フリードリヒ皇帝の憂鬱


「まさか、宣伝相が直々にいらっしゃるなんて……」
 501の基地にカールスラント本国から予想外の人物が来訪したことに、ミーナは驚きを隠せなかった。
「うむ。事態は急を要する。よって私自らが君たちに命令を下しに来たのだ」
 執務室にミーナ、バルクホルン、ハルトマンのカールスラントウィッチ三人を集わせ、重い口を開く男。
彼の名はパウル・ヨハネス・ゲッベルス。カールスラントにおいて宣伝相の要職に就いている男である。
「ほへー。宣伝相が来るなんて。こりゃ一大事だね」
 以前宣伝省から宣伝映画の伝達は来たことがあったが、今回はトップ自らの来訪。これは何かあるぞと、ハルトマンは興味津々な顔でゲッベルスを眺めた。
「理由をお聞かせ願えませんか? 何故宣伝相が我々の基地を訪れたのか?」
「ああ。実は皇帝陛下(マイン・カイザー)が酷く気を病んでおられるのだ……」
 バルクホルンの質問に、ゲッベルスは鬱然とした顔で、フリードリヒ四世の不調を訴えた。
「皇帝陛下が!? そんな話は一度も!」
「当然だ。このことは皇帝陛下の秘書官や高級士官の一部しか知らぬことだ」
 ミーナの驚きに、ゲッベルスは皇帝の心労は極秘事項であることを伝えた。
「秘匿事項か。一体皇帝陛下は何にそんなに悩んでおられのですか?」
「それは、君たちの態度にだよ!」
 声を荒げて、ゲッベルスは三人が悩みの原因であることを指摘した。
「えー! わたしたちの部隊はみんなそれなりに実績を挙げているし、皇帝の悩みになることは何一つしてないはずだけど?」
 自分自身は度々規律を破ってはいるものの、戦闘自体は皇帝陛下が胸を痛めることなど行っていないはずだと、ハルトマンは訴える。 「そうだ。君らの戦功はあまりあるものだ。ならば、何故その武勲に見合ったものをまったく付けていないのだ!!」
 感情が高ぶった声でゲッベルスは憤怒し、自分が501の基地を訪れるに至った経緯を話し始めた。



 話は遡ること数週間前。ここは南リベリオン大陸に位置するギアナ高地。
 この地下深くには、ノイエ・カールスラントの仮宮殿が建立されていた。
それは宮殿というよりは地下要塞であり、戦時下において絢爛な宮殿を作る必要はないという、フリードリヒ皇帝の意思を反映したものだ。
また、地下に造られたのは、万が一ノイエ・カールスラントがネウロイの攻侵略を受けた際にも、政府の中枢機能を失わないようにするためであるという。
「現在、第501統合戦闘航空団の活躍により、欧州戦線はネウロイに対し、多大なる戦果を挙げております。また、ハンナ・ユスティーナ・マルセイユ大尉、ハンナ・U・ルーデル大佐などの我が国の精鋭ウィッチ等が、世界各国で大活躍しております」
 地下宮殿に設けられた狭苦しい作戦司令室。そこで空軍参謀総長のコルテンが、世界各国で戦い続けているカールスラントウィッチの戦果を報告していた。
「時に朕の考案せし“勲章ズボン”は、皆ちゃんと穿いてくれているのだろうな?」
 コルテンの説明を一通り聞き終えると、皇帝は突然勲章ズボンに関して士官等に訊ねた。
 勲章ズボンとは、フリードリヒ皇帝が目覚ましい活躍を続けるウィッチたちに何か特別な報酬を与えられないだろうかと考え、新たに勲章の副賞として授与されることとなった、勲章の図柄が刺繍されたズボンのことである。
「……」
 皇帝が勲章ズボンの話題を口にした途端、場に流れる一瞬の沈黙。コルテンの左斜め前に立っている空軍戦闘機隊総監のガランドが気まずそうな視線を送ると、コルテンは再びゆっくりと口を開く。
「皇帝陛下(マイン・カイザー)。実は皆に穿くよう強く勧めてはいるのですが……」
「現場のウィッチたちには極めて不評で、穿いている者はほとんどいないという話です……」
 コルテンが口籠ると、右隣に立っていた最高司令部作戦部長のヨードルが、現状を重苦しい顔で伝えた。
「……」
 報告を聞き終えると、皇帝は黙り込む。そしてブルブルと震える左手でメガネを外し、ゆっくりと口を開く。
「四名だけ残れ。カイテル、ヨードル、コルテン、ガランド」
 皇帝が命ずると、指名された四名と皇帝の後ろに立っている官房長官のボルマンとゲッベルスを除き、皆ゾロゾロと部屋から出ていった。
