「しかし、確か“無足”って古武術の動作だったような。古武術の動きとダンスって何か関係があるものなんですか?」
 稽古場に戻り、いざ練習が始まろうとする直前、俺は疑問に思っていることを明智さんにぶつけてみた。俺は日本舞踏を元にしたダンスを雪歩に学ばせに来たはずなのに、いつの間にか古武術の動きを教わることになっている。俺は別に雪歩を武道家にしたいわけではないのだが。
「ハッハッハ。一重に無足と言い申しても、伝統的な古武術の無足を形そのままに模倣したものではなく、演舞用に改変したものでござる。実際の動きとしては、かのマイケル=ジャクソン殿のムーンウォークに近いものでござる」
 成程、まんま古武術の動きではなく、あくまでダンス用にアレンジした動きってことか。ちょっと安心。
「しかし、それならムーンウォークって呼んでた方が分かりやすい気がするけど?」
 無足なんて言ってれば、俺みたく古武術とかん違いしてしまう人が後を絶たないだろう。それならば、素直にムーンウォークって呼んでた方が分かりやすいと思うのだが。
「それは、プロデューサー殿は“和魂洋才”という諺をご存知でござるか?」
「和魂洋才? 確か『例え技術は西洋のものでも、和の心を忘れるな』とかそういう感じの意味だったような」
「そんな感じでござる。拙者が“無足”という言葉に拘るのも、一重に和魂洋才の精神を重んじてるからでござる。例え演舞の技術は西洋的な動きを取り入れても、和の精神を忘れる事なかれというのが、拙者の心意気ござる」
 和魂洋才か。どんなに西洋的な技術を取り入れても、常に和の精神を持ち続けろってことだな。その観点から行けば雪歩にとってはピッタリな観念かもしれない。
 雪歩のデビュー曲は、「First Stage」という西洋の言葉で綴られたもので、歌詞の中にも英語が頻繁に登場する。だから俺は、とにかく一般的なダンスを習得させることに専念していた。
 しかし、実際の雪歩は自宅では着物で過ごし日本茶を好んでいるというように、間違いなくその精神は“和”で形作られている! だから、これから明智さんが雪歩に教えようとしている動作は、雪歩にピッタリなダンスと言えるだろう。
「な、何だか大変そうだけど、私、がんばります! がんばって明智さんのダンスを覚えて、そしてプロデューサーと一緒に……。レッスン、よろしくお願いします!!」



「一途な想いは明鏡止水」


「あの、このレッスン? には、何の意味が……」
 いざ始まったレッスンに、俺は疑問を持つしかなかった。
「和の魂を鍛えるにはこれが一番最適なのでござるよ」
「最適って言われてもなぁ……」
「プロデューサー。私は別に大変じゃありませんよ」
「そうか。雪歩がいいって言うなら、まあいいか」
 俺自身は腑に落ちなかったけど、肝心の雪歩がいいって言うなら、何も言うことはないなぁ。しかし……
「“坐禅”がレッスンって言われてもな〜〜」
 そう、明智さんが最初に行ったレッスンは、何故か坐禅だった。和の魂を鍛えるのには最適と言われても、いまいち俺にはピンと来ない。
「拙者の演舞を会得するのに必要なのは、先程申した音を楽しむ心。そして和の魂を表す、“明鏡止水”の心でござる!」
「明鏡止水?」
「一点の曇りもない鏡や静止している水の如く、澄み切った心という意味でござる。その極限まで高まった集中力をなくして、拙者の舞踏を会得することは叶わんでござる」
 つまり、普段の明智さんはそれだけの集中力を持ってダンスを踊っているというわけか。坐禅を行うことでその集中力に一歩でも近付けるなら、雪歩にはがんばってもらうしかないな。
