「5市町村が合併するしないってわけで新市名募集なわけだが、アテルイ市だけはカンベンだな。」
「そうだな。もうちょっとセンスのある市名がいいな。例えばコアラ市とか。」
「なんだよそれ。」
「コアラはかわいいじゃないか。ダメか?」
「ダメだ。」
「じゃあコアラ改めハッピハッピー市。」
「もっとダメだ。」
「でも細木先生はこの名前がいいって……」
「売れてねえじゃねえか。もうちょっと真面目に考えろ。」
「久米ひろ市。」
「ダメだ。」
「猫ひろ市。」
「それもダメ。」
「舘ひろ市。」
「お前なあ。」
「本宮ひろ志。」
「いい加減ひろしからはなれろよ!つうか本宮先生は市になってねえぞ。」
「じゃあひろしはやめるよ。ワシントンとかどうだろう?」
「人名から離れろ!だいたいなんでワシントンなんだ。」
「いや、こういう名前を付ければ水沢公園の桜にもいわくがつくかなって。」
「つかねえよ!大体D.Cがつかないだけでアメリカの首都じゃねえか。」
「そういうことならワシントンDSにしとくよ。」
「しとくよ、じゃねえ!それにDSってなんだ。ニンテンドーか?」
「土方スピリットの略。忘れるなって電気グルーヴが歌ってたから、忘れないようにと。」
「忘れろ!もっと胆沢地区の風土に合った名前を出せ!」
「ああ、地理的側面から市名を決めろと言うわけだね。」
「まあ、そうなるかな。」
「東ファルージャ市。」
「おいこら。」
「ファルージャの東にあるから東ファルージャ。全く持って正しい見解だね。」
「正しくねえ。テロリストでも呼ぶつもりか。」
「じゃあ西ハワイ。」
「リゾート地ならいいってもんじゃねえぞ。」
「北プーケット。」
「話聞いてねえな。」
「南シベリア。これなら年配の方々が昔を懐かしんで旅行にくる事受け合いじゃね?」
「じゃね?じゃねえ!」
「文句ばっかり言うなあ。あーもーいーよ、近場で。南北上。これなら文句ないだろ?」
「ありありだ!」
「オリオリオリオー ヤリヤリヤリヤー♪」
「バブルガムブラザーズの真似で逃げるな。」
「ヘェーイ ごっ機嫌いかーがロミオさまぁー♪」
「バブルガムクライシスでもダメだ。」
「チェッ。じゃあどうしろってんだよ!」
「だから真面目に考えろって。」
「えー、あー、うーん。ムニャムニャ。かねがさきでどうだろう?」
「ん?金ヶ崎は合併しないぞ。」
「いや、そうじゃなくて借金まみれの水沢江刺から逃げ出した金ヶ崎と、合併に伴う助成金目当てで後先考えていない5市町村を揶揄する意味で”金が先”と。」
「ほう。お前にしては気がきいてるな。でもそれは応募できないな。」
「そうか。じゃあもう応募しなくていいんじゃないの?」
「それもそうだな。」
「じゃあそういうことで。おやすみー。」
…
……
………
…………
「そうだ!ネバーランドはどうだろう?マイケルが有罪判決くらったらここに亡命させてさ、テーマパークを作るってのは!」
「もう寝ろ。」
ZEROさんとこのページでキリ番777を取ったけれど掲示板に報告しようか悩む。
「マー
ヴルズ」や「スー
パーマン ピース・オン・アース」のアレックス・ロスの書くウルトラマン。
DVD用に書いたみたいだけど、すげえいいなあ。キングジョーと取っ組み合うウル
トラセブンの手袋の皺とか。
アレックス・ロスはBattle of the Planets(科学忍者隊ガッチャマンのアメリカでのタイトル)のコミックの表紙とかも書いていて、それもす
ごくナイス。
マーブルズに限らずキングダム・カムや他の作品もそうだけど、この画でコミック1冊書いてくれるのはありがたすぎるよなー。
日本で言ったら開田裕治に怪獣絵物語を200枚フルカラーで書き下ろせとかそういう話でしょ?
アメリカにそういう才能があるのは羨ましくてしょうがない。その点ではアメリカのコミック読者は幸せ者だ。
アメリカのコミック事情は日本から見ると羨ましくない部分もかなり多いんで、日本は見習え、とかは言えませんけど。
今日の岩手日報夕刊連載の4コマ漫画「カンちゃん」はエロい。エロすぎる。と思った。
授業もそこそこに違法滞在と強制送還の話を延々と。
外国人登録証を常に肌身離さず持ち歩かないと路上で警官に職質くらったときに捕まっちゃうから気をつけないとねーとか、強制送還のチケットパスポート無くすと東京の大使館まで行かないといけないから交通費だけでもめんどくさいなあとか、数年に一回警官が家に来て家族構成とかをチェックしにやって来るのがウザいとか、まあよくある話を。
でも中国人に言わせれば日本の警察はフレンドリーなそうだ。
年末年始はいろいろあったわけですよ。
カラオケ行ったらゴスっぽい服を着て堀江由衣の歌を完璧に歌いこなす日系三世ブラジル人少女、という空想上の生物としか思えないっつーか普通そういう空想すらしねーよ、ってものを見たり。
日本に来て今年で十年目になる農家に嫁いだフィリピーナがしっとりと歌い上げるテレサ・テンの「時の流れに身をまかせ」や高橋真梨子の「for
you」を聞いたり。まあ、お酒が入るとそれぞれの曲の歌詞の「今はあなたしか愛せない」や「あなたが欲しい」のあなたがお金に変わってしまうんですけれど。
忘年会としてのカラオケも終わってよいお年を、と別れたその2日後の大晦日にはカラオケで一緒にいたイギリス人二人とジャスコの地下でバッタリ。あーおまいら、そこでパック寿司つまみながら酒を飲むんじゃない。ご相伴にあずかった俺にいえる義理じゃないけどな。
年末格闘技はK−1をリアルタイムで見てPRIDEを録画。試合内容は圧倒的にPRIDEが上だが構成はクソだな。過去の試合とかすげーいらないから2時間半ぐらいでまとめてくれと思った。
年明けカウントダウンはジャニーズのを見る。少年隊とかで自分が歌える曲がけっこうあるのにビックリ。今度カラオケで歌おうか、歌ったらモテるかなとか夢想。
それから録画したPRIDEを見る。印象に残ったのはチェ・ム・ベ対ジャイアントシルバ戦。主にムベのルックスと試合のテンポの悪さ。夢に出た。
兄が中古屋から三国志]を買ってきたので新武将を適当に作って遊ぶ。曹操と仲良くしてたら義兄弟になったのでそのまま魏に仕えていたら曹操が全国を統治してゲームが終わった。玉璽を孫策を路上で襲って手に入れて持っているのは俺なのに。
古本屋で美内すずえ「ガラスの仮面」を全巻セットで購入。4巻を開いたら5巻が出てきた。カバーだけが4巻で、5巻が2冊入っていた。18巻は姫川亜弓のコマのいくつかに色鉛筆で色が塗ってあった。昔兄の隠し持っていたエロマンガ雑誌で女性キャラがマジックでロングヘアーにされていたのを思い出してなんか嫌な気持ちになった。
それと本屋で平野耕太「HELLSING」7巻、柴田ヨクサル「エアマスター」23巻購入。どっちも雑誌の立ち読みで話を追っているのでおまけの書き下ろし部分を先に読む。
卒論がさっぱり書けない。提出期限はあと2週間を切ったのに。本人の土壇場の踏ん張りに期待するか(他人事のように)。
はつ夢に チェ・ム・ベが出てきた 俺は負け組
字余り。
SUSHI花館の広告から。
年の瀬も迫ると世の世知辛さがしみるほどわかるってもんです。
夢を売る商売とはこういうことをいうのかな、と。
ちょっと気を抜いたら二日連続で夕食のメインデッシュが麻婆豆腐になるってどういうことよ。
もちろん前日の余りとかそう言う事ではなくてどちらもしっかり1から作っていて。
俺が作ったのは昨日で、まさか今日も麻婆豆腐になるだなんて知りえるはずが無くて、どう考えてもノットギルティーだよねぇ、ねぇ。
間違っても今日のメニューと同じ物を何も知らずに昨日作った俺に非があるだなんてそんな理屈、どこから出てくると言うんだ。
まあ、それはさておき今日はBSで攻殻機動隊、日テレでラピュタが微妙に重なっているわけですが、両方とも目と脳が腐るぐらい見まくった人間としてはどうでもいい話ですなー。
どうでもいい話ついでに言えばラピュタのシータはなんでガキの癖にあんなに田舎臭くてババむさいんだろう。
宮崎駿の性癖が悪く出ていると言うか、年齢を20代なかばくらいにしてもうちょっと垢抜けさせてムスカの食指が動くような女にしとけば面白いのに。
パズーとムスカが取り合っているものって厳密には違うじゃないですか。
パズーの本命はシータでラピュタはオプションで発見できればいいけどそれ以上は無い、逆にムスカにとってはラピュタが第一でシータもその血統に意味があるのであって女としての価値は全然無くて。
それじゃあシータはパズーのもとに行かざるを得ないじゃないか。二人の間で揺れる事が全く無い。
そこがつまんないな、とか思えるくらいにラピュタに見飽きてきました。
と、書いていたら思い出した。
シータの横沢啓子ってパトレイバーの熊耳さんじゃねえか。
あれか、俺はムスカを内海にしろとでも言っていたのか。
んー。
それはそれでいいかも。
プライスレスとは言うけれど、金銭的価値すら無い物もやはりプライスレスと言うわけで、それは何かと聞かれれば胸をはることも無く小声で「僕だ」とつぶやくのみで。
日本十進分類法、略してNDCというものがある。
図書館の本の背表紙に張ってある3桁、もしくはそれにさらに小数点以下で2桁くらいついてくる数字の事だ。
図書館に行ったことがあり、本も見ないで館内を見るような人ならば「総記 0」とか「文学 9」とか書いてある表示を見たことがあるだろう。あれはNDCの百の位、第1次区分表(類目表)をあらわしている。
日本の大抵の図書館はこのNDCを基準にして本の整理や配列を行っている。国会図書館では国会図書館分類表(NDLC)が使われており、世界的にはデューイ十進分類法(DDC)が使われている。図書資料の分類法はこれら以外にも山ほどあり、大宅荘一文庫のように独自の分類をするところだってある。
だが、日本で一番メジャーな分類法はNDCである。
そのため図書館司書養成の講義をうけていると、資料組織演習等で実技演習を行う際はNDCを使って分類作業にあたるわけだ。
で、このNDCというか、図書資料分類法全てに言える事だが分類表が読んでいて面白い。
現在のNDCは第9版になるが数字の方から表題を引く本表と、キーワードから分類記号を引く一般補助表・相関索引の2冊に分かれている。
もちろん、読んでいて楽しいのは一般補助表・相関索引の方だ。何が楽しいかといえば図書資料のテーマとなりうる事象を出来うる限り細かくカテゴライズして数字に分類しようとしているという事だ。
もちろんありとあらゆる事柄をカテゴライズすることなどは不可能な事から、自然科学系では専門家にとっては当然なのかもしれないが門外漢にとっては過剰とも思える細分化があり、一方の文学では国籍と時代と表現様式のみで分類されてしまうという乱暴さが混合している。村上龍も田山花袋も西尾維新も西村京太郎も神坂一も文学(9)日本(1)小説・物語(3)近代:明治以後(6)の913.6でひとまとめだ。ジャンルもライトノベルも関係ない。
そういうわけで一般の図書館ではNDCのついでに著者名の頭文字一文字を取ったりしてじっぱひとからげの小説群の分類に勤めてたりするわけですが、そういうやっかいな事とは関係なしに第一の判断基準としてNDCは存在する。
固有名詞ではない普通の名詞だったらかなりのものに数字が割り振られているので、そこでこういう遊び方も出来なくは無い。
今日の915
夕食に485.95が出た。673.86で安かったそうだ。食後は798.5に興じる。いまさら445.6のスーパー548.3大戦Fで遊ぶ俺はどうかと思った。
うどんを打ってみました。粉はとりあえず1キロ。水も加えると総重量は約1.4キロ。
こねるのは誰にでも出来ると思うんですよ、力が無い人でもビニール袋に入れて足で踏めばそれなりにコシと粘りは出てくるから。
寝かせるのも誰にでも出来る、というか出来ない奴はいないと思う。
問題は伸ばして切る所で。回数を重ねれば分かってはくるんだろうけれど、ベストの厚さと太さが全く分からない。
こんなもんだろうと最初に切ったものは茹でてみると膨らみ、長さも足りなかったせいか水団のようなものが出来てしまった。食えば美味いんだけど、啜って口に入れるのではなく箸で口内に運んでいる点ですでに麺類ではない。
かといって、細く切れば良いかというとそうでもない。
切ってすぐに茹でて食べるのであれば全く問題は無い。そうした時はすげえ美味い。ほっぺたが落ちてついでに首も落ちそうなくらい。自分で言うのもなんだが俺うどんは歯ごたえが最高です。
なのだが、冷凍保存して再度解凍となると細さが災いして千切れてしまい、麺つゆに入れると二度と箸で捕まえられないカスみたいなものが出てくる始末。味は落ちてないんだが、歯ごたえは落ちていてあまり楽しくない。
難しいなぁ。
く〜りすますがまぁ〜ちにやぁってくる〜♪
なんて歌がCMで流れていたりしますが。
クリスマスがMarchにやって来るとはどういうことか。3月ですよ。
アレか、宮下あきらの「嗚呼!毘沙門高校」の毘沙門村では新聞が3ヶ月遅れで配達されるとかそういう話なのか。
田舎もんだと思ってバカにするな!
だまされねえぞ!
千と千尋は見てるだけでも楽しいなあ。すげえ赤いけど。
神様だか妖怪だかよく分からんもののけさんたちが次から次へとズラズラ画面に出てくるのが楽しい。
なんでハウルでは魔物のデザインを統一してしまったのだろう。魔法使い一人一人のなれの果ての姿なんだからもっとバリエーションに富んでいた方が楽しいのに。
「河童に引き抜かれる」以外での尻子玉の用途が知りたい。
そろそろ誰か公共の電波で言い出さないかね、「スポーツがレイパーを育てる」って。
フィギュアよりよっぽど危険だろ、サッカーって。
日本にいる強姦罪での受刑者におけるサッカー経験者の率って8割近いと思うんだよ。確実にフィギュア所有者よりも少ない。
でも誰も分かっているくせに指摘してくれないよなー。自明すぎて言えないってか。
まあ、似たような話で米国における重犯罪者の9割超が犯行時間の24時間以内にパンを食しているという統計があり、そこから鑑みるにパンには犯罪を誘発させる要因があると言えるっつーのがあるけどな。
信憑性は同じくらいだろ?
