偶像再誕第一章・チェンジ! アイドル!!
「ふぅむ。何か良い策はないものかのぅ」
夏休みも後半に差し掛かった、いつもと変わらぬ御厨家の夕食風景。テレビを付けながら夕食を取っていたナギは、何やら思案し続けていた。
今までの地道な活動により、仁の学校や神薙町の人気者として、ある程度の信仰心は得られた。
それにより神としての力を徐々に取り戻してはいる……が、まだ足りない。妹であるざんげを抑えつつ、自らにより多くの求心力を集める一発逆転の策はないだろうかと、ナギは頭を悩ます。
「ナギ! この娘、ちょっと声が似てないか?」
そんな時、仁がテレビを箸で差し、ナギに声をかける。
「何の話じゃ、仁?」
「だからテレビだよ、テレビ! 最近ブレイクし出した876プロの日高愛ってアイドルみたいなんだけどさ」
「ふぅむ」
仁に促されつつ、ナギはテレビに目を向ける。そこでは仁の指摘した愛が、元気いっぱいな声でトーク番組に花を添えていた。
「うぅむ。確かに少しは似ているやもしれんが、妾はここまで天真爛漫では……」
仁が言うほど酷似していないと思いつつ、ナギはあることを閃いた。
「おおそうじゃ! その手があったか!!」
ポンっと左手を叩き、ナギは目を輝かせた。その行為に、仁は不安しか抱かなかった。
「一体何を思いついたんだよ、ナギ……」
「ふっふっふ。仁よ、妾は今まで神薙町の偶像(あいどる)となるべく活動をしてきた。じゃが、それはあくまで素人の行いに過ぎぬ。今以上の信仰心を集めるには、玄人の手助けが必要不可欠じゃ」
「つまり、どういうことだよ?」
「分からんか? 妾もまた、この小娘のようなプロのアイドルになるのじゃ!」
ビシッと画面を指差し、ナギはプロとしてアイドルデビューする決意を述べた。
「ちょっと待て! 今の話からどうしてそういう結論に達する!?」
百歩譲ってプロの指導の下、より効率のいいアピール方法を学ぶというのなら、まだ話は分かる。
しかし、プロの力が必要だからって本当のアイドルになるのは飛躍し過ぎだと、仁はツッコまずにはいられなかった。
「そうと決まれば善は急げじゃ! 早速876プロとやらに乗り込むぞ!!」
ナギは夕食を一気にたらい上げ、身支度を整えようと茶の間を後にしようとする。
「何も決まってねー! って言うか、プロダクションの場所も分からないでどうやって!?」
「そんなもん、貴子辺りにでも調べさせれば済むことじゃろう。ネットの力を使えば明日にでも場所は判明するじゃろうし、旅支度を整えておくのに越したことはない」
ナギは仁の言葉に耳を傾けることもなく、勝手に身支度を始める。
翌日、876プロの場所も無事に判明。ナギは居ても立ってもいられなくなり、早速東京にある事務所に赴く流れとなった。
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「ほぉ? ここが876プロの事務所か」
午前十時。貴子から得た情報と地図を頼りに、876プロ事務所を訪れたナギ。
芸能事務所ということだから、さぞや立派な高層ビルにでも構えているのかと思ったら、現場にはちっぽけな雑居ビルが建っているだけだった。
「本当にこんなところが芸能事務所なのか?」
ナギに勝手に動き回られたら困ると同行した仁も、あまりの小ささに我が目を疑った。
「いや。これはかえって好都合かもしれぬな!」
「好都合? どういうことだ?」
「考えてもみよ、仁。仮に大手事務所に頼み込んだとしても、妾を受け入れてくれると思うか?」
「普通に門前払いだろうな、そりゃ」
大手事務所ともなれば数十人のアイドル候補生を抱えていても不思議ではない。どこの馬の骨とも知れぬ少女の懇願になど、聞く耳を持たないだろう。
それは十分承知であり、交渉決裂の末堪忍袋の緒が切れたナギが暴走しないようにと自分は付いてきたのだと、仁は呆れ顔で呟いた。
「その通りじゃ! じゃが、小規模な事務所ならば、所属アイドルも少なく、新人発掘にも余念がないことじゃろう」
「だから、入り込む余地はあるってか」
