中央総武線水道橋駅を東口で降り、城山通りを南下し靖國通りに向かい歩くこと約10分、目的の場所であるSmile Squadの事務所が見えて来た。高木社長に許可を取りすぐさまSmile Squadに連絡を取ったところ、細かい手続きはいらないから、とにかく事務所を訪れSmile Squadの社長に直接許可を取って欲しいとのことだった。
 そういうわけで俺と雪歩は、神田神保町にあるSmile Squadを訪れたのだった。
「あぅ、スゴイ音ですぅ……」
 Smile Squadの中に入ると、軽快な音が反響し合い、怒号のような唸りをあげていた。あまりの音の高さに、雪歩は思わず耳を塞いでしまう。
 男の俺にとっては心地の良いゲーセンの音だが、ゲーセンで遊んだことがないであろう雪歩にとっては、うるさいだけの場所かもしれないな。
 Smile Squadの事務所があるビルは、1階がゲーセン、2階がカラオケ、3階が事務所という構図になっている。1,2階のアミューズメント施設もSmile Squadの直営らしく、魔王エンジェルがブレイクし芸能部門の業績が著しく向上した後も、Smile Squadの貴重な収入源とのことだった。
「おっ、随分とまた懐かしい物が置いてあるな」
 店内をグルグルと見回しながら3階へ上がる階段を探す。そんな中、俺の目に入って来た珍しいゲームがあった。
「ガキん時は、店が閉店になるまで遊び尽くしたもんだな……」
 在りし日の思い出に浸りながら、俺はしばしその筐体に目を向ける。そのゲームはストリートファイター2! 数十年前に格ゲーブームを巻き起こした、格ゲーの覇王とも言えるゲームだ。
 スト2シリーズは今でもリリースし続け、初期と比べるとグラフィックも声も格段に進歩したけど、俺はやっぱりあの時代のドット絵に電子音な声が好きだな。
「プロデューサー、プロデューサー!」
 雪歩に呼びかけられ、俺は我に帰った。やれやれ、懐かしさに浸るあまり本来の目的を忘れそうになっていたな。
「あ、あのっ、見てくださいあの人!」
 しかし、どうやら雪歩は俺を叱ったのではなく、気になる人を見かけて呼びかけていたようだ。
「スゴイです、あの人! あんなに華麗にダンスを……」
 雪歩の指差した先では、メガネをかけた佐野史郎風の男がダンスゲームに興じていた。流れる曲のリズムに乗りながら、足元の光る電光板に合わせるように足を動かす男。その正確さと軽快なステップは、プロ顔負けのダンスだった。一見ダンスが得意そうでない外見をしているだけに、余計に技能の高さが際立っていた。
「楽しそう……。私も、あんな風に踊れたらいいなぁ……」
 雪歩は、その男を羨望の眼差しで見続けていた。確かに、リズムに乗ったダンスを会得するのに精一杯な雪歩にとっては、ダンスを楽しむゆとりはないだろう。それだけに、雪歩がゲームとはいえあの男のダンスに惹かれるのは分かる気がする。
「ああいう風に踊れるよう、一生懸命がんばろうな!」
「はい! プロデューサー」
 改めてダンスレッスンに励む誓いを立て、俺と雪歩は3階の事務所へと向かって行った。



「参上! 魔王の影ミストバーン、明智光秀!!」


「きゃっ!」
 2階のカラオケルームに登ると、大地を揺るがすような轟音が鳴り響いて来た。あまりの大声に雪歩は思わず耳を塞いでしまう。聞こえて来るのは一室だけで他の部屋の声が漏れていないところを見ると、ここの防音設備はなかなかのもののはずだ。
 だから、それだけの堅固な防音壁を破って聞こえて来る歌声の主は、相当な声量を誇っている人間ということになる。声の主が一体どんな人間なのか気になるところだが、今は社長の許可を取るのが先決だと思い、俺たちは3階の事務所へと急いだ。
