三人目の罪

 後悔はない。罪悪感もない。あの二人を、間宮リナと北条鉄平を殺してしまったことに。
 だってこれは、私自身が幸せになるために必要なことだったんだから。
 だから私はみんなに話した。二人を殺害するまでに至った経緯を。自分に間違いはなかったって胸を張って言えることだから。
……けど、私にはまだ話していないことが、一つだけあった……。
「ごめんなさい……。これで全部じゃなかった……」
 大きく息を吸いながら気を落ち着かせ、私は告白を決意した。さっきまで私が話した竜宮レナの一世一代のがんばり物語に“嘘が”あったことを……。
「私が殺したのはね、二人じゃないんだよ。“三人”なんだよ……」
 私が三人目の殺害を示唆した瞬間、みんなが複雑な顔をした。
圭一くんも魅ぃちゃんも、沙都子ちゃんも梨花ちゃんも、みんながみんなこれ以上一体誰を殺したんだって神妙な顔で、私を見つめた。
 それはそうだ。私がさっき告白した話のどこに、他に殺すべき人間がいるのか分かるはずがない。名前もない者を殺したことなど、どんな名探偵にだって推理できはしない。
 正直、三人目の話はしたくなかった。だって、三人目には後悔も罪悪感もあったから。三人目のことを話してしまったら、私は罪の重さに耐え切れずに壊れてしまうだろうから。
 でもでも、二人を殺してしまった以上、もう隠し通すことはできない。ならば思い切って話してしまおう、“三人目の罪”を……。



「お父さん、もう止めて! そんな女ともう、一緒に寝ないでぇ……!!」
 今日も懲りずに、あの女は私の家に上がり込んで来た。いつもなら嫌悪感を抱くところだ。
だけど、それでお父さんが幸せなら受け入れるしかないと、歯を食いしばって耐えられる。
 でも、偶然居合わせたあの喫茶店でリナの本性を知ってしまった以上、今の私に耐え凌ぐ理由はない。
だから、あの女がお父さんと一緒に寝るのを妨害しようと、私は襖にそっと手をかけた。
 けど、私は僅かな隙間を空けただけで手を止めてしまった。
襖から垣間見えるお父さんの顔は、この上ない幸せに包まれていた。屈託のない満面の笑みで幸福を享受しているお父さんの間に侵入し、その幸せを奪う気にはなれない。
私には、ただただ二人の行為を黙って見届けることしかできなかった。
「リナさん……んんっ……」
 お父さんがリナと唇を合わす。あの北条鉄平とかいうガラの悪い男と他人に見せびらかせるように合わせた唇が今、あろうことか私のお父さんの唇を奪っている。
 これが愛し合う者同士のキスだったなら、私は心から祝福したことだろう。
でも、偽りの愛に満たされた口づけは、ただただ気持ち悪いだけ。見続けているうちに喫茶店での醜いキスシーンが思い出され、私は糞尿を口にしたような吐き気を催す。
「リナさん、愛してるよ……」
 お父さんがリナを愛してると言った。その想いは真実、嘘偽りのない気持ちだろう。だから私にとやかく言う権利はない。
「嬉しい。私も愛してるわよ」
 それに呼応するかのように、リナもお父さんを愛してると言った。
私は嘘だ! と心の中で叫んだ。アンタはお父さんを体のいい金ヅルとしか見ていない。そんなふしだらな女の口から愛なんて言葉が漏れるのは、虫唾が走る。
「ねぇ、来てぇ……」
「ああ、分かったよ。いくよ、リナさん……」
 そうしている内に、お父さんとリナは身体を合わせ始めた。その光景に耐えられなくって、私は心の中で何度も何度も叫んだ。そんな女と一緒に寝ないでと。
「リナさんっ、リナさんっ!」
 けど、そんな心の声はお父さんには届かず、お父さんはリナとの戯れに興じ続けた。
自分の父親が下衆な女の虜になっている様を見せつけられるのは、喉を掻き毟って死にたいほどの恥辱だった。
「もう止めて、止めてよぉ……! そんなに女の身体が欲しいなら、レナの身体をあげるから……!! だから、だからもう……そんな女を抱かないでぇーー!!」
 私は襖を開け、二人の前に乱れた身体を曝け出す。そんな売女より自分を抱いてとお父さんに言わんばかりに。
「リナさんっ! 愛してるよ、リナさんっ!!」
……でも、お父さんは私なんかに見向きもせず、発情期の野獣のようにリナと交わり続けるだけだった。私には、ただただ悔し涙を流し続ける術しか残されていなかった。