確かに大手に比べれば相手にしてくれるかもしれない。
けど、小さな事務所だからといって人材不足とは限らないだろうと、仁は溜息を吐く。
「あら? こんなところで奇遇ね、姉さま」
「なっ!?」
そんな時、可愛いながらもどこか高圧的で見下すような声が響き渡り、ナギは驚愕する。
「ざんげっ!? 何故そちがここに!?」
声の主はナギの妹であるざんげだった。自分が876プロを訪れることは口外していない。にも関わらず、何故狙ったようにざんげがいるのだと、ナギは困惑する。
「これでも私、姉さまのサイトは逐一確認しているのよ。自分のファンの動向くらい、ちゃんと確認しておくことね」
「ぬぅ。貴子の奴、あれほど口外してはならぬと念を押したというのに……!」
手元にノートPCがないので確証は持てないが、恐らく貴子が勢い余ってBBSに書き込んだのだろうと、ナギはワナワナと憤る。
「まあ、元から姉さまが私に敵うわけないのですが。万が一プロのアイドルにでもなられたら、厄介なことに変わりはないですからね」
だから姉さまがアイドルになるのを阻止すると共に自らがプロになるため876プロを訪れたと、ざんげは高慢な態度で説明する。
「これ以上そちの好き勝手にはさせんぞ!」
「その言葉、そっくりそのまま姉さまにお返しするわ!」
二人はいがみ合いながら押し合い圧し合い、事務所の中へと入っていく。
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「駄目よ! 気持ちは分かるけど、今はゆっくり静養しなさい!!」
同じ頃、876プロの社長である石川実は、電話越しに叱責していた。
電話の主は、所属アイドルの一人である日高愛。ここ数日の頑張りが響いて風邪を拗らせてしまい、電話越しに社長に謝罪しつつ事務所に来る意気込みを見せた。
だが、ここで無理をすれば後々の活動に重大な支障を来たすと、石川は愛を抑止した。
(困ったわねぇ)
とはいえ、ここで愛に休まれるのは大きな痛手だった。何故ならば、今日の午後七時から、876プロの所属アイドル三人が出演する生放送の撮影が予定されているからだ。
番組はどちらかというと色物のバラエティである。アイドルとしての価値を高める番組かは疑問符が付く。しかし、876プロのアイドル総出演という恩恵は大きい。
だから、ここで一人でも欠員を生じさせると、後々の活動に大きな支障を来たすと石川は危惧する。
(絵理は絵理でドタキャンするし、万事休すね……)
その一方、所属アイドルの一人である水谷絵理は、先週行われたオーディションでの敗退が尾を引き、今週はとてもじゃないが仕事に出られないと。メールで断りを入れて来た。
876プロのアイドルが出演しなかったところで、番組の視聴率にはあまり影響しない。そこそこ売れてきているとはいえ、三人ともまだまだ駆け出しのアイドルだからだ。
それ故、番組の撮影は愛と絵理抜きでも支障なく行われ、ダメージを受けるのは876プロのみ。何とかしたくても、体調やメンタリティの問題は容易には解決できず、石川は八方塞で頭を抱えたい心境だった。
「頼のもー!」
「よろしくお願いしますわ!」
そんな時、タイミングを見計らうように、ナギとざんげの二人が事務所へと転がり込んできた。
「何よ、あなたたち!」
ただでさえ陰鬱な気分だというのに、追い討ちをかけるような突然の来訪者。石川は鬼のような形相で睨み付けながら、二人を出迎えた。
「突然の来訪、失礼致す。実は妾はかくかくしかじかこういうもので」
ナギは石川の心情を察するわけでもなく、自分が事務所を訪れた一部始終を語った。
「成程。地方でそこそこチヤホヤされているから有頂天になって、無謀にもオーディションも受けずにプロのアイドルになろうとしたのね」
ナギに続いてざんげの説明を聞き終えた石川は、嫌味たっぷりに二人が事務所を訪れた理由を把握した。
「ホント、すみません! 俺が日高愛ってアイドルにナギの声が似ているなんて言わなきゃ、こんなことには」