「一点の曇りもない鏡や静止している水の如く、澄み切った心……。あのっ、プロデューサーも一緒に組んでくれませんか?」
 明智さんの指示に従い大人しく禅を組んでいた雪歩が、突然俺にも組んで欲しいと言って来た。
「俺にも? どうして?」
「プロデューサーが私と同じことをしてくれれば、普段よりずっとプロデューサーを強く感じられると思うから。誰よりも強く純粋にプロデューサーを想う気持ち、それが私にとっての明鏡止水の心境だと思うから……」
「雪歩……」
 それは、ある意味強い煩悩を持ち続けていると言えるかもしれない。ある特定の人に強い想いを抱く心境は、明智さんが唱える明鏡止水の心とはかけ離れたもののような気がする。
「ふむ……人を想う気持ちも極限まで高まれば、それもある意味明鏡止水の境地かも知れぬでござるな」
 しかし、当の明智さんは雪歩の異論を肯定する発言をした。
「プロデューサー殿、雪歩殿の解釈は拙者のものとは違うでござる。されど、雪歩殿の考えもまた、一つの明鏡止水の心と言えるでござる。
 拙者からもお願いできるでござるか、プロデューサー殿。拙者と異なる方法で明鏡止水の極地に辿り着く様を、この目でしかと見たいのでござるよ」
「……。分かりました。それが雪歩のためになるなら、俺も組みます!」
 迷うことはない、俺は雪歩のためになら何だってやるって心に誓ったんだから。雪歩が俺のことを一点の曇りもない澄み切った心で想い続けるなら、俺も同じように想い続けるまでだ。そうして繋がった二人の想いの先には、誰にも解くことのできない真の絆があるかもしれない。
「ありがとうございます、プロデューサー……」
 そうして俺も雪歩と共に禅を組み、精神を明鏡止水の位まで高めるレッスンへと入って行った。



(しかし、実際やってみると結構辛いな……)
 坐禅を組み始め5分くらいしか経っていない状態で、俺の足はもう痺れを訴え始めていた。明智さんは20分は組んでもらうって言ってたけど、とてもではないが10分も持ちそうにない。
「か〜〜つ! でござる!!」
「!? うびゃあああ〜〜! 足が、足がぁぁぁぁぁ〜〜!!」
 突然明智さんに足を叩かれたことで、蓄積していた痺れが一気に下半身全体を覆い、俺は耐え切れずに足を抱えながらのた打ち回ってしまった。
「やれやれ。雑念が多過ぎるでござるよ、プロデューサー殿。少しは雪歩殿を見習ったらどうでござる?」
 明智さんに言われて雪歩のほうに目を向ける。足が痺れて集中できなかった俺とは対照的に、雪歩は静かな瞑想に耽っていた。俺が大声を出して騒いだにも関わらず、まったく動じずに坐禅を続けているなんて、大した集中力だな。
「どうやら、誰よりも強く純粋にプロデューサーを想う気持ちこそが自分にとっての明鏡止水という言葉に、嘘偽りはないようでござるな。今の雪歩殿は、正に明鏡止水の境地にあるでござる」
 確かに、今の雪歩は明鏡止水の真っ只中にいる気がする。俺を想う気持ちが、雪歩の精神をここまで高ぶらせているのか?
 それに比べて、俺はどうだ!? 雪歩のことを思いながらと臨みつつ、実際は足が痺れてそれどころじゃなかった。何と情けない! プロデューサーであるおれが醜態を晒して、アイドルである雪歩が頑張っているのだ。こんな所でへこたれているようでは、雪歩に合わせる顔がない。
「もう二度と、足の痺れに惑わされたりしませんよ……!」
 ピシッと自分を戒めるように頬を叩き、俺は再び坐禅を組んだ。足の痺れを感じるな、雪歩を想え! 晴れ舞台で歌に合わせて踊っている雪歩の姿を、その雪歩を支えてる自分の姿を……!
(あっ……!)