「さてと、ようやく着いたな」
 1,2階のアミューズメント施設を潜り抜け、ようやく俺たちはSmile Squadの事務所へと辿り着いた。
「失礼します!」
 受付の人に社長室へと案内され、俺は思い切りドアを叩いて中へと入った。社長室は6畳くらいの純和風な部屋で、真っ正面には「天下布武」と達筆で書かれた掛け軸が掲げられており、掛け軸の下には立派な髭を蓄えた豪腕な面構えで机にどっしりと構えたSmile Squad社長の姿があった。
「お電話で連絡いたしました765プロダクションのプロデューサーと、所属アイドルの萩原雪歩です。本日はよろしくお願いします!」
「は、萩原雪歩と申します。よ、よろしくお願いしますぅ……」
「我輩がSmile Squad社長、松平総司まつだいらそうじである!!」
 俺と雪歩の自己紹介に対し、俳優の五神武彦ごがみたけひこ似の声で松平社長が名乗り出た。
「ひうっ!」
 松平社長のあまりに豪快な声に、雪歩は怯んでしまった。
「だ、大丈夫か雪歩!?」
「だ、大丈夫です。お、お父さんよりは怖くないと思えば、へ、平気ですぅ……」
とはいうものの、雪歩の足はガタガタと震えていた。確かにヤクザの大親分である父親よりは怖くないだろうけど、雪歩にとっては十分に怖い存在には変わりないみたいだな。
「では早速お願いがあるのですが、予めお電話でお話した通り……」
「能書きはどうでもいいわ小僧! 明智の秘伝の演舞を教えるは秘伝のタレの味を教える行為と同意である! それを承知で教えを請いに来たのか小僧〜〜?」
「そ、それはそのっ、そうです……」
 俺の事務的な喋り方に業を煮やしたのか、松平社長が脅すような大声で俺に問いかけてきた。松平社長のプレッシャーに気圧され、俺は曖昧な答えしかできなかった。
「キチンと答えんか! キチンと!!」
「は、はいっ! 承知で来ました!」
「フンッ! 予め言っておくが、明智の演舞は秘伝中の秘伝故に、教えるにはそれ相応の代償を支払ってもらうぞ?」
「えっ!? 代償って……?」
 まさか数百万円の金を渡せとか言うんじゃないだろうな?
「そうだな……。差し当たって貴様のケツの穴でもいただくとしよう!」
 不敵な笑みを浮かべ、松平社長は唐突に竹刀を俺に突き出した!
「いえっ!? そ、それだけは勘弁を!!」
 本能的な恐怖を覚えた俺は、咄嗟に松平社長から逃れようとした。
「逃がすか! 零式菊一文字突きぃぃぃぃぃ〜〜!!」
 しかし、松平社長は軽々と机を飛び越え、逃げ惑う俺の尻穴目掛けて竹刀を突き刺した!
「アーーッ!!」
 実際はズボンをかすめただけで大したことはない。しかし、松平社長のあまりの迫力に俺は本当に後ろの穴を掘られと錯覚し、尻を抱えながら床に転がり込んでしまった。
「ぷ、プロデューサー!? だ、大丈夫ですか?」
「あ、ああ、大丈夫だ……」
 心配する雪歩に大丈夫だとアピールするものの、精神的なダメージは計り知れない。ううっ、もうお嫁に行けない気分だ……。
「フンッ! この程度で敵前逃亡するようでは、貴様の覚悟もミジンコ並の小ささだな! そんな蚤の如き矮小な器を、矯正してやるわ〜〜!!」
 そう言い、松平社長は俺を一糸乱れぬ強靭無敵の海兵隊に鍛え上げようとする鬼軍曹のような出で立ちで、再び竹刀を突き付けた。
「蛆虫以下の小僧を教育するに当たり、予め言っておく! 我輩の菊一文字突きは百八式まであるぞ〜〜? 覚悟するんだな!!」
 ひゃ、百八式って、あの強烈な突きの更に上の突きが108段階まであるってことか!? 零式はズボンをかすめる程度の突きだったが、その上となると、本当に尻穴を突き付け直腸まで突き上げるような突きに違いないっ!?