フィギュア萌え族(仮)に分類されそうな俺としては片方にうなずいて片方を無視っつーのは困るなぁ。
ハウルの動く城、見てきました。
いやー、すごいわ。千と千尋以上の力技。その場その場の演出力だけでグイグイ見せていく映画だった。
以下雑感。
・マイカルワーナーシネマズ北上で視聴。機械トラブルがあったようで30分遅れでの上映となったが、上映後従業員が謝りながら平日無料券をくれた。素晴らしい。
・細田守が降板してその後を継いだ形で宮崎駿が監督になった作品なのだが、その理由としてはジブリのスタッフとおりが合わないとかロリコンだからババアが主人公の話にモチベーションが持てなかったのではなどと無責任な噂が立っていた。本編を見てみると呪いの設定をほとんど無視してソフィーが勝手に若返っているところを見ると、駿も我慢できてねえじゃん、と思った。
・大泉洋がデウス・エクス・マキーナだったので驚いた。我執院達也はさほど面白くなかったのでがっかりした。
・ハウルの城はせっかく口があるんだからデンジタイガーみたいに敵を噛み潰せばよかった。
・戦闘シーンは微妙にモッサリ感がある。
・家に帰ってから母親にどうだったと聞かれたので「倍賞千恵子と三輪明宏が木村拓也を取り合う話だった」と答えといた。
・全体的に唐突なシーンが多い。上映時間があと30分あれば肉付けして各シーンのそこにいたる経緯を見せられた思うが、キャシャーンほどでは無かったんで俺としては許容範囲。?な顔をした観客もいた。
・イケメンってだけで女に惚れられるからイケメンっていいよなーと思った。愛してるって言われてから男を見せるってのは順番逆だろというか。電車男の対極だよね。電車男も俺は嫌いだけど。
今日のトリビア。
・ジェリド=メサはアムロ=レイより年上。
・武士道という言葉が使われたのは明治以降から。
・日本最初のAV男優は田原総一郎(本人の申告によると)
フィギュア萌え族(仮)ってなんだよ、おい。ゲラゲラ。
これで犯人が主婦とかで怨恨の線だったりしたらどうすんだよ。
まあ、「オタクが犯人じゃねーの?あいつらキモイし」ってマスコミさんは言いたいんだろ?金と薬とレイプにまみれたその口で(ひどい偏見)。
実は既にウラが取れていて犯人はバリバリのオタクでニートな奴だったら俺はどうするのか、って聞かれたら「ほーらやっぱり」って言うけどさ。
しかし犯人がどんな奴なのかに関係なくこれからは大変そうだなあ。
萌えオタ=アウトローってことでしょ?ロリコンとか誘拐犯とかじゃなくて、萌えることそのものが忌まわしいんでしょ。
そのうち反社会的だという理由だけで萌えキャラがプリントされたTシャツを着て粋がる中学生とか出てくんのかなぁ。それはそれで面白いけどさ。
鬼うさ姐さんから教室展のDMが届きましたよー。やったー。
つうわけで教室展の日時に何故か鬼姐の人形ページをリンクさせてみたり。
ありがたいことにDMだけではなく鬼姐のお人形の鈴ちゃんと亜依ちゃんのポストカードも入ってましたよ。
こういう形になるとサイトで見る写真とはまた違った趣があっていいな、と思います。ホントは直接に見に行くのが一番いいんだろうけど。
こんないい物をもらったからにはお礼をしないとな。
去年より少し遅れて大根を干し始めたので、年明け以降に沢庵でも送るか。
明日の日曜日は水沢公民館でワールドスクールがあるので、その打ち合わせに出席。
ワールドスクールというのは水沢市の国際交流事業の一つで、胆江地域に在住する外国人の方にご協力願ってそれぞれの国について小学生たちに紹介してもらい、子供たちに国際理解を深めてもらおうという企画で、毎年やってます。
日本語教室の先生をやっている関係で、俺は当日はボランティアとして活動します。
今年のワールドスクールは、去年が各国一つずつブースを作っていたのとは違い、アジア・アメリカ・オセアニア・ヨーロッパの4つのブロックを作りその中で各国を紹介するスタイルに変更。
俺はアジア担当になったんだけど、アジアは中国・フィリピン・ベトナム(50音順)の3カ国の方が来てレクチャーしてくれる事になった。
教室等で知ってる人たちで、みんな日本在住暦が長くて日本語がペラペラなので明日の俺はすげえ楽だろうな。去年はアメリカ担当で英語を通訳せにゃならなくて必死だったなぁ(遠い目)。
打ち合わせのついでに当日ブースで張り出すモノクロの世界地図に参加国を色をつけて塗りつぶす。
中国は台湾が入るのかなー?香港と上海はもう返還されたから塗っちゃっていいよね?ベトナムって何処だっけ?と己の国際無理解振りを晒した。
ロイヤルのいない国の人に紀宮様のネタを振っても盛り上がらないなぁ。
ある種日本のタブーの一つだったんだけどね。
アンタッチャブルぶりではTAWARAを遥かに凌駕するものがある話題だったと思う。
まあ、以前からサムライトルーパーで本を作っただの高千穂遥のサインをクラッシャージョウの小説に書いてもらっただのいのまたむつみにアニメ風にディフォルメした自画像を書いてくれとねだっただのといった真偽が不確かなエピソードをオタクの人はネタにして楽しんでいたけど。っつうか3つめのエピはマイケルジャクソンのだけどなー。
この前のCRUSH!に遊びに来た高校のときの同級生とリンク。
CRUSH!も無事終わり、数年ぶりにあった同級生はファミレスでいじり倒し、新撰組を見たらサブタイトルで分かっているのにかかわらず源さんが死ぬシーンで泣きそうになったりならなかったり。
NHKを見ていたら、イラク政府が非常事態宣言を出したニュースで海兵隊の司令官みたいなのが隊員たちに向かって「この町はならず者と人殺しに占拠されている!」と叫んでいる映像が映っていた。
全くそのとおりだが、それはお前らの事じゃねえか。ゲラゲラ。
外から中が見えない飲食店は僕には怖くて中々入れない。
だから、一人で何かを食べようと思うとどうしてもファーストフードになりがちだ。
キッチンの向こうで何が行われているかは知らないし、値段を考えればロクでもないことをしているに違いない、と勘繰りたくもなるが、とりあえずは安全に食事が出来て連れ合いがいるならばそれなりには談笑も出来る雰囲気があることが確かめられれば僕は店に入る。
だが同時に、僕にはガラス張りの店で食事する事が苦痛だ。苦痛というと言い過ぎだが、不愉快では少し足りない。
苦痛の原因は店内で食事する人がいて、その様子に安心感を覚えて店に入る心理とほぼ同じところから来る。
僕の食事が他人の何らかの判断材料にされているかもしれない、店は不特定多数に宣伝材料として僕を見せる意図を持っている、僕らは陳列されている、買いながら売られていく。
そういう事を考えながら食べるメシは実に不味い。メシが不味いから余計な事を考えてしまうのかもしれない。
今現在自分が知っている限りでは、水沢市内でマイナスイオンの効能を謳った健康器具の実践販売をしている店舗は二つある。
どちらもガラス張りで、店内で真偽が不確かな(かなり偽にかたよっているとしか思えないが)講習に耳を傾ける老人の姿を往来から多数見ることが出来る。
彼ら彼女らはガラス戸の向こうの視線を感じないのだろうか。もしかしたら感じさせないほど夢中にさせる販売員の話術がそこにあるのかもしれない。それともただ感じないだけなのか。
なんつうか、何がすごいのかと言ったら自分探しの旅の果てに行き着いたところが、みんなに自分を探させるってとこがさ。
ザ・ワイドを見ていたら
「カルーセル真紀さんが戸籍上の性別を変更したニュースで、カルーセルさんが美輪明弘さんのメケメケに憧れたとおっしゃっていましたが、その時に流したVTRは美輪さんのではなくピーターさんのメケメケでした。申し訳ありませんでした。」
と。
ゲラゲラ。腹いてー。
郵便局に行ったら、小学生のアイデア貯金箱コンクールと言う事でガラクタのようなものから貯金箱のようなものまで様々な物体が並んで展示されていた。
外見がただハム太郎や家であったりするもの、内部に段差をつけてコインが転がる様子を見せるもの、鏡を仕込んでいくら金を入れても中身はカラッポに見せかけるもの等、様々な種類があり、「子供が作ったもの」というフィルターを通して見ればどれも素晴らしい出来栄えだった。
貯金箱については問題は無い。こういうコンクールの後ろにある郵便局の考えも特に興味は無い。どんな形であれ子供が創作する機会を得るのはよい事だと思う。
ただ、気になる事がひとつあった。
応募用紙の筆跡だ。
各貯金箱の前には作者の小学生の名前と学年、それと用紙によっては作品の説明文がついている。覚えている限りでは20以上の貯金箱が展示されていたように思うのだが、明らかに子供の筆跡とわかる応募用紙は2枚しかなかった。
もちろん、小学生は1年生から6年生までいる。自分の名前も満足に書けない子もいるであろう低学年だったら親御さんが代筆するのもむべなるかな、だが少なくとも4年生以降の子供の名前を親が書く、それも作品解説まで書くのは如何なものだろうか。
6年生の女子が洗練された柔らかい崩し文字を書くのか、5年生男子が筆ぺんでトメ、ハネ、カスレが強調された剛直な字を書くものだろうか。実際に書いていたのならそれは驚嘆に値するが。
そして筆致よりも、記入欄を余さずに字を埋めて文を構成する力を持つ小学生がこの地区にそう何人もいるものなのか。そうならば日本の未来は安泰この上ない。
だが、僕には親が書いたものだとしか思えなかった。
そしてその思いが頭に上がると貯金箱そのものが果たして本当に子供たちが作ったもののみなのかという疑念も湧いてくる。まあ、子供が貯金箱をその独力のみで作る必然性があるかといえば無いわけだが、次元の低いフェアネスの気持ちの上では釈然としない。
だからこそ、歪んでいて筆圧の高い鉛筆書きで2度書きだらけの文字を見るとうれしくなる。余白を大きく残して「マリオがチャームポイント」と作為があまりにも無さ過ぎる文章とその作品に「オイオイ、5年生でそれかよ」と突っ込みつつも微笑ましくて笑みがこぼれずにはいられない。
気付けば僕は「子供らしさ」に反応してしまうぐらいには大人になっていた。
俺には原因が全くわからんし、この事実に果たして何人が気付いているのかもわからない。
少なくとも我が家の中では俺一人だけだった。恐らく世界中で俺一人だけなのだろう。
俺がカレーを作ると何故か母が秋刀魚を買って来る確立が果てしなく高いということに気付いたのは。
この前もその前も更に前もそうだった。
早めにカレーを仕上げたから後は盛り付けだけで楽だな、と思うと母はKマートのビニール袋から取り出した秋刀魚を俺に突きつけるのだ。
まあ、別にいいよ。
秋刀魚の刺身は好きだからさ。
出来れば白米のおかずとして食べたいけどさ、買ってきたその日に捌かないと悪くなっちゃうから仕方ないよね。
でも今日の夕飯はカレーにしたいから作っておいてねって言ったのはあなたですよ、母さん。
「カレーに秋刀魚かよ」と愚痴るたびにハッと気付くのはやめてくれよ。
トイレの話を二つ。
北上駅の向かいの元デパートで現在はよく分からない施設になっているところのトイレ。
入り口近くで高校生らしき制服の男女が軽く抱擁しあっていた。
これといってものめずらしい光景でもないのでそれを横目に俺は小用を足しにトイレに入った。
入ってみると、洗面所の前の床に小さな血だまりがあった。何故そこに血があるのか、誰の血なのか、そのようなことは一切分からない。ただ、それ特有の暗い赤色と粘度のある光沢を見つけた俺はそれをやや大きめに避けて小便器に移動して、用を足すことにした。
尿の勢いが弱まり始めた頃に足音が聞こえた。目を向ければ先ほど女子高生とハグしていた男子だ。制服と逆立てた髪型で分かる。
彼はこちらまでは来ず、洗面所で足を止め鏡を見ながら手櫛で髪を天に向かってしごくようにすいている。
その彼の足は血溜まりを見事に踏みつけていた。
俺が用を足し終えるよりもわずかばかり早く彼はトイレを出て行った。床を見るとタイルに血液の滴が点々と外に向かってついていた。
その点を追って見た先には彼が彼女の肩に手をまわして歩いている。
他人の血痕を残して明るく笑いながら進む男子の姿を見て、俺は何かを示唆しているような気がしてならなかった。
水沢市コープあてるいのトイレ。
便意を催して入った洋式便座の個室には不審物があった。何かの箱だ。
長谷川瞳 けもの妻 【巨根に狂った新妻色懺悔】………
アダルトDVDのパッケージだった。
中身のディスクは抜き取られており、パッケージのみが洋式便器の物陰に立てかけてあった。
この個室で一体何があったのか。排泄行為をしながらの頭の体操としては実に良い問題だ。