「っ……!? はぁ、はぁ、はぁ……っ!」
 それは夢だった。
嫌な夢。目を逸らしたいほどの禍々しい夢。
私は身の毛がよだつほどの悪夢に、びっしょりと汗をかいていた。
私は夢魔の呪いから早く逃れようと、お風呂に行きシャワーを浴びる。
「はぁ……」
それでも気分は晴れなかった。頭がズキンズキンと痛み、お腹の調子も悪い。
 分かっている。シャワーを浴びたくらいで、この気持ち悪い塊を拭えるはずがないことを。
だってあれは悪夢だけど、リナがこの家に来るようになってからは確実に何度か行われた、紛れもない事実なんだから。
そして恐らく、私が夢に見た光景は、今日もこの家で繰り広げられているんだ。
「うぐぅっ!?」
 そう思うと、突然私は耐え難い嘔吐感に襲われる。
「うぶっ……うっ……うげぇっ……!」
 空腹で胃に何も入っていない私の身体は、無理矢理胃酸を吐き出した。
口から吐き出された胃酸はビチャビチャと音を立てながらタイルに落ち、滝のように流れるシャワーの水しぶきと共に、排水溝へと吸い込まれていった。
 私の知らない間に、何度も何度もお父さんがあの女と身体を合わせていたことを思うと、私は気持ち悪くて仕方がなかった。
「はぁ、はぁ、はぁっ……!」
 ああ、最悪だ。私は何て夢を見たんだ……。私は夢の最後、何をしようとした? 何を……。
「ふっ……ふふふっ……あははははは!!」
 夢の中で自分がしようとしたことを思い出し、私は大声で嗤った。
 だって、だって! 私は夢の中でお父さんとやろうとしてたんだよ!?
 近親相姦をしてまでお父さんを取り戻そうとする自分の気持ちがあまりに不潔で、私は自嘲せずにはいられなかった。
「あっはっはっはっは! あーははははは!!」
 シャワーの水量を増し、水音で醜い嗤い声を二人に悟られないようにしながら、私は嗤い続けた。
夢の中でとはいえお父さんを醜い淫獣として貶めた、親不孝な自分を恥じるように自嘲し続けた。まるで穢れた自分の心を清めるかのように、冷たいシャワーを頭から被りながら。
「はぁ、はぁ……。どうして私は女なのかな? かな……?」
 一しきり嗤った後、突然身体を襲う虚無感。
この痛みと苦しみは、何も悪夢と非情な現実だけに起因しているものじゃない。女に生まれて来た者なら誰しもが一度は経験したことのある生理的な痛みだ。
それがたまたま重なって、余計に私の体調を悪くさせている。
 ああ、嫌だ。今日ほど自分が女であることに嫌悪感を抱いたことはない。私の身体はあの女と同じだ。お父さんをたぶらかしているあの女と同じなんだ!
 私はリナや男を作って私とお父さんを捨てた母親みたいな女には決してならない、なりたくもない。
でも、自分が女である限り、そうなる可能性は少なからずある。
 自分もあの女のように子供を産み、そして胎内の子供を武器に離婚を迫る可能性を一%でも孕んでいることが、私は悲しくて仕方なかった。
 本当に何で、私は女の子なんかに生まれて来たのかなぁ。もしも自分が男の子だったら、もうちょっと心を乱さずに強く立ち向かえたんだろうな。
 そう、圭一くんのような男の子だったら……。