遅れて訪れた仁が、ご迷惑をおかけして済みませんでしたと、二人に代わり、石川に深々と頭を下げた。
「声が似ている!?」
その一言に、石川はある名案を閃いた。
「予め断っておくけど、アポなしに事務所に突撃してきた子を所属アイドルにするほど、ウチは甘くないわ」
石川は当然の如く二人の願い出を一蹴した。
「但し、こちらの提示する条件をクリアしたのなら、考えてあげてもいいわ」
「条件? 条件とは何ぞや?」
「どんな条件ですか? 早く教えてください!!」
少しでもプロのアイドルになれる可能性があるならと、ナギとざんげは石川の言葉に噛り付く。
「まずはこれから言うことは他言無用。例え条件をクリアした後でも口外したことが発覚すれば、アイドルデビューの話は白紙よ」
そう断った上で、石川は876プロの現状を語った。
「成程のぅ。体調を崩して所属アイドルの二人が休止状態。それは難儀よのぅ」
「大体の話は見えてきたわ! ようは私たちが二人の代役を務めればいいんですわね!」
「ええ。けど、代役といっても二人にそのまま出てもらうわけじゃないわ。二人にはそれぞれ“日高愛”と“水谷絵理”を演じてもらうわ!!」
ざんげの質問に、石川は条件を提示した。
「ナギには愛の。ざんげには絵理を演じてもらうわ。期間は今日の撮影一日のみ。そこでもしも誰にも正体を暴露されることなく演じ切れたら、見込みありってことでアイドルデビューの話を聞いてあげるわ」
「何と!? 妾にあの小娘を演じろというのか!?」
TVで見た限り似ているのは声だけで、髪型や背格好の何もかもが自分とは全く違う。声真似だけならば何とか可能だが、外見まで模倣するのは不可能だと、ナギは困惑する。
「ふぅん。参考までに聞きますけど、その絵理ってアイドルはどんな娘なのかしら?」
絵理というアイドルをまったく知らないざんげは、演じるためにと絵理の詳細を訊ねた。
「そうね。見た目の雰囲気と声はあなたにそっくり。少し髪を調整すれば外見を演じるのは難しいことではないわ。問題は性格面ね」
「性格面?」
「そう。絵理はあなたと正反対で引っ込み思案な娘なのよ」
「引っ込み思案ねぇ……」
それなら我に秘策ありと、ざんげは不敵な笑みを浮かべた。
「えっ!? そんな、いきなり……」
すると、次の瞬間、ざんげは人が変わったように戸惑う台詞を発した。
「えっと……その、あのっ……あぅ……」
「そう! その感じよ!! まさに絵理そのものだわ!!」
ざんげのあまりの迫真の演技に、石川は絵理の生き別れの妹ではないかと錯覚するまでにティンときたのだった。
(うふふ。どうやらドンピシャだったみたいね、白亜)
実はそれは演技ではなく、ざんげが憑依している白亜と精神を入れ替わっただけだった。
(そういう訳で、今日の番組は貴方に出てもらうわ)
(そんなっ!? 私にアイドルなんて、絶対に無理……)
引っ込み思案なキャラを演じるくらいなら白亜に代わってもらった方が手っ取り早いと思ったざんげ。
しかし、当の白亜はあまり乗り気ではなかった。
「うぅむ。やるからには最低限この髪を切らなければならぬのだろう……?」
「そうね。ただ、色そのものが違うから、切った上にカツラをつけてもらうことになりそうだけど」
「むむむ。さすがに髪までは切れぬのう。声は似ているのだから、声真似だけで何とか通らんかのぅ?」
「難しいわね。確かに録音だから声そのものは誤魔化すことはできるだろうけど、今度はナギの代役を立てなきゃならなくなるし……」
せめて外見だけでも真似できる人間がいれば可能なのだがと、石川は思案する。
「おい、ナギ。もう諦めて帰ろうぜ。元から無理な話なんだし。これ以上粘る必要はないぜ」
ナギの神秘なロングヘアをそれなりに気にいっている仁は、髪を切ってまでアイドルの真似はして欲しくないと、ナギに帰るよう促す。
「!? そうだわ、その手があったわ!!」
ナギと仁の会話を聞き、石川はティンと閃いた。
「そこの男の子! 名前は?」
「へっ? 御厨仁ですけど?」
「仁ね! あなた、愛を演じてくれないかしら?」