数分ほどで自分が出した仮説は、近くのアダルトショップからDVDを購入した学生がこのトイレに駆け込み、抜き取ったディスクを学生鞄に突っ込んだのだろう、そしてパッケージは個室の外のゴミ箱に投入しようかと思ったが、不意に誰かがトイレに入ってきてアダルトDVDを手に持つ自分の姿を見られるリスクを考えてパッケージは便器の陰に置くのみでトイレを去っていった。というものだった。
個室から出て、手を洗うついでにゴミ箱を覗いてみたらアダルトDVDのカタログやDVDを包装していたシュリンクと思わしきものが入っていた。
学生かどうなのか、そもそも小さな事実から俺の頭の中だけで作り上げられた人物ではあるが前者よりも後者の方が俺としては人間味のある好感の持てる人間の所作であるように思える。
新しいテレビ兼用ビデオリモコンは録画予約がリモコンから出来ない時点で有用性は0に等しい代物だった。
これで2000円は高い。
最近、ホヤが美味く感じられるようになってきた。
酢の物にしたらホヤ2袋分は余裕でいける。
日本のチーズは賞味期限を早めに設定しているらしく、欧米の人間に言わせたらそれよりも少し過ぎたあたりのほうが美味いのだそうだ。そして事実食べてみたら美味かった。、という内容の記事を雑誌で読み、それならばと思いチーズを購入。
しかし我慢できず期限前に食べてしまった。
もちろん美味かったよ。
自転車のライトが点かなくなった。
電球の接触でも悪いのだろうと思いドライバーでライトをばらし、再度組み立てる。
点かない。
配線か発電機の問題か電球が切れたかのどれかなのだろう。
直そうと思ったら自転車やどこかに任せるしかなさそうなので放置決定。
夜間外出は極力控えようと思う。
しかし控えようと思った矢先の今日は、夜7時から9時まで行われている日本語教室があった。
我が水沢の町はほどよく電化されており、大きい道に限っては街灯も無くは無いので無灯火でも特に心配する事も無く安全に目的地にはたどり着けたし、帰りも同じくなんの障害も無かった。
ただ、思うのは無灯火運転の現場を官憲に見つかり取り締まられる事についてだ。
生来肝が人並みよりも小さく出来ている自分としては、パトカーのスピーカーから野太い声で注意されたときに、あまりの緊張と焦りで運転を誤り転んでしまわないかと考えると怖くなるのだ。
僕の安全のためには、警察の皆様は夜間のパトロールを控えていただき極力エンカウントしないよう配慮してほしいなあ、と虫のいいことを考えていたりする。
日本語教室から帰ってみると、ビデオのリモコンが壊れていた。
押してもいないのに電源が入る。
より正確にいえば電源ボタンが押しっぱなしの状態になっており、放っておくとデッキの電源が入った次の瞬間には切れ、その次の瞬間には入るというめまぐるしい事になっていた。
とりあえずの策としてリモコンの電池を抜き、更なる次善策としてボタンの接触でも悪くなっているのだろうと思い、ドライバーと腕力を駆使してプラスチックカバーと格闘しながら分解してみた。
分解し、いくつか実験をしてみて分かった事は、まずリモコンのボタンにあたるゴムパッドの部分には異常が見当たらない事だった。我が家のビデオデッキは購入してから既に10年は経とうという旧世代期なのだが、ゴム部分は経年劣化も潰れも特に無くプレステパッドに見習わせたいぐらいの強靭さだった。
ゴムに問題が無いとわかったこの時点で接触が悪いだろうという自分の予想はほぼ八割外れていてるわけだが、それからさらに調査を進めた結果、この問題はどこで起こっているかが明らかになった。
リモコンを分解し、ゴムパッドを外した状態で基盤に電流を流してみたところ、デッキに信号を送っていることを示す赤色LEDが光った。さらにそのリモコンをデッキに向けてみたら電源が入って切れて入った。
基盤かぁ……
俺じゃあどうしようもねぇなぁ。
リモコンの放置が決定した。
明日は電気屋でいろんなメーカーの商品に対応しているという便利なリモコンを探そうと思う。
デブは呪われている。
呪いの症状としては目に見えるものから見えないものまで様々なものがあるが、私が最も恐怖を覚えるものは「キツめのズボンを履くと知らないうちにチャックが開いている」呪いだ。
この呪いの恐ろしいところは呪いがいつ発動したのか分からないところにある。
気付いたときには全開、一体自分はどのくらいの時間開けっ放しになっていたのだろうか、誰かに気付かれただろうか、あの視線はもしや――
グルグルと頭の中で羞恥と疑念が回る。チャックを上げながら今日出会った人の顔を思い出しながら、なぜ気付いていながら注意してくれなかったのか、俺を笑っているのか、人間に対する不信感が沸々と沸き起こる。
嗚呼、なんと怖い事だろう。
又、自分で気付かず人に注意されたときはより恐ろしい事になる。
二十歳を過ぎた男への忠告なのだ、決して嘲りの気持ちは無いだろう、あったとしてもそれは無いことにしているはずだ、そう思っても忠告の主に怨嗟の気持ちが生まれずにはいられない。
それを押し殺しながら自分が言えることといったら
「いやー、アレだよ、その、トイレで上げ忘れてさ、ありがとね。でもさ、トイレで下げ忘れるよりは全然といいと思うんだよ、うん。」
と、恥ずかしい事には何も変わらない意味の無い言い訳で、やや前かがみの姿勢で動揺で震える指でチャックと格闘しながら言うのだ。
嗚呼、なんとも恐ろしく惨めな事だろうか。
それはそうと、女性にはヒップラインをみせるためかサイズの小さめのパンツを履かれる方がおりますが、その中でも一般的にふくよかと分類される種類の淑女の方々はこの呪いの発動を経験した事があるのでしょうか。
気になります。
処女の方、お便りください 「結婚するまでは清い体で」なんて言葉も聞かれなくなった昨今ですが。さて、あなたが守っている理由はなんですか? たまたま? 強い意志? これまでの異性関係は? 未経験ゆえの不安や疑問、準備や期待、はたまた世の偏見への怒りなど率直に 締切 9月14日(木)400字詰8〜12 枚 応募規定 |
婦人公論が処女を募集してやがる。
購読者の平均年齢いくつだよ、オイ。
9月10日
「ヤング島耕作よろしくハリーポッターをヤングペ・ヨンジュンと言う会」を一人で旗揚げ。
会長・幹事長・相談役・出納長・三役・メインレスラー・前座レスラー・リング設営・近所の人に無断でポスターを貼り逃げしたら駅通りなのに半年以上張られっぱなし。だが私は謝らない。係までの全てを兼任する重責に耐え切れなくなり旗揚げ3秒で辞任。
会の運動は凍結することを誰もいない六畳間で宣言。
9月11日
アニメ「ラーゼフォン」を一気に見る。
三十路ギリギリの女が高校生に欲情して、高校生の方もまんざらでもない話を軸にした勇者ライディーンだった。エヴァとか色々詰め込んであるみたいだけど、最後に幸せになるデブキャラがいない所を見ると梶原一騎のエキスは入ってないようだ。
9月12日
大河ドラマ「龍馬が行く」を見る。
人生ゲームが空を飛んだ。
何かの比喩とか隠喩とか暗示や詩的表現ではなく、マジで。
火曜日の夜のことだ。生憎自分は日本語教室で人妻としりとりに勤しんでいたのでその光景を見ることは出来なかったが、母曰く人生ゲームと網戸が窓から飛んでいったそうだ。
9月にはなったが未だに気温は高くて夜は寝苦しいので暑気が篭らぬよう、僕の部屋は雨の日を除いてはいつも窓は開けて網戸とカーテンを閉めていた。
その部屋を強風が突き抜け、カーテンに押された網戸と窓際の小さな本棚の上の人生ゲームが西に向かって飛んだのだ。
家の近くには網戸と人生ゲームのボード、それと何枚かのデタラメな桁数の数字が書かれた紙幣が落ちていた。紙幣の大半とピン、自動車のコマは風に乗ってどこか遠くへ行ってしまったようだ。
いくらフェイクのものとはいえ、宙を舞う紙幣というテレビや映画でしか見えそうに無い画を見れなかったのはとても残念であり、近所かそれとも遠くのどこかの家にゴミを落としたのだと思うと申し訳ない気分になる。
空を飛ぶというと、秋田の空ではなまはげが飛ぶらしい。
統計関連学会連合大会というものが大学で行われるのでその手伝いのバイトをするために学校へ行く。
仕事内容は発表の進行に合わせてベルを鳴らすタイムキーパーとか、会場の細々した事。楽な内容だ。
ただ、発表は専門的な内容ばかりで理解しがたいものが多くそうそう楽しめる内容のものは少なかった。
そんななかで俺が一番面白いな、と思ったのは「リウマチ治療における糖尿病発生のリスク」と題された発表の質疑応答だった。
発表の内容を適当に聞いた感じではリウマチ治療者を対象に数年間の間に何回も行われた膨大なアンケート結果を統計分析していったところ、兄弟に糖尿病罹患者がいる患者には糖尿病の症状発生への相関関係が見られたが、ステロイド治療薬を使用している患者には特に見られなかった、という話だったように思う。
それに対して質疑応答の時間で出てきたのが「アンケートの量とは関係なくその事例にあたるサンプル数は非常に少なく、それから出されたものは意味が無いのではないか、医療の問題として慎むべき発言だ」という意見。
そしたらそれに呼応して「ここは統計の学会であって、医学ではなく統計手法や理論を評価すべきではないのか」なんてのが出てくる。
さらには「いや、リウマチのステロイド治療と糖尿病の関係性についてのデータやこのようなアプローチでの研究はほとんど行われていないのだから意味があるのではないか」とか言うのも出てくるから、さあ盛り上がってまいりました。
ま、時間がおしてたからジリリリリとベルを鳴らしてしこりを残したまま話を終わらせたけどね。
学会といっても、日本計量生物学界、日本統計学界、応用統計学会つー3つの学会が一つに集まっての学会だから人が多い。
どれぐらい多いかというと、学食の食券販売機の行列が建物から出てしまうぐらい。30分待ち。
それからさらに注文してからの待ち時間が長い。カレーやラーメンのような早くできるものだと30分ぐらい。
このような非常時でもオニギリストとしてのポリシーを貫こうとおにぎりを注文した俺は1時間待ちですよ。
ええ、もちろん昼休みを大幅にオーバーしたので午後の仕事は遅刻でした。
待ち時間の間に食堂を出て会場で担当の先生に事情を話しておいたからお咎めは無いけどね。
同人誌即売会CRUSH!のスタッフ会議に顔を出す。
前回の反省とか、次回の日程とか、パンフのスタッフページどうするよとか、この集まりって打ち上げを兼ねているとかそう言う事は無いよね、えっマジでこれが打ち上げ、そんなのねーよー、とか色々話し合う。
会議後、俺と貴義、それにPO3の3人で回転寿司屋でさらに食う事に。つーか俺の発案でPO3を引きずり込む。
時間が悪かったせいか、店内ではテーブル席が埋まっていたので仕方なくカウンター席に座る。
席も決まってさあ食べるか、とおしぼりを取ると気付いた。湯のみが無い。
寿司屋に行ってお茶が飲めないという経験は初めてだね。どういうことだと3人で話し合うがどうにも腑に落ちない。
そういうわけで店に入って最初の注文は「湯のみ3つお願いします」になってしまった。
湯のみが来るまで約5分。これが長い。
せめて醤油皿でも用意しようかとPO3が上のコンベアから皿を取ったのだが、それは何も乗っていない普通の皿で、店内をよく見たら何もない皿をとってもお金を取りますとの張り紙が。えー。
それを見越したかのようにおばちゃんの店員がその後に小さい醤油皿を持ってきた。遅いよ。
もうなんだかとってもアレな雰囲気で、店内BGMは大塚愛がヘビーローテーションでかかってるしで、半ば嫌な気持ちである意味面白くなってきた俺は同じ価格でイクラがあるにもかかわらずすしっ子(つぶっ子みたいなイクラの擬似食品)を注文してしめたのだった。
なんでぼくのママンはだいどころにしょっきがたまるとつかれたといってはやねしてしまうんだろう。ちゃぷちゃぷ。
前回は母方の実家がある岩手県江刺市の歌読地区のさらに一部である修行塚にまつわる伝説を紹介したが、今回も修行塚の話をしようと思う。
郷土資料誌「ふるさと 歌読」によると、昭和九年頃に大冷害がおきた。それに対しての救済を目的とした土木事業がいくつも行われ、歌読部落では溜池工事が盛んに行われたそうだ。
そんななか、照光堤という堤の大工事があったそうで、その工事の助成金をひねり出すために岩谷堂町は修行塚のある一帯を払い下げる事にした。
一体いくらで、誰が買い取ったのかは定かではないが、戦後すぐの昭和20年頃にはその七町二反三畝十歩にもなる土地は歌読部落民34名の共有地になっており、草刈り場として厳密に管理されていたようだ。