 結局シャワーを浴びても気分は優れず、私は体調不良の身体を引っ張りながら圭一くんを迎えにいった。
「どうしたんだ、レナ? 顔色が優れないぞ?」
「ううん! 大丈夫だよ!!」
 圭一くんの前では必死に元気さを装うと思ったけど、やっぱり無理があるみたい。
でも、私は学校を休むわけにはいかない。学校に行って魅ぃちゃんとお話しして、上手く葛西さんのことを聞き出さなければならない。
 学校まで身体が持ちそうにないのなら、登校時だって構わない。とにかく魅ぃちゃんと会うまでは、私は倒れるわけにはいかない。
 逆に、魅ぃちゃんから葛西さんのことを聞き出せれば、身体の不調は寧ろ好都合だ。体調不良を理由に早退し、誰にも怪しまれずに家へと帰り、あの鉄平という男の来襲に備えることができるのだから。
「おっはよー! 魅ぃちゃん!!」
 そうして私は圭一くんと一緒に魅ぃちゃんとの待ち合わせ場所に赴き、既に待ち合わせ場所に来ていた魅ぃちゃんに元気一杯な挨拶をした。
「おはようレナ。顔色が悪いけど、ひょっとしてあの日? クックック……」
「魅ぃちゃ〜〜ん! 圭一くんの前でそんな恥ずかしいこと言わないでよ〜〜!!」
 確かに生理の日が近くて体調が悪いんだけど。でも、圭一くんの前で私の身体に関わる話はやめてくれないかな? かな?
 何ていうか、その。男の子の前で女の子の生理現象を話題にされるのは、凄く恥ずかしい。あんまり恥ずかしくって、何だかよけいに眩暈が酷くなりそうだし。
「何だぁ、あの日って? 俺にも分かりやすいように詳しく教えてくれないか?」
 ほらぁ〜〜、やっぱり圭一くんが訊いてきたよぉ〜〜! この顔、絶対にあの日が何だか知ってて、レナに恥ずかしいこと言わせようとしてる顔だよ〜〜!!
 もうっ、魅ぃちゃんにはもうちょっと場の空気を読んで欲しいかな? かな?
「そっ、そんなことより、魅ぃちゃん! 昨日詩ぃちゃんに会ったんだけど……」
 私はこの恥ずかしい話題をとっとと終わらせるようと、咄嗟に話題を葛西さんのことに移した。
「成程。分かったよ、レナ。後から詩音に訊いてみるよ」
「ありがとう、魅ぃちゃん」
 私は何とか怪しまれずに話題を変えることに成功し、葛西さんと会いたいという旨を魅ぃちゃんに伝えることができた。
これで今日やるべきことはできたと、私は安堵した。すると、急に身体の力が抜け、意識が朦朧としてきた。
「レナ、さっきより顔色が悪くなってるぞ? やっぱり今日は大人しく帰った方がいいんじゃないのか」
「うんそうだね、やっぱりちょっと無理みたい。今日は学校休むって知恵先生に伝えておいて」
「分かった、伝えておくぜ」
「ありがとう、圭一くん。それじゃ、ここで」
 私は圭一くんに言伝をして、一人で家に帰ろうと踵を返した。
「あっ……」
 だけど私の意識はもう限界で、ふらふらと眩暈をしながら地面に倒れ込みそうになった。
「おっ、おい、レナ!」
 すると、圭一くんが私の腕を優しく掴んでくれた。お陰で私は地面に激突しないで済んだ。
「あっ、ありがとう、圭一くん……」
「ったく、そんなんじゃ一人で家に帰れないだろ? 俺が送ってくぜ」
「えっ!?」
 そう言うと突然圭一くんは同意も得ずに、私を背中に負ぶった。
「けっ、圭一くん、何をするんだよ、恥ずかしいよぉ〜〜!」
 魅ぃちゃんの眼前で突然おんぶされたことに、私は顔を真っ赤にしながら慌てふためいた。
「ヘッ! 恥ずかしいってんなら、負ぶさった甲斐があるってもんだぜ!!」
「降ろしてよぉ、圭一く〜〜ん! レナ、一人で帰れるよぉ〜〜!!」
「駄目だ。レナは俺がおんぶしていく!」
「やだよぉ、恥ずかしいよぉ〜〜!」
 私は何とか降ろしてもらおうと、駄々をこねる子供のように、圭一くんの背中をぽこぽこと叩く。
「ダーメ!」
 それでも圭一くんは頑なに私を背中から降ろそうとしない。
「圭一く〜〜ん!」
「観念しろ! これはレナに対する罰ゲームなんだからな」
「はぅっ!? ばっ、罰ゲーム?」
「そうだ、これは罰ゲームだ。体調が優れない身体に鞭打って学校へ行こうとした、レナに対する罰ゲームだ!!」
「……。ふふっ、あはは。そっかぁ、罰ゲームかぁ。それなら仕方ないかな? かな?」
 何だろう? 素直じゃない圭一くんの心遣いがとっても温かくて嬉しくて、不思議とこのまま圭一くんに背中を預けたくなる。
「そういう訳だ、魅音。後のことは頼んだぜ!」
「クックック、粋なことするねぇ、圭ちゃんも。智恵先生には圭ちゃんがレナを家まで送って行ったことも、ちゃんと伝えておくよ」
「サンキュー、魅音!」
 圭一くんは魅ぃちゃんに感謝の言葉を述べると、ゆっくりとした足取りで来た道を戻り出した。