「えっ!? えっ!? えええー!?」
一瞬石川が何を言っているのか理解できなかった仁。そして把握した途端、あまりにトンデモな提案に、ビックリ仰天した。
「ふぅむ。確かに仁の方が雰囲気は似ているかもしれんのぅ」
昨日TVで見た愛との姿と仁とを重ね合わせ、ナギは成程と頷いた。
「いや! 似ているとか似ている以前に、俺、男だぞ!?」
女装なんて死んでもゴメンだと、仁は必死にブルブルと首を横に振って拒否する。
「仁が愛の外見を真似し、ナギが声を真似る。声のタイミングを合わせるのが大変かもしれないけど、そこさえクリアすれば何とかなりそうね」
「いや、だから問題にするところが……」
石川は愛の真似をすることよりも、声のタイミングを合わせる方が困難だという見解を出す。
何でこの社長は俺が女装することに何の疑問も持たないんだろうと、仁は不思議がる。
「そういうわけじゃ、仁。早速愛の格好を真似してみてくれ!」
「勝手に話を進めるなよ、ナギ! 俺はやるだなんて、一言も……」
「頼む! 仁!! 妾のためと思って、何卒!!」
ナギは仁の前で両手を合わせ、まるで神に祈りを奉げるように、仁に懇願する。
「ナギ……。わーったよ。やりゃあいいんだろ、やりゃあ……」
神であるナギに神頼みされるのを奇妙に思いつつ、仁は観念して愛の変装を承諾した。
(白亜! これはチャンスよ!!)
事の一部始終を眺めていたざんげは、白亜の心の中で囁いた。
(チャンス? 何の?)
(仁に近付くよ! 今の話を聞く限りじゃ、姉さまじゃなく仁の方がアイドルを真似するようね。ということは、貴女も絵理の真似をすれば!!)
(あっ……)
言われてみて気付いた。確かに番組の収録が終わるまでの間、仁くんといつも以上に一緒にいられることになる。
そして二人で同じ境遇に立てば、親近感が湧き、距離を縮められるかもしれない。
「あのっ……わたしも、やります……!」
これは神さまのためだけじゃなく、自分のためにもなる。なら勇気を振り絞ってやってみようと、白亜はふるふると腕を震わせながら挙手する。
「あら? あなたは最初からやる気だったじゃない?」
まるで頑張って絵理の真似を行う素振り。いくら雰囲気を真似るからって消極的なところまで真似る必要はないと、石川は首を傾げる。
「まあ、いいわ。二人とも、早速着替えて頂戴。ざんげの方は髪を整えて、仁の方はこれから用意する女の服に。髪型はそのままでいいわ」
こうして仁と白亜の二人は、流されるままアイドルの代役を務めることとなったのだった。
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「あの、お待たせしました……」
三十分後。美容院で髪を切ってきた白亜が、再び事務所に姿を現した。
「あら? 本当に絵理そっくりじゃないの」
腰まで伸びていた長い髪を肩の辺りまで短く切った白亜。その姿は、石川が感心するほどまでに絵理と酷似していた。
「さて、こっちの方は問題ないとして、もう一人の方は……」
単に着替えるだけだというのに、仁はなかなか姿を現さない。ひょっとして、いざ女性の服を着る段階で嫌気が差したのではないかと、石川は懸念する。
「待たせたのう!」
白亜が戻って来てから二十分後。バンッと勢いよくドアを開ける音と共に、ナギが姿を現した。
「仁の奴がスカート穿くのに手間取ってのぅ。ほれ、仁。お前の晴れ姿を皆に見せてやるのじゃ!」
「……」
ナギに促され、むっつり顔の仁が姿を表した。仕方なくスカートを穿いた仁だったが、あまりのムズムズさに不快感しか抱かなかった。
「へぇ。こっちは意外と違和感ないわねぇ」
多少身長が高いのが難点だが、それ以外は愛に瓜二つだと、石川は感心する。
「うっ、うれしくない……。中学生の女の子にソックリだと言われても……」
ただでさえ低身長から中学生と見間違われることがあるというのに。よりにもよって女の子の格好が似合っているだなんて。
そこまで俺は男らしくないのかと、仁は自己嫌悪に陥り、ガックリと膝をついた。
(白亜、チャンスよ!)