その昭和20年10月、修行塚の草刈り場を開墾したいので売って欲しいというものが現れた。残念ながら資料にはその者の名前は忘れたとの事で記載されていないが、共有者達は協議の結果当時の金額で4万円で売却することになった。
土地の価値というものは時代によって大きく変わるので一概には言えないが、昭和20年当時の米価は10キロで約6円、現在がだいたい3600円ぐらいと考えると、当時の4万円は今の2400万ぐらいになるだろうか。2万1千坪近くの土地がこれだと現在の感覚からすれば安く感じられる。
その2年後修行塚の開墾は失敗したらしく、買い戻してくれないかとの相談を部落民たちは受けている。これも協議の結果、部落民38名の共有ということで5万5千円で買い戻している。
4万円で売って5万5千円で買い戻すとは、傍目に見ると損をしているとしか思えない。だが、昭和22年には物価は一気に上昇しており、米価は149.6円と2年前の約25倍に跳ね上がっている事を考えると、5万5千円は今の金額に換算すれば132万円と大変リーズナブルな価格になっているわけだが、山間の農村では現金収入の路はそうそうないのであろう、共有者の中には農協から借金をした者もいたと資料には書いてある。当時の当事者も損をしたと思ったのではないだろうか。
こうして一度部落の手を離れた後再び帰ってきた修行塚だが、再度売却の話が浮上する。
昭和28年、今度は岩谷堂の小田島林業から160万円という価格が提示される。6年前に5万5千円だった土地が160万円になる、ということで共有者には反対するものは誰もいなく、提示された額で売却されたという。
ちなみに、昭和28年の160万円を今の価格に直すと大体847万円になる。
額面のみの金額でみた場合、修行塚の価格の変遷は
4万円→5万5千円→160万円になる。
一方、各年の米価を基準にして現在の価格に直した場合、
2400万円→132万円→847万円となる。
僕の祖父も共有者の一員だったのだが、この取引はおいしいものに感じられただろうか。
盆の墓参りで母方の実家を訪ねた際、実家のある江刺市歌読地区の郷土資料編纂誌「ふるさと
歌読」を読む事が出来た。
これが読んでみると面白い。
歌読地区は、江刺市岩谷堂地区の中でも字歌読・字袖山・字菖蒲沢の3地区、現在でも人口200人足らずの山間の過疎地域にある。
そのためか、郷土史に書かれた内容が実にローカルで各戸に密着した内容であり、例えば公民館建設の際にどの家が何円寄付をしたかの記録や、家ごとに電灯が導入された順番すら残している。
僕の祖父を含めた編纂委員各人の力の入れ様が良く分かると同時に、生臭いくらいに歌読の暮らしとはどういうものであったかが分かる実に良い郷土資料になっている。
どの項も面白いのだが、今回はその中から歌読地区に伝わる昔話を一つ紹介しようと思う。
タイトルは「修行塚の伝説」。
歌読部落字袖山と字菖蒲沢と山頂嶺界するところに修行塚という小高い山あり昔此の地に一人の修行者来たりて地方人相手に碁を打って居た。誰が相手になっても負ける。誰一人としてこの修行者に勝てるものは無かった。
この事を聞きつけた口内の城主も又、碁打ちにかけては近在では負けたことのない負けず嫌いの天狗であった。よし俺が負かしてやるとやって来た。さてこの勝負……名もなき修行者と口内城の殿様と云う取組みでどちらも絶対負けないと云い張り、さては生命をかけると云い出した。パチリパチリと打ち出して一命をとしての火の出る様な戦いとなった。
しばし熱戦のあげく修行者の負けとなった。口内城主は勝ったので相手を生き埋めにする事になり武士の情けとあって干し柿一連百個を興へた一日一ヶづつ食へば百日生きられるとして山の上に埋めたそうだ。
そこが修行塚である以後口内の城主は伊達登城の節、此の地通過にあたっては必ず弓に矢をつがへ鉄砲には弾丸を込めて修行塚に向けて通ったと云われて居る。
大正代昭和初期には雨の降らない時期にはこの山頂に部落の人たちは各蕎麦を持ち寄り火をたき雨乞いをした事を思い出す。
及川留蔵氏の話より。
昭和43年2月10日
以上原文ママ。口内とは、北上市の一地方。
すげえ話だよね。殿様と謎の修行者が囲碁で命を賭けたデュエルをしたってのも凄いし、普通の昔話や御伽噺だったら修行者の方が勝って殿様をこらしめるとかそういう流れなのに、勝者は殿様で負けた修行者は有無を言わさず死あるのみ。それも生き埋めで。もっと楽に殺してやれよ。
一緒に干し柿を埋めて武士の情けだから食って生き延びろ、つうのも凄い。なんつうか情けになってねえ。
後日談も、修行塚を通るたびに口内城主は武装したという事は祟られると思っていたのだろう。なんとも後味が悪い。
そして、この伝説と雨乞いのつながり、それも蕎麦を持ち寄る理由がさっぱり分からない大正から昭和初期にかけての風習が俺を困惑させる。どこをどうすればそこからそうなるんだ。
地方史は奥が深い。
うちの日本語教室はいつもてんてこ舞いなわけなんですが、今日はいつもに輪をかけててんてこ舞いでした。
いきなり新入生が10人って。
正確に数えると7人で3人は数ヶ月ほど来てないだけだけど、実質問題としては新入生みたいなもの。
で、その10人は国籍・年齢・性別は勿論、日本語力もバラバラだったりするわけで。
普段でも生徒・先生共に仕事などの都合で欠席する事が多く、その都度クラス編成を微調整しているのだけれど、今日はその比ではない。
緊急ミーティングを開いて話し合う事に。
今日は運がいいことに先生は9人とアスピア日本語教室オールスターとでも言えそうなほど出席率は高かったけれど、それでも30人オーバーをさばくのは並大抵の事ではない。
喧喧諤諤というよりは爆弾リレーをやっているような感じで生徒を押し付けあってミーティングが終わったのが7時40分。
新入生と既にいる生徒の挨拶と自己紹介が終わってからのミーティングだったから、ミーティング自体は15分ぐらいだったろうか。
今日の自分の生徒はブラジルからの留学生と中国から来た中学生の2人になった。どちらもここに来るのは初めてだ。
何故この2人になったのかと言えば、自己紹介のときに聞いた語気だけで同程度の日本語力があるだろうと判断されたためだ。
実際にヒアリングしてみるとブラジルの女の子は今年から日本語を勉強し始めたと言うし、中国の男の子は去年の11月に日本に来たと言うから経験値的には同じぐらいなのだろう。なかなかどうして勘というのは働くものだ。
しかし学習の総量と言う点では同程度と思われる二人でも、教科書をベースに考えるとなると話は違ってくる。そしてそれ以上に個人の個性が大きく影響してくる。
教える側としては「分かった」「分かります」「大丈夫」と言われるよりは「分からない」と言われる方が楽な時がある。どの程度の日本語力があり、テキストでは第何課から始めるべきかを見極めるときには特にそうだ。
やり方としては各課の例文を読んでみて理解しているかどうかを聞くのだが、「分かりますか?」と聞くと「分かります」と答えるという間抜けなやり取りを繰り返す方法を取ると、どこまでも「分かります」と答え続ける人がいるのが問題だ。
今日はbecauseの意味の方の「から」を使った例文で片方がひっかかったのでそこから学習する事にした。もう一人は「わかります」と言っていた。
ところが、ふたを開けてみれば2人とも分かってなかった。
例題を解かせてみても答えられず、その段で初めて「わかりません」。
分からない所を理解してもらったので結果としては良いのだが、これがもし2人ではなく1対1での授業だったら何も考えずに飛ばしていたと思うと恐ろしい。
わからないところはわかんないって言ってねと普段から言ってるつもりだが、今日は2人ともこの教室は初めてで自分は今日は言ってなかったような気もするのでとりあえずはいいが、これから先がどうなるかを考えるとちょっと気が重くなる。
さらに気が重くなる事がある。
俺は多分彼らの先生をするのは今日だけだ。今日は普段受け持っているニュージーランド人の生徒が仕事の都合で休んだために受け持つ事が出来たが、来週は確実に彼女が教室に来るのでスジとしては長い間見ている方をとりたい。
先生が固定された方が学習の効率は高くなる。それを考えれば俺は彼らをコンスタントに見ることは出来ない。
誰か他の先生に引き継ぎたいが、来週も今日と同じぐらい、もしかしたらそれ以上の状況となるだろうし、どうなるか全く分からない。今後も混乱が続くと思う。
学習したてで先生がコロコロ変わるのは良い事ではない。だがそうならざるを得ない状況がある。
話してみるといい子達だからなんとかならんかな、とは思うんだけど。
政治とスポーツは区別しろ、というのは正論過ぎてその通りとしか言えない。
政治と新興宗教を区別できない国からのメッセージとは思えないほどの正論だ。
政治と選挙すら区別する若者の多い国は進んでるね。
パンダコパンダはエロい、ということは既に国民の総意であるように思える程に暑さで脳がゆだってる佐藤ですがごきげんよう、皆様。
どうエロいかという話ですと、主人公のミミちゃんがことあるごとに逆立ちしてパンモロってのは実はどうでもいいんですよ。
むしろ、ミミちゃんのところにパンダの親子(もちろん、これは父親パンダは宮崎駿先生のはちきれんばかりに膨れ上がったどす黒い欲望を投影したものであり、子パンダは宮崎先生の童心と言う皮をかぶった本能的な欲望の投影であると解釈するのが当然である)がやって来ると、ミミちゃんは父親パンダの娘になり、それと同時に子パンダの母親になるという実にアモラルな人間関係を作品開始5分で築き上げるところが実にエロいと思うのですよ。
しかもそんな関係を構築しようと提案するのはミミちゃん自身の口からというのが、脚本を担当した宮崎先生のエセ聖人君子ぶりというかオタクの都合のいい受け身性を感じられて実にいいですよね。間違い電話をかけたら女神様がデリバリーされてきたとか、そういうレベル。
まあ要するにパンダコパンダはエロい訳なんですが、良く考えると宮崎アニメでエロくない作品って無いよなぁ。
スピリッツに連載されている江川達也先生の「日露戦争物語」がいつも雑誌の最後に載っているのは、単にアンケートが悪いというジャンプ的な理由からなのか、楳図かずお先生の「14歳」のように編集から許された存在だからなのか、良くわからない。
6日ほど書かない間に、胆沢町のフィリピン人の方のお宅でのハロハロパーティーに出席したり、オランダから来ていた生徒が国に帰るんでさよならパーティーを日本語教室で催したり、登校途中の北上駅の改札で自分の前の女がキセルがバレてダッシュで逃げていくのを目撃したり、スクールバスが俺と千葉くん(一回の食事でメシを三合食べるのに俺より体重の軽い)を置き去りにして走り去っていくのを目撃したり、みちのくプロレス水沢大会では演歌は気仙沼二郎だけかと思ったら休憩時間のゲストで中津川ゆりが「ロマン街道
道の駅」をテープをバックに熱唱していたり、色々ありましたよ。
SSMはつぼ原人に骨ではたかれるし。
北海珍念はいつの間にか引退してるし。
藤田ミノルは「正々堂々と3対2で金網マッチしようぜ!」とかナイスな発言するし。もちろん藤田側が3人。
来年もプリキュア続投らしいし。
色々あったなあ。明日から夏休みだし。
学校帰りの寄り道ついでに水沢公園を通り抜けたときのこと。
身長は130センチといったところか、小学校中学年ぐらいだろうと思われる女の子が花壇の淵にいた。
両手を広げてバランスを取りながら花壇の淵を揺れながら歩き、
「あぁ〜〜 おぅぉ〜〜」
と腹の底から出したような大きい声をあげていた。
あ、これはかわいそうな子なのかな。
平日の夕方前という時間を考えればランドセルやカバンの類を身に付けず、近くにもそのようなものが無いのはやや不自然であるし、目の前の奇態を見ていればそう思えてくる。
声は出し続けたまま、花壇の淵を端まで歩くと片足立ちでターンをし、またふらふら歩き出すが時々バランスを崩して膝を曲げる様子を少し危なげだなと軽く心配しながら眺めた。
この子は将来どうなるんだろうかな。10年経っても言葉にならない言葉を挙げ続けてるのかな。それとも周りから遅れはするけれどお姉さんに成長するのかな。顔立ちは整っているからそのうち男が近づいてくるのかな。だまされないかな。
そんなことを考えながらやや遠くから眺めた。ちょっと悲しくなった。
立ち止まったのは数分だろうか、何回目かのターンが終わると女の子は小さくジャンプして花壇から降り、両手を下げて
「オペラごっこ、おわり!」
と通った声で言うとたったったと駆けて行った。
……彼女は天才だ!