 そう強く想い続けると、自然と足の痺れは感じなくなっていった。俺の雪歩を想う気持ちが、足の痺れに勝ったのだ。それから俺は一切弱音を吐かずに、坐禅を続けた。



「どうでござる? 精神を集中して演舞の印象は掴めたでござるか?」
 坐禅が終わると、明智さんは座禅の成果を聞いて来た。
「はい……。プロデューサーがずっと見守ってくれてる中、歌に合わせて踊っているシーンを想像したら、何となくですが掴めました」
「それは良かったでござる。では早速本格的な特訓に入ると致そう!」
 程よく精神の集中が叶ったところで、いよいよダンスレッスンが始まった。
「拙者の演舞の基礎となる“無足”の要は、足の動きでござる。具体的には腰に重心を構え、足を擦るように歩く動作でござる。拙者が手本を見せる故、それに合わせて動いてみるでござる」
「わ、分かりました。こ、こうですか?」
 雪歩は、明智さんの動作を見よう見まねで模倣し始めた。最初はぎこちなかったが、1時間も経った頃には大分動作を模倣できるようになっていた。明智さんの無足には到底及ばないけど、この飲み込みの速さは、坐禅で精神を高ぶらせたお陰だな。
 どんな練習でも注意力が散漫で焦燥感に駆られているようでは、技術は一向に上達しない。だから、練習を始める前にまず精神を集中させるというのは、重要な行為なのかもしれないな。
「本日はここまで! 雪歩殿、ご苦労でござった」
 その後小休止を挟み、練習は2時間くらい続いた。頃合いを見た明智さんの掛け声により、その日のレッスンは終わった。
「あうう〜〜疲れたですぅ」
 要領良く明智さんのダンスを吸収していった雪歩だったが、さすがに2時間ものレッスンは堪えたのか、レッスンが終わった途端へなへなと尻餅をついた。
「初日にしてはなかなかの出来だったでござる。このペースなら、1週間もあれば基礎は覚えらるでござろうな」
「ほ、本当ですか!?」
「あくまで“基礎”でござるがな。基礎を発展させ独自の演舞を身に付けるのには、数ヶ月の時間を要するであろう」
「あぅ、やっぱりそれくらいの時間がかかるんですね……。でも、ゼッタイに自分だけのダンスを身に付けて見せます。プロデューサーと一緒にアイドルマスターを目指すために!」
 一瞬臆した顔をした雪歩だったが、すぐに決意の表情へと変わった。俺と一緒に二人でアイドルマスターを目指す、その絆が雪歩をここまで強くしているのだから、俺たちの結束は誰よりも強固なものなんだなと自惚れてしまうな。
「もうこんな時間か。明智さんに挨拶して帰るぞ、雪歩」
 ふと時計に目を向けると、時針は既に10時を指していた。雪歩は学校もあることだろうし、俺は明智さんに挨拶をして、早々にSmile Squadを後にしようとした。
「は、はいっ、ありがとうございました、明智さっ……あわわわ〜〜っ!」
 雪歩は立ち上がって明智さんに頭を下げようとしたところ、足元をふらつかせて倒れてしまった。
「ゆ、雪歩っ、だ、大丈夫か?」
「あうう、プロデューサー〜〜。足がカクカク震えて立てないです〜〜」
 どうやら雪歩の足はもう限界を迎えていて、立ち上がることさえままならないようだ。
「ははっ、それだけ頑張ったということでござるな。その心意気や結構! 明日以降の練習も楽しみでござるな」
「は、はぁ」
 限界まで練習したのは明智さんにとっては殊勝な心がけなんだろうけど、この後どうやって帰る? とりあえず雪歩を支えながら帰るとするか。
「あ、あの〜〜プロデューサー。ものすごくワガママなことをお願いしますけど、いいですか?」
 雪歩が今にでも泣き出しそうな顔で俺に懇願してきた。こんな顔で頼まれたら断るわけにもいかないな。
「ああ、構わないよ」
「わ、わかりました……。そ、それじゃあ……このまま私をおんぶして帰ってくれませんか、プロデューサー?」
「えっ!? お、おんぶ?」
 おんぶって、つまり背負って欲しいってことだよな? い、いやそれは構わないけど、何と言うか世間の目というか、夜とはいえ街は人が行き交ってるし、合理的な方法とはいえ公衆の面前でそんな恥ずかしいことは……って、何動揺してるんだ俺はっ!?