そんな仁の姿を見て、ざんげが白亜の心の中に囁きかけた。
(チャンス? 今度は何の?)
(女装の件で仁は落ち込んでいるわ。ここで声をかければ、一気に好感度がアップよ!)
(あっ……)
人が心を乱しているところに付け込むのは卑怯。だけど多分、仁くんの苦しみは同じ境遇にいる自分しか分からない。理解してあげられない。
ならばここは自分が励ますべきだと、白亜は勇気を振り絞って仁に近寄る。
「あっ、あのっ、仁……君? 色々と大変だけど、ふっ、ふっ、ふたっ……あぅ……」
仁に近寄り、手を差し伸べようとする白亜。しかし、“二人で一緒に”という台詞を言うのが気恥ずかしく、結局は言葉を濁してしまう。
「えっと、今は白亜さんだっけ?」
「えっ!? あっ、はっ、はい……」
だが、そんな白亜の心情を察してか、仁が自ら立ち上がりながら白亜に声をかけた。
「ありがとう。何だか白亜さんに声をかけられて、元気が出てきた。がんばってるのは自分だけじゃないんだもんな」
久し振りに表に出てきた白亜さんが、自分と同じように成り行きでアイドルをやらされることになったのだ。普段行動の自由さえない彼女が、せっかく表に出たのに自分の思うように動けないのだ。
それでも彼女は、自分の境遇を受け入れて、必死にアイドルを演じようとしているのだ。ならば自分も女装如きで恥ずかしがってないで、しっかりと代役を努めなきゃな。
そう仁は、白亜に勇気付けられたのだった。
「それにしても、こうして話すのは汐見市の一件以来だね」
「あっ、はっ、はいっ……」
「あの時といい今回といい、ゆっくりと話ができる機会がないって言うか……」
「あっ、あの……どうかしましたか……」
いい雰囲気の会釈が続いていたというのに、突然言葉を濁す仁。そんな仁を怪訝に思って、白亜が呼びかける。
「……」
「あぅっ……!」
突然白亜の顔をジッと見つめる仁。好意を寄せている仁に見つめられることに白亜は恥ずかしがり、思わず引き攣ってしまう。
「あのっ、白亜さん。ひょっとしてずっと前に、会ったことない?」
「えっ?」
「何だか白亜さんみたいな雰囲気で、それくらいの髪の長さの女の子と、昔会ったことがあるような気がして……」
「……」
頭をクシャクシャかきながら昔の話をする仁。
それは自分ですって声をかけたい白亜。
だが、仁くんの記憶があやふやな中で自己主張するわけにもいかないと、白亜は沈黙を続ける。
「あっ、ゴメン。本人かどうかも分からないのに、こんな話しちゃって」
「えっ!? いえっ、いいんです……」
今は少しでも仁くんが昔のことを思い出してくれただけで満足だ。そう思う白亜の頬は、ほんのりと赤みを帯びていた。
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「はいはい。無駄話はここまで。早速だけど、演じてもらうわよ!」
パンパンッと手を叩きながら、石川は自分に傾注させた。
「実はこれから876プロ所属のアイドルである秋月涼が事務所に来るのよ」
石川は三人に、番組の打合せを兼ねて涼が事務所に顔を出す旨を話した。
「成程のぅ。ようはその涼とやらの前で演じ切れば良いのじゃな」