と思った。
そっくりさんぽぽちゃんって大丈夫なのかなぁ。
まあ、今の法律では不敬罪とかはないし、不敬といったらもっと酷いので金取ってるは世の中山ほどあるわけだし。
基本的には駄菓子屋の隅のパチモンキャラとか3Dポリゴンゲームのキャラがどうみてもあの人だとか、そういうそっくりさんだけど誰のそっくりさんなのかは口が裂けても言えない種類の商品と同列のものなだけなんだけどね。
間違いなくこの人形を作ってる側はやんごとなきお方をイメージしていて、顧客もそれをイメージしてこれを買うはずなんだよな。あら、かわいいとか言いながらさ。
数量限定とうたっているから、メーカー側はある程度はヤバげなことをしている自意識があった上で売り逃げを目論んでいると思うし、限定と言う言葉に惹かれて買うレアもの好きもいるんだろうな。
ただなぁ、俺が引っかかるのは対象が幼児であるってことなんだよな。
皇室がどうとかはとりあえずどうでもいいんだ。
問題は2歳ちょっとの実在する幼児をタネに商売する奴がいるってことだ。
人格すらはっきり形成されておらず自分の置かれている環境に対する理解がおそらく完全にはなされていない子供の肖像権が常に脅かされていることが俺には釈然としない。
天皇は国民の象徴であることになっている。
実的イメージとしては戦前ならば天皇を家父長とし国民を子供と見る巨大な仮想家族が日本という国の国体であったのだと思う。現代ではそのようなイメージでは天皇を捉える事は出来ないが、その代わりに皇族を理想的家庭の一つとしてテレビなどは認知させ、国民向け象徴として機能させていた様に俺には思える。
その流れで行けば、内親王愛子様は皇太子と皇太子妃の間の子供というだけではなく国民全体の子供でもあるという見方も出来る。
国民各自自身の子供だと言えば違和感を感じるが、親戚や知り合いの子供ぐらいには親しみを感じる位置にあるのが愛子様だろう。
ならば愛子様の姿に似せた人形を所持する事はそんなに不自然な事ではないのかもしれない。
だが、それをしてもいいものなのだろうか。
彼女は皇族ではあるがその前に子供である。
特撮マニアの間では割と有名な話だが、皇太子が初めてお金を使って買った本は大伴昌司・編「怪獣大図鑑」である。
このエピソードそのものは特撮好きの俺としては好感が持てる非常に良い話なのだが、それを未だに覚えていて話題にする奴がいることを40過ぎの皇太子はどう思うのだろう。
もちろんどうとも思わないかもしれないし、思う事すらないかもしれないだろう。
この件も何事もなく過ぎていくだけのことかもしれないし、ひょっとしたら数年後もしくは数ヵ月後に民放の皇室スペシャルで軽く取り上げられておしまいの話なのかもしれない。
ただ、当人にとってどうなのであろうか、ということを考えていたらそっくりさんぽぽちゃんは世に出ていないと俺は思うなぁ。
人生何事もチャレンジとは言っても中国人とオーストリア人とハンガリー人を一緒に受け持つのはちょっとチャレンジャブル過ぎたかも。
いつもだったらオーストリア人とハンガリー人の夫婦は別の先生が受け持っているのだけども、今日は生憎休みで、中国人の女性は日本に来てまだ日が浅く、教室では人手不足のために担当の先生が決まっておらず、たまたま今日俺の担当の生徒(胆沢町の英語教師)が職場の飲み会があるので休んだために3人まとめて俺が見ることになったのだ。
初級でもある程度教科書が進んでいれば日本語のみで授業を進めるのも無理じゃないが、第3課の時点ではつらい。
怪しくてかなりブロークンなイングリッシュと、勢いとジェスチャーだけで押し切ろうとする筆談を同時に駆使するのは無理がある。
大体、母語が違うと疑問を持つところや引っかかるところが全然違ってくるから、片方が分かりきってる質問をもう片方がして、それに俺が応えてる間は分かってる方は時間を持て余す、なんてことがある。
しかも、そんな質問が母語を同じにするクラスの倍は出てくるんだから労力のわりに授業は大して進まない。
更に、授業の進行を遅く煩雑にさせる要因がさらに2つあった。
一つは経験。
俺の経験値の問題ももちろんあるのだが、生徒の方に異なる言語圏の生徒と一緒に授業を受けた経験が無く、どう振舞っていいか分からず、とりあえずいままでマンツーマンなり夫婦と先生のみで進行してきた時のやりかたで進めようとして、教科書を音読する順番を指名しても無視して次の例文も読み上げだし、そのたびに俺が止めることも。
もう一つはペース。
こう言ってはなんだが、日本語学習に向いてる人と向いてない人がいる。もう少し柔らかく言えば早く日本語を習得する人とゆっくり習得する人がいるということ。出来る人と出来ない人が一緒のクラスになるとどうなるかというと、まず空気が悪くなる。例題とかを必死で解いてる横でページをパラパラめくって先の練習問題にスラスラ答えを書き込んでいるのってイヤでしょ。
俺はちょっとイヤなんだけどさ。
生徒同士で気にしてなかったらいいんだが、そうでなかったらと思うとつらいな。生徒といっても大人だからこのくらいでどうこう、ってことはないけど俺はどうしても気になってしまう。
今日の授業はそういうわけで大変だった。
あんまりにも俺は疲れたし、生徒も一人だけ知恵熱出しそうなほど難儀していて、授業の終わりには「you
studied harder. よくがんばった!お疲れ様!」と俺は彼に握手を求めていた。お互い大変だったなぁという意味で。
そうしたら「ありがとうございます。I want to
study Japanese more!」と返された。
いや、俺は今日はもうやりたくねえよ。
もう投票時間も終わったんで書いてもいいかと思うんだが、今回の選挙でもっとも俺が注目していたのは社民党候補の竹花邦彦氏の不安定な頭髪だった。
テレビのニュースが一番面白かったのだが、新聞やネットから竹花画像をいくつか採取して並べてみたので、それで面白さがわかってもらえればと思う。
まず、選挙公報と新聞広告に載っているこれら
がもっとも写真写りが良いものだろう。これを基準と考える。
そこから八二分けの起点が後退しているように見えるのが
この二つ。右のものは今ではなく前に撮られたものだと思うのだが、テレビ岩手の芝柳二郎アナウンサーに似ている。
また、頭髪が枝分かれする
こういうパターンもある。左の写真をとる際にはカメラマンは何か一言いわなかったのだろうか。
選挙報道では候補者の動向や政策などにどうしても注目してしまうことが多いが、その中で意図する形では無かったとしても一部の選挙民、というか俺一人をバラエティ溢れる姿で楽しませてくれた竹花氏には感謝したい。
そして選挙活動お疲れさまでした。
ちなみに、この写真が一番竹花氏のパブリックイメージから離れているように見える。だがいい笑顔だ。
先日、選挙戦最後のお願いというわけで地元水沢に小沢一郎が主浜りょうの応援演説をしにきたのですよ。
田中康夫長野県知事を引き連れて。
不支持率日本一の知事に応援されてもなんだかなぁ。
TBSでやってた、曽我さんがジャカルタで家族で再会する2時間スペシャルを見ていたわけですよ。
母親と。ポップコーンつまんでコカコーラのC2飲んで。
再会っつっても予定されたセレモニーでしかなくて、それのみでは何も変わらないっつーか意味も無いっつーか録画を編集して1分で済ませられる内容なんだから、流す方も見る方も無駄だよなー、とか思いながら
「こんなん流したらそのすぐ後のキンスマの波瀾万丈は誰が出てきてもつまんないだろーなー」とか母親と話したり。
うちのママンはキンスマとテレビのチカラが大好きな人です。あと細木和子も。
それでも何か、サプライズがあるんじゃないかとぼんやりした空港の風景を見続けたわけでして。
チャンネルを変えるとNHKと教育はともかく他はバレーにサッカーとニッポンニッポンうるさいし、Mステ好きじゃないし。じゃあこれしか見るもん無いな、ってことで。
結局、僕らが目の当たりにしたサプライズはジジイとオバハンの濃厚なキスシーンをリピートで何十回と見せつけられたのが表で、裏としてはTBSのアナが横田夫妻に「拉致問題は曽我さんが家族と再会したことで終わりでしょうか?」と、答えはわかりきっている上に、それ以前の問題としてわきまえろと言いたくなる趣旨の質問をぶつけていた事だろうか。
僕も母もTBSアナの質問のその瞬間には「察しろよ!」と声を上げて全力でTVにツッこんでしまった。
娘が誘拐された人が他人の家族は帰ってきているのを見ておいて、娘は帰ってこないし諦めます、なんて事言えるかよ。このバカチンが。
突発的であり自分は持続しなかったが、このとき感じた怒り(自分自身は日本国民というゆるーい共同幻想を強固に信奉しなくしては当事者たりえないのだから、この怒りはおそらく不当である)混じりの高揚感には気持ちいいものを感じた。
あー、これか、ぷちナショナリズムとかそういうものって。
なんだかんだ言って拉致家族にけっこう感情移入してたんだなぁ。
意味も無くヒートアップした俺をクールダウンさせたのは、女子アナが番組に出ていた識者からの今後も姿勢を崩さずにどうこう、って話をまとめて「みんなの気持ちをひとつにしなければなりませんね」とぬかしたこと。
んーと、それは思想統制とかそういう方向でFA?
少なくとも言論と思想の自由を建前としても掲げてる国で他者の意志に何かを強制するようなことはまずいだろ。
生放送っていいよなぁ。実にスリリングだ。
ツッコミを忘れるぐらい唖然とさせてくれてなんぼだよ、テレビは。
現実に向き合うのも大変な事なんだけど、現実に人の目を向かせるのはもっと大変だなぁ。
向いてるつもりで現実に当たったら思った以上にヘコむし。
しりあがり寿の「真夜中の弥次さん喜多さん」で遺伝子をも断ち切る名剣エクスカリバーなんてのが出てくるけど、どっかにないかね、法的に血縁を断ち切る妖刀マサムネとか、そういうの。
1親等切りてー。
ぼんくらの町、水沢は中上野町に新しい観光スポットが!
その名も中上野カントリークラブ。
全1コース、全長計5ヤードの本格派とはとてもいえないゴルフ場だ。
写真ではちょっと見づらいが写真の奥の方にめんつゆのペットボトルを切ったものを埋めたカップがある。
クラブの目玉となる第1ホール、通称”左巻き”はグリーンだかラフだかさっぱりわからない芝の生え具合で、どんなパットも見えない力でも働いているかのように左のブッシュへ引き込む。ちなみにパー3だ。
クラブ開設の際に300円もの大金を設備投資した関係でオーナー(27歳。当ページ管理人の実兄)から中上野CCの最初のゴルフ会員権を手に入れた佐藤良寛さん(25歳。学生)は
「いやー、楽しいっすねー。球転がし。たかが6メートル程度なのに一日中打っても一回もホールインワンしない芝目のクソっぷりがゴルフとは違うスポーツをしているような気にさせられてたまんないッスね。」
と語る。
今日、日曜日にはたまたま通りがかった秋田在住H君(25歳。社会人)を無理矢理引きずり込んでオーナー、第1号会員、H君の3人で1番ホールを18回回るコンペも行われた。
炎天下のなかでの試合だったが、レストハウス(兼自宅)がコースから歩いて20秒の位置にあり、コースを回っても体力の消耗などは全く無く3人とも皆快適にプレイできたようだ。
今年の夏は中上野がアツい!
就職活動の関係で東京に出る用事が出来たので、そのついでに鬼うさ姐さんと久しぶりに会うことに。
今回は行きも帰りも夜行バスを利用する事にした。バスの座席で眠るのはとても快適とは言えないものだが、眠れない事は無い。
会社説明会に参加するため東京都は千代田区に行ってきたんだが、東京駅を眺めて「おお、ダイレンジャー……」と思うと同時に駅前の公園じみた広場の汚さが目についた。タイルの間から雑草は伸び放題、池は水が循環していないのか緑色に淀みビニールがここかしこに浮いている。植木も手入れがされていなく半分近く枯れているものもある。
なんだこれは。
そこから少し前に進めば丸ビルをはじめ高層ビルが立ち並びその先には皇居もある。そこは綺麗なものなのに、ここだけこうも荒れるとはどういうことだ。大人の膝より上ぐらいにまで雑草が伸びるほど放置されているというのは、今が6月で植物が生長しやすい時期だと考えたとしても一ヶ月単位での清掃や管理すらされていないのではないのか。
管理管轄がどこにあるのかはよく知らんが、自分が思うに東京都千代田区1丁目という所は町内会が機能していないのではないのだろうか。あるかどうかもわからんが。
普通のまっとうな人が住む地域だったら必ずキレイ好きでヒマなおばさんが複数いて週1ぐらいのペースで清掃活動しているものだろうに。
東京というのは実にロクでもないところだと思った。
正午前に説明会は終わり、丸ビル地下のトイレで背広からジーンズに着替えたあと地下鉄で池袋へ。
池袋に行くのは初めてで、待ち合わせの時間よりもやや早めにいけふくろうの近くで立っていると、やたらに恰幅のいい黒人がこっちを見ている。10分ぐらいこちらを見続けた後、その黒人は立ち去っていったがあれはなんだったのだろう。東京は怖いなあ、と田舎物らしい所感を抱いていると鬼姐がやってきた。
相変わらずチャーミングな人だなあ、と思っても口には出さずにマックで軽く昼食。マックにしようと自分から言い出した口で、藤田商会のえげつない商法やマックの各商品の栄養バランスのおかしさについて一方的に語り、鬼姐の食欲を萎えさせようとしてみた。
それからさあどうしよう、とりあえずカラオケでも。とりあえず5時間で。と、どこがとりあえずなのかよく解らない選択をして適当に目に付いたカラオケ店へ。案内された部屋番号は403。not
foundってか。どういうカラオケだったかは鬼姐の日記をみるよろし。
散々歌ってのども渇いたのでドトールでお茶。歌いすぎで脳が軽く酸欠状態で、お茶しながらの会話というよりはネタ出しになっていた。
鬼姐がひねりも何も無いストレートなセクハラメールを貰うことがあるという話を聞いて、じゃあそのメールを送る人に鬼姐は特殊な性癖の持ち主だよと伝えてからかったらどうだろう、ということでウソ性癖をその場でいくつか考えて話した。
「万引きした日しかセックスしない」とか微妙にリアルなものが思いついたあたりでドトールを出、夕食どこにしよう、と池袋の町を歩く。
既に日は落ちていて、かれこれ12時間以上靴を履きっぱなしなので、いいかげん脱ぎたくなり座敷のある店を探していると丁度よくというか居酒屋の客引きが来たのでそれについていった。
居酒屋では酒を一滴も飲むことなく自分は焼きおにぎり、鬼姐は雑炊をメインに揚げ物などを食べながらダラダラと突っ込んだ話をした。