「だ、ダメですか、プロデューサー……?」
「う〜〜。いや、駄目なことはないぞ。ほら、掴まれ……」
 このまま断ったら、「穴掘って埋まってます〜〜」とか言われそうだしな。限界までがんばったご褒美として、今日は背負ってやるか。
「あ、ありがとうございます、プロデューサー……」
「……早く帰るぞ。ではそういうことで、ありがとうございました、明智さん。明日以降もよろしくお願いします」
 俺は明智さんに頭を下げると、なるべく人目につかないようにと、急いでSmile Squadを後にした。



「プロデューサーのお背中、とってもあったかいですぅ……。お布団よりもほわ〜〜って……」
 Smile Squadから帰路に就く中、周囲の視線が気になって仕方なかった俺とは対照的に、雪歩は至極ご満悦のようだった。
「分かった分かった。早く家帰って本当のお布団で眠れ、なっ?」
 この状況から早く脱したい俺は、雪歩をせかすような台詞を言い続けた。
「プロデューサー、ずっと、このままでいてくれませんか?」
「ええっ!? もう駅に着くぞ?」
「いやです〜〜。もっとプロデューサーにおんぶされていたいです〜〜」
 雪歩が駄々をこねる赤ん坊のように、背中で騒ぎ出した。背負ってやるのでも十分譲歩したのに、これ以上ワガママに付き合うことはできないぞ。
「お布団の中で眠るより、プロデューサーのお背中で眠っていた方が疲れが取れると思うんです。だから……」
(そ、そうは言われてもな〜〜)
 街中でも十分恥ずかしいのに、この体勢で電車なんかに乗ったら、俺が恥ずかしさのあまり発狂してしまう。
「プロデューサ〜〜、お願いしますぅ〜〜」
「あ〜〜分かった分かった。じゃあ、少し散歩してから帰るか。それなら文句ないだろう」
「は、はいっ、ありがとうございます、プロデューサー〜〜」
 電車の中は駄目だが、このまま街の中を歩くのなら構わない。それが俺にできる精一杯の譲歩だった。
(しかし、このまま街中を歩くのもちょっとな〜〜)
 どこか公園でもあれば、そこで雪歩の気の向くままに背負い続けられるのだが。
(この近くに公園はっと……)
 歩いて10分程度の身近な公園はないだろうかと、俺はしばし模索した。
(ん? あそこも一応公園か……)
 俺は良い場所を思いつき、雪歩を背負いながら急ぎ足で近場の公園を目指した。



 白山通りを水道橋方面に向かうと、目的の場所が見えて来る。俺はその場着くと、しばらく感慨に耽っていた。何故ならば、この場所はアイドルを目指したものなら誰もが憧れて止まない聖地だからだ。
(いつか、いつか雪歩をこの場所で……)
 この場所でライブを行うのはとっても大変だ。本当に本当のトップアイドルにならなければ、ここでのライブは許されない。そうこの地こそ、真のアイドルマスターに相応しいライブ会場、後楽園ドームだ――!!
「雪歩、ドームだぞ、ドーム!」
 俺は雪歩と一緒にこの感慨に耽ろうと、声をかけた。
「くぅ〜〜すぅ……」
 しかし、雪歩はあまりの気持ち良さに、眠りに就いてしまったようだ。
「雪歩! 雪歩!!」
「はぁ〜〜い……。ドームですぅ……。ドームでプロデューサーと一緒にライブですぅ……」
 俺の呼びかける声に、雪歩は僅かながら寝言のように反応した。雪歩は今、きっと俺と一緒にドームでライブをする夢を見ているんだろうな。
 例え夢の中でもいい、雪歩が俺と一緒に同じ夢を見ているのなら。俺はいつか叶えたい二人の夢を心に抱きながら、再び歩き始めた。
「よし、ここならいいだろう」
 俺はドームを眺めた後、雪歩を抱えながら小石川後楽園を訪れた。時間が時間だけに人はまばらで、ここなら人目を気にせずに散歩できそうだ。
(ん? この歌声は……)
 公園の中を歩き続けていると、聞き覚えのある歌声が耳に入って来た。孤高の鷲のように気高く、そしてどこか寂しげなこの歌声は……。
(千早、どうしてここに……?)