「はぅ……圭一くんのお背中、とってもあったかいよぉ……」
 最初は恥ずかしかった圭一くんのお背中も、歩き続けるうちに段々心地良くなってきた。
 のどかな雛見沢の散歩道を虫たちの合唱に奏でられながらおんぶされて歩く様は、何だかとってもロマンチックだった。
 圭一くんの私を想う心が、自然と背中の温もりと共に伝わってくる。優しくて頼りがいのある大らかな圭一くんの心意気が、とっても愛おしく感じる。
「圭一くん、あのっ……」
 だから、こんな人になら自分の悩みを打ち明けたいって衝動に駆られてしまう。
「何だ、レナ?」
「ううん……何でも……」
 けど、私は寸でのところで口を止めた。恐らくリナと鉄平のことを話しても、圭一くんじゃ力になれないと思う。
それは決して圭一くんを過小評価しているのではなく、相手が大人じゃ圭一くんにも手に負えないだろうから。
 本当は圭一くんに心から頼りたくて仕方がない。
 だけど、こんなに優しい圭一くんに迷惑をかけるわけにはいかないと、私は口をつぐんでしまう。
「何だぁ? 背中に負ぶさるだけじゃ罰ゲームにならないってか?」
「そっ、そんなことは、なっ、ないよぉ!」
 私はあたふたと必死で否定する。
 でも、最初の恥ずかしい気持ちはとっくに抱かなくなっちゃったから、確かに罰ゲームじゃなくなってるかも。はぅ。
「よーし! じゃあ次はお姫様抱っこしてやるぜ!!」
「おっ、お姫様抱っこ〜〜!?」
 ボンッと、まるで沸騰して湯気が湧き出るように、私の恥ずかしさは臨界点に達した。
う〜〜、お姫様抱っこ。それは確かに耐えられないかも……。
「今度また無理して学校に行こうとしたら、お姫抱っこで強制送還だからな。覚悟しておけよ、レナ!」
「うっ、うんっ! 次は絶対に無理しないよ!!」
 何て言いつつ、お姫様抱っこもちょっとはいいかなって思ってしまう自分が情けない。圭一くんにお姫様抱っこして欲しいからって無茶しないよう、気を付けなきゃ。
「着いたぜ、レナ」
 そうやって圭一くんと一緒の時を過ごしていたら、いつの間にか家に着いていた。
「ありがとう、圭一くん。圭一くんにおんぶされたら、ちょっとだけ気分が良くなったよ」
 それは冗談でもお世辞でもなく、圭一くんの温もりに抱かれているうちに、いつの間にかモヤモヤとした気持ちはどっかへ飛んでいっちゃっていた。
「じゃあな、レナ。ちゃんと身体を治すんだぞ!」
「うん、じゃあね!」
 そうして圭一くんは駆け足で学校へと向かっていった。私は圭一くんの背中を、姿が見えなくなるまでずっと見送った。
 圭一くんに元気をもらったお陰で、何だか色々と頑張れそうな気がしてきた。
 そんな晴れ晴れとした気持ちで、私は家の中へと入っていった。
「礼奈ちゃん、ちょっとお話があるんだけど〜〜?」
 けど、そんな揚々とした気分も、リナの心無い一言であっという間に消し飛んだ。

……続く

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