「そういうこと。予め言っておくけど、涼は愛と絵理の同期。二人のことは誰よりも知っている。ちょっとでも変な言動を取れば、あっという間に変装がバレてしまうことでしょうね」
「ふぅむ。逆に言えば、その涼とやらにバレずに済めば、他に見破られる可能性は低いということじゃな?」
「そうかもね。ともかくあまり時間はないから、さっさと声を合わせる練習に入りなさい!」
石川はナギと仁を促し、涼が来るまでの間、二人で愛を演じる練習を行わせた。
「おはようございまーす!」
それから一時間後。いよいよ涼が事務所に姿を現した。
「あっ……。おっ、おはようございます、涼さん……」
涼が来るまでの間、絵理のことを教えられた白亜。上手くできるかは分からないけど、言われたとおりにやってみようと、涼に声をかける。
「あっ! おはよう、絵理ちゃん」
涼は白亜の変装にまったく気付くことなく、普段と変わらない挨拶を返した。
「仁。次はいよいよ妾等の出番じゃぞ」
ナギは涼の死角となるところから、服の襟に隠された発信機越しに、仁に声をかけた。
「ああ、分かってるって。いくぞ、ナギ……」
「うむ!」
仁は小声でナギに応答し、心の準備を済ませた。一人で変装している白亜と違い、声と姿が別々なナギと仁。同じ屋根の下で暮らしている間柄とはいえ、こういった経験は初めてだ。
普通の挨拶をする。たったそれだけのことでも、途方もなく困難なのだ。
だが、これは自ら選んだ道。仁は自分のために恥ずかしい思いを抑えてまで、一生懸命女装してくれている。なら今度は自分が仁の頑張りに応えてやる番だ。そうナギは意気込んで声を出そうと、大きく息を吸い込む。
「おはようございます! 涼さん!!」
そして石川に教えられたとおり、周囲に響くほどの大声で挨拶をするナギ。それに合わせるように、仁も大きく右腕を挙げた。
「おはよう、愛ちゃん。今日も相変わらず元気だね」
涼は仁の変装にも気付くことなく、普段どおりの挨拶を返した。
「ふぅむ。どうやら第一関門はクリアのようじゃのぅ」
無事に挨拶をこなせたことに、ナギはホッとぺったんこな胸を撫で下ろすのだった。
「ん〜〜?」
だが、ナギが安堵したのも束の間。涼が怪訝な眼差しで仁を見つめた。
「どっ、どうかしましたか!? 涼さん!」
ナギも仁も、変装がバレたかと戦々恐々しながら、涼に問い掛ける。
「ううん。今気付いたんだけど、髪形変えたんだなって」
愛と仁は雰囲気が似ているとはいえ、仁の方が若干短い。涼はその点を付いてきたのだった。
「なっ、夏なんでショートカットにしたんですっ!!」
ナギは咄嗟に思い浮かんだ弁明で、その場を凌ごうとした。
「ふーん」
ナギの答えに一応は納得した涼。しかし、まだ疑念は尽きないようで、仁の全身をまじまじと眺め続ける。
「まっ、まだ何か!?」
「う、うーん。ひょっとして愛ちゃん、身長伸びた?」
平均的な男子高校生に比べて、仁の身長は低い。
だが、それでも中学生女子である愛よりは三、四センチ高い。普段愛と接しているだけに、涼はその僅かな身長差も鋭く突いてくるのだった。
(うぬぅ。さすがは同期というところか。抜け目ないのぅ)
さてさて、ここはどう返答したらいいものかと、ナギはしばし思案する。
(ん?)