「ひ、ひぃ〜〜! ご勘弁を〜〜!!」
 恐怖に取り憑かれた俺にはもう、命乞いをするしか選択肢が残されていなかった。
「っ……!!」
 しかし、そんな逃げ腰な俺の目の前に雪歩が両手を広げ、毅然とした姿勢で立ち上がった。
「ゆ、雪歩っ!?」
「ぷ、プロデューサーをイジメるのは……わ、私が許しません……!!」
 あの大人しくて気弱な雪歩が、最初は松平社長に脅え震えていた雪歩が、俺を護るために気丈に振舞っている……!? 松平社長に気圧されつつもそのハッキリとした言葉は、彼女の力強さを物語っていた。
 ずっとずっと雪歩と一緒にいて雪歩のすべてを知っているつもりだったのに。初めて見る雪歩の意外な一面に、俺は声をなくして見つめ続けるしかなかった。
「プロデューサーは、どうしもようもなくダメダメな私と一緒に、雪の道のように辛くて険しいアイドルとしての人生を歩んで行くって約束してくれました!
 プロデューサーはいつも私を見ていてくれて、いつも私を支えてくれて……。今日だって私のためにこうして社長さんに頭まで下げて……。
 私のことはいくら怒鳴りつけても貶しつけても構わないです。でも。でも……! 私にとって大切な、一心同体でかけがえのないプロデューサーをイジメるのは誰であろうと、絶対に、絶対に許しません……!!」
 聞いてるこっちが恥ずかしくなるくらいの熱意で、俺との絆の強さを雄弁に語る雪歩。その態度を嬉しく思いつつ、雪歩に庇われている自分が情けなくなった。
 俺はずっとずっと雪歩を守り続けるって誓ったのに、今はその雪歩に守られている。本来守るべき者に守られているのは、非常に複雑な気分だった。
「フッ……臆病でか弱いだけの小娘だと思っていたが、なかなかどうして……フハハハハハハ! その真っ直ぐで曇りの一点もない力強い眼差し、例え総理大臣でも己の大切な者を傷付ける者は絶対に許さぬ鋼鉄の意志! まるで在りし日の奴を見ているみたいだ。血は争えんな……」
 その雪歩に対し、松平社長はどこか懐かしい顔で豪快に笑い飛ばした。
「気にいったわ! 稽古場は社長室を出た階段と正反対の方向にある。今すぐ明智を呼びつける故、暫し稽古場で待機しておけ!!」
 そして松平社長は、爽快な声で明智さんにダンスを教えてもらうことを承諾した。
「ありがとうございます、松平社長!」
「あ、ありがとうございますぅ」
 そうして俺と雪歩は松平社長に頭を下げ、指定された稽古場へと向かって行った。



「雪歩、さっきはすまん。本当は俺が雪歩を守ってやる立場なのに……」
 レッスン場に向かう最中、俺は先程の失態を雪歩に謝った。俺という人間の度量を試すための松平社長の恫喝に、抵抗するどころか情けない後姿を見せてしまったことに。
「いいえ、そんなことはありません。私も松平社長は怖かったです。でも、それ以上にプロデューサーをいじめてるのが許せなくて……。そう思ったら自然に身体と口が動いて……」
「ははっ、そうか。でも、今回は相手が試しでやっていたからいいようなもので、今後は自重してくれ。俺ももう雪歩の前であんな情けない姿は見せないから」
 今回の件は俺にとって色んな意味でいい教訓となった。二人で歩む雪の道は、俺がずっとずっと雪歩を支えるものだと思っていた。でも、雪歩は雪歩で、俺に支えられつつ俺を支えようとしていることに気付かされた。互いに支え合うのがこの雪の道だと俺は改めて理解した。
 それでも、なるべくなら雪歩を支え続ける立場でいたい。プロデューサーである俺が真っ正面に立って守り抜かなきゃ! だからもう、今日のような失態は二度と演じないと、俺は心に強く誓った。



「ここが、レッスン場〜〜?」
 松平社長に指定された場所に到着し、俺は目を疑った。何故ならば、目の前に広がっていた空間はフローリングのレッスン場ではなく、畳床だったからだ。松平社長がレッスン場ではなく稽古場と言っていたのが引っ掛かっていたが、成程、これなら確かにレッスン場より稽古場だな。
「私はこっちの方が落ち着きます〜〜」
 普段和風な家に住んでいるだけに、雪歩は寧ろこちらの方が落ち着くようだな。他事務所でのレッスンなのだから、雪歩が緊張しないでレッスンに励める環境に越したことはないな。
「しっかし、遅いな〜〜」
 稽古場に着いて十数分経つが、明智さんはまだ姿を見せない。松平社長はすぐに呼びつけるって言ってたけど、ひょっとして今は事務所にいなくて自宅から来るのかな?