「誰も穿いていないというのはどういうことだ! 朕がどれだけ苦労してあれを考えたと思っている!!」
 他の者共が退出し終えた途端、皇帝が憤怒の罵声を発した。
「俸給を上げられないからと皇室の収入を削ってまで副賞を設けたっていうのに、ごらんの有様だよ! どいつもこいつも大嫌いだ!!」
「皇帝陛下、どうかお気をお鎮めください!」
 冷静さを欠いた怒号に、ガランドは必死に皇帝を宥めようとする。
「これが黙っていられるか! どいつもこいつも朕のことを馬鹿にしやがって!」
「皇帝陛下! 現場のウィッチたちの心情も少しは!!」
 自分自身勲章ズボンを授かったウィッチの一人として、ガランドが皇帝を諫(いさ)める。
「ちゃんと考えているだろうが! ドレスじゃ動き辛いからとの意見を汲み取り、ズボンを考案したっていうのに!! 畜生め!!」
 皇帝はガランドの言葉に反論すると、テーブルに思いっきりペンを投げ捨てながら畜生と、皇帝らしからぬ暴言を吐いた。
「素材は最上級の絹を使用させ、デザインも超一流のデザイナーに発注してある! 一体どこに不満があるというのだ!!」
 自分のアイディアには一片の間違いもないと力説する皇帝。そのあまりに尋常ならざる慌ただしさに、何があったのかと怪訝な顔で皇女であるエヴァンジェリンが部屋の前に姿を現すほどだった。
「こんなことなら朕も違うものを考案すべきだった! オラーシャ皇帝の考案したベルトのような!!」
 サーニャの穿いているベルトは、任務に当たるウィッチが邪魔にならず且つ女性らしさをより引き出すものとして、オラーシャ皇帝が考案したものだ。
 オラーシャのウィッチたちは好んで着用し、フリードリヒ皇帝もそれなりに着目はしていた。
「それともズボンじゃなくブラにでも考案すれば良かったか!? 服を脱ぐとおっぱいプルンプルンって揺れて、胸自体が勲章になるような!!」
 怒髪天を突いた皇帝は、やんごとなき身分の物とは思えない破廉恥な発言をするほどまでに錯乱していた。
「朕はウィッチに対して独自の哲学を持っている。常日頃世界中を守っている彼女たちにもっと報いなくてはと、四六時中頭を捻っている。そうまでして勲章ズボンを考えたというのに、誰も穿かぬとは。朕にはもう、ウィッチたちに報いる術が考え付かぬ……」
 身体中の怒りを全て発散し切ったのか。しばしの沈黙の後、皇帝はガックリと肩を降ろし、生気のこもらない声で心情を訴えた。
 皇帝の心の悩みが痛いほどよく分かる士官たちは、互いに視線を合わせながら、皇帝に同情した。
「だがな、朕は信じている。いつの日か誇らしげに勲章ズボンを穿き、蒼空を舞うウィッチが現れることを。それまで、この制度は取り止めん……」
 そうして僅かな希望をウィッチたちに託し、皇帝は言葉を締め括るのだった。



「で、つまりその。誰も勲章ズボンを穿かないから、皇帝陛下が憂鬱になられていると……?」
 ゲッベルスから事の一部始終を聞き終えたミーナは、どう返事していいか分からなかった。一体どんなお悩みを抱えているかと思えば。不敬ながら、わざわざ宣伝相が訪れるほどの案件だろかと、ミーナは呆れた顔で思うのだった。
「皇帝陛下は菜食家で、お酒もお煙草も口にせず、質素倹約に国政に務めておられる。そんな皇帝陛下の唯一の嗜(たしな)みは、臣民に再び祖国の地を踏ませるため、日夜戦い続けている我がカールスラントのウィッチたちに、極上の賜り物を授けることだ。
 だが、皇帝陛下の寛大過ぎるお心が、肝心のウィッチたちに届いておらぬとは。私は皇帝陛下があまりにご不憫で、ううう……」
と、ゲッベルスは、やや大げさに三人の同情を誘うように涙で頬を濡らした。
「うんうん。皇帝の気持ちはよく分かるよ。わたしも以前みんなのために一生懸命料理を作ったら、もう二度と作るなって書類にサインまでさせられた時は、似たような心境だったよ」
と、ハルトマンは自分の過去と被せながら皇帝に同情するのだった。
「そうか、そうか。分かってくれるかハルトマン少尉」
「だからといって、穿きたいとは思わないけどね。あれ、洗濯するのメンドーそうだし」
「な、何だとっ!?」
 だが、それとこれとは別。同情はするが穿く気にはならないと公言するハルトマン。
ウィッチたちが勲章ズボンを好まない理由は多々あるが、その中でも一番の理由は、最前線では絹製のズボンを洗うのが困難だからというものである。