 それは、我が765プロダクションが誇る歌姫、人麻呂プロデューサー率いる帝國華撃團所属のアイドル、“月夜の歌姫ムーンナイト・セイレーン”の二つ名を持つ如月千早だった。
「蒼い〜〜鳥〜〜もし幸せ〜〜近くに〜〜あぁぁぁっても〜〜」
 観客のいないステージで、デビュー曲「蒼い鳥」を甲高い歌声で歌い続ける千早。その姿はまさしくギリシャ神話に登場する月夜の海上に妖美な歌を奏でる下半身が鳥の姿をした水の精、セイレーンそのものだった。
 そして千早の目線は、近くて遠いドームをまっすぐに見つめていた。やはり彼女の夢も俺たちと同じく、このドームで歌うことなのだろう。
 ドームいっぱいに響き渡る歓声の中歌い続ける姿を夢見て、千早は歌い続ける。でも、美しい声色とは裏腹に、彼女の歌声は寂しく悲痛な心の叫びを訴えているような気がしてならなかった。
「いい歌だったよ、千早」
 俺は歌い終わるのを見届けると、拍手しながら千早の前に姿を現した。
「ぷ、プロデューサー!? どうしてここに?」
 予期せぬ観客の登場に、千早は驚きの声をあげた。
「雪歩のために、Smile Squadの明智さんの元でダンスレッスンしてて、その帰り際に散歩がてら寄ったんだよ」
「そうでしたか」
「そういう千早こそどうしてここに?」
 俺は自分の理由を述べるとともに、千早に理由を聞いた。事務所からも結構距離のあるこの場所で、どうして練習なんかしてるのだろうと。
「私は……自主レッスンです」
「自主レッスン?」
「はい。辛いことや耐えられないことがあった時、ここに来て練習しているんです。『ドームで歌う日まで決して夢を諦めるわけにいかない』と、自分に言い聞かせるために」
「そうだったのか……」
「ここは私の秘密のレッスン場なんです。誰にも内緒のつもりでしたが、プロデューサーにバレてしまいましたね」
「す、すまん……」
 俺は千早の秘密の場所に勝手に侵入してしまったことを謝罪した。
「ふふっ、黙っていれば構いません。このことは、私とプロデューサー、二人だけの秘密ですよ?」
「ああ、分かった」
 誰にだって、人には知られたくない秘密の練習場所があるものだろう。俺はその千早の聖域に足を踏み入れてしまったのだから、これ以上他の人に言いふらすわけにはいかないもんな。
「千早、やっぱり他のメンバーとは上手くいっていないのか?」
 さっき千早は言っていた、辛いことや耐えられないことがあった時、ここに来て練習していると。つまり、今の千早は悩みや苦しみを抱えて、その思いを振り切るためにここに来ているのではないかと。
「……はい。正直、上手くいっていません。私の考えと他のメンバーたちとの考え方が違うと言いますか。人麻呂プロデューサーは良くしてくれてますが、近い内に脱退しようと思ってます」
「えっ!? それって……」
 765プロダクションは1人のアイドル、もしくは1ユニットを1人のプロデューサーが担当することになっている。つまり、メンバーから脱退するということは、他のプロデューサーにつくということだ。
「他に当てはあるのか?」
「いえ、特には……」
「そうか。もし本当に脱退する時は、俺も新しいプロデューサー探しに協力してやるよ!」
 残念ながら、現状で空いているプロデューサーは一人もいない。となると、新たなプロデューサー候補をどこからか連れて来なければならない。新人アイドルのプロデュースなら新米プロデューサーでも何とかなるが、そこそこの芸歴を持つ千早のプロデューサーとなると、新人じゃ荷が重過ぎるだろうな。
「ありがとうございます。……もし、他に相手がいなかった時は、プロデューサーが私のプロデューサーになってくれませんか?」
「えっ!?」
「もちろん、萩原さんのプロデューサーを辞めて私のプロデューサーになってくださいという意味ではありません。もしよろしければ、萩原さんとユニットを組ませていただけませんかということです」
「う〜〜ん、それは……」
 千早の仮定に俺は悩まざるを得なかった。確かに将来的にはユニットを組むのも悪くはないかもしれない。でも今は……。
「ごめん、今はまだ無理だ」
「そうですか……」
「今の俺は雪歩を一人前のアイドルに育て上げるので精一杯だ。とてもじゃないけど、君を一緒にプロデュースする余裕はない」
 俺自身プロデューサーとしてまだまだ未熟な身だ。そんな未熟な俺じゃ、とても千早の面倒まで見ることはできないだろう。
「今日だってこの通り練習に付き合ってやってるくらいだしな。まだまだ雪歩を一人前に育てるには時間がかかりそうだよ」
「ふふふっ。でも……うらやましいです」
「えっ!?」
「それだけプロデューサーが親身になって萩原さんを支えているということですから。どんなに一人前のトップアイドルになっても、私たちアイドルはプロデューサーにずっと側にいてもらって支え続けて欲しいと思うものです。
 それに普通、女の子が親しくない人に背中を預けたりはしませんよ。萩原さんがそうやってプロデューサーに背負われながら安らかな顔で眠っていられるのは、それだけプロデューサーを信頼しているから。本当に、うらやましい……」
(千早、君は……)
 それは、千早の心の悲痛な叫び声な気がしてならなかった。自分だけを見て自分だけを支えてくれるプロデューサーが私も欲しい。そう言っているようにしか聞こえなかった。
「千早、今日はもう遅いし、良かったら一緒に帰らないか?」
 一緒に帰る最中話していれば少しでも千早の苦しみを拭い去れると思って、俺は一緒に帰らないかと千早を誘った。
「いえ、お心遣いは感謝しますが、遠慮しておきます」
 しかし、千早は俺の誘いをきっぱりと断った。
「どうして遠慮するんだ?」
「私が一緒にいたら、きっと背中の眠り姫が怒りますよ?」
 眠り姫? 俺が千早と一緒に帰ったら雪歩が怒るってことか?