「拙者に御用でござるか?」
(えっ――!?)
 突然背後から声が聞こえて来たことに驚き後ろを振り向く。すると、そこには全身を黒装束で覆い、忍者の覆面、忍者の刀、忍者の手甲を装備した男の姿があった。間違いない、この男こそ魔王の影、明智光秀だ。
 しかし、いつから稽古場にいたんだ? まったく気配に気付かなかった。正に神出鬼没な影のような男だな。
「お待たせ致した。拙者が魔王エンジェル所属の明智光秀でござる。以後お見知りおきを」
 威圧的な二つ名とは対照的に、古語調の丁寧な挨拶で明智さんは挨拶して来た。
「765プロの雪歩の担当プロデューサーです。本日はよろしくお願いします」
「は、萩原雪歩です。よろしくおねがいしますぅ〜〜」
 その明智さんに対し、俺たちも丁寧な挨拶を返した。
「さて、お館様から大方の事情は聞き申したでござるが、初めに言っておくことがござる。拙者が教えるはあくまで基礎となる無足のみ! その旨を重々承知で稽古に臨むでござる」
「えっ!?」
「そもそも古来より業は習うものに非ず、盗むものでござる!! 拙者の演舞を会得したいならば、五体と六感を駆使し、しかと盗んでみせよ!」
 成程、基礎中の基礎は教えるが、あとは目で盗んで覚えろってことか。全部教えてくれると思っていたが、世の中そんなに甘くはないか。ここは基礎的な動作だけでも教えてもらえるだけありがたいと思わないといけないな。
「さて、盗めと申した手前上、稽古を始める前に拙者の奥義、“無双三段”を披露致そう! 拙者の二つと並ぶ者のおらぬ無双の演舞、そう易々と盗めるとは思わぬことでござるな!!」
 そう言い、明智さんはダンスの体勢をとった。春香の“プラハの春”が3つの動作からなるように、オリジナルである明智さんの“無双三段”も3つの動作から成るダンスだ。“並ぶ者が無い三つの動き”という意味から、“無双三段”と呼ばれてる究極奥義だ。
「初段は古武術の無足から発展させた、“無足天狗舞”でござる!!」
 明智さんは無双三段最初の動作である無足天狗舞を披露し始めた。その動きはゆったりとしながらも天狗の名が示す通り、まるで天狗が舞っているかのようなダンスだった。大まかな動きは春香の“春の足音”と大差ないが、やはりオリジナルの方が遥かに繊細で煌びやかだ。
「二段目はこの“疾風怒濤シュトゥルム・ウント・ドラング”でござる!!」
 次の動きは、激しい動作からなる疾風怒濤だった。その動きは、春香の“春一番”が疾風なら、同じ疾風でもこちらは襲来するB29に一撃を加えるべく旋回しながら怒涛の勢いで突撃する、四式戦闘機疾風という感じだった。
「そして! 有終の美を飾る三段目の動作が、“影分身”でござる!!」
 そして明智さんは、最後の動作である“影分身”を披露した! その動きは神速の如く目にも止まらぬ動きで、黒い影が複数人に分身しているのではないかとの錯覚を起こさせる動きだった。明智さんの他の者の追従を許さぬダンスは、正に“無双の演舞”と言えるものだった。
「すごい……こんなの絶対マネできない……。でも、プロデューサーと一緒にアイドルマスターを目指すため、少しでも明智さんのダンスを盗んでみせます! レッスンよろしくお願いします!!」
 雪歩は明智さんのダンスに絶句すると共に、そのダンスを少しでも自分の物にしてみせるという意気込みで、改めて明智さんに頭を下げた。
「はっはっは、その心意気や結構! では早速稽古に入るでござる。付いて参るでござる」
「えっ!? ここではやらないんですか?」
「主な稽古はこの場で行うが、その前に見せておきたいものがあるのでござる」
