その十二 矛盾之説

 中国古典「韓非子」の「難一」に次のような挿話がある(使用底本は岩波文庫、口語訳は筆者、適宜言葉を補った)。

 歴山の農民は互いに畑の境界を侵していたが、しゅん(古代中国の帝王。この時は庶民だが後述のぎょうから位を譲られて帝王となる。堯、舜共に儒家では理想の帝王とされる)が行って耕すと一年で畑の用水路や畝が正しくなった。黄河のほとりの漁師は川の中州を争っていたが、舜が行って漁をすると一年で年長者に譲るようになった。東夷の作る陶器は粗悪品だったが、舜が行って陶器を作ると一年で丈夫な陶器になった。(これを評して)孔子は賛嘆して言った、「『農業漁業や陶器作りは舜の本業ではなかった。それなのに舜がそれらの仕事をしたのは民の失敗を救おうとしてのことだ。舜は実に仁者ではないか。自ら実践して困難に身を置いて、それでこそ民は舜に従ったのだ。だからこれを『聖人の徳が感化する』と言う」。
 そこで或る人が儒者に問うた、「その時、堯はどこにいたのか」。儒者は答えた、「堯は帝王であった」。更に或る人は言った、「ならば孔子が堯舜を聖人としたのはどういうことか。聖人が上にいて明察していれば天下に悪いことは無いはずだ。今、農業漁業に争いが無く、陶器が粗悪でなければ、(失敗が無いのに)どうして更に舜が徳で感化できるだろうか。その失敗を舜が救ったと言うことは、即ち堯に失策があったということだ。舜が賢人ならば堯の明察は成り立たないし、堯が聖人ならば舜の徳の感化は成り立たない。堯と舜の聖賢は両立できない」。

 この後に、漢文教科書で有名な「矛盾」の一節が続く(原典では「矛楯」)。
 ここで想起したのが、我が水沢市出身の政治家・齋藤實さいとうまこと子爵と、石巻市出身の弁護士・布施辰治。子爵は大正から昭和にかけて通算二回、十年に亘って朝鮮総督を務めた。水沢市立齋藤實記念館では彼の在任中の善政が喧伝され、退任時に現地朝鮮人から贈られた感謝の品物等が展示されている。現地朝鮮人から大変慕われた名総督と言うことである。一方、布施辰治は明治から昭和二十年代に活動した所謂「弱者の味方」の弁護士で、治安維持法違反で投獄、弁護士資格剥奪の経験がある。共産党員ではなかったが生前に当時のソ連から勲章を受け、近年は朝鮮独立運動への支援が認められて大韓民国から勲章を追贈された。子爵の総督在任中に朝鮮に渡って活動している。
 子爵が本当に善政を布いた名総督ならば、どうして弁護士が本土から朝鮮に渡って救済活動をする必要があったか。或いは、せっかく子爵が善政を布いていたところに、ソ連に好かれるような左翼弁護士がわざわざケチをつけに行ったとも言える。則ち、前段の堯舜の例の如く、子爵と布施の「功績」は両立しないのである。布施の活動の顕彰は子爵の施政の否定につながり、「齋藤記念館は虚偽の展示をしている」「齋藤の顕彰はけしからん」と主張することになる。
 果たして子爵が布施の存在、活動を知っていたかどうかはさだかではない。ただ、先日齋藤記念館に布施辰治顕彰会のパンフレットを持参して布施の噺をしたら、館の人は布施を知らなかった。
 是非、水沢市で布施辰治の展覧会を開いて、その活動を水沢市民に問うて欲しいものである。

布施辰治顕彰会

(平成十八年二月二十六日)

追記

 萬画館訪問記でも触れた映画「弁護士 布施辰治」を六月九日に仙台弁護士会館で見て来た(DVD上映)。実に「赤」「左」が喜びそうな映画ではあった。とにかく権力、権力者、当時の日本政府は絶対的な悪者で、貧乏人や朝鮮人は常に正しい。まるで以前の日テレ「知ってるつもり?!」のような単純且つ陳腐な基調。韓国人にはウケそうな映画だが日本国内では布施の地元や「赤」「左」団体主催の上映会がせいぜいだろう。既報のとおり石巻市ロケでは思うようにエキストラが集まらなかったし、筆者はこれほどしょっちゅう石巻市を訪れても市街で布施のよすがを見る事も無いし、布施は本当に石巻市を挙げて尊敬されているのだろうか。水沢市での後藤新平・齋藤實百五十年の盛り上がりを石巻市民にも見せてやりたい、こちらは大変な盛り上がりだった。
 敢えて感情を言えば、筆者は「弱者の味方」と言うのは胡散臭くて大嫌いだし、反日国からほめられるようなのはろくな奴がいないとも直感的に思う。
 今回の上映会場では布施の孫が書いた布施についての本と映画のパンフレットが売られていたが、手にとって目を通してみればどちらも映画同様、スターリンとの関係に触れられていなかったので買わず。隠蔽するつもりか。上映会場に監督とプロデューサーが来ていたのでその場で尋ねたいとも思ったが、当日は他にも用事があったので、もしそこで話し込んでいたら帰りの電車に遅れていた。
 映画の中に石川啄木と原敬が登場する。その原敬が朝鮮総督に起用したのは齋藤實。一方、台湾民政長官・後藤新平は新渡戸稲造を台湾に招いている。布施は岩手県一戸町の入会権をめぐる裁判・小繋事件の弁護を担当しており、映画でもその場面が出て来る。このとおり布施と岩手県は浅からぬ因縁があるので、是非この映画は岩手県、特に水沢市でも上映して欲しい。
 布施には任侠精神があったようで映画の中にもヤクザの親分が出て来る。この任侠こそ、「韓非子」が指弾してやまない存在であり、法家思想の実践者即ち法術の士の宿敵である。「韓非子」は「有侠」「游侠」「侠」を、国家の役に立たない秩序破壊者、国家の害虫として排除する。布施のような、為政者にとって目障りな存在を法実証主義、万事国家統制主義の「韓非子」は許さない。
 ところで、朝鮮人大好きの布施がもし今生きていたら、外国人地方参政権、戦中戦後補償、北朝鮮の軍拡、人権問題についてどのように対処しただろうか。

(平成二十二年六月十三日)

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