているということだろうか。
「ま、何にせよ、頑張れよ。俺も応援するよ」
「ありがとうございます、祐一お兄さん……。では今日はこれで。次にお会いする時は絶対に強い人間になって現れます、お兄さん……」
 そして栞は頭を下げながらゲーセンを後にした。笑顔の向こう側にある若干の不安顔を残しながら……。



第弐拾八話「雪の少女」


「祐一、これからどうする?」
「そうだな。せっかく商店街に繰り出したんだから、おもちゃ屋へ寄ってこうと思う」
 そういい、俺は以前潤と達矢と一緒に行ったおもちゃ屋へと向かった。
「それにしても、人通りが少ないな」
 今日は平日ということもあるが、街往く人をあまり見掛けない。どうにも商店街に活気というものを感じられず、中にはシャッターの閉まっている店もある有様だ。不景気の波及がこんな地方にまで来ているのかと心中察する。
「規制緩和で郊外に大型店ができてからずっとこんな感じだよ。訪れるのはわたしたちのような学生や車の免許を持ってないお年寄りばかり。車を持ってる人はみんな郊外に流れて行っちゃったよ」
 そこまで商店街に人が集まらなくなったのには、大型店進出の他に、駐車場がないという致命的な欠陥があると名雪は指摘する。都会ほど交通網が整備されていない田舎では、自家用車が何よりの移動の要だという。その自家用車を止められるスペースがなければ人が集まらないのも仕方がないと。
 それでも、郊外に大型店が進出する前は、駐車場がなくとも“他に行く所がないから”客は集まっていたらしい。駐車場がないという欠陥は規制緩和の前から存在していたものの、それに関する対策は何も取られていなかった。要は、客が来れば問題ないと、商店街の人々があぐらをかいていたということだろう。
「けど、例え大型店の物量に押されたって、本人たちにやる気さえあればどうにでもなるんだけどな」
 例のおもちゃ屋に行き、店内を見回りながら、そう呟いた。確かに個人経営店では値段的な面では大型店には敵わない。けど、ここのおもちゃ屋のように、近隣の他のお店では扱っていない物を取り扱ったりすれば、固定客とはいえ確実に集まるはずだ。決して楽な道ではないが、努力と工夫次第では個人経営店でも十分やっていけるのだ。
 売り上げの不振をただただ規制緩和に求め、自ら対抗しようと試行錯誤を繰り返さないのは、怠慢でしかない。
「ふふっ」
 一通りお店の中を回った後、店頭にあるカードダスを買っていたら、突然名雪が笑い出した。
「どうした、名雪?」
「ううん。祐一、昔と変わっていないなあ〜〜って」
「そうか?」
「うん。そういうのに熱中するところ、昔と同じだよ。祐一もまだ子供なんだね」
「大きなお世話だ。子供で結構。現に俺はまだ未成年だし、例え大人になってもやめないだろうよ」
 生涯一ヲタク。それが俺の人生目標だ。30になろうが50になろうが死ぬまでヲタク的趣味から足を洗うことはないだろう。
「でも、わたしはちょっぴりうれしいかな?」
「嬉しい? 俺がヲタであることがそんなに嬉しいのか?」
「そうじゃなくって、子供っぽいところが残ってるところ。7年前の面影を今でも残していることが、私はうれしいんだよ」
「やれやれ。褒めてるんだか、貶してるんだかわからないぞ」
「ほめてるんだよ。7年経ってわたしの知らない祐一になったんじゃなく、わたしの知ってる祐一のままでいたから……。
 ねっ、祐一。この後またわたしに付き合ってくれないかな?」
「なんだ、どこかに買い物にでも行くのか?」
「ううん。そうじゃなくて、ちょっと見せたい場所があるんだよ」
 そう言い、名雪は俺を商店街の奥へと誘って行った。