 そう言う明智さんに続き、俺たちは一旦稽古場を後にした。



「えっと、ここは……」
 明智さんに案内された場所は、何と一回のゲーセンだった。何でレッスンする前にこんな所に案内されたのだと、雪歩は途惑いの表情を見せた。
「雪歩殿、このゲームが何だか分かるでござるか?」
 そう言い明智さんが示したゲームは、先程佐野史郎風の男が踊っていたダンスゲームだった。
「詳しくは知りませんですけど、ダンスを踊るゲームだと思いますぅ」
「その通りでござる。早速ではござるが雪歩殿、このゲームで踊ってくれぬでござるか?」
「えっ、ええ〜〜!? このゲームで踊るんですか〜〜」
 いきなりやったこともないゲームで踊ってくれと言われ、雪歩は驚いた。一体明智さんは何の意図があって雪歩に踊らせようとするのだろう。ひょっとしてこれもダンスレッスンの一環なのだろうか?
「雪歩殿の力量を確かめておきたいのでござるよ。遊戯料は拙者が出す故、気軽に踊ってくだされでござる」
「わ、わかりました。遊んでみますぅ」
 明智さんに促され、雪歩は緊張した面持ちでダンスゲームを開始した。
「ええっと、上上下下左右左右BA……あぅ、分からないですぅ〜〜」
 雪歩は画面に表示する矢印に従ってステップを踏もうとするが、慣れないゲームのせいか、初っ端からあたふたと慌て始め、全くリズムに乗れなかった。
「ははっ、最初はそんなものでござる。然るにこのゲームは慣れて来ると次第に楽しくなり、遊びながら演舞の技量を磨くのには最適なゲームなのでござるよ」
「遊びながら?」
「そうでござる。雪歩殿は普段どのような気持ちで演舞の稽古に励んでおるのでござる?」
「えっと、それは……今よりもっと上手くならなくちゃという気持ちで」
 明智さんの問いに対し、雪歩は向上心を持って練習に励んでいると答えた。
「それは心意気としては間違ってござらん。されど、肝心なことが一つ抜けているでござる」
「肝心なこと?」
「演舞は何のために踊るものでござるか?」
「ダンスはですか? え、え〜〜と……歌や音楽を盛り上げるために踊るものですぅ」
 ダンスは何のために踊るという、プロデューサーの俺でも答えるのに窮する問いに、雪歩は歌の演出を盛り上げるものだと答えた。確かに、一般的なダンスは音楽に合わせて踊る物なので、雪歩の回答は模範的な回答と言えるだろう。
「では、“音楽”とはどう書くでござる?」
「え、え〜〜と……」
「音楽とは“音を楽しむ”と書いて“音楽”と読むでござる。即ち、音楽全般に対し音を楽しむ心が必要不可欠であるのと同じく、音を身体で表現する演舞もまた、音を楽しむ心が必要なのでござる!」
 答えに悩む雪歩に対し、明智さん自らが答えを示した。“音を楽しむ”と書いて“音楽”と読むか。オーソドックスな答えだが、ある意味真理を突いているな。
「演舞を会得しようとする際、今以上に上手になりたいという向上心は確かに必要でござる。されど、過剰なまでの向上心に囚われ音を楽しむ心を忘れていては、いつまで経っても技術の向上には繋がらぬでござる。
 常に妥協を許さず丹念に励み、且つ楽しむ心を忘れること無かれ。それが拙者の藝能に対する志でござる」
 練習に励む心は大切だが、楽しむ心を忘れていてはいつまで経っても技術は向上しないか。確かに、今までの雪歩の練習は向上心こそあれ、音を楽しむという心はどこかに置き去りにされていたものだったな。芸能に携わる者に必要な姿勢を改めて教えてくれた明智さんには感謝のしようもないな。



「明智さん来てたんスか! せっかくですからいつものダンス見せてくださいよ!」
『あ〜け〜ち! あ〜け〜ち!』