とりあえず結論が出た話題としては「大麻の自宅栽培はカスピ海ヨーグルトみたいなものでダサそうなので止めよう」ぐらいしかないほどのだらけた会話だった。
グダグダしていたら時計も進み、少しバスの時間に余裕を持って出ようかと10時に会計。
変なところで意地があるようで、俺も鬼姐も会計で自分が支払をしようとする。
今回は俺の勝ちで、一瞬早く財布から千円札二枚と百円玉をレジのトレイに叩きつけた。
勝者には支払い金額の半額が敗者から賞金として授与される。要するにワリカンだね。
少し道に迷うところもあったが、店を出て二人でバス停留所へ。バスが来たので挨拶もそこそこにすぐに乗り込むが出発までは少し時間があり、車内の窓から停留所を見ると鬼姐がまだ帰ることなく立っていた。走り出すまで見送るつもりのようだ。
すぐにお互いに気づいたので、身振りで銃撃や吹き矢の真似事、あっちむいてホイなどをしてみた。
あぁ、楽しそうにこんなことが出来る女はモテて当然だわ。
帰りのバスの車内では鬼姐がヴァイパーくんからのお土産としてもらった「天才料理少年
味の助」を読む。まごうことなき汁マンガである。
汗をかいていたために座席は寝苦しく、浅い眠りを何回か繰り返した後、水沢駅前の停留所についた。
駅前には朝5時にもかかわらず10人以上の主婦らしき人たちが鉄箸とビニール袋を手に清掃活動をしていた。
これはこれで目の当たりにするとちょっと怖い。
良く行く古本屋がある、というか市内の古本屋はどこも良く行くので、そのうちの一つの話だ。
文庫のコーナーの書架の一つが丸々全て赤川次郎の作品で占められている。
都市部や売り場面積の大きな店であれば新刊でもそういうことがあるかもしれないが、人口6万の地方都市でこういうことは中々珍しい。
これを売っていかねばならないというか、すでにこれだけ並んでいる時点で負け戦だなあ、などと店の人の苦労を考えながら、この赤川次郎の詰まった棚を心の中で「赤壁」と呼んでいた。
そんな古本屋に今日は行ってみたのだが、久方ぶりに漫画ではなく文庫コーナーをじっくり見ていたら気づいてしまった。
赤壁が伸びている……
誰かがこの店に、というか水沢市民が赤川次郎を古本屋に売りに来ている、ということはその前段階として水沢市民が赤川次郎を買って読んでいるのかと考えると暗澹とした気分になるが、それはともかく赤川次郎が一つの書架に納まらず、隣の書架の半分近くまで占めていた。
これはもう、なんというか壁どころではない。
赤壁は状態を形容するために思いついた言葉だが、それとは別に増えゆく赤川次郎という現象を形容する言葉が必要だ。
そう、小学校の社会科で公害と並んで教えられたあの自然現象のようではないか。
これは赤潮だ。
教科書風に言うならば、「赤潮の主成分の赤川次郎は本来古書店の餌であるが、増えすぎる事により本棚を詰まらせ古書店を死に追いやる事がある。」ということか。
創作昔話「はだの王様」
むかし、水沢に王様がいました。
ある日王様は民に自分の姿を見せびらかすため、仕立屋に最高の服を作らせました。
すると、仕立屋は何も持たずにやってきて、そこに服があるようなそぶりをしながら
「王様、これはバカには見えない服でございます」
と、うやうやしく何も乗せていない手を差し出しました。
王様は服が見えませんでしたが、見えないといえば自分はバカにされると思い、仕立屋が出した手の上の空を掴むと
「おお、なんとすばらしい服だろうか。わしはこれを着て民の前に出よう」
と言い、仕立屋に褒美を与えました。
次の日、王様は仕立屋の服を着て、つまり裸になって水沢市街に出ました。
「バカには見えない服だぞー!バカには見えない服だぞー!」
民たちは怪訝な顔をしましたが、王様が歩いているので褒め称えました。
王様が気分良く歩いていると、男の子が一人王様を指差して言いました。
「王様は羽田だ!」
王様は驚きました。「王様は裸だ!」と言われたと思ったからです。
「何を言うんだい坊や、これはバカには見えない服なんだよ」
王様は男の子を諭そうとしますが、男の子は言っても聞きません。
「王様は羽田だ!羽田住民なんだ!」
そうです、王様が裸だとかそんなことはどうでもいいのです。
男の子は王様が中心街から外れていて、田んぼばかりでロクに店も無く、見晴らしがいいくせにテレビ映りの悪い羽田に住んでいる事を指摘したのです。
これを聞いて大人達も笑いはじめました。水沢地区はもちろん、南地区や常盤、佐倉河に真城に姉体地区の住民までもが
「王様は羽田だ、王様は羽田だ」
と大きな声で笑いましたとさ。
そして、その様子を遠くから眺めていた黒石の住人が王様をからかうために裸になってかけっこをしたことが後の蘇民際のはじまりなのです。
今日の俺は非常に悩んでいた。
常日頃、学食に行っては150円のおにぎりしか注文しない熱烈なオニギリストのこの俺が、おにぎり以外のものを食べたくなったのだ。
考える事はいくつかあった。
大きなものとしては一つに、感情のままに動いておにぎり以外を食べるべきなのか?ということ。二つに、では何を注文すべきなのか?だ。
様々な思いが脳裏を逡巡し、その過程は深遠でありちょっとした哲学にも近づこうかというものだったが、それを記する事がこのページの目的ではないので省く。
結論としては俺は470円のカツ丼の食券を買うことになった。
これは自分としては限りなくベストに近いチョイスであったし、後悔する様なことは無かったように思う。
しかし、世の無常とはここまでのものなのかと思い打ちひしがれるのは、学食のカウンターにカツ丼の食券の半券を差し出し、学食の従業員に注文を受けてもらった後の3秒後の事である。
半券を出した自分の左側をふとみると、カウンターには今日の日替わり定食のサンプルと、献立を書いた小さなホワイトボードがあった。
「みそカツ丼 みそ汁 カニ玉 サラダ バナナ 450円」
嗚呼、何と言う事だ……
最悪のタイミングだった。
食べたいメニューとほぼ変わらない品+αが20円も安く手に入るというこの事実を、食券を買う前に知っていたならば間違いなく俺は日替わり定食に乗り換えていただろう。これがおそらく最良のパターンだ。
次善のものとしては食券を買ったとしても注文しなければ払いもどしは出来ないものかと学食と交渉もできただろう。
又、食後に知った場合ならば、自分が失敗したことが分かっても満腹感も手伝って、せいぜい「みそカツなんてダメだよ、邪道だね」ぐらいのイソップ童話のキツネような態度を取るぐらいで済ませられただろう。それに、そんなことを露とも知らずに食べるカツ丼はうまかろう。
そうではないのだ、自分の選択の失敗を理解したうえで食べるのだ。
こうも屈辱的な昼食があるだろうか。この結果には他者の介入する余地は全く無かった。すなわち100%自己責任なのだ。
こんな思いで食べるカツ丼が美味しく感じられるわけが無い。
コショウが効きすぎているカツ丼と、豆腐が粉々に崩れたみそ汁のみ(ウチの大学の学食では丼物に香の物はつかない)を無表情で口に運び、ただ心情を顔に出さない事のみを考えて食事を終えた。
季節の変わり目のせいなのか、生来からの不治の病であったはずの馬鹿が治りかけてきているのか、風邪気味の今日この頃。
朝起きるとのどが熱い。
のどがひどく乾いたものだと勘違いして、とうとう俺にも糖尿病の諸症状が出始めてきたのか、と無駄な悲歎にくれながら布団を出る。
とりあえず何杯か水を飲むが乾き(のように思える熱さ)は収まらず、これはもしやのどが腫れたか、と思い直し塩水でうがいをすると症状が緩和された。
ああ、よかった。糖尿じゃなくて。
4月に行った大学の健康診断では尿検査で糖尿のケは無い事になっているが、90キロ超で運動不足の人間としては常に油断は禁物だ。
症状としては頭熱も無いし、吐き気も寒気も下痢も無い、非常に軽い風邪なんだが、鼻が出て困る。
世の中にどれだけの割合でいるのかも良く解らないし、もしかしたら皆がそうなのかも知れないのだが、俺の鼻は常に片方の穴しか機能していない。右が通るときは左が閉じ、左が通るときは右が閉じている。大体3〜5時間ぐらいの間隔で通る鼻の穴が交代している。
あまり記憶は定かではないが昔読んだ時代小説で、主人公の母が目隠しされながら籠で誘拐されるシーンがあったのだが、その母が俺と同じような鼻の持ち主で、鼻の交代から自分がどれくらいの時間を運ばれたかを推察するくだりがあった。
小説に出てきた母は自分の鼻について確かな情報を持っていたのだが、俺は自分の鼻がいつ交代するのかが未だに良く解らない。呼吸というものは長い時間意識してするものではなく無意識的に行われるものだから、気づいたら交代しているのだ。
片方しか通らなくても呼吸は何の問題も無く行えるし、目隠しされてどこかへ誘拐される予定も無いので、鼻の交代時間を知らない事は別段重大な事ではないのだが、鼻が詰まるとなると話が違ってくる。
鼻水が出ないのだ、片方からしか。その片方から全部の鼻水が出るのならまだいい。
恐ろしい事に、鼻腔の奥で閉じた穴の向こうで鼻水が溜められるのだ。
この感覚が分かるだろうか。目と鼻の間に何とも言えない微妙な重さがあるのだ。
片方はチリ紙でチーンとかめばすぐに通る。しかしもう片方はそうはいかない。
閉じているといっても100%締め切られているというわけでもないので、空いてる方を手で押して閉じ、力を込めて鼻息を吹きだせば息も通るし鼻水も出ないわけではないが、その排気量は少ないし、何よりも鼻が痛くなる。
出したいものが出せない、出し切った快感をすでに体験している、となればフラストレーションが溜まらないわけがない。
いつになればこの鼻は開くのだ、このもどかしい思いをあと何時間我慢すればよいのか、自分の肉体に対する知識不足にこれほどいらだつ事も無い。
鼻が詰まるたびに自分の鼻の動向の記録を取ろうと強く思うのだが、鼻が通るとその思いはどこかへ忘れ去られてしまう。
ああ、自分が憎らしい。
今日は日本語教室のあった日なんですが、そこに行く途中の事。
飲み物を買うついでに腹も減っていたのでなにか軽く買っていこう、と思い立ち近所のコンビニ然とした酒屋へ。
ペットボトルのお茶と一緒にサケのおにぎりをレジに出す。店番のばあさんが商品を掴んで目の前まで持ってきては震える指でレジに値段を打ち込むのだが、おにぎりをじっと見つめると急にレジから回りこんで店内に出てきてパン売り場をあさり始めた。
なにが起きているのか事態が良く飲み込めず、ばあさんの動きを見ていると、売り場から持ってきた卵サンドと、レジに置いたボトルとおにぎりを一緒のビニール袋へ入れている。
「ごめんねぇー。おにぎり期限切れてるわぁー。」
「申し訳ないけど、貰ってちょうだい。このパンも切れてるから。」
「お金はお茶の分だけね。」
どういうことだ。見るとおにぎりは5月の31日が賞味期限になっている。今は1日の夜7時前だぞ、もっと早く気づけ。
「あたしは体が丈夫で、よく店の切れたもの食べてるから、大丈夫?」
なぜ疑問形になる。俺が大丈夫か、という話ならばばあさんの体が丈夫であるという前提は関係が無いし、ばあさんが期限切れの物を食うことに関してならば俺は特に言える事は無い。
それでも、1日ぐらい過ぎてもたいしたことは無いよな、と思ってしまう俺は
「イヤ、こんな気を使ってもらって申し訳ありません。ありがたくいただきます」
と言いながらお茶代の137円のみの会計を済ませて店を出た。
結局、時間の関係で買ったというか貰ったパンとおにぎりは教室で食べることはなく、9時半過ぎに帰ってきた家で食べたのだが、パンの方の賞味期限は今日の日付だった。
ばあさんがボケていて期限が切れているものと勘違いしてこのパンを選んだのか、俺が受け取りやすいようにわざと期限切れの商品価値の無いものだと言ったのか、俺には判断がつかない。
「電磁戦隊メガレンジャー」とか「がんばれゴエモン!からくり道中」のパッケージについてる「大容量!1メガビット」等に出てくる「メガ」と言う言葉ですが、これはギリシア語が語源でして、意味は「大きい」だそうな。
地震の強さを現す「マグニチュード」はラテン語の「マグヌス」、意味はこれまた「大きい」なんだが、これが変化したもので意味は「大きさ」。
英語の「マッチ」も意味は「多量」とかなんだが、元々の意味は「大きい」とかそういうのだったらしい。
これらの言語は英語の親戚なので、似たような音で似たような意味が出てくるのは当然と言えば当然な話なわけだが。
調べてないから何とも言えんが、多分ロシア語やイタリア語にもマで始まって「大きい」を意味する言葉があるんだろう。
インドのサンスクリット語も英語の親戚の中に入る。「大きい」を意味する言葉は「マハ」。オウムのPCショップ、マハーポーシャのマハだね。
これが中国を経由して日本にやってくると「摩訶」になる。
つまり、般若心経の「摩訶般若波羅蜜多〜」なんてのはあれは「メガ般若波羅蜜多〜」とかいってる訳なんだねぃ。浅学の上にものぐさだから般若破羅蜜多の意味は良く分からんが、メガなんだそうだ。
一方、ガンダムの「メガ粒子砲」なんてのは「摩訶粒子砲」と言えないことも無い。ゼータに出てきた戦艦にはアーガマ(初期仏教の経典・阿含経)なんて名前の付けられたものもあるんだから、いいかも知れん。電波アニメだし。ハイ摩訶バズーカランチャー。
昔どこかで聞いたか読んだ話で出所は定かではないんだが、視聴率の調査においてサンプリングされる世帯の家族構成というものは、祖父母・父母・子供がいる3世代家族が選ばれるのだそうだ。
そのため、サザエさんや水戸黄門といった独身者には面白くも何とも無い番組が必要以上に高視聴率を取り、若者向けバラエティやオタク向けアニメが不当に低い視聴率になるのだ、という。
ホントかどうかは知らんのだが、テレビや新聞でよくある視聴率ベスト10とかを見ていると感じる違和感への説明としてはそれなりに納得は出来る話だ。
そんな話を思い出したんだが、そこで疑問が湧いてきた。
どんなひどくてマイナー番組でも1%やそこらは率を取っているものだが、その1%というのはおじいちゃんおばあちゃんがいる家の1%でそれが見られていると言う事なのか?
つまり、おじいちゃんおばあちゃんが寝静まっている横で光と水のダフネ(女性キャラのコスチュームがエロい)とか神魂合体ゴーダンナー(キャラデザが木村貴宏の時点で十分エロい)とか恋風(妹のパンツでオナニーするヒゲのおっさんが主人公のアニメ)を見ている奴が、サザエさん的理想的家庭100世帯の中の1世帯にはいるという認識でOK?