 名雪に案内された先には、用水路のような小さな川が広がっていた。用水路というのはちょっと例えが悪いかもしれないが、現に河岸は整備され、片方側は遊歩道となっていて、周辺には住宅が立ち並んでいる。
「へぇ〜、なかなか良い所じゃないか〜」
 しかし、案内された先には川沿いに整備された公園が広がり、特に対岸の河岸に下りるアーチ状の階段は、まるでステージを連想させるかのような芸術的なデザインだった。
「どう? なかなかいい場所でしょ」
「ああ、街中だってのに意外に静かだし、いい場所だ」
 さっきまで歩いていた道路とはあまり離れていないのに、車の音がほとんど聞こえない。街に囲まれひっそりとたたずむその場所は、まるで時間が止まったかのようであり、異空間といっても不思議ではない場所だ。
「ん? なんだあれは」
 ふと川の方へ目を向けると、鳥が群れをなしている様が目に映った。
「あれはね、この季節になると越冬して来る鴨さんなんだよ」
「へぇ、鴨かぁ〜〜」
 動物園とかで飼育されている鴨は何度か見たことがあるけど、こういう風に自然の川を泳ぐ鴨を見るのは初めてだ。その都会では決して味わえない情景に、俺は心を奪われた。
「この鴨さんたちは大体11月の半ば頃に越冬して来て、冬の訪れを感じさせてくれるんだ」
「冬の訪れ?」
「うん。寒くなって来てこの鴨さんたちの姿を見ると、ああ今年も冬が訪れたんだなぁって思うんだ」
「へぇ。なんかいいなそういうの」
 都会で生活していては単純な気温の変化くらいでしか季節の移り変わりを感じることができない。雪解けで春の訪れを感じ、ひぐらしの鳴き声で夏の訪れを感じ、紅葉で秋の訪れを感じ、そして舞い降りる雪で冬の訪れを感じる。他の動植物の生態や自然現象で季節の変化を感じられるのは、田舎の良さと言えるだろう。
「祐一、せっかくだから近くで鴨さん見てみる?」
「そうだな」
 そうして俺と名雪は河岸に降りる階段を下りようとした。
「どぅわぁぁ〜〜!」
 しかし俺は慣れない雪の階段に足を取られ、下まで一気に滑り落ちてしまった。
「祐一、大丈夫? って、わああ〜〜?」
 滑った俺に動揺してか名雪も続け様に足を滑らせてしまい、俺の上に重なるように滑り落ちた。
「うう〜〜。祐一、大丈夫……?」
 名雪は、滑り落ちた自分よりもまずは俺を気遣うように声をかけた。
「痛たたたたた……。ちょっと、頭と腰を軽く打ったけど、幸い雪の上だし何とか大丈夫だ」
「そう、良かったぁ」
「しかし、それはいいんだが……」
「頭と腰以外もどこか打ったの?」
「い、いや、打ったんじゃなく、その……」
「?」
 名雪はキョトンとした声で俺の反応に疑問符を投げかける。名雪は俺を心配するあまり、自分自身の現状を理解できないでいる。
