「石森萬画館」第九十六回訪問記

平成二十七年六月二十一日(土)

 九時十五分頃にマシンで出発。晴れ、気温二十五度。前沢町内吉田石油で給油して、石巻駅前駐輪場にマシンを置くのは約二時間後。どうにも、線路を越えるのが苦手である。
 風が強く、飛ばされないように帽子を手で押さえながら歩く。
 翌日の「ウルトラマンサーガ」上映会の貼り紙を市内各所で見て、後述の催し物会場でも渡される。被災地で上映するのにこれほどふさわしい映画は無い。公開当時映画館で見たし、後にテレビ放送でも複数回見ている。あのラストの地球のクローズアップが泣ける。
 八幡家でいつものかば焼き定食と茶わん蒸し、久方振りに飯のお代わり。朝食を摂らずに出発して二時間の運転なれば腹は減っている。
 十二時半頃か、食事を終えて萬画館に向かう途中、ミュージックショップオバタの十字路で盛岡知人に会い、合流。
 入館。盛岡知人はまだ見ていないと言うので、十三時台の海斗特別編を見る。
 一階や三階を見て回る。石森両館でよく見かける人達がこの日も大勢来ている。一階の交流コーナー近くで開田裕治を見掛け、ハンドルを名乗って挨拶する。盛岡知人には、なじみの従業員達を「萬画館で一番美しい」「私の宿敵」等と紹介する。
 十四時から三階研修室で開田裕治トーク&サイン会。萬画館の学芸員補が開会の挨拶をした後、進行は裕治の妻・あやに託される。定員五十人、抽籤の倍率は相当高かったらしい。
 裕治が宮城県との縁を語る。或る石巻市民と以前から知り合いであり、また一昨年、仙台駅前Loftでの開田展が大盛況だったと言う。
 大画面に作品を映して、裕治が解説する。怪獣絵師とも呼ばれている裕治だが、依頼があれば仮面ライダーも描くと言う。クウガの絵は生賴範義の「薔薇の花を持つスパイダーマン」に憧れて描いたが不評だったとの事。
 裕治も当時、「BLACK」を好きで見ていたと言う。
 メキシコでの展覧会、サイン会の思い出を語る。あや曰く「世界中、オタクの格好は同じ」。
 仮面ライダーシリーズの後、ウルトラシリーズの解説に移る。着ぐるみを忠実に再現するよりも印象重視で描くので、ファスナー、つなぎ目、皺も描かないが、「ウルトラマンの目の覗き穴が無いと駄目」と主張したのは庵野秀明だと言う。初代ウルトラマンの黒目のような覗き穴は、撮影現場の必要で空けられたものであり、成田亨本来の意匠には無い。
 デジタル化してもコンピューターが全て描いてくれるわけではなく、単に手段の違いであり、今や鑑賞する側も区別はつかないだろうとも語る。
 質疑応答では、まず制作がデジタルに移行した事で変わった点が問われ、裕治からは絵の具の始末が不要になった事、あやからは袖や部屋が汚れなくなった事が挙げられる。それで以前は、画家は汚すので部屋を借りられなかったのだと言う。
 解説の中で度々生賴の名前が出ている。生賴の他に影響を受けた先輩はと言う質問に対しては長岡秀星、小松崎茂、フラゼッタを挙げる。
 一時間程でトーク終了。小休止を置いて十五時半頃からサイン会開始。筆者は購入済みの仮面ライダー画帖にサインを貰い、記念撮影。少し会話する、裕治曰く「こちらの方でしたか」。筆者が旧ニフティ特撮フォーラムグループの関係者と会うのは多分初めて。筆者は嘗ては特撮フォーラムで悪名を馳せたが、オフラインミーティングの類は一切不参加である。
 知人達と暫く立ち話などするが、次の用事があるので十六時二十分頃に独り辞去。急ぎ二階の企画を見て台紙を受け取り、作田嶋神社参拝、三巡目のスタンプラリー達成でゼットン受領の後、十七時頃に北に向けて出発。

 石森両館で個展の出品者のトーク&サイン会はよくあるが、自ら作品解説と言うのはあまり記憶が無い。いろいろ面白い噺を聴けた。裕治もまた、一愛好家から本職になった人。その先駆けかも知れない。手法は変わっても作品を作るのはやはり人間、と言う主張はそのとおりだと思う。
 今回は二大ヒーロー展示だったが、当人も希望しているので次は怪獣映画の作品展も開催して欲しい。

目次に戻る

一覧に戻る