皇暦二五九九年九月。第一次ネウロイ大戦から二十数年。沈黙を保っていたネウロイが、突如欧州への侵攻を開始した。
当時ブリタニアでストライカーユニットの開発に従事していた私は、扶桑皇国からオラーシャ帝国のリバウへと派遣される遣欧艦隊への転属命令を受けた。
 同年十一月。十月に扶桑より派遣された遣欧艦隊の一団が、ブリタニアの軍港へと入港した。
リバウ遣欧艦隊は航空母艦飛龍を旗艦とし、以下駆逐艦吹雪、白雪、初雪、磯波、浦波、敷波、綾波、特設給油艦東邦丸、東栄丸、神風丸の計十一艦艇からなる。
「坂本美緒少尉、ただいま着任しました!」
 私は荷造りをし、旗艦である飛龍に乗船すると、司令官室に出頭した。
「うむ。貴官は本日付けで扶桑皇国海軍遣欧艦隊第二四航空戦隊二八八航空隊所属となる。万事怠ることなく任務を遂行せよ!」
「はっ! 了解です、長門ながと司令官!!」
 私は厳粛な声で語る長門司令官に敬礼した。司令官である長門多聞たもん少将は、第一次ネウロイ大戦において欧州派遣艦隊に所属されていた経歴をお持ちの方だ。そのご経験が考慮され、遣欧艦隊の司令官に任命されたのだろう。
「失礼します、長門司令官!」
 踵を返し司令官室を後にしようとすると、室内に乙女の透き通るような美声が響き渡った。
「うむ。入りたまえ、竹井少尉」
「はい」
 まだ幼さが残る顔立ちながらも、物腰の落ち着いた雰囲気のある少女。容姿から察するに、私と同年代だろうか。
「長門司令、彼女は?」
「うむ。彼女は二八八航空隊で中隊長を務める竹井醇子少尉だ。原隊で貴官は竹井少尉の下、小隊長として軍務に従事してもらうことになる」
 つまりは、同級の下で働けということか。
やれやれ。まさかこんな若い士官の下で働くことになろうとはな。遣欧艦隊と響きは良いが、あまり優秀な人材を派遣する余裕はないようだな。名将と謳われる長門少将が司令官なのが、せめてもの救いか。
「坂本美緒少尉です。今後ともよろしくお願いします、竹井少尉」
 同級とはいえ上官には変わりない。私は丁寧な言葉で敬礼し、彼女に挨拶をした。
「こちらこそよろしくお願いします、坂本少尉。貴女の噂は扶桑にいた頃から聞いているわ。扶桑海事変から現役で戦い続けているベテランウィッチの腕前、楽しみにしています」
 彼女は上官であるにも関わらず、私に親しげな声で話しかけてきた。正直調子が狂いそうだが、何とか上手く付き合っていくしかないな。



「ここが貴女の寝室になります、坂本少尉」
 司令室から退室すると、私は竹井少尉に艦内の寝室に案内された。
寝室は四畳半ほどの広さしかなく、船窓が一つしかない簡素な作りの部屋だった。部屋の脇に二段ベッドが置かれていることから共同部屋のようだ。
ブリタニアにいた時はもう少し居住性に優れた個室だったのだが、贅沢は言えないな。
「ところで、同居人は誰になるのです?」
 相部屋ならば当然同居人がいることだろう。私は竹井少尉にこれから寝起きを共にする者の詳細を訊ねた。
「それは……私です!」
 やたらと明朗な声で竹井少尉が答えた。
「たっ、竹井少尉が同居人!?」
 よりにもよって自分の上官に当たる人が同居人だとは。任務外のところで常に上官と一緒となると、正直気の休める暇がなさそうだな。
「あら? 私が同居人なのは不服かしら?」
「いえ、別にそういうわけでは」
「他の人だったら大変よ? 何せ坂本少尉は扶桑海軍ウィッチの憧れの的なんだから」
 私が憧憬の的か。あまり自覚はしていないが、確かに自分が女学生だったら、扶桑海事変で活躍したウィッチを崇敬したことだろう。
 仮に私を敬慕する部下と一緒の部屋だったら、四六時中好奇の眼差しを向けられるのは想像に難くない。
「しかし恐れながら、竹井中尉が私に憧れているということはないのですか?」
 失礼だとは思いつつ、私は念のために訊ねてみた。自身が例え話を持ち出すくらいなのだから、竹井少尉自身、私に憧れている面があるのではないかと。
「憧れというより尊敬ね。私は扶桑海事変の頃はまだウィッチじゃなかったから。自分と年の違わない子がもう戦場で戦っているなんて凄いなぁって」
 その後竹井少尉は、自分がいかに私に敬意を抱いているかを熱く語った。
 上官とはいえ、自分のことをやたらと褒められるのは、何だか気恥かしいものがあるな。
「でも私はこれでも一応貴女の上官ですから。その辺は弁えているわ」
 私を安心させるように、竹井少尉は満面の笑みを浮かべる。確かに、この落ち着きようならば信頼できそうだな。
「でもね、ふふっ。うれしいわ」
 竹井少尉は顎に手を当て、私の顔を眺めながらクスクスと笑い出した。
「うれしい?」
「ええ。ようやく同居人が来たなぁって。扶桑からずっと一人で寂しかったから」
 成程。確かに、私が竹井少尉の同居人であることは扶桑を出港した時から決定事項だっただろう。
だから、竹井少尉は艦隊がブリタニアに到着するまで、相部屋に一人きりだったことになる。
「もちろん、敬愛する貴女と一緒っていうのもうれしいけど。同居人が増えたことが何よりうれしいわ」
 やれやれ。初対面の時から竹井少尉がやたらとニコニコ笑っていた訳が分かった気がする。
 長い船旅で一人部屋は孤独だろうからな。同居人の一人でも欲しくなるというものだ。