(う〜〜む、俺の方から話すべきか……?)
 俺は名雪に現状を話すかどうか迷った。俺は足元から滑るように転び、名雪も同様に転び、俺の上に重なった。何も上に重なったといっても、名雪が俺の上に覆い被さっているわけではない。何というか、股がちょうど俺の頭部を挟むような綺麗な形に転んだのだ。つまり、今の俺は名雪の股に挟まり、顔が名雪のスカートの裾で覆い隠されているのだ……。
(い、いや、やっぱ辞めておこう……)
 思い切って話そうと思ったが、俺は話すのを断念した。例えいとことはいえ、女の子の股に挟まれパンティーが覗き放題という千載一遇のチャンスを自ら放棄するなど、男して決して許されない行為だ! ここは本能に従い名雪が気付くまで現状を維持するのが男としての正しい選択だろう。
「う、う〜〜む、白い……」
 しかし、同居人としてどんな下着を着けているのか気になっていたが、名雪は純白のパンティーを履いていた。今日が登校日ということもあるが、黒パンティーとか履いてなくて何よりだ。
「し、白いって……? わ、わああ〜〜。祐一、頭どけてよ〜〜!」
 し、しまったっ! 興奮のあまりつい声を出して名雪に気付かせてしまった! く、くそっ、自らの失態で幸福な時間を終わらせてしまうとはっ!?
「あ〜〜、どけたいのは山々なんだけど、頭と腰を打ったせいで動けないんだ……」
と、俺は最後の抵抗を見せるかのように、言い訳した。
「う〜〜、祐一の、エッチ! バカ〜〜!!」
 ドコッ、ガスガスガスガスッ!!
 名雪は半ばキレ気味で、周囲の雪で雪玉を作り、俺の股間目掛けて思いっきり、投げつけてきた。
「な、名雪っ、そこはシャレにならんっ……! い、い゛っでぇぇぇ〜〜!!」
 股間への集中砲火に俺は痛みに耐え切れなくなり、急いで名雪の股から頭をどけた。
「バカバカバカバカ〜〜!!」
 名雪は俺が頭をどけた後も俺の全身目掛けて雪玉を投げつける。
「ぐうっ……まだやめないというのなら、こっちからもいくぞ!」
 攻撃の手を緩めない名雪に、俺も負けじと雪玉を作り、名雪に向けて投げ出した。
「わっ、わっ、わっ、わあっ!」
 名雪はまさか俺が攻撃して来るとは思わず、一瞬怯んだ。
「う〜〜。祐一、冷たいよぉ〜〜」
「はっはーー! 俺が頭をどけた後も攻撃をやめなかったお返しだ〜〜!」
「う〜〜。ならわたしもお返しだよぉ〜〜!」
 そう言い、名雪も再び攻撃を開始した。
「冷たっ、やったな、お返しだ〜〜!」
「わあっ! こうなったらわたしもとことんやるよ〜〜!」
 そして俺と名雪は互いに雪玉を投げながらじゃれ合った。既に二人の間からは険悪な雰囲気は払拭され、ただ純粋に楽しく雪合戦に興じ続けた。