だがそんな時、ナギは仁の顔の異変に気付いた。仁は正体がバレそうなことに怯えるのではなく、何故だか目をキラキラに輝かせながら涼を見つめていた。
それもそのはず。仁は生まれてこの方、自分の身長に関しては冷やかされることしかなかった。だから、身長が伸びたと言われたのは生まれて初めての経験。
身長にコンプレックスを抱いている仁にとっては、何物にも変えがたい、最大限の賛辞だった。
(じ、仁よ……。伸びたと言っても、あくまで愛の身長がという意味で、決してお前の身長が伸びたという意味ではないのだぞぉ……)
仁の心を察したナギは、あまりに仁が哀れに映り、同情の涙を流した。
「どっ、どうかしたの、愛ちゃん? そんなに私のことを見つめて」
自分に敬愛の眼差しを向ける仁に違和感を抱き、涼は声をかける。
「せっ、成長期ですっ!」
このまま疑われるわけにはいかないと、ナギは少し無理のある返答をする。
冷静に考えれば、いかに成長期とはいえ、たった数日で数センチも伸びることはないのだが。ナギには他にまともな答えが思い浮かばず、そう返答せざるを得なかったのだった。
「そっかぁ、成長期かぁ」
しかし、涼はナギの答えに疑問を持つことなく納得したのだった。
(何ともならんと思ったが、何とかなったのぅ)
これでさすがにもう大丈夫だろうと、ナギはすっかりと安堵した。
「ゴホッ! エホッ! おっ、おはようございます、社長!! ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ!!」
だが、今までの苦労を水泡に帰するように、風邪を拗らせた愛が身体に無理をきたしてまで事務所に姿を現したのだった。
「ぎゃおおおん! あっ、愛ちゃんが二人!? 一体どういうことなのっ!?」
愛が二人になったことに涼は驚き、大声をあげる。
「えっ!? えっ!? えっ!?」
そして当然の如く愛本人も、もう一人の自分がいることに激しく動揺する。
「なっ、何で、あたしがもう一人!? ゴホッ、エホッ!? そっくりさん!? ドッペルゲンガー!?」
ただでさえ熱で頭がやられるというのに、理解の範疇を超えた事態に遭遇した愛。
「きゅぅぅん……!」
混乱した頭に加え、無理強いした身体がとうとう臨界点を向かえ、愛はフラフラと倒れ込んでしまうのだった。
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「成程。そういった経緯が……」
涼は石川から事の一部始終を聞き、一応は納得した。
「それにしても、ざんげちゃんの方はまったく気付かなかったなー」
仁くんの変装の方はいくつか疑問に思った箇所があったけど、ざんげちゃんの方は完璧に等しかったと、涼は感心する。
「なあ、バレちゃったし、もう着替えてもいいかな?」
一刻も早く女装を止めたい仁は、石川に許可を求めた。
「駄目よ。本番まで時間がないんだから。撮影が終わるまでずっとそのままでいて頂戴」
だが、仁の願い空しく、女装を解くことは叶わなかった。
「仁くんだっけ? 気持ちは分かるよ。スカート穿くのってムズムズして大変だもんね」
自分自身女装を続けなければならない立場の涼は、仁を慰めるように声をかけた。
「ああ。ありがとう、涼、ちゃん?」
仁は涼に感謝の言葉を向けつつ、微妙な違和感を抱いた。今自分が抱いている嫌悪感は、男独特のものだ。女にこの気持ちは分からないはず。
涼の発言は、あたかも経験者の実体験のようにしか聞こえなかった。
「それよりも、本物の愛はどうするのだ?」
ナギは呻き声を上げながらソファーに寝かされている愛に目をやり、その身の処遇を石川に訊ねた。
「自宅療養を続けるようでは、またいつ抜け出すやもしれんし。かといって医者の口から入院の事実がマスコミに漏れるのもマズかろう」
以上の理由から、番組の収録が終わるまで信頼のある医者の元に預けておくのが最善策だろうと、ナギは思うのだった。
「心配いらないわ。愛の件に関しては、ちゃんと対策を練ってあるわ」
「そういえば、先程どこかに電話をかけていたようじゃのぅ」
ということは、その電話の相手先が、石川の言う対策なんだろうと、ナギは察した。