「だが、この基地の設備なら、洗濯くらい容易に」
「いや、宣伝相。普段着ですらろくに洗濯せず、部屋に散乱させているエーリカに、それを求めるのは酷というものでしょう」
 確かに501の基地は最前線とはいえ、大きな浴場に入れるほどの余裕がある施設だ。泥に塗れた最前線とは違い、洗濯も何なくできる。
 しかし、元から洗濯など滅多にしないエーリカでは、せっかくの勲章ズボンが垢に塗れるだけだと、バルクホルンは説き伏せる。
「で、宣伝相自ら訪れたからには、私たちに無理矢理勲章ズボンを穿かせるためとかではないでしょう?」
「察しがいいな、バルクホルン大尉。親愛なる皇帝陛下の御為、私自らが指揮の元映画を撮ろうと思い、この501の基地を訪れたのだ!」
「映画……?」
 今の話の流れだと、どうにも嫌な予感しかしないとミーナは思うのだった。
「そうだ! 我がカールスラントのウィッチが勲章ズボンを穿き、高らかと大空を舞う宣伝映画を! さすれば皇帝陛下もきっとお元気になられるはず!!」
「はぁ。お言葉ながら、皇帝陛下はウィッチの自主性を尊重するはず。私たちが命令で勲章ズボンを穿いても、皇帝陛下はお喜びになられないのでは?」
 映画を撮ろうとする動機があまりに不純で賛同しかねないミーナは、皇帝をダシにゲッベルスの提案を撥ね退けようとする。
「強制するつもりは毛頭ない。だが、この件をゲーリング元帥に話したら、彼女は涙を流しながら自分が穿くと言い出した。率直に問う。君等は元帥の勲章ズボン姿を見たいと思うかね?」
「うわっ!? あのメタボ気味のオバさんが! そんなことしたら、皇帝がますます鬱っちゃうよー」
 ゲッベルスの問い掛けに、ハルトマンは思いっきり引いた。
 ヘレナ・ゲーリング元帥。第一次ネウロイ大戦において大活躍したウィッチであり、今現在は航空相、空軍総司令官など多数の重役を歴任している。カールスラント全ウィッチはおろか、カールスラント軍でも最高位の軍人である。
 若い頃は鉄の女の異名を誇り、ブロマイドが出回るほど国民から圧倒的な人気を得ていたウィッチであった。だが、年を重ね仕事の重圧に圧される中過食症を患い、今は見るも無残な肥満体へと成り果てていた。
「うむ。万が一皇帝陛下が勲章ズボンを穿いた元帥の姿を見たら、逆上して全権剥奪してもおかしくはないな」
 ゲーリングが空を豚のように舞う姿を想像し、バルクホルンはハルトマンの意見に賛同するよう頷く。
「ちょっと二人とも。曲がりなりにも元帥は私たちの上官よ。その物言いはいくらなんでも……」
 言いたいことは分からないでもないが、二人の態度はゲーリングに対してあまりに不遜であると、ミーナは苦言を呈する。
「じゃあさ。ミーナは元帥の勲章ズボンを見たいわけ?」
「えっ!? それはその、えっと……」
 司令という立場上、下手な発言はできないミーナは、ハルトマンの反論に対し、口を噤んだ。
「それにもしも君等が私の企画に賛同してくれるなら、宣伝によって得た収益を501の追加予算として回すことを約束しよう」
「追加予算ですって!?」
 予算という言葉に、ミーナはピクッと反応した。
正直言って今の501は年々予算を削られ、かなり苦しい状況にあった。ゲッベルスのいう追加予算は、正に干天の慈雨と言えた。
「分かりました。親愛なる皇帝陛下のご憂慮を取り除くためにも、映画の撮影にご協力いたします」
 あくまで皇帝陛下の御為であり、決して追加予算に釣られたわけではないと強調し、ミーナはゲッベルスの提案を受け入れた。
「ありがたい。君なら必ず私の提案に賛同してくれると思ったよ、ヴィルケ中佐。
案ずるな。何も君等三人だけに穿かせて撮るわけではない。既に各地に散らばるエースウィッチたちにも声をかけ、この501に来るよう話をまとめてある」
(あらあら。私が賛同することは既に織り込み済みってわけね……)
 さすがは宣伝相。話術に関しては一日の長があると、ミーナは皮肉めいた関心を寄せる。
 そんなこんなで、ミーナ、バルクホルン、ハルトマンの三人は、ゲッベルスの特命に応じ、映画の撮影に臨むこととなったのだった。


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