「ふ〜〜、お互いにビショビショだね」
「そうだな。けど明日は成人の日で休みだし、1日もありゃ十分服も乾くだろう」
「うん、そうだね」
 思う存分雪合戦を楽しんだ後、俺と名雪は河岸沿いの遊歩道を歩きながら帰路に就いた。
「ねえ、祐一。今日あゆちゃんを家に呼べないかな?」
 雑談をしながら歩いていたら、唐突に名雪があゆのことを聞いて来た。
「あゆか? 商店街で偶然会えば呼べるかもしれないけど、どうしてだ?」
「明日はお休みだし、数年ぶりにゆっくり話したいなぁって思って」
「そういえば会うのが7年振りだって、あゆが俺の引越しの手伝いをしに来た時に言ってたな。しかし、そんなに話したかったら、気が向いた時に電話をかけるとか、コンタクトを取る方法はいくらでもあったんじゃないか」
 まあ、違う学校に通っていれば長く会わないでいるのも不思議ではないだろうが、
「そうしたかったんだけど、あゆちゃん連絡先も教えないで引っ越しちゃったから」
 成程、連絡先が分からないから、会いたくとも会えなかったってわけか。
「しかし、お前とあゆは仲が良かったのか?」
「うん、とっても良かったよ。親友と呼べるくらいに」
 自分の父親とあゆちゃんのお父さんは親友同士だったって話を聞いたことがあるから、二人が親と同じ親友同士になるのは不思議ではないと、名雪は付け加えた。
「でもね、学校ではよく会ってたけど、あゆちゃんの家に遊びに行ったことは一度もなかったんだ……」
 そう名雪は、悲しそうな声で呟いた。
「親友同士だってのに、一度も遊びに行ったことないなんて、奇妙な話だな」
「うん。だって、お母さんが許さなかったから……」
「秋子さんが? どうして!?」
 あの温和で心の広い秋子さんがあゆと遊ぶのを許さなかったって? 一体どうして。
「祐一、聞いたことない? あゆちゃんのお父さんとわたしのお父さんは昔、あゆちゃんのお母さんを巡って争ったって」
「そういえば聞いたことあるような……」
 昔母さんが「兄さんと日人さんが神夜さんを巡って争った」みたいな話は聞いたことがある。もっとも、その話よりも、「自分は昔日人さんが好きだった」という話の方が頻繁に聞いてたけど。
「『あゆちゃんは神夜さんの子供だから絶対遊びに行っちゃいけない』って、お母さん怖い顔でよく言いつけてたんだよ」
「それもなんだかなぁ。親の恋愛沙汰に子供は関係ないだろうが」
「うん、わたしもそう思ってた。だからよくお母さんに口答えしてた、『どうして一緒に遊んじゃいけないの』って。正直、子供の頃はお母さんの気持ちが分からなかった。でも、大人になってきて少しだけお母さんの気持ちがわかるようになってきたんだ」
「どういうことだ?」
「実はね、お父さん行方不明になる前、頻繁にあゆちゃんのお母さんに会いに行ってたんだ」
「えっ!? そ、それってもしかして……」
 それは俗に言う“不倫”というものではないだろうか。記憶の片隅に残る厳格な春菊伯父さんがそんなことをしていたなんて、俺には信じられない。
「お父さんはよく『親友の妻に会いに行って何が悪い』って、お母さんを怒鳴ってた。わたしは今でもそのお父さんの言葉を信じてるし、女手で子供を育ててる人を励ますのは人として当然の厚意だとも思う。
 でもやっぱり、お父さんはあゆちゃんのお母さんをずっとずっと好きだったと思う。祐一、想像してみて? もし自分の奥さんが他の男の人と密かに会っていて、しかもその男の人の子供にまでお母さん扱いされてたら、いい気分でいられる?」
「う〜〜ん、そりゃ、いい気分ではないだろうなぁ」
「でしょ? お母さんの気持ちも今祐一が抱いた気持ちと同じものだと思うんだ。自分の夫の中に自分以外の女の人がいて、しかもその子供とまで親しかったら、いい気分じゃないと思う。だから、ちょっとだけお母さんの気持ちがわかるんだ」
 もっとも、お父さんがあゆちゃんとまで親しくしていたというのは自分の空想で、実際はどうだか分からないとの話だが。
「けどさ、秋子さんが昔快く思ってなかったあゆを家に呼んで大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ。だってこの間あゆちゃんが家に来た時、お母さん嫌そうな素振り見せてなかったし」
「そういやそうだったな」
 思えばあの日、秋子さんは好意的にあゆに接していたな。それならばあゆを水瀬家に招待しても問題ないな。俺は名雪とあゆを家に招待する約束をし、帰路を急いだ。