「一緒に帰ると怒るって、雪歩はそんな人でなしじゃないぞ?」
 何だか雪歩が嫌な奴に思われているような気がして、俺は軽く反論した。
「プロデューサー、女心はそんな単純なものではないですよ」
「女心?」
 まさか千早と一緒に帰っただけで雪歩が嫉妬するとでも言うのか? そんなバカな。
「プロデューサーはもう少し女心というものを勉強した方がいいですよ」
 まるで女心を理解しないと後悔するぞと忠告するような言葉を吐き、千早はゆっくりと歩き出した。
「お、おい、千早!」
「このまま居続けるとプロデューサーは意地でも私と一緒に帰ろうとしそうなので、先に帰ります。今日は少しだけどお話できて嬉しかったです……。それでは」
 そう言い残し、千早は夜の街に消えて行った。千早なりに俺を気遣っての行動なのだろう。下手に後を追わずに、しばらく経ってから帰ったほうが良さそうだな。



「雪歩、雪歩!」
 俺は頃合いを見計らって水道橋駅へと向かい、駅に着くや否や肩をガクガク揺らしながら雪歩を目覚めさせようとした。
「ふわわ〜〜。おはようございますぅ、プロデューサー」
「何寝ぼけてるんだ? 時間も遅いしいい加減帰るぞ」
「ふええっ!? 私、いつの間にか眠ってたんですね……」
 再三声をかけたことで、ようやく雪歩は目を覚ましたようだ。
「わっ、もうこんな時間……。すみません、あまりにプロデューサーのお背中が心地良くって、つい眠っちゃいましたぁ〜〜」
 雪歩は携帯で時間を確かめ、数十分眠り続けていたことをペコペコと謝った。
「ははっ、いいっていいって。気分転換に公園散歩できたし」
「公園? ひょっとしてどこかの公園を散歩してたんですか?」
「ああ。街中を歩くのもあれだと思って、後楽園の方をちょっと」
 俺は、千早に会ったことを隠しつつ、この数十分の行動を詳細に話した。
「ううっ、ドームに行ったならせめて起こして欲しかったです〜〜」
「すまんすまん。一応声かけたんだけど、あんまり気持ち良さそうに眠っていから起こすのも悪いと思って」
 これからSmile Squadには何度も来るんだし、一緒に見たければその時また一緒に見ればいいと言い聞かせ、俺は電車で事務所に戻ろうとした。
「あのっ、プロデューサー。私が眠っている間、何もないですよね?」
「えっ!? どういうことだ?」
「ヘンな人に絡まれたりとか女の人に声をかけられたりとか、そんなことはないですよね?」
「んっ? ああ、特に何もないよ」
 実際は千早と軽い会釈を交わしていたんだけど、あの場所は二人だけの秘密の場所だって口止めされてるから、雪歩と言えども話すわけにはいかないな。
「それならいいんですけど……。私たちの間に、嘘や隠し事はナシですよ?」
「ああ、分かってるって。じゃあ帰るぞ」
「はいっ、プロデューサー!」
 千早との件は嘘や隠し事かもしれないが、そんな些細なことは問題ないと俺は千早の忠告を念頭に置かず、雪歩と一緒に事務所へと戻って行った。

……続く

その4へ
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