もしも事実ならこれは凄い事だ。
都会の6畳一間のアパートで一人きりでそういう番組を見るのは分かる。
うるさい家族がいないんだ、そりゃあ見たいものを見たいだけ見るがいいさ。
でも、家族がいるところでそういうことをしていくのは大変じゃないか。
しかも深夜にリアルタイム(視聴率調査ではビデオ録画は含まれない)で見続けるのはしんどい。
そんな難事業に手を染めている奴らが1%もいるんだ。
平成12年度の国勢調査では三世代世帯の割合は7.1%だそうだ。全世帯数は約4700万世帯になるから、三世代世帯は333万7000世帯ほどになる。そのうちの1%、3万3000ぐらいの家の奴らは家族と同じ屋根の下で深夜アニメを見ている事になる。
お前ら、男だ!(高田兄さん的用法)
5月の18日が何の日だったかといえば、法王ヨハネ・パウロ2世の誕生日なわけで、それは同時に俺の誕生日だったりもします。
ま、どーでもいいことだわね。
筆記試験&1次面接。
あーしんど。
面接の待ち時間が3時間ほどあったんで盛岡を昼飯ついでに散策していたら、民主党の街頭演説に出くわした。
メンツは達増拓也、黄川田徹、平野達男、主浜りょうの4人。
主浜の選挙事務所かなんかが出来たのでそのお祝いかなんかで集まったらしい。
親分の小沢一郎が党首になることが決まったので、タイミングとしては最高の演説のつもりなんだろうな。実際話を聞きに集まったジジイどもはそれなりに盛り上がってたし。
喋りの内容は、まあ普通というか中の下くらい。
人の悪口しか言わない達増、年金問題でなぜか麻生太郎を狙い撃ちの黄川田、5分程度の演説で「小沢一郎」の名前が15回以上も出てくるのに「民主党」は片手で数え切れるほどしか出てこない小沢チルドレンの平野、只一人年金問題には触れなかったが農業問題をやりますとは言うが具体的な話は出てこない主浜、といつものキャラのままでしたよ、みんな。
拉致問題とかイラクについては何も言わないのな。
どっちも岩手県民の生活に直結してないから、って判断からなのかな。
ま、いーや。こいつら何を言おうと俺は小沢一郎と民主党に票を入れるから。
家に帰ってYMOのベストをエンコードしてPCに取り込んで聞きながらメールとかこの日記とかを書く。
曙太郎、Mをつけるとまけぼのになる人が出てくる金貸しのCMあるじゃないですか。
ヒールの踵かなんかが折れて歩けなくなった女性のところに、緑のジャージを着た曙が「無理しちゃダメですよ」とか言いながらブッカブカの靴を差し出す、しかし次のシーンで女は靴は履くが歩きはせずに曙の肩に乗っているって感じのやつだったと思う。
あれを見るたびに思うんだが、あのCMの消費者金融で何気なく借金をこしらえた頭の悪い女が利息すら払えなくなり逃走、それを追った闇金の舎弟の暴力デブが女の身柄を確保、これから画面に見えないところでいろんなことが行われる、ってストーリーにしか俺には見えないんだが。
だから「無理しちゃダメですよ」ってセリフがすごく嫌味ったらしく聞こえてくる。
そりゃ無理だわ、元横綱が取り立てに来るんじゃ逃げ切れねーし、何されるかわかんねえ。
消費者金融のCMにグラビアアイドルやチワワを起用して金貸しのイメージを柔らかく、敷居を低そうに見せかけるのはろくでもない事だと思うんだが、格闘家やそれに近い強面の人を起用するのは、ある種の示威行為のように思えて、俺はろくでもねえなあ、と思うよ。
あと、金利等のテロップの奥で意味がよく分からない金があんまりかかって無さそうなCGアニメを垂れ流すのはもっとろくでもないから止めろ、と俺は言いたい。
昨日はママンと一緒におててつないでスーパーへお買い物に行ったんですよ。
で、色々と会員割引だ、広告の品だと安い商品を漁っていたわけで。
そんな中で産地がインドネシアとか書かれているパスタがありまして、これが定価は500gでたしか220円ぐらい、今日は割引で100円だよと値札がついていたんですよ。
こりゃあ安い、家ではナポリタンとミートソースぐらいしかスパゲッティは作らんが買っておこう、2食分ぐらいにはなるべぇ、ということで買い物かごにパスタを一袋シュートイン、そのままできる事なら通らずスルーしておきたいレジを通過して支払いをいたしまして。
そこで事件ですよ、あなた。
もらったレシートを見てみるとなにかおかしい。よーく見たら「XXXパスタ 134」なんて印字されてるんですよ。
これはどういうことだと詰問するんです、母が僕に。
僕が知るわけないじゃないですか。どういうことだと聞かれて答えるには、店の人に僕が聞くしかないわけで。
イヤイヤながら聞きましたよ、店の人に。
買い物しているときは商品陳列とかしている店員さんが通路にたくさんいて邪魔でウザくてしょうがなく感じるんですが、こういう時に限っては店の中に店員がいない様に見えるもので、件のパスタを片手に握って店の中をウロウロ歩き回るわったのですよ。
よくスーパーとか本屋とか駅とか道路にはRPGで言うところのintが遅れていそうな人が目の焦点がぼやけた感じで徘徊してるものですが、この時の僕も傍からみたらそう見えてそうな感じでしたよ。右手にパスタを装備して。
やっとの思い(主に恥じらい)で惣菜コーナーのおばちゃんを発見して「あのー聞きたいことがあるんですが」と「はなす」コマンドを実行。今になって思うと自分から女性に話し掛けるなんて数十日ぶりでしたよ。
で、パスタっつーか乾物の責任者を出せ、出して、出してください、お願いします出してください、出していただけないと僕の家庭の中での地位が危ないんです、って感じで内線で人を呼んでもらって。
ここでお待ちください、言われたので揚げ物の匂い漂う惣菜コーナーの前でパスタを握り締め立ち尽くすこと数分、私服の妙齢の女性がやってきました。
話を聞くと乾物の担当者は今日は休みとの事。なんの御用でしょうか?と聞かれたのでこのパスタのことなんですが……と乾物コーナーまで一緒に歩いていきましたよ。走ったり飛んだり泳いだりは出来ませんから歩くしかなかったんですがね。
で、例のパスタの売り場で値札とレシートとパスタを突きつけてこれは一体どういう事でしょうか?と、一生懸命賢い消費者のフリをして聞きました。
するとそちらも落ち着いたもので、「すいません、確かめさせていただきます」と売り場のパスタを一つ掴むとレジに行くわけで。パスタを持つ人が二人に増えましたよ。
で、レジのバーコードリーダーに件のパスタのバーコードをピッと読ませたんですよ。するとレジには「XXXパスタ 134」との表示が。
どうやらレジの設定がまずかったみたいですね、との事で値札の100円とレジ表示の134円の差額である34円を払い出してもらいました。
大変申し訳ありませんでしたとお店の方は頭を低く下げまして、それを受けて僕のほうも金に汚い嫌な客に思われたくないし、わざわざ事務所から呼び出して仕事の邪魔して申し訳ないなあと思ったので「こちらも忙しいところすいませんでした」と頭を下げて嫌な雰囲気を極力回避しようとしてから店を出て、ママンに事の次第の報告と34円を献上しました。
そして今日。
ママンと昨日と同じスーパーに買い物に行ったのですよ。
広告を見るとめんつゆが激安でして。
1会計につき1本限りしか買えないので、僕とママンで2回ずつレジを通って計4本のめんつゆを買おうって算段でした。
会計の際にはそのスーパーの会員カードが必要なのでめんつゆを買ったら店内で合流、待っていた側にカードと現金を手渡し、受け取った方はめんつゆを買う、ってローテーションを繰り返しました。
で、3本目のめんつゆ、僕が2回目のめんつゆを買おうとレジに商品を置くと「昨日は大変申し訳ありませんでした」という声。レジの方に目を向けると昨日の女性が。
半ばルール違反気味にめんつゆを買っている後ろめたさも手伝って「こちらこそお騒がせして申し訳ありませんでした」と僕は頭を下げ、会計が終わるとママンにカードとお釣りを手渡し、今までに買った3本のめんつゆと家の鍵を持って一足早く家路に着いたのでした。
日本の茶の間から見るイラクは地獄だよね。
人は死ぬは家は壊されるは腹は減るわで、俺はたまたま日本に生れ落ちてラッキー、とか思ったりしないでもないよ。
まあ、そんな事思っても次の瞬間には今の自分が置かれてる現状を考えると辛くなるんだけどね。
そんな時にうっかり「みんな辛いんだよ」とか頭に浮かんでくると、イラクの人が明日をも知れず死と直面して暮らしている辛さと、自分の未来に希望がどうにも持てそうにない辛さが同じレベル・同じ規模のもののように思えてくるから人間ってのは、つーかオリはろくでなしだね。
そこからさらに「甘えんな!俺だって辛いんだ」とテレビの向こうの自分とは関係ない人に向かって言える様に成ればあなた、立派なゲスですよ。
そこから更に「俺のほうが辛い」とか考えてイラクがユートピアに見える方は、イラクか病院に行くといいよね。
それはそうと、イラクの現状を羨ましいと思っている人もいるんだろうな。
イラク以上の地獄が続いているアフリカの人とか。
捕虜の虐待がセンチメンタルな事に思えるぐらいの虐殺が発生している国々が世界から半ば意図的に忘れられているのはどういうことなのかなー。
ルワンダでまた内戦が起こりそうだなんてニュース、テレビじゃさっぱりやっとらんぞ。何日も遅れて知ったよ。
軍の派遣が必要なのは中東よりもアフリカだと思うんだけどなあ。
就活いやだー。
どうせ+3の年増だしー、Eランク大だしー、エントリーシート書き終わってWEB上から送信しようとしたらサーバが調子悪くてエラー出すしー、やりたいことなんかないし、強いてあげれば何もしない事がやりたいことだし。
あーもうフリーターでいいかな。
ロクに活動らしい事はしてないのに疲れたよ。
どっかに落ちてないですかね、働かないでお金が儲かる仕事。
こんな事言ってるから履歴書上は3浪になるんですね。
陰謀論とはもしかしたら人間賛歌なのではないだろうか。
世界に溢れる理不尽の原因、源泉に何者かの意志が働いている。そしてその何者かは私たちと同じ人間であると言う。
世界は操作出来る、それは人間に可能な事である、これが事実だとしたら人間の持つ可能性・ポテンシャルはなんと高いことだろう。
善なる人達がその力を手にすれば社会改革の思想は夢物語でも無くなるのだろう。
皆がめいめいに好き勝手気ままに動いた結果としてたまたまこのような社会が出来上がり、世界は誰の思い通りにも動かないだろうなと感じる僕には、訳知り顔で陰謀論を語る人たちが眩しく見えるのです。
報道ステーションつまんないにゃー。
と、1時間ほど眺めてチャンネルを変えたら「ナッティ・プロフェッサー
クランプ教授の場合」のNGシーン集が流れていた。
ああ、金曜ロードショーか。
金曜9時から11時の間に金曜ロードショーをやってるのは別にいい。当然の事だ。
問題は、俺がこの映画を見たことがないということだ。
知らない映画のNGシーンを見せられ、役者やスタッフの笑い声が聞こえるのは実に不愉快だ。
近年は番組改変期にドラマ等の宣伝もかねてNG大賞と言う名の廃棄物処理が少なくなっている傾向にあるとういうのに、なんだこれは。
映画が終わってスタッフロールにNG集はジャキー・チェンの代で終わらせとけっての。
そんな事を考えながら、チャンネルを変えればすむ事なのにNGシーン集を最後まで、ついでに坂上みきの鼻につく声の来週の予告も見てしまった。
ほんの数分見ていて気づいたんだが、バックで流れている「マッチョッ
マッチョッ マッチョーメーン♪」って頭の悪そうなフレーズがサビの曲に聞き覚えがあった
えーと、なんだったろう。
思い出した。半月ほど前の事だ。ssmと俺と元秋田在住H君の3人で仙台に遊びに行ったんだよ。
その帰りのssmの車の中で流れていた「伊集院光の深夜の馬鹿力」の録音の、伊集院がスタッフにムチャなダイエット方で無理矢理肉体改造させられる企画の回のやつで何度もかかっていた曲だ。映画のテーマ曲とはな。
だから覚えているのか。納得。
どこでなにがどのようにつながるのかわからないところが世の中の面白いところだな。
すげー。橋田壽賀子すげー。
「渡る世間は鬼ばかり
幸楽ラーメン」とか「〜
焼きそば」とか出してるこの時期に「幸楽で食中毒発生!?オープン以来の大惨事に!」っておい。
今流れているCMは幸楽ラーメンが売れすぎて肝心の店の方に客が来ない、ってCMだけど、これじゃあ他の理由で客が来ないって考えざるを得ないじゃないか。おもしれー。
先週の倉田てつを(太陽の王子 仮面ライダーBLACKRX)が誘拐犯に!新しいライドロンは白い普通車!って展開も非常に驚かされたが、今週のこれはもっと驚いたよ。
商業主義には屈しないぞ、という橋田先生からのメッセージかなんかなんでしょうか。
だとしたらロックだ、としか言いようがないんですが。すげえロックンロールしてる。デストローイ。
それにしても、「渡る世間〜」は登場キャラがどいつもこいつもエゴ丸出しで楽しいなあ。
えー、韓国の総選挙が終わりましたねぇ。
ハンナラ党からウリ党へと第1党が変わりまして、これで大統領が国会からいじめられることはなくなると思います。
で、テレビのニュースとかを見ていますと、これで韓国の政治が変わるかも、とかそんな調子でして。
確かに強攻策を取っていたハンナラ党が弱まれば、対北朝鮮は太陽政策がより一層打ち出されるようになって6ヶ国の足並みをいたずらに乱したりするような変化もあるかもしれませんね。
でも、俺は基本的にはそんなに変わらんと思うんですよ、こんな記事を見ると。
どういうことかと言いますと、前回の国会で決まった弾劾決議は今回の国会の中心となるウリ党が決めたことではないから国会が始まる前にお前ら撤回しろ、とウリ党の偉い人が言ってたよ、って話でして。
いくら政権与党になってもそれは出来ねえだろ、いくら嫌な事でも国会決議を否定するのは民主主義の否定になったりしないのかよ?とか俺は思うんですけど。
韓国って国はそれがけっこうまかり通りまくり、っつうか事後法で人がバンバン死ぬ国ですから、こういうことを聞くと韓国は変わらないなぁ、と思うのですよ。
全裸で暮らす人っているじゃん。
「こたえてちょ〜だい」とかで2年にいっぺんぐらい出てきそうな、外では普通に洋服を着るけど家の中ではマッパで暮らすって人。
そんな人が世の中にはいる、っていうのはテレビでしか見たことが無いんですけどね。
ホントにそんな日々是ソフトオンデマンドな生活をしている人がいるのか、やらせちゃうんかと。
再現ビデオに出てくる人はあれだろ、2時間ドラマで温泉が舞台になると出てくる女湯の一般客役の人、いわゆるおっぱい係の人じゃないのかと。
「時間ですよ!」はほぼ毎週おっぱいが見れて素晴らしいドラマだったなあ、とか今思い出したんですが、関係ないですね。
ま、それはさておき全裸生活者ですよ。
あの人達ってのはトイレも全裸で行くんでしょうか。いやまあ、トイレではフルチンになるのは当然なんですが、社会の窓からブツを出すのと、一糸纏わぬ二本の足の間からニョッキリこんにちわ、ってのは違うじゃないですか。
何が違うかと言うと、撥ねてくるじゃないですか。しょんべんが。そりゃもうビシバシ毛脛や腿に。
基本的に、男子は小用の終わった際に洗うのは手だけです。ちんこをつまんで振り回した手ですから洗うのは当然なんですが、振り回した先についたしょうべんの染みたズボンとかはその場で洗わないわけですよ。
それだけでも清潔好きの方は嫌そうな顔をすると思うんですが、まだいいじゃないですか、布なんだから。
問題は全裸の人ですよ。素肌にしょうべんって、オイ。普通、人の肌って水を吸ったりしないじゃないですか。しょうべんの染みこんだ肌ってのも嫌なんですが、弾いて体温で蒸発させたりするのはもっと嫌だとか思いません?
香水ってのは自分の汗と混ざって蒸発するときに匂うとか言いますが、同じ原理で股間を中心にアトランダムな点からアンモニア臭が立ち上がるのはどうよ。それって最悪じゃん、っつうか犯罪だよ。まさしく毒。クリスチャンディオールはプワゾンの名前をしょんべんに明渡すべきなぐらい危険なアロマですよ、それは。
全裸で暮らすって事はそういうことなんじゃないの?