『おっはよー! シャチョーさん!! 双海姉妹、たっだいま参上〜〜!!』
そんな時、事務所のドアを元気の良い双子が思いっきり開けてきた。
「なっ、なんじゃこの娘たちは!?」
「紹介するわ。876プロと友好的な関係にある765プロ所属のアイドル、双海亜美と真美よ。彼女たちの父親は、お医者さんなのよ」
「成程のぅ。そういうことか」
つまりは、この娘等の父親に愛を預けるということか。確かに、信頼ある事務所関係の医者ならば、外に情報が漏れる可能性は低いだろう。
最初は何でこんな双子かと思ったが、なかなか良い策だと、ナギは石川の的確な判断を評価する。
「そういう訳で、完治するまでの間、愛のことをよろしく頼んだわよ」
「ラジャー! 愛ぴょんのことは亜美たちがしっかりと見守ってるよ〜〜!!」
「それじゃあ真美は愛ぴょんの左肩持つから、亜美は右肩をお願いねー」
「りょーかい! んじゃあいっくよー、真美!」
そうして二人は互いに愛を担ぎ出し、事務所を後にする。
「あのさ涼」
双海姉妹が過ぎ去った後、仁は唐突に涼に声をかけた。
「何、仁くん」
「間違ってたら謝るけどさ。お前、ひょっとして男なんじゃねぇの?」
仁は思い切って涼が男ではないかと真意を問い質した。石川が自分の女装をあっさりと認めた件と、先程の涼の言動。この二つを合わせると、この事務所には既に女装アイドルがいて、それは涼なんじゃないかと仁は推察する。
「えっ! えっ! そんな、違っ! ぼ、僕……じゃなくて、私、おっ、男なんかじゃ……ぎゃおおおん!!」
仁に真相を突かれ、激しく狼狽する涼。必死に自分が男であることを否定しようとする。
だが、生理的に自分が女であるとは認めたくなく、葛藤の末涼は悲鳴をあげる。
「ううっ、そうだよぉ、僕は男だよぅ」
観念して、涼は自分が男であることを告白した。
「やっぱりな。お前はどうして、女装なんかしているんだ?」
「それは……」
涼は観念して、自分が女装してまでアイドルをしている理由を仁に話した。
「成程。イケメンになりたくてアイドルを」
「うん。女のアイドルとして成功したら男としてデビューさせてくれるって話だから、頑張ってアイドル続けてるんだけど」
慣れない女装を続けなきゃならないのは苦痛だと、涼は素直な心境を吐露した。
「イケメンになりたいねぇ。俺はそんなに悪くないと思うけどなー」
「えっ!?」
仁の意外な反応に、涼は驚きの声をあげる。
「だってさ。少なくても俺より身長あるじゃん。なんつーかさ。その点に関してはちょっと羨ましいと思うぞ?」
それだけの身長があれば、自分みたいに中学生に見間違われることはないだろう。
身長にコンプレックスがある仁にとっては、その一点だけでも涼は自分より“イケメン”であると思えるのだった。
「ううう……」
すると、涼は突然目に涙を溜めて、ウルウルした。
「なっ、なんだ!? どうしたんだ、涼?」
「ううっ、初めてなんだよぉ……」
「何が初めてなんだ?」
「男の人にそんな風に見られたの、初めてなんだよぉ〜〜!!」
今まで同姓からカッコイイ男として見られたのは皆無。こんなに可愛い子が女の子のはずないという勢いで、告白までされる始末だった。
だからこそ、仁に少しでも男らしいと見られたことがうれしくて、涼は感涙しながら仁に抱き付く。
「うれしいよぉ、仁くぅん〜〜!」
「わっ、わーったから、抱き付くな〜〜! 男に抱き付かれても全然うれしくねー!!」
(うーん。この二人、よく似とるのぅ)
ドタバタする二人を見てナギは思った。自分の不甲斐ない体型に、男らしさを求める仁。女のような容姿だからイケメンになりたいと強く願う涼。
双方とも男として足りない部分にコンプレックスを抱き、自分の理想とする男を目指している点では同種だとナギは思うのだった。
(にしても、貴子が見たら鼻血を出して喜ぶぞ……)
まさかこの間美術部総出で描いたBL同人誌の光景が、目の前で再現されることになろうとはと、ナギは頭を抱える。
そんなこんなで右往左往しつつも、仁と白亜、仁と涼の間には奇妙な連帯感が生まれ、後は番組の開始時間を待つこととなったのだった。
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