「石森章太郎ふるさと記念館」第百二十八回訪問記

平成三十年九月一日(土)

 六時十分頃にマシンで出発して伊勢岡神明社経由で七時二十分頃に北側駐車場着。既に出来ている行列に加わる。二十六番。やはり大物の時は早くから多くの人々が並ぶ。例によって居合わせた人々との会話で退屈はしない。
 九時半開場、券を入手する。
 大相撲マンガ場所を見るのは三回目。もし同行者がいれば相撲の講釈を始めて止まらなくなるだろうと予想していたら案の定。気が付けは盛岡組はどこかに行っていて、筆者は見知らぬ人を相手に横綱一覧の前で講釈をしている。
 鬢付け油が展示されており、匂いを嗅いでみる事が出来る。これに喜ぶ女性客少なからずあり。
 生家にも顔を出す。
 やはり当日の話題は24時間テレビの「石森章太郎物語」である。詳しい人ならもっといろいろ指摘できるのだろうが、筆者としてはまるで由恵と章太郎の二人姉弟のように描かれて、故・弘幸おやっさんが全く出て来なかったのが最大の不満。石森駅は軽便鉄道の駅なので東京行の汽車が来るわけが無い。
 十三時に奥のシアター会場。
 十五分からちばてつやトークショー開会。聞き手は石森プロのコン氏。
 ちばは章太郎より一歳年下。滿洲帝國にいた頃は日本の漫画が周囲に無く、手にするようになったのは引き上げ後。母親が漫画を嫌っていたので彼女の面前では読まず、友人宅で読む等したと言う。山川惣治や小松崎茂の絵物語は許されていた。
 漫画家と言う職業の存在も知らなかったのにやがて当時活躍中の編集者や漫画家達と出会っていく。ちばはトキワ荘入居者ではなかったが章太郎達との交流はあった。
 ちばが怪我をして執筆不能になった件の真実。
 長男のちばはずっと親と同居で、青年誌掲載作品にも母親から「検閲」が入ってあまり自由に描けず、彼女亡き後も思いどおりに描けなくなってしまったと言う。
 「のたり松太郎」は未完の作品である。初めは三、四回で終わらせるつもりだったのが長期連載。原稿では「終」としたのに掲載時には「つづく」になったりしたと言う。ちばは「主人公が相撲に夢中になっていない」「心技体の心が無い」と評する。
 十四時までの予定が若干伸びる。暫時休憩の後にサイン会。今回の特別企画展専用の特製色紙にサインを貰う。
 また企画を見る。本当な飽きない。
 館内で萬画館関係者達に会う。
 十五時五十五分頃に帰途に就いて十七時十分頃帰宅。

 ふるさと記念館で十七年振りのちば来訪、前回は参加できなかったので今回サインをもらえてよかった。

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