 周囲の客が明智さんの姿に気付き、歓声を上げながらダンスゲームで踊ってくれるよう騒ぎ始めた。さすが昨年のアイドルマスターだけあり、こんな場所でも歓声があがる人気者なんだな。
「やれやれ、致し方ないでござるな。すまぬが練習に入る前に多少時間を頂けぬでござるか?」
「構いませんよ。私も明智さんの“音を楽しむ”ダンスを見てみたいですし」
「恩に着るでござる。では、ご期待に応えて早速披露すると致そう!」
 客に促され雪歩の承諾も得た明智さんは、颯爽と踊り始めた。画面に表示される矢印に合わせ、足元の電光板を一歩も間違えることなく華麗に踏み続ける明智さん。本人が言う音を楽しみながら踊る姿に、客からの歓声は終始絶えなかった。
「あれっ? ひょっとしてこの踊り、さっきのメガネの方ですか?」
「何だって!? あの佐野史郎風の男が明智さんの正体だっていうのかっ!?」
「は、はいっ、間違いありません。あの時のメガネの人のダンスと今の明智さんのダンスが重なるんです」
 明智さんはTV出演時はいつも黒装束姿で、その素顔は秘密とされている。しかし、先程の冴えないヲタク風の男が、明智さんの正体だとは到底信じられない。
「はっはっは。お見事でござるな。一度見ただけで拙者の正体を察するとは、雪歩殿はなかなかの目利きでござるな」
 しかし、ダンスを終えた明智さんは、雪歩の言う通りだと衝撃の告白をした。
「本当、なんですか?」
 俺は佐野史郎風の男と明智さんが同一人物だとはとても信じられず、失礼を承知で本人に問い質してみた。
「信じられぬのも無理のないことでござろう。拙者はそもそもこのSmile Squadのゲームコーナーにおいてスカウトされた一介のゲーマーでござるからな」
「な、何ですってっーー!?」
 ゲーセンを後にして再び稽古場へ向かう最中、明智さんはデビューまでの経緯を話してくれた。何でもSmile Squadがアミューズメント施設と併設しているのは、資金調達の他にアイドルのスカウトも兼ねているからとのことだった。松平社長は歌ったり踊ったりするのを真剣に楽しめる新しいアイドルをプロデュースすべく、アミューズメント施設を併用した芸能事務所を立ち上げたという話だった。
「拙者が属する魔王エンジェルのメンバーを始めとしたSmile Squadのアイドルはみな、遊技場の常連が招かれて結成されたものでござるよ」
 それは事務所が設立した当初から変わらぬ方針で、設立してから数年は輩出したアイドルがブレイクすることはなく、魔王エンジェルがアイドルマスターとなり一躍有名になるまでは、松平社長の方針に周囲の視線は冷ややかだったという。
「魔王エンジェルの躍進もあり、昨今はゲームを楽しむ為ではなくアイドルとしてのデビュー目当てで遊技場に通う客も増えたでござるが、そのような音を楽しむ心を持たぬ不埒な輩は、基本的に招かぬ方針でござる」
 成程、あくまで“音を楽しむ者”しかスカウトしないってことか。そんな一風変わった方針で集めたメンバーがアイドルマスターの称号を得たのだから、松平社長の方針もあながち間違っているとは言えないな。
「お待たせ致した。これより稽古に入るでござる。拙者は基礎しか教えぬでござるが、見事拙者の舞踏を盗んでみせるでござる!」
 そうして、ようやく明智さんのレッスンが始まった。二人でこの雪の道のように険しいアイドルとしての道を歩んで行く。そう雪歩と誓った俺は、雪歩と共にレッスンに励み見事技を盗む気持ちで臨んでいった。

……続く

その3へ
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