「名雪、なんだあのやぐらは?」
 遊歩道の終着点の先に弥生時代風のやぐらが見えて来て、あれは何だと名雪に訊ねた。
「確か、この場所が蝦夷と朝廷の古戦場で、その記念みたいなので建てられた物だったと思う」
阿弖流為あてるいと坂上田村麻呂が雌雄を決した地か?」
「ううん。坂上田村麻呂が派兵される前の延暦7(788)年に起こった、“巣伏の戦い”っていう大きな戦いがあった場所だよ」
 巣伏の戦いって、確か阿弖流為側が朝廷側に大勝した戦いか。確かこの戦で大敗したから、田村麻呂が征夷大将軍としてみちのくに派遣されたんだったな。
「ふう、なかなかいい景色だな」
 俺は興味本位でやぐらに登り、辺りの景色を見渡す。西の一帯には先程歩いて来た田園地帯が広がり、街は遥か彼方だ。そして東に見えるは北上の大河。嘗て戦が起こった1200年前、その時代の人も、同じ北上の流れを見ていたのだろうか?
 阿弖流為と田村麻呂の対決。史実では田村麻呂が勝利したが、もし阿弖流為が勝利したら? そこまで考えて俺は思考を停止した。歴史にifは存在しない。ifが存在しないものの考察に時間を費やすのは、妄想の域を出ない児戯にも等しいものだ。そんなものに時間を割いてる暇があったら、歴史的事実から教訓を見出す方がよっぽど有意義だ。
 それに、阿弖流為が勝利したというifは、自分の存在そのものを否定しかねない。何故ならば、俺の祖先はこの地に移住して来た人だからだ。もしも阿弖流為側が勝利し、朝廷に平定されることなく繁栄を続けていたなら、今の俺は存在しないことになる可能性が高い。例えその歴史が現代の価値観から見れば悪しき侵略行為だったとしても、己の存在意義に関わる歴史である限り、否定することは叶わないのだ。
「冷たいけど気持ちいい風だよ〜」
 俺に続きやぐらの登って来た名雪がそう呟いた。確かに周囲の景色を見ながら浴びる風は冷たいけれど、火照った身体を冷やしてくれるとても心地の良い風だった。
「なあ、名雪」
「何? 祐一」
「蝦夷は日本史では朝廷に反抗した蛮族みたいに描かれているけど、実際はどうだったんだろうな」
 俺は唐突に名雪にそんなことを聞いてみた。潤たち應援團の力は、嘗ての蝦夷の民が身に付けていた力であるという。“圧倒的な力を持った存在”という意味では、日本史の評価は間違っていないだろう。
 でも、武き者=蛮族という図式にはならない。彼らには彼らの思想や信念があったことだろう。日本の歴史には彼らの思想信念の記述はない。それだけに、彼らがどういった存在だったか興味が湧く。
「う〜〜ん。祐一、これから話すこと誰にも喋らないって約束してくれる?」
「なんだ、唐突に?」
「いいから約束して。これから話すことは誰にも話さないって」
「ああ分かったよ、約束するよ」
 何が何だか分からないけど、とりあえず俺は名雪と約束することにした。
「ありがとう。じゃあ話すよ。あのね、これからわたしが話すことは、わたしがお父さんからこっそり聞いた話。お父さんにあゆちゃんのお母さんとのことを聞いた時に教えてくれた秘密の話」
「どうして蝦夷の話と春菊伯父さんと神夜さんの名前が結び付くんだ」
「それは、蝦夷の人たちが命懸けで守った者と、お父さんたちが深く関係しているからだよ」
「えっ……」
「いい? これからわたしが話す話は、“源氏の血を継ぐ者”と“月讀 の巫女”に交わされた、遥か遠き日の約束の物語なんだよ……」
 唐突に物語を語るような口調で語り始める名雪。あれっ、なんだろう。ずっと昔に名雪と同じ言い回しを聞いた気が……。