 竹井少尉に寝室に案内された後は艦内のブリーフィングルームに召集され、今後の作戦概要を説明された。
電撃的な侵攻によりオストマルクを陥落させたネウロイは、その勢いに乗り、オラーシャ、カールスラント、ガリアなどのヨーロッパの多方面に侵攻した。
 各地で激戦が繰り広げられている中、オラーシャはウラル山脈を境に国土を分断されるほどネウロイの猛撃を受けている。我々遣欧艦隊はオラーシャ軍を支援しつつネウロイの殲滅に当たるのが、今派遣の主任務だ。
 聞けば竹井少尉を始め、派遣されたウィッチたちはほとんどが実戦経験に乏しい者らしい。
やれやれ。これは実戦を交えながら経験を積ませろということか?
この様子だと、リバウに着くまでの間も、休む間なく訓練を行わなければならないようだな。
「明日からは訓練も始まるんだし。今日は早めに寝ましょ、坂本少尉」
 夕食を取り寝室に戻るや否や、竹井少尉がもう就寝したいと言ってきた。
「いや、そういうわけにはいきません。夜間とはいえ訓練に努めなければ」
 私は有無を言わずに拒否した。航行中とはいえ、いつネウロイが襲撃してくるか分からない。
ましてやウィッチたちは新人揃い。こんな状況下では寝る間も惜しんで訓練に励まなくてはならないだろう。
「でも今日はもう暗いし、訓練は明日からでも遅くないと思うわ」
「お言葉ですが、竹井少尉。ネウロイは夜間に攻めて来る可能性もあります。ですから、暗いというのは訓練を拒む理由にはなりません」
 私は相手が上官であるにも関わらず、訓練の重要性をこれでもかと説いた。
「ダーメ。今日はとにかくもう寝るの」
 しかし、竹井少尉は一歩も引かず、笑顔で強弁する。
「それは命令ですか?」
「そうね。命令と言えば命令ね」
「ならば仕方ないですね。ご命令に従い今日は就寝します」
 上官に命令と言われればもう引き下がるしかない。腑に落ちないが、私は寝る支度をすることにした。
「ふふっ。楽しみー。ベッドで眠りながら夜な夜な語り合うの」
 私が渋々寝具に着替えている中、竹井少尉はやたらと上機嫌だ。明日に備え身体を休めるためという理由ならまだ理解できたが、そういう不健全な理由では呆れ返るしかないな。
「坂本少尉は宮藤博士の下でストライカーユニットの開発に従事していたのよね? その辺りの話を詳しくして欲しいなー」
「軍務上の機密に触れない程度なら、いくらでもお話しますよ」
 私は生返事をしつつ、二段ベッドの下に潜り込もうとする。
「ん? 何だこれは?」
 ベッドの上に妙な物が寝かされており、私は徐に手に取る。見たところ、それは小さな虎のぬいぐるみのようだ。
「きゃあっ!? そこは私のベッドです、坂本少尉!!」
 竹井少尉が甲高い悲鳴をあげたと思うと、バッと私が手に取ったぬいぐるみを奪い取り、顔を真っ赤にしながらぬいぐるみを背中に隠した。
「それはひょっとして、竹井少尉の私物ですか?」
「え、ええ、そうよ。お母さんが出征の時、編んでくれたの。『虎は千里を行って千里を帰る』っていう縁起物なのよ……」
 竹井少尉は紅潮した顔で、ぬいぐるみの説明をしてくれた。
「それはいい縁起ですな。しかし、はっはっは! 竹井少尉もなかなか可愛いところがある」
 私は思わず口を大きく開けながら豪快に笑った。縁起物とはいえ、竹井少尉のイメージからとてつもなく離れた可愛らしい物に、私は平常を保つことができなかった。
「もーう、笑わないでよー! 笑われたくないからちゃんと理由を話したのにー!!」
 竹井少尉はむうっと顔を膨らませ、プンスカプンスカ怒った。その仕草があまりに可愛くて、いつの間にか胸の蟠り(わだかま)は笑い声と共に飛散していた。
「とにかく! 坂本少尉のベッドは上です! 明日は早いんだから、とっとと寝てください!!」
 竹井少尉はつむじを曲げながらベッドに潜り込み、頭から布団を被って床に就いた。
「おやおや? 朝まで語り合うんじゃなかったんですか?」
「知りません!」
 その後竹井少尉はまったく口を聞いてくれず、ふて腐れるように床に就いてしまった。
さすがにからかい過ぎたと思い、私は何度か声をかけて詫びた。そうしているうちに、ようやく竹井少尉は機嫌を直してくれた。
結局この日は竹井少尉の機嫌を直すのに終始し、会話など交えることなく最初の夜は過ぎていった。


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