胆沢の歴史

胆沢城
 802年、征夷大将軍、坂之上田村麻呂が東北経営の拠点として造営。後、鎮守府(国の防衛を行う処)が宮城県の多賀城より移される。胆沢城周辺の開田と護りに7000人、広く胆沢開拓として7000人、合わせて14,000人の相模、甲府、武蔵国などの浪人が移殖された。
 果たして、我々の先祖は地元アテルイか、移殖組みか?
 現在も誘致企業と共に関東、甲州方面より移り住むもの多し。
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 新雪の鎮守府胆沢城跡

 大寒、暦通り顔が切れるような空気の中、鳥居の朱色が青空に浮ぶ。

 
 鎮守府八幡宮

 東流する胆沢川と北上川が合流する付近,胆沢城の鬼門に当たる処に坂之上田村麻呂が遠征の成就を願い801年創建。現在は天下太平、五穀豊穣と合格祈願。

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 元朝参り

 今年こそは豊作であります様に、それから娘の受験合格も、ひたすら祈る。

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 安倍貞任

 史跡 一首坂  胆沢郡衣川村古戸

 前九年の役(1051年〜1062年)、衣川、古戸の安倍の館が源氏軍に破れ大歩(現在の胆沢町若柳)に向け退却する安倍貞任と追撃する源氏の棟梁 八幡太郎義家がこの坂で詠んだ連歌の石碑。

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*「衣川の安倍館は破れた」と言う義家に対し、すかさず、「古くなって糸がほころびた為ですよ」と返答する貞任。両者ともしゃれが好きで衣川の衣に掛けている。わたしも、その血を強く受け継ぎ、時々まわりから「寒い」と言われる。
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おら穂
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