 昔々、このみちのくの地には都の天皇に匹敵する象徴的存在がいたらしい。日本史にその人物は描かれていないが、その象徴的存在を朝廷が快く思わず排除しようとしたことが、古代の蝦夷と朝廷との確執の原因だったとのことらしい。
「蝦夷の人たちは黄金に興味がなかったし、そんなのは朝廷の人たちにあげても構わなかった。でも、自分たちの土地を奪うことと“帝”の存在を否定することは決して許さなかったって」
 軍歌「海ゆかば」の元歌詞となる『万葉集』の「賀陸奥国出金詔書歌」は、東北から金が産出されたことを喜ぶ歌だ。奇しくもこの産出が日本初の金の産出であり、そしてこの金の産出こそが、偏狭のみちのくに朝廷がより興味を抱くようになった契機でもある。
「しかし、古代の東北にも天皇に匹敵する存在がいたなんて、何だか突拍子もない話だな」
「うん。小さい頃こそわたしはお父さんの話を全面的に信じたけど、今思えば子供のわたしを楽しませるための作り話だったかもしれないって思ってるよ」
 仮に春菊伯父さんが言った話が真実なら、東北地方への領土拡大を目指す朝廷が、征服する側の象徴的存在を許すわけがない。蝦夷たちが自分たちの“帝”を守るために戦ったというのは、無理のない話ではない。
「そしてね、ここからの話は本当に物語的なんだけど、蝦夷の人たちはその“帝”から不思議な力を授かって朝廷の人たちと戦ったとかって」
……えっ? そ、それってまさか“蝦夷力”を指しているのかっ!? 確か春菊伯父さんは應援團だったって話だし、蝦夷力を身に付けていたと考えるのは自然だが。しかし、潤たち現役の應援團でさえ知らない力の根源を、何故春菊伯父さんは知っていたんだ?
 名雪は物語的だって言ってたけど、蝦夷力が話の俎上に出てきた以上、名雪の話は真実と捉えたほうがいいかもしれない。
「でも、不思議な力を持ってしても朝廷の物量に勝つことはできなくて、結局史実にあるように阿弖流為たちは朝廷に降伏した。でもその時、朝廷の制裁を恐れて、“帝”は阿弖流為の子供を“狐”に変化させて山に放し、不思議な力を持った人たちを、ある山奥の村に逃がしたって。
 陰陽師安倍晴明のお母さんはその狐に変化した阿弖流為の子孫だって話しだし、不思議な力を持った人たちは逃げた先の村で鬼として畏れられ、その村は後世に“鬼ヶ淵村”って呼ばれるようになったって話だった。
 ね? いかにも昔話って話でしょ?」
「あ、ああ……」
 確かに狐になって山へ逃げたとか、鬼の住まう鬼ヶ淵村とか、いかにも寓話的な話だ。しかし、狐の話はちょっと信じられないが、蝦夷力が存在する以上、能力者たちが逃げた村は実在しているといって間違いないだろう。
「しかし、鬼ヶ淵村なんて物騒な地名の村が残っているんだろうか」
「それはさすがに残っていないと思うよ。この地域にも昔鬼死骸村なんて鬼の名前がついた村が実在したけど、今じゃ違う名前になってるし、多分鬼ヶ淵村も違う名前になってると思うよ」
「その違う名前は知らないのか?」
「う〜〜ん、確かお父さんは“雛見沢村”って言ってたような……」
 えっ、雛見沢だって!? そ、それってあの雛見沢大災害が起きた地域のことじゃないのか!? つまり、この街と雛見沢は歴史的な接点があるということだ。
 待てよ待てよ、じゃあ赤坂っていう刑事さんが行方を追っているという沢渡っていう女の子が、村人の祖先が住んでたこの地域に歴史的な縁を伝って逃げて来たとしても不思議じゃない。
……ということは、真琴こそ赤坂さんが探している雛見沢大災害の生存者ってことなのか――!?

…第弐拾八話完


※後書き

 というわけで、今度こそ正真正銘名雪中心の話です。Kanon傳時代のローカルネタを大幅にカットした以外は、ほぼ改訂前と流れが変わりません。
 そして、ようやくと言いますか、「ひぐらしのなく頃に」の世界観との接点を書きました。本当はこういう物語の核心に迫るネタは後回しにした方が良いのですが、折り返しが近いのでそろそろネタばらしを始めてもいいかなと。
 ちなみに、雛見沢の設定が原作とは異なるので、オヤシロさまの存在も原作とは異なります。じゃあこの作品におけるオヤシロさまは何何だというのがこれからの展開の核心の一つなわけでして。
 さて、次回は14話振りにあゆが登場します。いやはや、正ヒロインなはずなのに半年以上出番がなかったというのもアレでしたが(笑)。

弐拾九話へ


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