そんなことを、風呂に入ろうとして脱衣所で脱ぎ終わったところで急に尿意を催して全裸のまま便所に入り、白い陶器にありったけの尿をぶつけ、二本の足でおつりを受け取りながら考えました。
もちろん便所から出てすぐに風呂に入ったよ。
山田詠美「ベッドタイムアイズ」読了。
天気がいいし風も穏やかなので、4分の3は水沢公園の球場の観客席で読む。
平日なのに桜を見に来る客が多くて、人出が少ないのがそこしかなかったんだが、花見会場の喧騒が球場を取り囲む樹木でほどよく和らげられていて、それが耳に心地良いノイズになって読書環境としては悪くなかった。
残りの4分の1は腹の調子が怪しくなったので自宅の便所でうんこしながら読み終える。
で、なんで俺が山田詠美を読むのか。
鬼うさ姐さんから来たメールで
>
俗っぽいですけど山田詠美が好きなんですよ。
>
処女作の「ベッドタイムアイズ」がいちばん好き。
というのがあったからで。
じゃ、いっちょ読んでみるかい、と普段読まない小説に手を伸ばしたわけで。
えーと、読後感としては好きなほうじゃありません。
広がりを感じないというか、窮屈な印象を受けた。
作品内で示される人間関係が凄くコンパクトで、その分密度が濃いんだけどそれが俺には「なんか違うなぁ」って感じがして。
主人公のキムに共感が全然出来なかったんですよ、昼も夜も無く男に首ったけってのがわからん。もうちょっと他の事にも目を向けろ、というか。
男の方は複雑そうで面白そうなんだけどね。スプーンの視点で見てみたい。多分ベタなスパイものみたいな話だろうけど。
字数のせいもあるけれど、表現が流暢で読みやすい本だった。
えーと、俺としてはね、3人には生きたまま日本に帰ってきて欲しいなあと、当たり前のことを思っているんです。
人の命は大事だってのもあるんですが、理由はもう一つあって。
日本っちゅう国家というか社会がどこまで馬鹿を許容できるか、が見たくてね。
まあ、自作自演でもない限りは彼ら3人は無罪ですよ。突然の事件で市場が急下落して相場師の人には首を吊りたくなった人とか首を吊った人がいたかもしれないけどさ。
とりあえずノットギルティ。迷惑だけどな。
で、日本に帰ってきたときに彼らはどんな目に遭うのかな、と。馬鹿そうだから謝らないかもしれないし、いけしゃあしゃあとTBSとかテレ朝にゲストで顔を出してイラク情勢について訳知りで語って、ついでに本の宣伝とかするかもしれないし、市とか県の予算で公演が開かれてヒマなおばちゃん達相手にお小遣い稼いだりするかもしれない。
でもそれって見ててムカつくわけじゃないですか。
それをみんながみんな我慢できるのかな。なんか起きるんじゃないかな。とか思います。
もちろん、3人に怒って何かしでかすような人は馬鹿であることは間違いありませんが。
ま、結局昨日は2時半頃で寝たわけで。
今日はなんも動きは無かったねー。みんなのリアクションを見るだけ。意外な事は無かったよね。
一番盛り上がりがありそうな11日が日曜日ってのが良くないな、と思うのですよ。こういうのは土曜にやって日曜にはそれをゴールデンタイムの特番で検証するってのがいいと思うんです。
テロリストの人はそこら辺配慮してくれなきゃ。俺月曜は学校に行くんだからさ。
たまにはタイムリーなこともしておくか。
イラクで邦人3人がとっ捕まってるよ、ってニュースあるじゃないですか。
アメリカのイラク支配を快く思わない人達がアメリカのイラク支配を快く思わない人達を誘拐してしまったという。
ちゃんと話し合えばきっと彼ら彼女らは分かり合って解放されるんじゃないかなぁ、とか思っちゃダメですかね。
犯人にとっては「ムシャクシャしてやった。日本人なら誰でも良かった」とか、そういう気持ちでの犯行なんでしょうから、同じ反米の旗の下にある人たちでも焼き殺したりするんでしょうね。
あーやだやだ。
安易に捕まったのが左巻きだから自作自演だ、とかそういう事はなるべく考えないようにして今日は徹夜でニュースを見てようかと思います。
で、問題が一つ。
夜に向けて力を入れるべく夜食としてチャーハンを作って食べたんですが、なんかおなかがいっぱいで眠くなってきたんですよ。
管ちゃんも「何の話か良くわかんないけど明日の早朝から動き始めますから今日はおやすみー」、ってな趣旨のこと言ってたんで今夜は動きは無さそうだから俺も寝ちゃおっかなー、とか思えてきて。
俺がテレビにかじりついたら何かがどうなるって話じゃねーし、単に見るか見ないかは俺の好き嫌いの問題でしかないんだったら、寝るか寝ないかも俺が好きに決めりゃいいってことなだけだけどね。
さて、どうしたものか。
月曜日から大学は始まっているわけですが、授業はまだ始まっておらず、今日は健康診断を受けてきました。
身長・体重を測って、尿を提出し、X線を浴びて聴診器に胸を曝し、耳の穴と鼻の穴をライトで照らされ、C型の記号を前に上下と言ったりしてきたわけです。
それぞれの検診科目には一人医師の先生がいるわけですが、一人の先生で今日だけでも4年生と2年生あわせて300人近くを診ます。
つまりどういうことかと言いますと、先生が学生をさばくスピードには限りがあるんで、どうしても待ち時間が多くなっちゃうねってことでして。
要するに今日は待ってばっかりでつまらなかったと、まあ、そういうことです。
そういう日は、美味しいおかずがあるとご飯がすすむ様に、退屈がいいスパイスになって活字がすすむすすむ。
大島栄子「商人たちの明治維新」読了。
幕末から明治にかけて問屋・金融業を営んだ岐阜県は中津川宿の商人、間杢右衛門の残した日記と資料をもとに、一人の商人の人生を追うことで明治維新とはどういうものだったのかを他の角度からとらえたノンフィクション。
島崎藤村の「夜明け前」のモデルとなったそうだが、藤村の作品自体は読んだ事が無いのでよくわからない。
貧しい生まれながらも経理の才能を見込まれて地方の豪商に婿入り、しかし嫁いだ先は先代の放蕩のせいで火の車、才能と努力で借金を返し家を立て直すも、牛方のストライキにあい荷問屋(運送手配業)を廃業せざるを得なくなるトラブルに巻き込まれたり、先代の放蕩を当たり前のものと思って自分も贅沢とわがままを通そうとする姑に親不孝者と罵られて一時的に世間体を失い40過ぎで家出するなどがあったが、金融業で成功し、最後は孫に囲まれて余生は静かに過ごした男の人生を資料を活用して生き生きと描写されており、一代記としても面白い。
9ヶ月以上ぶりに車を運転しました。
米びつの米がきれていたんで、親戚から貰った籾を精米するために米袋を車に積んで行くのですが、いつもだと車の運転は兄がするんですよ。ところが今日に限っては酒を飲んでいて、運転すると後ろに手が回るというので自分が運転する事に。
運転免許を取るときにも書いたと思いますが、僕は車の運転が非常に苦手です。怖くてたまらない。とてもじゃないけれど車がたくさんいる昼間なんかは絶対に走れない。誰もいない寂しい道を法定速度より10キロぐらい遅いスピードで走ってやっと平常心を保てるぐらい。
しかも、精米だけだったらまだしも、うちの母はスーパーセンター水沢のケーキ屋でイチゴ大福を買ってこいなんていうんですよ!
店に立ち寄ると言ったら、それはすなわち駐車場に車を停めろってことですか?すなわちバックとかをしろと?ヒィー。
それでもとりあえず夜八時に出発。
家から大きい道路に出るまでわりと長い細い一車線の道があるんですが、こすったりしないかとビクビクしながら発進。
まず最初にケーキ屋に向かう事にするんだが、一般車道だとこの時間ではまだ車も多く、後ろに車がついてくる。
この状態が僕は非常にプレッシャーを感じてしょうがない。イヤイヤ法定速度の40キロギリギリまでアクセルを踏んで走る。もっとゆっくり走りたいのに。
目的の店舗の二階の駐車場へ。2階へ登るスロープに「徐行」の文字を見るとホっとする。あぁ、ここはスピードをださなくてOKなのか。
駐車場には他の車はほとんど無く、好きなところに停める事が出来た。ラッキー。
その後、店内で買い物をすませて一路普段使っている踏み切りの近くの自動精米機へ。ここの精米機は砂利が敷き詰められた空き地にあるので駐車場所を気にしなくていいので楽だ。
精米も済ませ、家に帰る。家の前の駐車スペースに入るのに少し戸惑うが、事故も無く今日の運転は終了。
あー、怖かった。もうあと半年ぐらいは運転しなくてもいいな。
「イノセンス」見てきました。
映画館に行ったら偶然日本語教室の生徒達とバッタリ。
何見るの?と聞いたらまだ決めてなくて、先生は?と逆に聞かれたので正直にイノセンスと答えるが、正直お勧め出来ないよ、と一応言っておいた。
一応言っておいたのに、それでも見るんだよなぁ、彼ら。
日本人にも分かりづらい日本語ばっかりですよ?キミたちはジブリっつうか鈴木敏夫の詐欺にあってるんだよ!
劇場の動員人数の5倍ビデオが売れる、繰り返しリピート再生しないとサッパリわからん押井守の映画なんですよ!
「AVALON」を眠らずに見ることが出来る奴だけがニヤニヤ楽しめる映画なんですって!
愛とか温もりとか思いやりは犬にしか向いてない世界を2時間近く見せられるんだぞ、君は!
チケットを切って入った以上はもう戻れないのだから、気づいたときにはすでに僕は地雷にはまる様子を眺める事しか出来ず、そんな善男善女の彼らを尻目に「イノセンス」をニヤニヤ見てました。
ストーリーを端的に話すと、幼女型ダッチワイフが人を殺した事件だと思っていたら実はマジモンの幼女誘拐&売春で、助けられた女児が人形になんかなりたくないとのたまったら、体は既に無くて心は自分に向いていない草薙素子にハァハァしてるサイボーグのバトーが人形に失礼だろ!と女児を罵倒する話。
人形をアニメキャラとかそこら辺に代入して考え始めると非常に身も蓋も無い話だってのがイヤでも分かるかと。
あと、イノセンス本編の前に他の映画の予告編をウンザリするくらい見たんですが、「キャシャーン」は期待できるね。大滝秀治の主治医で財前教授がいるわ、ミッチーはいるわ。
「海猿」は、財前教授を裏切っておいてのうのうと浪速大学に残った上に「SUCCESS!」とか言ってる柳原が主演で非常に心象が悪いね。
未だに「白い巨塔」を引きずっている俺も俺だけどさ。
インドネシアから研修と言う名目で工場へ働きに来ていたインドネシア人の生徒が研修期間が終了したので、国に帰る事になったのでお別れ会ということで鬼剣舞で5時間ほど飲む。
飲みはじめて4時間ほど経った頃、偶然生徒と同じ工場で働いていたという人が店に入ってきて、挨拶をした。その人の事を俺は知らないんだが、話を聞くと50代半ばでリストラされて今は2種免許を取るために自動車学校へ通っているそうだ。
その人がみんなで飲んでくれと瓶ビールを3本置いていった。
普通のよくある光景だといえばそうなんだが、その人と生徒の間の縁とかそういうものを感じたので、こういう気持ちの入った酒は呑まねばならぬと思い少しだけビールを戴いた。
お別れ会とはいってもしんみりしたムードにはならず、誰も涙の一粒もこぼす事なく募る話を楽しく話す良い飲み会だった。
日曜のアニメ・特撮とか。
「特捜戦隊デカレンジャー」
イエロー中心の話。超能力と孤独な少年ってテーマで、背景に廃工場とかが出てくると第2期ウルトラシリーズの雰囲気がする。
それにしても、イエロー役の木下あゆ美は写真写りが凄く悪いな。テレビで見ると美人さんなのにナー。公式サイトの写真とかもっと良いのがなかったのかと小一時間説教したくなる。
「仮面ライダー剣」
ギャレン復活。のはずだが次回予告を見るとまたヘタレそう。
「ふたりはプリキュア」
前回の出来が良すぎたってのもあるんだが、今回はフツー。
「新撰組!」
始まって3ヶ月経つが、まだ京都へ行かないし、京都に行かないから新撰組も旗揚げしていない。浪士組はうさんくさげなキャストが揃っていて見ていて楽しいので、このメンバーで1年やってくれても俺はOKだけどね。
シーチキンの缶ってぇー、あるじゃないですかぁー。
でー、あれってフタん所と本体のところがそれぞれアルミとスチールで出来てて、材質が違うじゃないですかぁー。
知ってます?そうなんスよ。
んでー、アルミとスチール?英語っぽく言うとスティールッ?ルのとこちょっと巻き舌っぽく言えてます?オレ。
それだとー、ウチんとこの地域ってゴミ出しとかうるっさいからぁー、分けて出さねーといけないんスよ。
缶のフタって、危ないっつーか端とかヤバいじゃないすか。マジでキレまくりですよ、アレ。
缶開けてシーチキン出して食うっしょ、普通空いたところにちょうどぴったりフタが入ってそのまま燃えないゴミで出すっしょ、フツー。
んでも、ウチんところ分別しねーといけねーからー、イチイチアルミ用とスティールッ用にビニール袋用意して捨ててんスよ。
マジうぜー。つーか、この前分別中にシーチキンのフタで指切ったんスよ、左手の薬指。
血が出ただけでバンドエイド貼ったら傷跡も無く治ったんスけど、怖えー怖えー。
アレ、なんとかならないんスかね。いいじゃん、全部アルミで。
だって、多分ゴミ収集の人とかもシーチキンのフタが入ったビニール袋をうっかり握ってザックリいったりしてんじゃネーかと思うし。
開けやすくても捨てにくかったら全然全く便利じゃねっつの。マジで。
あと、納豆のパックも洗って資源ごみとして出せって言う奴、死んどけ。
ポケットパークってなんじゃらほい、つうことで見てきましたよ。
1800万円だ、何か見るものがあるに違いない、と思いカメラを持っていきました、
Zプラザアテルイへ。
拙いですがパノラマ写真なんてものも作ってみたりしたんですが、さてここで問題。
Q:ポケットパークは何処にあるでしょう?
正解:写真手前の舗装とベンチ、パネル、樹木がポケットパークです。
えー。これが1800万?元々土地はあったんだから舗装工事と施設の金額が1800万円なんだよね?僕んちの何倍するんだろ。
値段の半分は国が出してくれるって?
下水道整備に伴って、市民の家屋の便所を汲み取り式から水洗便所に変更する事を義務付けてるのに、補助金はロクに出ないわ、金は貸すけど利子はあるとか言ってる行政が国からお金を貰いますか、そうですか。
今年の火防祭は市街地に近い便利な駐車場が減って大変だなぁ。